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色は匂へど、イロハヒメ

鈴たちは白河藩を越えて山を通り過ぎ、白石藩に着く。

この白石まで来れば仙台はもう目と鼻の先だ。


「なんだかすごい旅路だったね」


通常であれば十日ほどの旅路が、一か月もかかった。

途中一揆によって身を隠したり、逃げていたことを考えるとずいぶん遠回りになってしまった。


「もうすぐ仙台だ。すぐに抜けた方がいい」

「いや、もう日が暮れるし今日はここで宿を取ろうぜ」


ナナシと六郎太の意見が珍しく分かれる。

ナナシは少し周囲を見渡した後、しぶしぶ頷いた。

どこから取り出したのか、菅笠をかぶってついてくる。


「……ここに来たことあるの?」

「お前、母君から何も聞いていないのか?」


母君?

そういえば、母の実家は白石だと聞いたことがある。

鈴が何も知らないことを察すると、ナナシは菅笠を深くかぶった。


「別にお尋ね者と言うわけではないが、今は顔を晒したくない」

ナナシにも色々あるのだろう、深くは聞かなかった。

すぅ、と鈴は息を吸う。


それにしても白石といえば片倉様!


戦国時代の英雄の中では、真田幸村様に続いて最も憧れる存在である。

宿敵政宗様の片腕であり、智謀にも統率にもたけた名将。

そして仁義にも厚いとくれば、もうどこに欠点があるのというのだ。


なぜ同じ時代に生まれなかったのか。

一度だけでもいいから、ぜひともご尊顔を拝みたいものである。


それを考えだしたら止まらない鈴に、ナナシが怪訝そうな顔をする。


「……なぜそこまで?」

「だって大阪の陣の後の話を聞いたら、誰でも胸が熱くなるってものでしょ?」


お上に睨まれることもいとわずにあの真田一族を匿った話なんて、もう最高である。

ちなみに実家にはその話が書かれた秘密の本があって、母がこっそり読ませてくれた。


「お前……江戸でなんか変な本を読んだのではあるまいな……」


いやいや、江戸で探そうとしてできなかったんだよ。

誰かさんの護衛のおかげでね。


あきれ顔をするナナシも気にせず、鈴は街並みに思いを馳せた。




六郎太が宿をとっている間にナナシと他愛ない世間話しをしながら、鈴はこれまでの旅の気持ちを整理し始めていた。


一言でいえば、現実を思い知った旅だった。

だけど、それにどう向き合うのか思い出させてくれる旅でもあった。


(きっと、この経験はいつか役に立つんだ)

なんとなく鈴の中にはそんな思いがあった。




「宿とれたぜ。飯にしよう」

そういった六郎太に頷き、鈴は街並みを見渡した。

並ぶ食事処は多々あれど、ここで楽しむべきものとしてまず一つ考えられるのはこれだ。


白石温麺(しろいしうーめん)。


安い、早い、旨いという三拍子そろった白石が生んだ仏の御業である。

ちなみに母の実家からたまに送られてきて、鈴も何度か食べたことがある。


「お、お、おいひぃ」

「まさに絶品、ってやつだな」

「違いない」

そう言いながら、六郎太とナナシとともに麺をすすった。

最高の食事に三人は舌鼓を打つ。


本場の味はやはり違う。

余りのおいしさに、鈴は食べきる前に遠慮なくもう一杯追加を頼んだ。


「失礼」


すると綺麗な女の人が正面の席に着いた。

ふわりと良い香りがする、花のような芳香だった。


「相席いいかしら?」

「え、はい。どうぞ」


そう言って女の人は優雅に「ありがとう」と礼を述べた。

店内は混んでいるわけではないが、彼女の後ろに菅笠の人がいる。

身分の高い女性なのだろう。


(というか、あの菅笠の人たち)


