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鈴、指導者になる

喜二郎は米沢から動けない。

名主も倒れたまま。


芳も慣れない仕事に追われ、疲労は隠せなかった。

農民を納得させるのに、肩書がないと立場が弱いというのもある。


名主は農民だったが権力を持っていた。

その代わりがいないというのは正直つらい。


「僕が、名主の役目をやるよ」

その場が静まり返る。

誰も笑わない。……だが誰も賛成もしなかった。


「……トシ。それは無理だ」

仁八が静かに首を振った。


みんなトシの心意気を買いたかったが、今度のは才能でどうこうなるものではない。

混乱した時、人を従わせるのに必要なのは才覚ではない。


権力だ。

鈴は江戸でそれを散々思い知った。


人は正しい人についていくのではない。

権限を持つ人間についていく。


では権力を持っているのはだれか。

この場で最も権力を持っている人間は誰か。


水を使う権利を持つ者。

倉庫に収めた米を管理できる者。


―――その条件に当てはまるのは、この村で鈴しかいない。


(……そう、だよね)

「嫌だ」と思う気持ちと、「やらねば」と焚き付ける気持ちが鈴の中で交錯する。


高崎・宇都宮で一揆を体験した。


天明の大飢饉の先駆けとも言えるあの出来事について、実を言うと鈴はまだ整理がついていない。

一歩間違えば、あのような暴徒の群れを相手に先頭に立つような真似もすることになるかもしれないからだ。


責任。

その二文字が胸に重くのしかかった。


誰もが背負うものでありながら、立場によって重さが変わるカタチのないもの。

今まで先頭に立ったことは、何度かある。

だがそれは今まで鈴を見てきてくれた人たちだからこそ、できたことだった。


(それでも……これ以上、名主さんと芳ばかりに負担をかけさせるわけにはいかない)

手が震え、歯がカチカチと鳴る。


この場にいる誰もが、鈴が最も適任であることは理解しているだろう。

だが、仲間たちは決してそれを強制しない。


(だから私は、私自身で覚悟を決められるんだ)

選ばされたのではない、自分が選んだことなのだと自分への言い訳を断ち切れる。

鈴がおずおずと口を開く。


「もし……」


責任……それに対して行うべきことは、たった一つだけ。

覚悟を決めることだ。


鈴には経験がない。

方向性も迷うし失敗することもあるだろう。


だから、鈴が持つ覚悟は「間違わないこと」じゃない。

もし間違っても「くじけないこと」である。

鈴は腹に力を入れ、みんなを見る。


「もし……私が失敗したり間違ったりしても、みんな助けてくれる……?」

居並ぶ人たちは顔見知りばかり。

だが答えを聞くには勇気がいる。


ちらりとみんなの顔を見る。

その顔には優しい笑みが浮かんでいた。


「任せろ」

「まだまだ恩を返しきれてないんだ。少しくらい返済させてくれ」

「僕はいつだってリンの味方だよ」

「むしろ間違ってくれなきゃ弄れねぇしな」

「あんたは黙ってなさい。ごめんねリン……ありがとう」


全員が力強く答えてくれる。

その一言だけで足の震えが少し収まった気がした。





---

名主の家の周りが騒がしくなる。

「また来たわね……」と芳がため息をついた。


まずは名主の村の農民を説得しよう。

この村の人たちさえ説得できなければ、どのみち不満は爆発する。


鈴は意を決し、名主の家の門の前に立った。

一瞬ざわめきが収まったが、すぐに喧騒を取り戻す。

六郎太が居間から机を引っ張り出してきて、鈴をその上に立たせる。


「思いっきりかませ。リン」

そう言って、六郎太は片目をつむった。

昔からいつもそうやって後押ししてくれる六郎太に、鈴の気持ちが少し軽くなる。



視点が高くなって、皆の注目が鈴に集まった。


「おい。あれ」

「ああ、確か……」


何事かと、隣の農民と顔を突き合わせ喧騒が広がる。

鈴は大きく息を吸い込んだ。



「皆! お腹いっぱい食べたいかーーっ!!」


腹から出した声に、農民たちが一斉に背筋を伸ばした。

羞恥心も緊張も、手にじっとりした汗と一緒に握りつぶす。


「私はリン。藩医林家の長女、喜二郎の姪です!」


効果は覿面だった。

侍の家系であることと、喜二郎の姪であることのどちらに反応したのかはわからないが。

パンパンと後ろで六郎太とトシが手拍子している。


ちょっと。能じゃないんだよ!これ!


