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塩の味

仙台藩へ米を渡した倉庫は、今ではガランとしていた。

少なくなった俵の間を、モチたちが鳴きながら歩き回る。


名主の村の食糧事情は一気に苦しくなった。

一方で町人はお救い米として、割符と交換で米を配給されていた。


村には俵に詰められた米が送られ、その量で一年持たせるようにとのお達しだ。

名主村にも一応届けられたが、どうみても一年持つ量じゃない。

今や味噌が、この村の命綱になってしまった。


その日も朝早くから、仁八をはじめとした採集係が山に出払って食べ物を集めている。

あらゆる野草や雑穀を収集しカテモノの本で食べられるかを調べ、味噌汁に溶かして腹を膨らませるしかない。


「大丈夫か。リン」

「平気」

仁八が少しふらつく鈴を心配して声をかけてくれた。

皆、少量の米を味噌にふやかして食べている。


だが、鈴だけは米を口にしていない。

あれだけあった蕎麦も、もう尽きかけていた。


「無理せず、米を食え。お前が倒れたらどうする」

「ううん。大丈夫だから」


正直にいうと、かなり辛い。

江戸では栄養の大半を米に依存していた。

だが食料が不足する中、米すら口にしない生活がいつまで続けられるのか。


それでも、これが鈴にとっての筋の通し方だ。

この村唯一の武士の子として、皆に約束を守る覚悟を示し続けること。


鈴が先に約束を破ったら、あの会議で皆が自分を信じてくれた意味がなくなる。

それだけは絶対に嫌だった。


しばらくすると、米沢に行っていたナナシと六郎太が戻ってくる。


「お帰り、ナナシ。六郎太」

「ああ……大丈夫か、リン。顔色が悪いぞ」

「平気だ……よ」


そう言って笑おうとした。

その瞬間、世界がぐらりと揺れて足元から力が抜けていく。


(あ、れ……?)


