反意あり
「表を上げよ」
広間には武士たちがずらりと居並んでいた。
その中央に仙台城の主、伊達重村が鈴に促す。
「お初にお目にかかります。林家が長女、おりんと申します」
藩主と謁見したことは、これまでにもある。
しかしそれは江戸の別邸ともいえる屋敷の中での会談で、このような広間で行うのは初めてだ。
全員が鈴に視線を向けている。
値踏みするような鋭い視線を感じる。
声が震えないよう、鈴は精一杯努めた。
「昨年、米を蓄えたようだな。いかほどか」
「はい、4万石にございます」
ざわり、と喧騒が湧く。
一介の武家の娘が持てる量ではない。その驚きも当然だった。
ちらりとあたりを見渡す。
父と祖父の姿はない。
この場にいるのは仙台藩を運営する重鎮たちのようである。
「して。その米を仙台のため、渡してくれるのだな」
「……すでにお聞き及びかと存じますが、無償ではございません」
ぴり、っと張り詰めた空気が広間に立ち込めた。
ここにいるのは政治を熟知した海千山千の大物たちだ。
その迫力に鈴の額から汗がしたたり落ちる。
泣きそうになる心に喝を入れ、目に力を込めた。
「私が所有する米は財産のほとんどを費やし、清右衛門様より購入したものにございます」
それを無償で渡すことはできない、と鈴は心の中でつぶやく。
家老の一人が訝しげに鈴と目を合わせた。
「ふむ……しかしその時期に米を買うとは、都合がよすぎるのではないか?」
鈴の身体が震えた。
(それは……そうだ)
この時期に飢饉が起こることを知っていなければできない行動である。
未来を見てそのことを知っていた、とは当然説明できない。
すると、重鎮であろう先ほどの家老が口を開く。
「まさか、この飢饉を引き起こした原因、そちにあるのではなかろうな」
……は、い?
いきなりの言葉に、鈴の頭の中が一瞬真っ白になった。
思いもよらない言葉だった。
「そ、そのようなこと、あるはずがございません!」
言いつくろったが、周りは疑いの目を鈴に向け始める。
――しまった。
空気が一変したのが、分かった。
「皆様、お待ちください」
清右衛門が身を乗り出した。
「この女子は以前より飢饉への備えを説いておりました。昨年の買い付けも、その備えの延長にございます」
「以前からだと? 清右衛殿、この女子はまだ成人前であろう。まさか幼子の頃から飢饉を予見していたとでも申すか」
助け舟を出してくれた清右衛門は、言葉に詰まる。
それはまったくその通りである。
準備をしていたのは、いまから十年以上も昔からだ。
鈴が過去に行きそこで準備をしてきたなんて、清右衛門が知るはずもない。
家老たちの詰問が飛び交い、にわかに騒がしくなる。
「静まれ」
重村はその一言とともに、ひじ掛けを叩いた。
一瞬のうちに家老たちは口を閉じ、座っていた場所に戻る。
重村が、深く息を吐く。
「……今はよい。先見の明があることも認めよう。……しかしな」
すっと、その眼がすぼめられた。
「謀反を企てている、という話であれば見過ごせぬ」
「そ、そのような、こと。決してございません!」
米の話なんて関係ない。
話の流れがおかしくなってしまったのに、鈴は気が付いた。
今や「反意ありか否か」が焦点になってしまっている。
なんと説明すればいい?
この窮地に、どういう理由を述べればみんなは納得してくれる?
「父上」
重村の後ろに控えていた見目美しい姫が、口を開いた。
(あれ……あの方、どこかで会ったことがあるような……)
鈴は思い起こそうとするが、思い出せない。
あんな美女、そうそう忘れるわけもないはずなのだが。
いや、今はそれよりも米を蓄えた理由だ。
一瞬気を引いてくれた姫に感謝しつつ、必死に理由を探す。
「未だかつて、女子が反乱など聞いたこともありません。いくらなんでもその理屈は通らないのではないでしょうか」
毅然とした態度で話す姫に、重村は首を振る。
「だが大量の米を確保するのに、他にどんな理由がある? 謀反……いや一揆を企てでもしない限り、その米の使い道などあるか?」
「彼女は藩医の娘です。民を憂いて飢饉に備えをしたと考えれば、理屈は通りましょう」
姫の一言に、何人かの家老は頷きかけたが、重村は再び首を振った。
「通らぬな。一介の藩医が、それも娘が備えたとは到底思えぬ」
「ですが……」
「黙っておれ、五郎八」
イロハ……?
