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テンメイズヘル  作者: アントン
第一部 時掛け編
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7/9

時の掛け軸

林家本家の門が見えた瞬間、鈴は全力で駆け込んだ。

「母上!父上!」

庭を横切り、玄関へ飛び込む。

だが、返事はない。

鈴は息を切らしながら周囲を見回した。

誰もいない。使用人の姿もない。

母も。父も。祖父も。誰一人として見当たらない。

あまりにも静かだった。

まるで屋敷から人だけが消えてしまったようだった。

「え、なんで! 嘘でしょ…!」

背後の門から、人の話し声が聞こえる。

おそらく、あの男達だ。

鈴の心臓が跳ねる。

「ど、どこかに、隠れなきゃ…!」


考える暇はなかった。鈴は屋敷の裏手へ走る。

そして見慣れた土蔵を見つけた。

祖父から何度も「勝手に入るな」と言われていた場所だった。

だが今はそんなことを言っていられない。

実は普段からここには鍵は掛けられていないのを知っている。

理由は分からないが、この土蔵は内側から閂を掛けられる。

子どもの頃、かくれんぼで土蔵に入って、祖父にひどく叱られたことがある。

子どもの頃から、不思議な造りだと思っていた。

鈴は扉を開いて中へ飛び込む。


ガタン。


勢いよく戸を閉め、そして震える手で閂を掛けた。

「これで……ひとまず」

ようやく鈴はその場へ座り込んだ。

肩で息をする。

心臓が痛いほど脈打っている。

「……土蔵にまで隠れる意味、あったかな…?」

冷静になる。

武家屋敷へ勝手に踏み込めば、相手もただでは済まない。

そう簡単には追って来られないはずだ。

「なにやってるんだろ、私……」

家に誰もいないことに気が動転してしまっていたのである。

「よく考えれば、みんな家の中にいるだけかもしれないしね」

門番までいなかったのは気になるが、そういう日もあるのだろう。

外の様子が大丈夫そうであれば、少し待ってから土蔵から出ようと息を整える。

耳を澄ますが、外からは何も聞こえない。

どうやら流石に屋敷の中までは、連中も入ってこれないようだ。

少しだけ緊張が解ける。

夕闇に迫る時間、この土蔵は薄暗い。

だが、先ほどの危機に比べれば、この程度の暗さはどうということもなかった。


「……ん?」

その時だった。

土蔵の奥に何かがあることに気が付いた。

薄暗い空間の中、飾られているのは一幅の「掛け軸」

見覚えはないが、妙に目を引いた。

鈴は立ち上がって、ゆっくり近付く。


掛け軸には風景が描かれていた。

山、川、空。

どこにでもありそうな景色。

だが異様だったのは、あまりにも精巧だったからだ。

まるで絵ではない。

本物の風景を切り取って閉じ込めたようだった。

そして下部には見慣れない銘が記されている。

読めないし、意味も分からない。

「―――え?」


その瞬間、風が吹いた。

土蔵の中に風など吹くはずがない。

掛け軸が揺れる。

描かれた木々が揺れている。

絵が動いている。

川や雲が流れている。

風景そのものが生きているようだった。

「な……」

言葉が続かない。

掛け軸の風景が、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。

いや、違う。

自分が引き寄せられている。

足が動かない。逃げられない。

風が強くなり、視界が白く染まる。

鈴は思わず目を閉じた。

「………わっ!」

次の瞬間。

足元から世界が消えた。

身体が宙へ投げ出される。

声も出ない。

光だけが視界を埋め尽くす。

そして――。

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