遠くで誰かが名前を呼び、肩を支えられた気がした。


「リン!」


視界が定まらない中、鈴の意識はゆっくりと闇へ沈んでいった。





---

「う、ん……?」

鈴が目覚めると、傍らには芳がいた。

心配そうにのぞき込む芳は、ぺたぺたと鈴の顔を確かめる。


「起きたのね、よかった」

鈴は倒れたことを自覚した。


どれくらい時間が経ったのだろう。

起きようとしたが、妙に力が入りづらい。


それに視界がわずかに揺らいでいるのは気を失う前と同じだった。

にへら、と鈴は気持ちを押し込めて笑みを浮かべる。


「ゴメン、芳。迷惑かけたね」

そんなことないわよ、と芳は微笑んだ。


芳は傍らに置いていた盆を引き寄せ、その上の椀にかけられた布をとる。

匙を椀に載せ、それを鈴に差し出した。


「腹が減っては戦はできぬ、ってね。ほら食べなさい」

鈴は椀の中に入っている食べ物をみる。

蕎麦ではなかった。


「米は食えないよ」

「米じゃなくてモチよ。ほら、砂糖まで使った特製のずんだモチなんだから」

「モチは米でできてるんだよ」


芳が何度勧めても、鈴は首を横に振った。

やがて疲れ切ったように目を閉じ、そのまま眠りにつく。


芳はため息をついて、名主の広間に足を運んだ。



「……どうだった?」

「意識は取り戻したけど、また眠ったわ」

「モチは?」

「食べないって」

全員が唸り声をあげる。


「俺たちでさえ、野草と雑穀だけじゃ足りねぇ。なけなしの米を混ぜているんだ。米なしじゃ体が持たねぇぞ」

「倉庫に米が蓄えられた時ならまだしも、今は食い物そのものが足りねぇ。食わなきゃ死んじまう」


全体的に野山で収穫できるものも少なくなってきている。

集まったのは各村の代表の農民たちだ。


「もうあんな約束、どうだっていいじゃないか。リンさんの覚悟を疑っている奴なんてここにはいねぇよ」

農民の一人がそういったが、芳が首を振る。


「でも、何を言ったってリンは聞かないわ」


農民と同じ粗食に耐えて名主に代わって指揮をとり続け、たった一人で仙台城にむかった。


この場で一番若い鈴が、誰よりも重い責任を背負っている。

それを、ほぼ野草だけの味噌汁で支えられるわけがない。


「たとえあの血判状を破り捨てたとしても、意地を通すかもしれん」

「じゃあ、どうするんだよ……」


鈴の意思は簡単には変わらない。

この場にいる全員が、あの覚悟の演説を間近で見ていた。

それゆえに今日まで硬い意思を示し続ける鈴に有効な手立てが思いつかない。


このままでは鈴が餓死する。

誰もがその考えを思い浮かべずにはいられなかった。


「……俺に一つ。考えがある」


ナナシが静かに口を開く。

とつとつと説明するナナシの考えに、全員が目を見開く。


「正気なの、ナナシ?」

「だが、他に方法がない」

静かな沈黙が、その場に広がる。


それは、一歩間違えれば村そのものを滅ぼしかねない考えだった。





---

仙台城から、召喚命令が鈴に下った。

ある藩から届いた書状について相談したい――そう清右衛門に呼び出された。

鈴は気合を入れなおして、ナナシと仙台城へ登城した。


「ナナシって真田様の家系なんだってね」

「あまり、外では言うな。今まで通りナナシと呼んでくれ」


バツの悪そうにナナシが菅笠を被りなおす。

落ち着いたら、真田家の話を聞いてみたい。


しかし今は目の前の仙台城だ。

鈴は小さく息を吸い込み、城の門をくぐった。




以前通された客間で待っていると、清右衛門が姿を現した。


「待たせたな」

「とんでもございません」


清右衛門の服は絹から木綿に代わっていた。

寝不足なのだろう。目の下には深い隈が刻まれていた。


だが仙台藩がようやく再生の道筋を歩みだしたことで、やる気も沸いているのだろうか。

逆境の中、彼の目の奥には力強い光が宿っていた。


「家老の意見がまとまらぬ。其方の考えも聞いておきたい」

「他藩からの文、とは。どちらの藩でしょうか」

「……薩摩だ」


薩摩、と聞いて鈴は思わず目を丸くした。

鈴にとって薩摩は芋や砂糖を分けてくれた恩のある藩なのだが、仙台の家老は毛嫌いしている。


そこで「ああ」と鈴は思い至る。


仙台藩と薩摩藩の間を取り持てる窓口は、実質的に清右衛門しかいない。

以前、小姓もどきとして控えていた鈴が相談役に呼ばれたのも納得できた。

清右衛門は薩摩からの書状を見せる。


「……これ、南蛮文字でしょうか。読めません」

「蘭語だ。要約する」


差出人は島津重豪。


飢饉で困っていると聞いたので、食料を届けてもよい。

その代わり、銭には色を付けてもらえることを期待する。

もし商談に応じる気があるのであれば、薩摩に来られたし。


「……この時期にはありがたいことではありませんか?」

「食料の内容が明記されておらぬ。それに、取引場所が薩摩というのも厄介だ」


つまり何を渡すかは明かさぬが、代金だけは十分に用意して来いということだ。

しかも取引場所が薩摩となれば輸送費もかさむ。

そのうえ現地まで赴いてしまえば、提示された条件を簡単には断れなくなる。


「間を取って、江戸での取引でよい気がしますが」

「うむ、藩内でもその意見でまとまりつつある。薩摩の思惑通りであろう」


最初に無理な条件を提示し、その後で譲歩して見せる。商人がよく使う交渉術である。

ならばわざわざ薩摩から買うのではなく、江戸で食料を買い付ければよいのではと鈴は思った。


しかし、すでに江戸でも食料の買い占めが始まっているとのこと。

こうなると豊作の藩から食料を分けてもらう以外に、仙台が生き延びる術はない。


というか、なんでそんな大事なことを蘭語で記載しているのだろうか。

仙台藩に読める人がいなかったら、どうするつもりだったのだろう。


その疑問を見透かしたように、清右衛門が口を開いた。


「言いたくはないが、当てつけのようなものだ」

「当てつけって……ああ、仙台からだけじゃなく向こう側も同じ感じなんですね」


仙台が一方的に嫌っているのではなく、薩摩の方も同じように見ている。

だったら何でこんな時に、助け船を出すような真似をしてくれたのだろう?


