章末:一筋の空
数刻にわたる評議の末、鈴たちはようやく話し合いを終えた。
名主の村への帰り道、鈴は大きく伸びをする。
「叔父上お疲れ様。月代じゃなかったから一瞬分からなかったよ」
「某は藩医の家の者だ。武士とはいえ医家ゆえ月代でなくとも咎められぬ」
鈴が知っている喜二郎は月代だったから、それはもう驚いた。
話し合いの最中、何度も見返したくらいである。
ちなみに話し合いでは鈴も参加したが、喜二郎がほとんど取りなしてくれた。
藩の家格を重んじる家老たちは非常に老獪で、返事一つであっという間に要求を呑ませようとしてくる。
だが、そこは喜二郎がうまく折衝して互いの条件を擦り合わせてくれた。
当初の要求を通すことばかり考えていた鈴は、改めて喜二郎の交渉力の高さに驚かされた。
仙台はこれより大倹約の時代に入る。
縁日と神事を除き酒を飲まない、作らない。
絹でなく木綿を着用。
米には雑穀を混ぜて食すことを、藩主を含む仙台藩の民すべてが義務付けられる。
一汁一菜を徹底し、仙台味噌と塩の産業を政宗公以来の事業として復興する……等々であった。
さらに仙台の産業である塩と味噌、これを統括する御塩噌蔵も改修されるらしい。
概ねこちらの要求が通ったばかりか、産業として取り上げられたものも多い。
ふー、と鈴が息を吐く。
「でも、無事に仙台に戻ってこられたんだね。よかった」
喜二郎は、やはりこの飢饉を乗り越えるためには欠かせない存在だ。
少なくとも彼がいなければ、鈴は評議で何もできずに終わっていただろう。
安心した鈴に、喜二郎は首を振った。
「いや。この後すぐに米沢に発たねばならない」
その言葉に、鈴は驚愕の表情を浮かべた。
「な、なんで!?」
「内成を担保として預けてきてしまった。奴も政務で天手古舞になっているだろう」
「……ウチナリ?」
誰のことだろう、と鈴は首をかしげた。
喜二郎は苦笑いしてその答えを明かす。
「お主がナナシと呼んでいる奴だ。真田内成、あの真田昌幸の子孫らしいぞ」
「えっ! 真田って、あの真田家!?」
とんでもない出自に、鈴の眼がキラキラと輝く。
鈴は昔から幸村伝説が大好きだった。
何度も喜二郎にその本を借りては、擦り切れてしまうほど読み込んだほどである。
ちなみになぜかその本は現代の喜二郎の家にはなく、実家に格納されていた。
鈴のあまりのはしゃぎように、喜二郎は少しだけ肩を落とした。
この時代の喜二郎は、どうやら幸村伝説は苦手らしい。
「でも、なんでそんな立派なお侍様が私を護衛してたの?」
「重村様がお主につけた監視役だ。五郎八姫に感謝しておけ。お前の内情を知って、即座に内成をよこしてくれた」
素っ頓狂な声を上げ、再び鈴が目を瞬かせる。
どこから驚けばいいのか分からない。
会談の時には気が付かなかったが、ごろうはち姫……いやイロハ姫とは、やはり白石で会ったあの美女のことだったのか。
旅の途中のことで忘れかけていたが、まさか藩主の娘が鈴に会いに来るとは驚きである。
(でも、なんで私を助けてくれたんだろう……?)
彼女とは白石の一件以来、とくに接点はない。
ナナシともどういう関係なのか気になる。
というかナナシは私の監視役だったのか。
それに、なぜ重村様は鈴に監視役など付けていたのだろう。
情報量が多すぎて、どこから驚けばいいのかわからない。
頭を抱える鈴に喜二郎はふっと笑みを浮かべた。
「あの御方……重村様は非常に聡い。家老の手前、意見は控えられていたが真意は常に胸の内に隠しておられる。後の家老評定で、陰ながら五郎八姫の言葉にも耳を傾けていただろう?」
鈴も、それには頷くしかなかった。
あの後、すぐに仙台の今後の政策を話し合った。
重村は誰よりも冷静で話を聞き、最後まで誰の言葉にも流されなかった。
そして、重村は決断すると行動が早かった。
「じっくりと話をしたいが、某も強行軍でな。名主のところにいる皆へ挨拶を済ませたら、ひと眠りして米沢へ発つ」
「うん…そっか、ありがとう。叔父上」
鈴は懐から脇差を取り出し、喜二郎へ差し出した。
仙台城へ赴く時、この脇差があったからこそ心を奮い立たせることができた。
広間へ入る際に預けていたものを、帰り際に返してもらったのだ。
鈴にとっては一年前に預かった品だ。
だが喜二郎にとっては、十年以上も前に手放した品である。
しかし喜二郎は首を振った。
「リンが持っていろ」
そう言って、脇差を鈴へ押し返す。
喜二郎は鈴の横顔を、どこか眩しそうに見つめた。
「……今まで、よく頑張ったな」
その一言で、鈴からぽろりと涙が一粒だけ落ちた。
あれ、なんでだろう。
労ってもらったことは何度もある。
だけどこの時代の喜二郎に再会してその言葉を言われたとき、今までの苦労が報われた気がした。
