閑話:文と名主村の日常
喜二郎は部屋で書類の仕分けをしていた。
文机の上には、米沢藩の書類が山のように積まれている。
この米沢に留め置かれてから既に一年。
近年の状況から、もうすぐ飢饉が起こる可能性が高いと米沢藩も感じているのだろう。
仙台から味噌の受け渡しと六郎太の引き取りに来た喜二郎は、米沢藩主と側近の奉行に頼まれる形で米沢にとどまっていた。
いずれ鈴は過去と未来を巡って戻ってくる。
そのころには喜二郎も仙台へ戻っているはずだった。
だが、切迫した状況に置かれている米沢藩の頼みを断りきることができなかった。
(この緊張感は仙台藩にはないものだ……)
米沢藩はいざという時の備えを着々と進めているが、仙台藩はまだどこか飢饉の備えを後回しにしている節がある。
結局、身の回りの世話が必要ということで六郎太も引き続き米沢にとどまり、治憲のかわりに米沢の政務を預かる莅戸善政の補佐をすることになった。
もちろん米沢に拘留されていることを考慮され、色々と便宜を図ってもらってもいる。
結果的に時掛けを終えた鈴の帰還に間に合わず、米沢の地からやり取りをすることになってしまった。
予め江戸での販路は確保していたので、鈴ならばきっとやり遂げてくれるだろう。
そして六郎太に女手形を持たせて送り出し、一か月が経った。
引き続き莅戸善政の政務の補佐をしている喜二郎のもとに、手紙が届いた。
届いた文は三通。
喜二郎はぱらりと一通目の文を開く。
「リンが農民主導の事業を手伝うと言って聞かない。米断ちというわけのわからないことまで始める始末で、喜二郎に諌めてほしい…」
どうやら鈴の両親……兄と義姉からの文である。
農業事業の手伝いはわかるが、米断ちとはなんのことだろう。
鈴たちはもう江戸から戻って来たのだろうか。
喜二郎はもう一通の文に目を通す。
こちらは芳からだ。
そこにはそのような状況になった理由が詳しく記されていた。
名主が倒れ主導できる人材がおらず、鈴が先頭に立ったそうだ。
農民を抑え込むため、鈴が自ら米を絶って飢饉に備える覚悟を示したらしい。
他にも手段はいくらでもあるというのに、そんな手段をとるのは実に鈴らしかった。
「某なら絶対に指さない一手だな………」
こういう時は飴と鞭を使い分けて、人の感情に流れを作ってあげるとまとまりやすい。
それを自分からその輪に入り一緒になって鞭に打たれるなんて方法、考えすらしなかった。
(だが、だからこそ。あいつの周りには人が集まるのだろう)
導くべき家格の人間が同じ目線で苦しみを背負う。
内容はどうあれ、考えようによってはかなり効果はある。
(あとは備蓄次第、か)
米を食わないということは、雑穀が食の中心になる。
雑穀は安いがゆえに消費が早く、飢饉になれば真っ先になくなる。
飢饉の際に最後に残っているのはおそらく米なのだが、まさか鈴は死ぬまで食べないつもりだろうか。
(いや。スズの性格ならありうる、か……)
あの娘は、決意を曲げない。
そうならないための準備を整える必要がある、と芳の文には書かれていた。
いざという時のために最適なのは育つのが早い作物……たとえば蕎麦などを育てることだ。
しかし今から大量生産するのは、時間が足りないかもしれない。
江戸から運ぶという手もあるが、それだと運搬費用も馬鹿にならなくなる。
ふぅ、と喜二郎は文を閉じて一息つく。
「米を絶つ、か」
誰よりも怖がりで、誰よりも泣き虫で、誰よりも逃げ出したいだろうに。
未来の命が助かるならば、と覚悟を固めるその姿勢。
喜二郎の知るスズのままだ。
ちらりと、最初に読んだ文を見る。
「兄上たちが心配するのも無理はないな」
兄たちと芳への返答内容は決まった。
最後の一通に目を通す。