どこかで聞いたことのある名前だった。
あれは、確か――。
「林家の娘、おりんよ。まずこれは言わねばなるまい」
重村のその言葉で考えていたことを断ち切り、鈴は額を床に付けた。
一拍、二拍……。
重苦しい沈黙が続く。
鈴の身体から、激しい心臓の音が鳴り響く。
「この飢饉に米を仙台に残したことは褒めて遣わす。―――謀反を企てていようがいまいがな」
ありがたき幸せ、と返事をする直前に気が付く。
今この場でそんなことを言おうものなら、覚えのない謀反が確定してしまうではないか。
鈴は平伏し、その表情を隠した。
「……米を仙台に残したのは、仙台の民を思えばこそでございます」
「ならばその米。儂がすべて買い上げ民に施そう。異論はあるまいな?」
鈴の視界がぐらりと揺れる。
ダメだ、話を持っていかれる。
最初は条件について話していたのに、いつの間にか「買う」「買わない」に話が移っている。
鈴は異論を唱えるための条件すら引き出せていない。
そして「はい」とも「いいえ」とも言うことができていない。
かといってこの流れを取り戻す話術など、鈴は持ち合わせていない。
もはや直接要望を伝えることしか、鈴には道が残されていなかった。
「……この米は仙台の民のために残しました。行き渡るよう、確約が欲しく存じます」
「ほう、お主は我らが仙台藩を信用ならぬと申すのか?」
さきほどの家老が、そういって鈴の言葉を遮った。
鈴はひれ伏した頭の前にある手をぎゅっと握る。
商売は信用が命だ。
だがこの災難に際し、それがどれだけ守られるというのか。
無言を貫く鈴に、家老が鼻を鳴らす。
「控えよ」
重村は家老を手で制して下がらせる。
畳しか映っていない視界でも、厳しい視線を向けられているのはわかった。
「全面的に儂らを信用せよとは言わぬ。……だがな。そちが儂らを疑っているように、儂らもそちを疑っているのだ」
鈴は必死に言葉を探す。
なんと言えばいい。どういう風に疑いを晴らす。
何か交渉材料、相手の弱点、交換できるもの……。
「おりんよ。その米を渡せぬのは謀反のためではない、というのであれば理由を聞かせよ」
理由?
理由なんて。
――未来を見てきたから、準備してきたんです。
そんな決して証明できない理由を、どうやって説明しろというのだろうか。
沈黙を貫く鈴に、重村は話しかける。
「……弁明を拒むのであれば、反意ありと受け取るが」
詰みだった。
もはや反論する糸口は、全て絶たれた。
(ゴメン、皆……)
場数を踏んだと思って甘く見ていた。
死に物狂いの藩が、これほど手ごわいとは思わなかった。
何一つ有用な言葉を話させてもらえず、権力という波に押し流されていく。
鈴がぎゅっと手を握り、悔し涙を浮かべた時。
「そのお話、異論がございますな。重村様」
背後の襖から、聞きなれた声が鈴に届いた。
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「誰だ。……入れ」
重村の声に、すっと襖が開く。
全員の視線を集めたその先には、武家の男と思われる侍が平伏していた。
だが、その侍には月代がない。
藩主と家老が集まるこの場でその無精は、非礼と取られてもおかしくなかった。
重村も顔をしかめていた。
「ここには林家の者しか呼んでおらぬはずだが……?」
広間がにわかに騒がしくなり始める。
羽織には丸に三本線の家紋。
それは鈴がよく知る林家の家紋だった。
鈴は、言葉にならない声を心で響かせる。
――喜二郎だ。
広間によく通る声が響いた。
「林喜二郎、と申します。おりんの後見人でございます」
「……面を上げよ」
すっと顔を上げる。
その眼差しには、この場の誰にもない不思議な引力があった。
「喜二郎、そちは確か米沢藩に寝返ったと聞いているが」
「米沢を友とお考えにならないのであれば、たしかに某は謀反人でございます」
重村の言葉に、喜二郎が堂々と返す。
だがそれだけのやり取りで、この場にいる全員が喜二郎が手ごわい人間だと悟ったようだった。
重村が居住まいをただして咳払いする。
「して、異論在りと申したな。理由を申せ」
「反意の有無ではなく商才に秀でていた、という見方もできましょう」
ちらりと家老たちの顔を見渡す。
その意図するところは明白だ。
その場の誰もが、喜二郎の言葉の意味を理解した。
――あなたたちより鈴の方が先見の明があった、と。
「無礼者!」
その意図に気が付いた家老たちが一斉に声を荒げた。
鈴が身をすくませるが、喜二郎は平然とした表情を浮かべる。
「この飢饉の数年前まで各地は豊作でございました。目ざとい商人であれば、安いときに米を仕入れるのに何の不思議がありましょうや」
喜二郎の言葉に、家老たちが立ち上がろうとする。
しかしそれを重村が手で制した。
「……続けよ」
「そも、仙台藩も豊作となったのは某の建てた堰に一抹の功がございます。それを明け渡して利用されているお上方へ、某たちがどんな反意を抱くと思われるのでしょうか」
最初の堰、旧堰は藩預かりとなった。
心当たりがあった家老たちは口を噤んだ。
一気に収穫量を増やし、宝暦の大飢饉からの復興に大きく寄与したことは仙台藩の誰もが知るところであった。