心の中で突っ込んだおかげで、心なしか緊張していた表情が解ける。

こほん、と鈴は咳ばらいをし手を振りかざす。


「私は江戸からここまで、無一文で帰ってきました!」

ざわめきが起こる。

分かりやすく皆が理解できる、すごい話。まずはこれだろう。

(ほんとは百銭あったけど。まあそこは割愛)


ざわめきとともに、皆の視線が鈴に集まる。

そして、みんなの表情が落ち着くのを見計らって話を続ける。


「それは私たちが作っている味噌が、道中の野草をごちそうに変えたから!」

話し方のコツは「一拍置くことだ」と以前名主に教えてもらった。


六郎太がそれで察したのか、上杉様からもらった味噌壺とカテメシの本を掲げる。


「味噌があれば、ひもじい食卓もごちそうになります。だから私たちはそのために一杯味噌を作っています!」

体験と証明。そしてなにをするか、その道筋。

だが、それだけでは納得しないのが民衆だ。


「だけど、俺たちの子供は今ひもじい思いしてんだ! 味噌があるなら俺たちにも分けてくれよ! 米だって、いっぱい持ってるって聞いたぞ!」


そうだそうだ、と周囲の大人がこぶしを上に振り上げる。


たしかに一理ある。

農民側から見れば、鈴は米を蓄えて溜めこむ悪代官に等しいだろう。


(……でもね)

鈴はちょっとだけ頭にきていた。


思えば、ずっと藩医の娘として過ごしていれば何不自由なく暮らせていたはずだ。

それを、なに好き好んでこんな緊張が支配する場に立たされているのか。


――それは、仙台の為なんだ。


この村で少し過ごしてきたから、実は知っている。

大人たちは、わずかに残った酒を大事そうに隠していたこと。

腹が減ったといいながら、誰にも知られない田畑で野菜を育てていることを。


(あの堅物の仁八の家にすらあったんだ。他の家にないわけがないよね)


子供を言い訳にするなら、自分たちがちゃんと我慢してから言ってほしい。

仁八のように、子供を優先したことを行動で示してほしい。


だが、それを農民に求めるのは酷だろう。

だからここで言うべきは清貧ではない。覚悟を示すことだ。


(伊達に過去のこの村で、後ろ暗いことを見せられてきたわけじゃないんだよ!)

鈴は大きく息を吸う。


「私たちだって、最初から味噌があったわけじゃない!!」

鈴は農民たちを一喝した。


「作ったんだよ……! 何年もかけて、皆でね!!」


芳が始め、喜二郎が三吉たちを繋ぎ、名主が何年も費やして作った成果なのだ。

「ずるい」の一言で片づけられては、たまったものじゃない。


「米も同じ! これからいざという時の、備えの米なんだよ!」


味噌も米も、渡さないわけじゃない。

いずれ来る日のための備えなのだ。

それに、と鈴は続ける。


「味噌は自分の家でも作れるでしょう! 何で作らないの!」

その言葉に、農民の何人かは目をそらした。


理由は知っている。とっっっても面倒くさいからだ。

だからその面倒くさい作業を苦と思わない人たちの食卓は、同じ農民でもお腹いっぱいになりやすいのだと思う。


だが理論で納得するなら、ここに人は集まっていない。

農民の一人が大声で叫ぶ。


「口でならなんとも言えらあ! 俺たちが飢えている間に、おめえさんは米を腹いっぱい食ってんだろ!」


そうだよ。食べてるよ。雑穀も一緒にね。


というか一緒の村で過ごしているんだから、食べてるものは一緒なんだよ。

だけど、そういう答えが欲しいのではないということは鈴にも分かっていた。


(だったら、どうするか)

あの白河藩は、藩主の松平様自ら倹約に努めて民衆の支持を得られたのだ。


言葉だけでなくまずは自分が率先して行動して倹約することが大切なのだと、あの時に学んだ。

示すのは自分と、そしてみんなが納得できる約束だ。


鈴は、すぅと息を吸う。


「私が、そんなにあなた達よりお米を食べてると思うのね?」

「おうさ!」

「そう。わかった」


ちなみに鈴の好物は味噌を塗った焼きおにぎりだ。

あぶられた海苔を巻いて食べるのは最高の贅沢だと思うし、いつか山盛りに乗せた盆の上で出されるのを夢見ている。


だが、そんなこと一度だってできていない。

それをあたかも当たり前のように食べていると思われるなど心外だ。

藩医の家系は、いつも質素な食事なのである。


(だから―――)

そこまで言うんだったら、見せてやる。


私の渾身の覚悟ってやつを――!