「……米の確保は成功。蔵を守る方法が必須。害獣対策に良い方法があればご教示願う……」
丸みを帯びた女性らしい字だ。
宛名は……鈴からである。
とくに挨拶や世間話などは書かれていない、用件だけだ。
喜二郎は苦笑いする。
「某も、スズではなくリンと呼ばねばならないだろうな」
喜二郎は、鈴が生まれてからあまり関わりを持たないようにしてきた。
それはふとした拍子に、過去や未来に影響を与えてしまうことを危惧したからだ。
そのため「鈴が知る喜二郎」とは、まったくの別人になっているのかもしれない。
(だがそうだったとしても、もはや生き方を変えるわけにはいかない)
喜二郎は筆を執り、それぞれの文に返事を書く。
それとあとひとつ。
飢饉の前に、どうしても米沢に頼んでおきたいことが一つあった。
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「か、か、可愛い……!」
喜二郎へ送った文の返事は、五匹の猫とともに届いた。
尋ねた文の内容は蔵のネズミ対策である。
そしていくつかの方策とともに届けられたのは、この愛らしい猫たちだった。
鈴だけでなく、名主の家にいる女性陣が黄色い声を上げる。
その愛くるしい姿に心を打たれないものはいないだろう。
「よく躾けられた猫だから、蔵の前に猫の住処を用意すれば勝手にネズミを狩ってくれるってさ」
手紙のことより猫の姿に夢中な女性陣の代わりに、トシが続きを読む。
「えーと。餌や水の注意点……ちゃんと細かいところまで書いてくれるのは嬉しいけど、疲れるなぁ」
そう言ってトシは猫に関する内容を読み飛ばす。
ネズミ対策についてもいくつか書いてあった。
蛇を用意したりフクロウなどの猛禽がいれば万全だが、こちらは用意できなかったとのこと。
「あ、多分これはリン個人宛だよ。……ちょっと。猫に夢中になっているなら読んじゃうよ? えーと何々……」
蕎麦の実を大量に送るから頑張って育ててみてくれ、というような内容だ。
「もうちょっと色っぽい内容を期待したのに。残念」
トシが肩を落とした。
猫をひとしきり愛でた女性陣は、やっと満足して離れる。
我に返った鈴は喜二郎からの支援物資に改めて感動する。
「蕎麦の実を送ってくれたのは、ホントありがたいなぁ」
鈴が米断ちを宣言したからであろう。心遣いがありがたい。
そして両親にも喜二郎からとりなしてくれる、との返事が書いてあった。
「そう、だよね」
鈴はあれから家に帰っていない。
両親にあれこれ言われ続けるので、理由をつけて名主の家に泊めてもらっているのだ。
秋も深まり、いよいよ収穫の時期である。
例年に比べると収穫量が落ちているが、それでも今年は飢饉ではない。
飢饉の様子は白河などを見てきたが、仙台ではまだ大丈夫なようだ。
ちなみに江戸への米売りは収穫前の時期を見計らって行われる。
この時に米が実らなければ、かなり危うい。
なにせ借財を返せないうえに食うものもないのだ。
今回収穫した米は鈴が確保した米とは別に保管され、お役人様はそちらの蔵から税を徴収していった。
鈴が買った方の米は清右衛門の血判があるので、いかにお役人様といえども手を出すことができない。
もしも飢饉が起きた場合、この蔵が最後の生命線だ。
これ以上増やすことはできないが、なるべくなら消費を抑えていきたい。
「まぁ。私は蕎麦なんだけど」
ずるずると蕎麦をすする。
決して不味いわけではないのだが、江戸の醤油を使った蕎麦に比べると味噌はすこしクドイ感じがするのが難点だった。
だが蕎麦の利点もある。
収穫できる回数と、栽培期間の短さだ。
喜二郎の話ではうまく育てば年に三度採れるらしい。
そのため鈴も必死で育て始めている。