うーん、と唸る鈴。

清右衛門はこめかみを親指で強く押し当てていた。


「読めぬようなら最初から相手にせぬ、ということだ。無論、儂はこの取引は必須と考えておる」


そして「だが家老連中が、な」と疲労の濃い溜息をついていた。

どんな様子でこの書状を受け取ったのか、容易に想像できる。


「ああ……」

「……儂と殿。そして家老を五人連れて江戸にむかう。お主も来てくれぬか」

清右衛門の指名に、鈴は驚いた。


「私が、でしょうか?」

「薩摩が求めている『色』というのがな」

清右衛門は書状を指先で叩いた。


「お主らが売っている鮫製品だ」

「鮫製品、ですか?」

鈴は思わず聞き返す。


たしかに鮫製品は高級品で、贈り物としては最適だ。

しかしこの前の島津との会談で、重豪は塩の方に興味を示しているような印象を受けた。


実際に取引したのは塩と味噌で、鮫製品ほど購入していたわけではなかったと思う。

鈴の疑問を感じたのか、清右衛門は補足する。


「南蛮では飛ぶように売れているらしい」

薩摩は琉球や清との交易を行っているらしい。

しかし前回の取引ではあくまで塩と味噌のおまけで、鮫製品について詳しく説明した覚えはなかった。


鮫製品について説明できる者は限られている。

そう考えると、やはり鈴が行かなければならない。

仙台で鮫製品に最も詳しいのは三吉であり、次いで鈴だ。


それに鮫製品は加工法が特殊なため、今ではほとんど三吉の専売品のようになっていた。


しかしなるほど。うまくいけば食料の調達先も増える。

サツマイモも手に入るかもしれない。鈴にとってはまさに渡りに船だ。


「かしこまりました。村の皆に知らせてきてよいでしょうか」

「うむ、よかろう。……その前に食事を用意してある。食べていけ。殿も同席される」

鈴は言葉に詰まった。


腹は減っている。

だが米を断っている今、城の膳に米が並べば食べ残さねばならない。

たとえ、それが藩に対する非礼にあたるとしても。


「……殿が、お主の話を聞きたいとのことだ」

清右衛門は申し訳なさそうに目を伏せた。


「気は進まぬだろうが、辛抱してくれ」

「承知、いたしました」


断れるはずのない誘いだった。





---

先日の会談が行われた広間に、食事が運ばれてくる。

一汁一菜。椀には雑穀を混ぜた飯が盛られていた。

家老はおろか、藩主までもが同じ食事である。


しかし、藩主も皆と同じ場で食事をするのか。

殿様というものは、毒見などのために別々に食べるものだと思っていた。


「儂を毒殺したところで、この苦しい時期に藩主へ収まりたがる者などおるまい?」

そう言いつつも、きちんと毒見役を付けているあたりに重村の慎重な性格がうかがえた。


ちなみに毒見役は祖父の什吾である。

一汁一菜ゆえ、その役目もすぐに終わる。


「この一汁一菜になってから良かったと思えることが一つある。温かい飯が食えることだ」

その冗談に、家老たちは肩を震わせていた。


しまった。

どこが面白いのか、さっぱり分からない。


ともあれ、食事はほとんど会話もなく粛々と進んだ。

先日の会議とは違ってどこか空気が柔らかい。

この姿を鈴に見せるために食事へ招いたのだろうか。

そして鈴は椀の雑穀飯には手を付けず、箸を置いた。


「……口に合わなかったか?」

鈴の手つかずの茶碗を見て、重村は尋ねた。

鈴は少し迷いつつ、答える。


「いえ、決してそのようなことはございません」

「……まあ、話は聞いている。米断ちをしているそうだな」

重村の問いに、鈴はうなずく。


「それほどの覚悟を決めているとは驚いた。どのような証文を交わしたのか、見せてみよ」


鈴は言われるまま、薬袋にしまっていた村との証文を取り出して小姓へ手渡した。

重村は黙って証文を受け取る。

内容に目を通し、最後まで読み終える。


「……よく出来ておる」


そして何の前触れもなく――。


びりっ。

証文を引き裂いた。


「は、え……!?」


思わず声が裏返ってしまった。

重村は破り捨てた証文を小姓に渡して、呆然としている鈴の目を見据える。


「そちは、儂が下した藩命を知らぬわけではあるまい。申してみよ」

それは鈴と村の者たちが考え、そして喜二郎が通してくれた藩命。

質素倹約。藩主に至るまで、例外を認めぬというものだ。


「藩の者すべてに雑穀入りの飯を食わせるよう、そちたちに条件を呑まされた。全員だ。儂も例外ではない」

重村の口調は重く、それが絶対の掟として藩に浸透させていることをこの場で示した。


「藩主が例外でないのなら、武家の娘であるそちも従うのは当然。違うか?」

「……」

鈴は黙り込んだ。


違わない。

だけど、そうじゃない。


頑なな鈴を見て、重村は困ったように息を吐いて手を軽く叩く。

音もなくナナシが重村の傍らへ進み出た。


「内成、持て」

「はっ」


ナナシが書状を広げる。

重村はそこへ署名し、血判を押した。


そしてそれを、ナナシを通して鈴へ渡す。

そこに記されていたのは、先ほど重村が口にした内容そのものだった。

だが、その文字には見覚えがあった。


(芳の字だ……)


村の総意として、契約は更新されていた。

しかも藩主・重村の血判付きである。

仙台藩に住む者で、この約定に逆らえる者など誰一人いないだろう。


しかし、だからこそ鈴にはわからなかった。


まさかそのためだけに、この書状を重村に届けたのだろうか。

たかが藩医の娘一人のために、重村へ陳情をしたのだろうか。


なんで、そこまで。


一歩間違えば芳たちの――村人全員の命を失いかねない行為だ。

鈴を生かすために。……いや、助けるために全員の命を賭けたのか。


そんなことないわよ、と微笑んだ芳の姿が浮かぶ。

気にせず食べろ、と言ってくれた仁八を思い出す。

村のことを振り返れば、六郎太も、トシも、ナナシも、村人たちも……皆が鈴を気遣ってくれていた。


皆からの信用だけは失うまいと、決意した。

鈴の、意地だ。


だから……わからない、振りをしていた。

見上げれば祖父は無表情だったが、重村は微笑んでいた。


「そちが米を食って文句を言う農民がおれば、儂のところへ連れて来い」

重村は周囲を見渡した。


「その者に、この食事風景を見せてやろう」


ナナシが鈴の肩を軽く叩いて頷く。

そして盆に置いた箸を、鈴に握らせた。


「……」


味噌も漬物も食べ終えた盆の上に載っているのは雑穀米だけ。

鈴は震える手で最後に残った雑穀飯を口へ運んだ。


「……おいひぃ、です」


その飯はひどくしょっぱく感じられた。

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