それから名主の家に行くまで、たわいもない話をしながら道を歩いた。
江戸での出来事や猫の話、それに米を断って蕎麦ばかり食べている話。
飢饉が始まって以来、久しぶりに交わす明るい話だった。
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名主の家へ戻った途端、喜二郎の帰還を知った村人たちが一斉に集まってきて大騒ぎになった。
だがすぐに米沢へ戻ると知ると、あからさまに肩を落とす者も少なくなかった。
それでも仙台藩に対する要求がおおむね受け入れられたこと、さらに藩主自らが率先して倹約に取り組むことを聞いて農民たちも次第に納得していく。
そして皆、口々に鈴を労った。
「私はほとんど何もしてないよ」
それは本心だったが「謙遜するなよ」と皆は肩を持ってくれる。
本当に鈴は、ほとんど口を挟めなかった。
要求を通したのは喜二郎であり、鈴はその横でただ座っていただけだった。
「お主が皆を率いて、ここまで来てくれたからだ。自信を持て。リン」
喜二郎の言葉に、皆がうなずく。
気恥ずかしさから鈴は顔を赤らめた。
それから酒のない宴が開かれ、ささやかな祝宴となった。
話が盛り上がってくると、次第に隠していた話を暴かれる人も出てくる。
「まさか芳が叔父上に惚れてたなんてね」
「む、昔の話よ!」
芳が慌てて手を振る。
そういえば過去の芳は塩釜からの帰り道で、喜二郎の馬に乗れなかったことを残念がっていた。
顔が真っ赤に染まる芳を、トシはため息交じりに見つめた。
「僕はキジ兄を父ちゃんと呼ぶより、キジ兄って呼びたいよ」
「だから、昔の話だってば!」
トシと芳が楽しそうに言い合い、六郎太は何とも言えない顔をしていた。
「六郎太は知ってたの?」
「まぁ、ね」
なんでも芳から出された婿養子になる条件が「喜二郎よりもいい男になる」ことだったらしい。
紆余曲折あったのだろうが、トシがいることを考えれば芳のお眼鏡にかなったのだろう。
そんな和やかな時間の中、夜はゆっくり更けていった。
「うぅ……寒い寒い。この近くに温泉があればいいのになぁ」
それぞれが床についた後、夜の村を鈴は歩いていた。
手洗いの帰り。雲間から月がのぞいて、少しだけ歩いてみたくなった。
それにしても夜は冷える。
猫のモチかミカンを見つけて湯たんぽにしないと、眠れそうにない。
そんなことを考えて名主の家に戻ろうとしたとき、裏手から声が聞こえた。
喜二郎と名主の声のようだった。
「……では、厳しいか」
「米沢だけでは難しい。他藩の助力が必須だろう」
どうやら真剣な話らしい。
声をかけようとして、鈴は足を止めた。
二人の張りつめた声色に思わず息をひそめる。
「儂の体調も良くない。……おそらく長くはないだろう」
「……そうか」
鈴の中に、複雑な気持ちが沸き上がった。
ここまで色々な指示をしてくれた名主が、長くない。
どこか心の中に蓋をしていた気持ちを揺さぶられた気分だった。
だが、名主はそんな気配を微塵も感じさせない笑い声を上げる。
「まあ、お主は何も心配せず米沢で務めを果たせ。テンは儂が鍛えておいてやるわい」
テン。
そういえば、この世界へ戻ってきたばかりの頃、名主は鈴をそう呼んでいた。
高価で縁起の良い生き物。
だが、なぜこの時代の鈴をそう呼ぶのかは今まで聞いたことがない。
すると突然、屋根の上から白い塊……モチが鈴の足元へ降ってきた。
そして何事もなかったかのように、名主のもとへ駆けていく。
「おお、ビャッコ!」
「白いのはモチと聞いたが……ビャッコなのか?」
「うむ。ビャッコだ」
(いや、モチだよ)
鈴は思わず心の中で突っ込んだ。
あのカルタ大会で負けた名主は、命名権をトシに取られていたのだから。
空気が少し軽くなる。
「……早世するなよ。墓に水を添えられたくなかったらな」
「ふっふっふ。言うようになったではないかキジ。ならば、酒を添えてもらえるまで長生きせねばならんな」
喜二郎の冗句に、名主はいかにもおかしそうに笑った。
どこに笑う要素があったのかわからないが、二人の声色は暗いものではなかった。
その後はたわいもない話へ移っていき、鈴は静かにその場を離れた。
翌朝。
久しぶりに雲の切れ間から一筋の青空がのぞいた。
喜二郎は菅笠をかぶったまま、それをまぶしそうに見上げる。
村の者全員が、彼を見送るためにここに集まった。
「皆、息災でな」
「叔父上も、お元気で」
鈴たちは手を振りながら、見送った。
喜二郎は振り返らなかった。
彼はただ軽く手を上げると、六郎太とともに米沢への道を歩いていった。
その背が見えなくなるころには、空を覆っていた雲がもう一筋だけ大きく割れていた。