気のせいだろうか、ちょっとナナシの恰好と似てるような気がした。

横にいるナナシを見ると、菅笠に深く顔を隠していた。


「どうしたのナナシ。お腹痛いの?」

「……」

ナナシは答えない。

すると目の前の女性がクスクスと笑い出す。


「ナナシ。って面白い名前ね。本名かしら?」

「いえ私も知らないので、みんなナナシって呼んでるだけです」

「そうナナシね。私もそう呼んだ方がよいかしら、ナナシさん」


その様子からするとナナシの知り合いなのだろうか。

ナナシは表情を隠すように、菅笠ですっぽり顔を覆っていた。


「ああ、紹介が遅れたわね。私は……そうね。イロハとでも呼んでくださる? 初めましてリン」

「あ、ご丁寧にありがとうございます。私は……」


……私、名乗ったっけ。

額からだらだらと嫌な汗が湧いてくる。


「江戸では大活躍だったと聞いているわ。同じ女として私も嬉しく思います」


もはや疑う余地はない。


彼女は仙台藩のお偉い様のご息女であらせられる。

鈴は顔を引きつらせながら、彼女に尋ねた。


「あのぅ。失礼ですが、もしかして……お奉行様どなたかのお嬢様でしょうか」

「そう見えるかしら?」


見える。

絶対いいところのお嬢様だもの。


これで清右衛門の娘とかだったら腰を抜かしてしまう。

内心びくびくしながら、鈴はにへらと精一杯の笑顔を向けた。


「私のことご存知なんですね。あの、それで何か御用でしょうか?」

「そうね。でも、もう済みました。一度外でお会いしてみたいと思っただけなので」

イロハがそう言って立ち上がると、菅笠だけでなく周りの客の何人かも席を立って彼女についていく。


「それじゃあまた会いましょう、リン」


優雅にやってきた彼女は、帰る時も気品を感じさせるように去っていった。


それと同じくして「おまちどー」と場違いな声をした店員が、追加した天ぷらと温麺を鈴の前に置く。

ふぅ、と鈴は息を吐いた。


「……よし、深く考えないようにしよ」

「……その意見にオイラも賛成だ」


鈴と六郎太はそう結論付け、最初に頼んでまだ残っていた温麺をすする。

最後までナナシは菅笠から顔を出さなかった。





---

陸奥最大の城、仙台城。

その一室の襖が勢いよく開く。


「五郎八はおるか」

「殿!」


仙台城の主であり、藩主―――伊達重村があたりを見渡して言う。

女中たちは慌てて平伏した。

御簾の奥には五郎八姫が静かに居住まいを正している。


「父上、いかがなされました」

「五郎八はどこへ行った」

御簾の奥で答えたはずの五郎八姫が息をのむ。


芝居はよい。早う答えよと重村は目をすぼめる。


「……」

「答えよ、と申しているのが分からぬのか?」

御簾の中にいる五郎八……影武者は答えない。


重村は腰の刀に手をかける。



「父上、あまり私の侍女を苛めないでくださいませ」

重村の後ろから澄んだ声が響く。

そこには旅装束の少女、娘の五郎八姫がこちらに向かって歩いていた。


「また抜け出したな、立場を考えぬか」

「情報は足で稼ぐもの、とある人が申しておりました。私もそれに感銘を受けまして」

歩きながら女中が器用に服を着替えさせ、御簾の前に立つ頃にはいつも城内で過ごす格好になる。


「ニホ、ご苦労でした。下がってください」

「はい姫様。殿、失礼いたします」

ニホと呼ばれた侍女が御簾を上げ、座っていた場所を五郎八姫……イロハ姫に譲り渡す。


「それで父上。私に何か御用でしょうか」

「そちに縁談を勧める者がいると聞く。無視せよ、と伝えに来た」

まぁ、とイロハはまったく驚いたような声を上げる。


「私はもう十四です。このままご縁がなければ行き遅れてしまいますよ」

「そちをあの男に娶らせることはできぬ。それはわかっているな?」

はて、とイロハは首をかしげる。


イロハ姫は重村の愛娘である。

藩主の娘という肩書は、絶妙な権力を有する立場であり、その夫ともなれば一族の命運も左右できる立場になる。


清右衛門が必死に取り込もうとしているあの男……林喜二郎は、「伊達家」にとって非常に危うい存在なのだ。


「父上のおっしゃっているその殿方とは、私は一度もあったことありませんよ」

「たわけたことを申すな。調べたのだろう? そちに貸していた菅笠が白状したぞ」

重村から優秀な護衛である菅笠をイロハに付けていた。


その"菅笠"とは―――あの男、ナナシのことである。


ナナシは別任務に就く際、イロハの行動を洗いざらい重村に白状した。

たしかにイロハはその菅笠を使って情報を集め、その過程で喜二郎の正体にまで辿り着いていた。


イロハは「あら」と頬に手を当てて首をかしげる。


「やはり話してしまったのですね、ナナシ。本当の主君は父上なので仕方ありませんけど」

「ナナシ……? ともかく喜二郎はならぬ。家臣に勧められても承諾してはならぬ。わかったな」

きつくそう申し伝えると、イロハは「分かりました」と素直にうなずいた。

重村は内心どう思っているか分からないこの娘に、複雑な思いをしながらため息をつく。


「それに今までどこに行っていた」

「テンを見に行っていました」

重村の眉が動く。


それはこの城の一部だけが知る隠語、喜二郎の姪を指す言葉だ。

それをなぜイロハが知っているのかはさておき、見に行ったとはどういうことだ。


(まさか江戸に……いや、菅笠の報告では白石を発った頃合いと聞く。であれば白石まで行ったと言うのか……)

頭が痛くなる。


外部ですら手一杯なのに、内である仙台の姫がこうも奔放だと情報を把握しきれない。

そんな重村の内情を察したのか、イロハは申し訳なさそうに顔を伏せる。


「ご心配をお掛けいしました。この五郎八、城で大人しくいたします」

しばらくは、という枕詞が付きそうな言葉であった。


「それに」

「……それに?」

まだあるのか、と重村は眉を顰める。

イロハは少し釈然としないような表情をした。


「麒麟児のテンと聞いていましたが、普通の町娘のように感じましたよ」

あくまで平時はですが。とイロハは言葉を紡いだ。

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