たった独りの登城
「この村の米を、他の奴らに渡すだと!」
「それだけは我慢ならねぇ!」
「いや仙台藩が潰れれば、俺たちがどうなるかわかっているのか?」
「そうだべ。それに寝覚めも悪い。……一部なら渡しても構わねぇだ」
「ふざけるな! 藩が助けてくれたことなんて一度もない。そんな義理はねぇ!」
仙台藩に米を渡すべきか否か、話し合いは難航した。
村を守るべき、ここまで準備してきたのは自分たちのためだという者。
仙台全体を助けるべき、自分たちは粗食でも食いつなげるという者。
一部だけ出してもよい、全ては渡せないという者。
藩は信用できない、いままで散々取り立てておいて虫が良すぎるという者。
(みんなの気持ちはわかるけど……)
この場にいるのはいつもの面々と、農民の代表者たち。
それぞれの言い分はどれも間違っていない。
だからこそ、それぞれの言い分が痛いほどわかった。
「皆のもの落ち着け。纏まるものも纏まらん」
一触即発の空気の中、名主が皆を一喝する。
「……リン。お主はこの飢饉がどれくらい続くと思う?」
あえて鈴にそう聞く。
名主は鈴が未来に行ったことを知っている。
その情報から、この飢饉がどれだけ続くのか知りたいのだろう。
「……少なくとも三年。長ければ八年ほど続くと思う」
未来を見てきた知見だと、それくらいだ。
その言葉を聞いた農民の代表たちが「なおさらだ!」と声を上げる。
「この村の貯えがなくなれば全員が餓死するぞ! 宝暦の飢饉の二の舞はご免だ!」
宝暦の大飢饉、それは鈴が過去へ行ったときに初めて聞いた飢饉の話。
あの頃も大変だった、と仁八は言っていた。
だが今回はその時とは比べものにならないほど規模も大きく、長期に及ぶ飢饉である。
農民たちが尻込みするのも無理はない。
彼らの間に芳が割って入る。
「だけど、この米がなかったら仙台藩そのものがなくなってしまうのよ」
「仙台藩なんぞ知ったことか!」
芳の意見に農民の代表の一人が声を上げた。
聞く者が聞いたら打ち首ものだったが、それが大半の総意なのだろう。
村の信頼が厚い芳ですら彼らを抑え込めない。
(農民はいつでも搾取される側だから……)
藩に対する思いが、決して良いものではないといままで感じてきた。
だが、ここまで拒否反応を示すものだとは思いもよらなかった。
―――藩のお偉いさん方がどうなろうと、まずは自分たちが生き残らなければならない。
そう考えているのは、きっと彼らにとって正しいことなのだろう。
「だから貯めてる米の全てじゃねぇ。半分ほどなら融通できるべ」
「半分だと!? びた一粒ならねぇ! 一度取られればすべて持ってかれちまうに決まってるだろうが!」
「お前らが何したってんだ? この村で作った特産品を売ってお上から取り戻した米なんだぞ。ずうずうしいにもほどがある!」
「うるせえ黙ってろ!」
話し合いはますます加熱していく。
――鈴は思わず身を震わせた。
あの宇都宮の時と、まったく一緒だ。
高崎から流れてきた民衆の誰にも止められない民衆の怒り。
名主と芳がなだめ、農民の代表たちが権利を主張し、トシと仁八がそれに反発する。
一触即発の空気が広間に充満する。
すっ、とナナシが鈴の横にたたずんだ。
「……下がっていろ」
もはや荒事を想定しているとしか思えない動きに、鈴は恐れおののいた。
(どうしたらいいの。叔父上……)
喜二郎だったらどうしただろう。
一喝して、周りを黙らせただろうか。
展望を見せ、この場をなだめただろうか。
………鈴にはできない。
怖がりだし、凡才だし、責任だって本当は取りたくない。
(でも……それでも)
鈴は見てきた。
命を捨てでも、可能性を信じて鈴を送り出してくれた人たちを。
未来で命を懸けて送り出してくれた六郎太と芳。
彼らは自分よりも、平和な未来のために鈴を見送ってくれたのだ。
(だから)
この村を守ると決めた時から、覚悟を決めたのは鈴自身だ。
これまで手にしてきた経験と、人との繋がりを思い返す。
賛同してもらえるかはわからない。
だから―――自分がもっている全ての札をここで出し切る。
鈴は大きく息を吸い込んだ。
「この米は、本来なかったものです」
鈴のその一言に喧騒がぴたりと止んだ。
「仁八が堰を作り、六郎太が鯉を育て、芳が味噌を貯え、叔父上が繋がりを作りました」
しん、とあたりが静まり返る。
あの過去の努力がなければ、何の備えもないまま大飢饉を迎えていた。
この米は、皆が積み上げた努力の結晶。
未来を変えようとした証そのものだった。
「……江戸で三吉が商売のタネを作り、トシが売って、その手はずを名主が整えてくれて今ここに米があります」
あの江戸行きがあったからこそ食料を確保し、未来への備えができた。
三吉の、トシの、名主の、それぞれの力がなければ、この米は存在しなかった。
それでも、最初は未来を変えるために始めたことだった。
「この大飢饉は誰を責めても、恨んでもどうしようもありません」
鈴は全員の顔を見渡す。
「米はすべて藩に預けましょう。その代わり、私たちと一緒にこの飢饉を乗り越えてもらえるようお願いしてみます」
「そ、そんなことしなくても、この村から配給すればいいじゃねぇか!」
隣村の農民の一人が猛烈に反対する。
鈴は首を振った。
「だけど、この飢饉で無事な村があったらどうします。みんなここに押し寄せてくるんじゃないか、と私は思います」
その言葉に、農民たちが口を噤んだ。