喜二郎から蕎麦の実が届かなかったら、かなり危うい状況だった。
「今年はいつも以上に寒くて、厳しい冬になる気がする……」
鈴は名主の家の仕事を手伝いながら日々を過ごしていく。
名主は立ち上がれるようになったが、今までの心労がたたったのか、すっかり痩せこけていて足元がおぼつかない。
そんな名主を芳とトシが支え、鈴は味噌作りや蒲鉾加工などを手伝う。
最初は失敗ばかりの鈴だったが、熟練の味噌作り職人である芳たちの手ほどきもあって、少しずつ覚えていった。
編み物で紐を編んでいると、外に雪がちらつき始める。
「雪だ。今年は早いねぇ」
ちなみにこれは先日もらった端切れを分解し、特注の紐を作っている。
何を隠そう、あの真田紐である。
まだやり始めなので、出来はお察しだ。
すると、一匹の白猫が暖を求めて家の中に入ってきて、鈴の膝の上で丸くなった。
「モチ。やっぱり外は寒かった?」
鈴の問いかけに猫は「にゃーご」と返事する。
猫もこの寒さは堪えるらしい。
天明元年、最初の冬。
しんしんと降ってくる雪を見ながら、鈴はぎゅっと手に力を入れた。
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「うー寒い寒い」
トシは降りしきる雪をかき分け、新堰に来ていた。
仙台はあまり雪が積もる藩ではないが、今年は雪が深い。
夏も例年より冷え込んでいたし、この寒さが続けば来年の作柄にも影響が出そうだった。
トシは鍬を手に、堰の横に併設された鯉用の池に歩みを進める。
凍った池の表面をたたき割り、いつものえさをばらまく。
夏のような活性はないが、それでも餌につられて鯉たちは水面を啄んでいた。
父である六郎太が始め、喜二郎が形にし、自分へ受け継がれた仕事。
自分と六郎太がいないときは祖父である名主や仁八がここの面倒を見てくれている。
何度も食卓に並んだが、その臭みのない味をトシは今でも気に入っている。
こうやって育てていると、次第に愛着も増してくる。
冬はあまり藻が張らないので、掃除を簡単に済ませたトシは名主の屋敷に戻る。
「おかえり。寒かったでしょ?」
迎えてくれるのは母の芳。
その快活な笑顔と性格は、息子であるトシにも受け継がれた。
ちなみに父の六郎太は、また米沢に行ってしまって不在である。
朝餉を用意してくれているのか、おいしそうな匂いが立ち込めている。
居間に行くと、そこには鈴がいた。
「おはよう。トシ」
背筋をピンと伸ばして椀を持つ姿は、やはり武家の娘なんだなと思ってしまう。
彼女の周りには数匹の猫がじゃれついており、遊んでもらおうと鳴き声を上げている。
可愛いし、ネズミ退治に役立つし、いざという時の非常食にもなる。
以前トシがそういったら、女性陣にこっぴどく叱られた。
そういった経緯から猫は女性陣にとても懐いており、とくに鈴がお気に入りのようである。
トシは、雑穀に少しだけ米を混ぜた飯と味噌玉が乗っている椀へ、囲炉裏の鉄瓶から湯を注ぐ。
毎日食べているのに全く飽きることがないこの食事に、トシは満足していた。
なお鈴が食べているのは蕎麦だ。
江戸で食べた蕎麦が恋しいのか、色々工夫してはいる。
ただ仙台では醤油の値が高いため味噌で代用していて、味は程遠いらしい。
(まったく。米断ちなんて言うから、こういうことになるんだよ……)
トシはそう思った反面、あの覚悟だけは本当に格好いいと思った。
食事を終えるとトシは蔵にむかう。
「やぁ、今日も見張りご苦労さん。モチ」
にゃーご、と猫らしい鳴き声を上げて、白い猫はトシに挨拶する。
この猫の名付け親はトシだ。
ちなみに最初はみんなから不評で「鈴と芳が名付けた猫は好評なのに」とトシは愚痴を垂れていた。
鈴が名付けた猫なんか「ミカン」で同じ食いモンの名前なのに。解せない。
