達成の裏側
ひたすら街道を歩き、次第に見慣れた光景が見え始めた。
「つい、たぁ!」
鈴が大きく伸びをする。
故郷、仙台。
青葉山を見た瞬間、胸の奥に張りつめていたものが少しだけほどけた。
離れてからそれほど経っていないはずなのに、すでに懐かしく感じている。
大変なこともあったが、いろんなことを知る貴重な機会になった。
「二人とも本当にありがとうね」
鈴の言葉に、六郎太とナナシもうなずいた。
鈴がいない間、船で帰還した皆はどうなっただろう。
それに名主たちもずっと帰りを待っているはずだ。
鈴たちは足早に街道を駆け出していた。
仙台に帰ってきた鈴は、まず実家へ立ち寄った。
江戸に行くとき大反対した母が出迎えてくれ、ボロボロと涙を流す。
「無事に帰ってきてくれて、本当に安心したわ」
母は元々商家の出であり、父が一目ぼれして口説き落としたと聞いた。
その美貌から申し込まれた縁談は数知れず、父が喜二郎に頼みこんで作戦を立ててもらい嫁にむかえたのだとか。
(……なんか過去で誤解を生むようなことした気もするけど、結局上手くいったってことだよね)
そうでなければ自分は生まれていない。
そしてこの母から生まれたのに、いつも不思議に思っていることがある。
(私、母似だって言われているのに一度も口説かれた経験がないんだけど)
やはり料理なのか。それとも裁縫……いや、洗濯と掃除なのか? 洗濯と掃除はできるよ、私。
(うん……圧倒的に嫁として求められる能力が足りていない。頑張れば……まだ何とかなる、はず)
どんどん自信がなくなっていく鈴に、母は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
鈴も久しぶりの我が家でゆっくりしたかったが、江戸から船で帰ってきたトシたちのことが気になってしょうがない。
無事に帰宅したぬくもりもそこそこに、鈴は名主の家に向かった。
名主の家では人だかりができており、皆忙しそうに走り回っていた。
「リン、お帰り!」
「ケガしてない?心配したのよ」
名主の家に着くと、トシと芳が盛大に迎えてくれた。
「おいおい。久しぶりに帰ったオイラよりスズ姉かよ」
「お帰り、父ちゃん!」
にっこりと笑うトシに六郎太も満足げに笑った。
芳は鈴を力いっぱい抱いて、安心したように息を吐いた。
「六郎太とナナシのお陰で無事に戻ってこれたよ。そっちは大丈夫だった?」
仁八、名主、三吉の姿が見えないが港だろうか。
すると芳が言いにくそうに顔をゆがめる。
「仁八と三吉は大丈夫よ。ただ、父上は今伏せっているの」
「えっ」
後で詳しく話すわ、と芳は周りの人に指示を出しながらいったん席を外した。
「簡単に言うと過労だってさ。僕も又聞きだから、詳しくは母ちゃんが話してくれると思う」
お腹すいてるだろ、とトシは鈴たちにご飯と味噌汁を用意してくれた。
鈴たちは一抹の不安を押し込めたまま、食事を終える。
「ごめんなさいね、待たせて」
あわただしくしていた芳が、いったん一区切りついたのか客間に入ってくる。
「名主さん、伏せっているって大丈夫なの?」
「心労がたたったのだと思う。農民からの突き上げを収めるのでいつも手一杯だったから」
江戸へ多くの人手を送り出したため、名主は残った者たちだけで村の仕事と交易を切り盛りすることになった。
そして江戸での商売が成功し、大量の米を獲得したところまでは良かった。
だが、それを名主の家に保管したことで一部の農民から不満が噴出したのである。
「子供が腹を空かせているのに、なぜ米を配らねぇ」
「蔵には山ほど積んであるじゃねぇか」と。
これが藩から正規に買い戻した米だと言っても、農民たちは納得しない。
「父上もね『まだ配る時期じゃない』って言い続けてたの」
今配って腹を満たせても飢饉が起きた時に悲惨な目に合う、と繰り返し農民たちを説得した。