喜二郎が続ける。
「宝暦の大飢饉を繰り返してはならぬ。そう思った者たちが味噌を作り、鮫の商品を考え、蓄えを作り出しました。今日この大飢饉の中で大量の米を備えているのは、その教訓の賜物あればこそでございます」
喜二郎は周りを見渡した。
その眼は侮蔑するものではなく、敬服を表すような瞳であった。
「皆様は仙台の米に、絶対の自信をお持ちとお見受けいたしました。そして江戸の食を支えてきたのは紛れもなく仙台の米。幕府の根底たる江戸を支えてきたのは、皆様でございます。……しかし仙台が困窮してしまったのもまた、その米売りであることも事実かと」
喜二郎の言葉遣いは丁寧だったが、容赦がない。
それは皆様が米を売りすぎたために仙台が今困窮しているのですよ、と言っているのに等しい。
家老の一人が激高して喜二郎を指さした。
「仙台藩の財政も知らぬ若造が抜かすでないわ!!」
喜二郎は目を細める。
「詳しくは存じませぬゆえ、ご教授くださいませ」
家老が顔をゆがめ、一言「火の車である」とだけ述べる。
軽々しく詳しい内容を話さないのはやはり家老である。
「では、まずは産業を育てねばなりませぬ」
喜二郎が告げると、一瞬で冷静さを取り戻して発した家老が苦々し気に言葉を紡ぐ。
「火の車と申したであろう、育てる時間などあるものか」
もう火の粉は背中を焼き始めている。
そんな余裕はない、と家老は吐き捨てた。
「なれば、身を切る改革が必要ではございませぬか」
そんな家老に、喜二郎はきっぱり告げた。
「米沢の上杉様、白河の松平様のことをお聞きになったことはございますか」
「知らぬものなどおるまい」
名君・上杉治憲、そして白河の松平。
飢饉の始まる前から、そして飢饉が起こってからの統治は日ノ本に広く知られている。
「あの方たちがどのような政策を行ったか、その試算と結果がございます」
喜二郎は懐から紙を取り出し、小姓に渡す。
それを重村が受け取り、ひとしきり眺めた後に家老へと下げ渡した。
「……」
家老はその紙を見たまま、額から汗を流している。
徹底した倹約令。
藩主自らが率先して行った施策に民も付き従い、財政をかなり上向きにしたのは記憶に新しい。
その効果がどれほどのものか鈴は知らないが、彼らの表情を見る限り劇的なものであったのだろう。
「喜二郎」
家老とのやり取りを静かに聞いていた重村が、意を決したように名を呼ぶ。
「そちは藩を救いたいのか。それとも儂らの不明を責めたいだけなのか」
重村の眼は、喜二郎をまっすぐ見ている。
喜二郎は深く頭を下げた。
「差し出がましいことをいたしました。無論、仙台藩を救う一助になればと考えております」
ゆっくりと頭を上げた喜二郎は、説明を始める。
「この飢饉は長引くかと思われます。食料は限られ銭もない。そうなればもはや方法は一つ。ここにいるお方自らが民の手本となって示すこと、それ以外に方法はございませぬ」
家老たちはその言葉に視線を伏せた。
倹約は苦しい。
鈴でさえ慣れるのに一年近くかかった。
仙台の主たちがいきなり質素な生活や粗食を行うとなれば、かなりの意志が必要になるだろう。
「道理は分かるが、それで民は従うのか? 其方が保証できるのか?」
家老の一人が喜二郎に問いかける。
喜二郎は答えない。
――保証などできるはずがない。
言葉を間違えば、喜二郎にすべての責任を被せることだってありうるのだ。
「それに……仙台には大藩という品位がある。一度失えば取り戻すのに長い年月がかかるであろう」
家老が絞り出すように、そう口にする。
外様の仙台が、この大藩の地位を築くまで百年かかった。
その努力を不意にしてまで、品位を捨てろと言っているのか、と家老は喜二郎に尋ねた。
「……ごもっともです。ただ、今は生きるか滅びるかの瀬戸際でございます。今は品位よりも腹を満たすことが肝要かと」
「われらは薩摩の野武士とは違う。政宗公から続く由緒正しき仙台ぞ」
いきなり薩摩の話が飛び出て、鈴は驚く。
薩摩と仲が悪いとは思っていたが、これほどだったとは。
喜二郎は「然り」と家老の言葉に同意する。
「仰る通り、政宗公が築き上げた仙台は、今日まで由緒正しく守られました。政宗公がこの地に入られたあと、荒れ地であった仙台をここまで発展させたのは偏に皆様のご尽力の賜物かと」
喜二郎の言葉に、家老たちが「当然だ」という表情を浮かべた。
喜二郎は話を続ける。
「しかし自ら開墾し、商業を起こし、民を鼓舞したのも政宗公が始まりであったこともよくご存知のはずです」
そして喜二郎は周りを見渡した。
「政宗公が築き上げた仙台、それを守るのは某たちしかおりませぬ。いま死に物狂いで追いすがらねば、いつ政宗公に恩返しできるというのでしょうか」
喜二郎の言葉に家老たちは何も言わなかった。
政宗公に始まり、その恩を政宗公へ返す。
仙台に住む者でその言葉に納得できない者はいなかった。
空気が変わった、と鈴は感じた。
奇妙な静寂が広間を包み込む。
「……その言葉、気に入った」
重村は静かに息を吐き、周囲の家老の視線を集めた。
「条件を申せ。腹を割って話そう」
ここからが本当の交渉なのだと、鈴は悟った。