トシは水と餌を補充し、少しモチと遊ぶ。
猫たちは優秀で、蔵のネズミ被害を激減させていた。
一時は青大将を蔵に飼ったこともあり、その時はまったくネズミが寄り付かなくなった。
ただ猫と相性が悪いのか、冬になったあたりで弱り始め死んでしまった。
ひとしきり猫の世話を終えたトシは、昨日鈴に頼まれていた手紙と餌の補充のため仙台城下にむかう。
街道は人通りがあるからか雪は踏み固められ、ある程度歩きやすかった。
喜二郎の家に着くと、そこには三吉が待っていた。
「おう。この雪の日にご苦労さん」
「三吉もね」
にっと、お互い笑いあう。
江戸の旅路を終え、年の離れた二人には確かな友情が芽生えていた。
「寒いね。塩釜から大変だったでしょ?」
「まぁな。この後、嫁さんにまた濡れた服を洗ってもらうと思うと頭が下がるぜ」
三吉は愛妻家である。
ちなみに三吉には子供もいて会ったこともあるが、トシとはあまりウマが合わない。
しばらく他愛ない話をした後、トシは懐から本日の要件を取り出す。
「こっちがリンの手紙。あと、猫の餌が少なくなってきたから補充したいんだけど」
「餌はもってきてるぜぇ。手紙も今読んじまうか」
三吉は手紙をざっと読み始める。
その間にトシは三吉から預かった蒲鉾を確認していた。
猫の餌の主食は蒲鉾だ。
ただ人間が食べるものとは違い、塩が入っていない。
塩があると食べても体調を崩してしまうらしい。
塩気のない蒲鉾に少量の米。
ひょっとすると人間より良いものを食べているのではないか、とトシは少しだけ羨ましくなった。
「塩は五十石なら運べる。あとは雪が解けたらで勘弁してくれ、と伝えてくれ」
「わかった」
手紙の内容は塩に関することだったらしい。味噌作りに必要となる塩のことだろう。
トシは猫の餌を後ろの籠に背負い、名主の家への帰り道を歩き始める。
「あ」と思い出した。
帰る前にもう一人の祖父のところに行かなくては、と思い直す。
名主の家から少し離れた一軒家に赴く。
トシの父方の祖父、仁八の家だ。
ぼろっちい木の戸を叩いて、声をかけた。
「じいちゃん、元気?」
「トシか。まだまだ現役だ」
仁八は名主よりも少し年下といった齢だが、筋骨隆々で若者よりも体力がある。
今はなんだかよく分からない網の手入れをしている。どこかで漁でもするのかな。
老いて益々盛んとはよく言ったものである。
(それにこの雪の中で米沢の藩境まで行くのを嫌がらないのは、じいちゃんくらいだよ)
喜二郎と六郎太のためなら、本当に底なしの体力を発揮する祖父である。
祖父としばらく今日の出来事を話しながら、三吉から預かったものを仁八に渡す。
「ほい。三吉からの差し入れだよ」
トシは先ほどもらった猫の餌とは別の、人間が食べる用の蒲鉾を仁八に渡す。
「うむ、ありがとうな。トシ。これであと十年は生きられるわい」
「どう見てもその三倍は元気でいそうだけどね」
にやりと笑う仁八の家を後にし、名主の家に帰る。
朝早くから行動していたはずなのに、もう日が暮れかかっている。
冬の日は短い。
早めに次の仕事に取り掛からないといけない。
灰色の空からは、また雪が落ち始めていた。
トシは肩を震わせながら、家族のもとへ駆けていった。
▼猫命名大会(補足)
命名者
・トシ → モチ(白猫)
・鈴 → ミカン(赤茶猫)
・芳 → クルミ(トラ柄)
・女中A → エンギ(黒猫)
・女中B → しゃみ(三毛猫)
▼命名大会の概要
・命名権はかるた勝負で決定
・女性陣は非常に張り切って参加
・教養勝負になり女性陣が優勢
・名主も参加したが体力不足で敗退
・名主案は「ビャッコ」
・喜二郎が参加していた場合は最終的に「猫」で終わっていた可能性が高い