米を管理する権利は林家にあると記された証文を見せたことでひとまず収まったが、その後も諍いはくすぶっていたらしい。
「正直、私もこういったまとめ役は経験なくてね。父上とキジ兄にどれだけ助けられていたかわかるわ」
芳は若干疲れたような笑みを浮かべていた。
今まで食料を確保するために全力を尽くしてきたというのに、食料を確保しても問題が起きるとは。
正直、名主も喜二郎もいない状態でこれから村を収めていくというのは非常に心もとない。
「ねぇ。叔父上はそろそろ米沢から帰ってきそう……?」
その問いに芳は首を振る。
「多分だけどキジ兄は戻ってこない。少なくともこれから起きる飢饉がある程度、収まるまではね」
先日、米沢から文が届いたらしい。
つまり名主不在、そして喜二郎も戻ってこない。
これから始まるであろう大飢饉に指導者を欠いたまま迎える――その不安だけが鈴たちの胸に重くのしかかっていた。
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薄暗い屋敷の中、一人の男が筆を走らせる。
参勤交代で江戸にいる藩主・治憲を支える奉行――莅戸善政。
飢饉対策と食生活の改善を任される男である。
莅戸善政はかねてより考えていた施策のいくつかの方針をまとめると、客間へ足を向けた。
「喜二郎殿、よろしいか」
莅戸善政の訪問に、喜二郎から「お入りください」と声がかかる。
喜二郎は書類の束を傍らに積みながら、姿勢を正してこちらに向き直る。
仙台藩医の子、喜二郎は米沢藩に客分として留め置かれている。
喜二郎は優秀過ぎた。
商い、流通、交渉、内政……喜二郎はそのどれを取っても尋常な才ではない。
仙台藩がなぜこの麒麟児を登用しないのか謎だが、米沢ではその才を存分にふるっている。
「施策をまとめてみたのだが、意見を聞かせてほしい」
「拝見します」
施策は箇条書きにしてある。この方が見やすいということで、喜二郎が米沢藩で推奨している書き方だ。
喜二郎は下半分を指でなぞる。
「なるほど……カテモノの種類はもう少し絞った方が良いと存じます。紙も節約できますし、配布できる数も増やせるかと。米沢周辺で採れる種類ですと、この辺りに絞れます」
そして、上半分を指でなぞる。
「完成版は村長宅や代表者に一冊置けば、後は口伝で伝わります。今はとにかく配布数を増やすことが肝要でございます」
莅戸善政は「なるほど」と頷く。
昨年から凶作の前兆がみられる。特に近くの白河藩での飢饉は記憶に新しい。
(そういった意味でも内政と外交に通じた人材は、喉から手が出るほど欲しいのが実情だ)
喜二郎は何度も米沢と仙台を往復しているが、莅戸善政は無理やり彼を留め置くことにした。
今は改革が急務である。
藩主である治憲が江戸にいる以上、喜二郎の能力が米沢には必要だった。
喜二郎は仙台に帰ることを望んだが、あの手この手で莅戸善政は引き留めたのである。
正直、喜二郎なしでもこの計画を断行すること自体はできる。
だが安全性や効率性……そして彼が持つ伝手を考えれば、信頼性には圧倒的な差が生まれる。
ただの藩医の子としては考えられない商業圏を構築し、あらゆる方面での伝手を持つ喜二郎は飢饉対策の鍵であった。
むろん彼の望みは最大限、叶えていった。
先日なぜか女手形を発行してほしいと打診され、二つ返事で了承して発行手続きを行ったのがそれである。
(あと1、2年が勝負だ)
近年、飢饉の予兆が見え隠れしている。
治憲が米沢に戻られる前に、ほとんどの準備が整っているようにしたい。
それまで喜二郎は米沢にとどめておくつもりだった。
善政は施策を何度も見直し、ようやく形を整えると静かに立ち上がった。
客間には、なおも書類へ目を落とし続ける喜二郎だけが残っていた。