怒りは理不尽を生み出した相手へ向かう。
高崎と宇都宮で鈴はそれを見た。
持つ者には不満も暴力も集まる。
それが鈴が学んだ、旅での経験だった。
「一揆……」
皆もその言葉が脳裏をよぎったのだろう。恐怖に身を震わせる。
さきほどの農民が声を荒げた。
「俺たちが飢えているのに、お上の連中がのうのうとしているのは我慢ならねぇ!おめえもだ!」
鈴はその農民の顔を知らない。
おそらく近くの農民の一人なのだろう。
傍にいた青年が、その農民を抑え込む。
こちらは見たことがある農民だった。
「お前! リンさんがこの一年でどのような生活をしていると思って……! 分かっていっているのか!」
「知るか、どけ!」
勢いにまかせて立ち上がった男に、複数の人たちが鈴の前に壁を作る。
鈴をかばったのは名主たちではない。鈴が知る農民の人々だ。
「な、なんだよお前ら。そいつは武士の子と聞いたぞ。俺たちの苦労知らない武士の子なんだぞ!」
ここまで備えを積み重ねてくれた人たちの十八年。
そして共に過ごした、この一年。
それでも誰かが上に立ち、それを示していった。
鈴は、まさかこんなにも守ってくれようとしている仲間がいたとは思っていなかった。
(だったら、私も腹をくくらないと)
鈴は懐から血判状を取り出して、皆に告げる。
「仙台藩主、殿に約束してもらいます」
藩主、殿。
その言葉に誰も息を呑む。
雲の上の存在の名に、その場がどよめいた。
「藩主に約束だと……?」
「はい。この米を渡す以上、誰一人の例外なく飢饉が終わるまで粗食を約束してもらいます。奉行も武士も町人も農民も、みんな同じです」
米沢藩、白河藩の藩主が行っていたことだ。
仙台藩主にもそれを行ってもらう。
こちらの生命線ともいえる米を預けるのだから、あちらにも相応の生活を望むのは当然だ。
「そして配給は、仙台藩に住む全ての人へ行ってもらいます」
清右衛門の言葉を思い返す。
清右衛門は『儂にできることなら何でも』と言っていた。
だったら、その覚悟に応えてもらおう。
鈴たちも腹をくくるのだ。上に立つお奉行様の覚悟も見せてほしい。
それに鈴たちだけじゃない、仙台に暮らす全ての人間の覚悟が必要なのだ。
鈴は一同を見渡す。
「その条件を飲んでもらえるなら、私はこの米を仙台藩へお渡ししたいと思っています。……どうでしょうか?」
それぞれ別々の表情をしていた。
重苦しい沈黙が落ちる。
皆が、それぞれの答えを必死に探していた。
鈴は苦笑いしながら、言葉を続ける。
「きっと文句はあると思います。私だってそうです」
鈴は一人ひとりの顔を見渡した。
「でも、皆が同じだけ苦しいなら――きっと耐えられると私は思うんです」
それが、鈴が思う飾らぬ願いだった。
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鈴は清右衛門へ面会を願う書状を送った。
同時に、これまでの経緯をしたためた文を喜二郎へ託した。
その文を渡す役目を引き受けたのは、ようやく村へ戻ってきた六郎太だった。
「さすがに往復は厳しいんだが、そうも言ってられないか。わかった」
六郎太は苦笑いしながらも、文を懐に入れ、再び米沢へと発った。
二日後。仙台城から返書が届いた。
仙台城もかなり混乱しているらしく、届けてくれた人は文を渡すと慌てて城に戻っていった。
鈴は皆を集め、文の内容を読み上げる。
「三日後。仙台城にて藩主と陳情した林家との面会を許す」
読み上げた文面に、その場にいた全員の表情が強張った。
仙台城への登城を許されるのは、基本的に武士だけだ。
藩主との面会ともなれば、指名された者しか立ち会えない。
この中で城へ入れるのは林家の人間――鈴と、喜二郎しかいない。
(叔父上……間に合うかな)
鈴は思わず身をすくめた。
村の会議よりも怖い。
飢えた農民たちよりも怖い。
未来で……そして宇都宮で見たあの暴徒たちよりも怖い。
たった一つ言葉を誤れば、この村の未来そのものが消えてしまうのだ。
鈴の顔色が悪いことを察したのか、名主が申し出る。
「この非常時だ。儂もついていこう」
「だめだよ。登城を許すのは陳情した林家のみって書いてあるから」
体裁や身分を気にしている場合ではないのは分かっている。
江戸で嫌というほど思い知らされた。
身分の壁だけは、どうにもならない。
喜二郎が間に合わなければ、――鈴が一人で行くしかない。
そうしているうちに、三日はあっという間にやってきた。
鈴は江戸でも身につけていた着物に袖を通し、身支度を整える。
「スズ姉。これを持っていって」
久しぶりにその呼び方をされ、鈴は顔を上げた。
芳が差し出したのは一振りの脇差だった。
喜二郎の脇差。
最後の過去から現代へ戻る時、託されたものだ。
あの頃がひどく遠い昔のように感じる。
「ありがと、芳」
鈴は脇差を腰に差し、静かに息を吐いた。
城では預けることになるだろう。
それでも今は喜二郎がすぐそばにいてくれるような気がした。
「あれ、ナナシは?」
「……数日前から見てないね」
トシの言葉に、鈴の胸が少しだけざわつく。
他の人も顔を見合わせたが、誰もナナシの行方を知らなかった。
「あいつ、リンがこれから大一番だって時にどこ行ったんだよ」
「大丈夫だよ。きっと」
鈴はそう答える。
トシに言ったのか、自分に言い聞かせたのかは分からなかった。
鈴は誰にも見られないよう、そっと手を握る。
指先は、自分でも驚くほど震えていた。