鈴は腹に力を入れた。


「だったら!私は!今日から米を一粒も食べない!」

ぎょっと、後ろに控えていた仲間も驚いたことが分かった。


「お、おい。リン」

六郎太が鈴の袖を引っ張る。

鈴はそれを振り払い、全員に向かって声を張り上げた。


「私は、これから米を一切口にしない! 皆が、お腹いっぱいに米を食えるようになるまで!」

集まった村人たちは、みんな口を開けていた。


――そう。納得できないんだね。

だったら形にしてやろうじゃあないか。


「六郎太、筆!」と鈴は声を張り上げた。

その言葉に、慌てた様子で六郎太が硯と筆を用意する。


ちょっと。紙は? 紙も必要なんだよ!

確かに「筆!」としか言っていない鈴が悪いのだが。


仕方なく鈴は懐から薬袋を取り出し、中に入っていた白紙の紙を開く。

これの用途、結局わからないし。いま使ってしまおう。


『林鈴は、天明元年より米を一切口にしない。契約を破った場合、鈴のあらゆる財産を放出し富谷村の農民に謝罪する。この効力は農民全員の許可がない限り取り消されない』


丸みを帯びた文字だが問題ないだろう。

そう書き込み、血判を押す。

その内容を六郎太が読み上げた。


あれほどの喧騒が、ぴたりと鳴りをひそめる。


「これで私は農民の皆と一蓮托生だよ! 文句あるなら出てきて、この血判状をしっかり見てから言って!」


これで、誰も彼もが納得するわけではないのはわかっていた。

まだ不平不満がある人も大勢いるだろう。


それでも、この場で誰よりも覚悟を示したのが鈴であることは疑いようがない。

あれほど怒号に包まれていた門前に、初めて静寂が訪れた。





---

「やり過ぎじゃないか。リン……?」

演説が終わったあと、六郎太が小声で話しかけてくる。

思いっきりやれ、って言ったの六郎太なのに。解せない。


「皆が一番食べたいと思っている米を、私が絶つことに意味があるんだよ」

「だがなぁ……米を食わないでどうするんだ? 力が出ないぞ」


大丈夫だよ、ちゃんと当てはあるんだから!

鈴はにんまり笑って指をいくつか立てる。


「皆は雑穀を中心に食べているし、蕎麦だっておいしかった。白石で食べた温麺だって……ほら! いっぱいあるじゃん」

六郎太がぽかんと口をあける。


そう。米が食べられないなら代わりのものを食べればいいのである!


まさに万事解決。名案だ。

カテモノで一カ月過ごしてきた鈴に死角はない。

心残りは焼きおにぎりを食べられないことだけだ。


それも飢饉が過ぎ去るまでの我慢である。

そんな自信たっぷりの鈴に、今まで黙っていたナナシが尋ねてきた。


「……飢饉が起きた時、最後に残るのは何だと思う?」

「え?」


いきなりの質問に、鈴は首をかしげた。

そりゃあ、水じゃないかな。


だがナナシは「食える物」として聞いたようであり、鈴の見当違いの考えに指で目頭を押さえる。


いやそうだよね。真面目な話、味噌でしょ?

ナナシは呆れたように息を吐いた。


「最後に残るのは米だ」

あれ? と鈴は首をかしげた。

過去の仁八との話を聞いた時、最後になくなったのは味噌じゃなかったっけ。


「でも味噌があれば、何とか食いつなげるんじゃ……」

「カテモノだけで体を持たせるのは無理がある。少量でも米や雑穀は必要だ」


安価な「雑穀」は真っ先に食い尽くされる。

一方「米」は高価なため最後まで手が出ず、結果として飢饉の末期まで残るのだそう。


鈴の顔から血の気が引く。

つまり飢饉になって雑穀を食い尽くしてしまったら、鈴はもう食べるものがなくなってしまうということだろうか?


「ど、どうしよう!?」

とんでもないことになってしまった。


鈴としては大好物を封印して覚悟を示すつもりが、飢饉になったら真っ先に危機になる立場に立候補してしまったようである。


農民たちが何も言わなかった理由が今更ながらに分かった。

餓死者が出たのなら、その最初の被害者は鈴なのである。


……そりゃ黙る。


ナナシはため息をつき、解散した農民たちの背中を指さす。


「今すぐに先ほどの話を撤回してこい」

「できないよぅ!」


あれだけの啖呵を切ったのだ。今更後には引けない。

こんなことになるなら、カッコ悪くてもちょっと後ろで相談してから決めればよかった、と思っても後の祭りだ。


がっくり、と鈴は肩を落とす。


「じゃあ江戸から蕎麦を仕入れて……白石の温麺も確保して……」

「飢饉になれば、真っ先に消えると思うけどな」

「然り」

六郎太の言葉に、ナナシがうなずく。


「あぁぁぁ……どうしよう」


とにかく。今のうちにできることをやっていこう。

そう鈴はひそかに思った。

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