戦なき時代の戦の形
「なんとか、一段落かな」
鈴はそう言って一息つく。
続く会津藩と高鍋藩との取引は、おおむね順調に終わった。
どちらも相手をしてくれたのは藩主の家臣の一人で、塩の購入を約束してもらい、銭と物資、酒と引き換えることになった。
特に高鍋藩は「藩主が会いたがっていたのだが、所用で折り合いがつかなかった」と残念がっていたらしい。
鈴としては藩主に会うのは緊張するので、少しほっとしていた。
大きな藩との取引はいったん区切りとなり、今度は江戸の大店を相手に商いを始める。
物珍しさから鮫製品、必需性から塩は飛ぶように売れていった。
裕福な藩や家ほど鮫製品に食いつきがよく、内陸に近い藩の人間ほど塩に興味を示す。
しかし、予想外の物がかなりの数売れ残ってしまっていた。
「どうしようね、トシ」
「んー、困ったね」
主力である味噌が、予想以上に残ってしまった。
味そのものは、どこでも絶賛だった。
「政宗公の育てた味噌が江戸へ帰ってきた」と瓦版になるほどだった。
だが、藩同士の取引に比べ、家庭で消費できる量が極端に少なくなることを考えていなかった。
売り上げの大半を味噌で見込んでいた鈴たちは途方に暮れていた。
「あと何日だっけ……?」
「もう、余裕ないと思う」
そう、仙台に帰還する期日が迫っていた。
「銭も、予想以上に手に入っていないよね」
「藩同士だと、物々交換が多かったからなぁ」
どれも仙台に必要な物資と交換できた。
だが、一番多く持ち込んだ味噌が換金できなければ、清右衛門との約束である米を買い取ることができない。
そして船一つ分の米を、鈴たちは「銭」で買う必要がある。
契約書に「銭で米を買い取る」と明記させたのは、清右衛門がこの事態を見越していたからだろう。
鈴がぶるりと身を震わせる。
「これが売れなきゃ、私たち……」
「それは、考えても仕方がないよ」
切腹か、打ち首か。
鈴は女だから女郎という方向性もあり得る。
そしてしがない女郎から花魁へ駆け上がる……もし、長生きできたらそんな物語を書きたいものだ。
ふるふると頭を振って、現実に戻る。
問題はそこじゃない。
それだけで済めばいいが、仙台に残された米は再度江戸に出荷されてしまうことだ。
藩の内情を聞き、売るしかない現状を知ってしまった今、清右衛門が仙台に米を取っておく判断はしないだろう。
少なくとも二年後、大飢饉が来るまで取っておいてくれればいいが、説明できない以上それは難しいのである。
―――自分たちの首だけでなく、数万人の命まで背負っているのだから。
鈴たちは味噌を市場で売り込んでいくしかない。
「いざとなったら、値引きするしかないのかな……?」
「それだけはダメだよ」
「ふざけんじゃねぇ」
安売りもやむなしか、と考えていたが、トシと三吉はそれに断固反対した。
「それに。どうしてもダメだったら、持って帰ろうよ。おいらたちの命はなくなるかもだけど、これがあれば仙台のみんなは助かるかもしれないんだし」
弱気になっていた鈴は、そこで気づかされた。
この味噌を何年も育てていたのは彼らなのだ。
そして──何のためにその年月を費やしていたのか。
(そうだ、伝統と産業は安売りしちゃいけないんだ……!)
腹をくくり、最後まで足掻こうと鈴は気合を入れる。
たとえ失敗したとしても女郎生活が悪いとは限らない。
たまに焼きおにぎりを食べられれば、それだけで鈴は生きていける!……はずだ。
しばらくして、ナナシが誰かから手紙を受け取っているのが見えた。
「ナナシ?」
誰だろう、見覚えがない人だ。
男か女かもわからないその人は、鈴と目を合わせて軽く会釈する。
ナナシはその手紙を細かくちぎり、近くで料理をしていた店のかまどへ放り投げた。
「どうしたの?」
鈴が声をかけると、ナナシがにやりと笑った。
初めて見る笑顔だった。
「喜べ」
ナナシの言葉に、鈴は口を開ける。
「え?」
「勝機が来たぞ」
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――その頃、江戸城では。
「では、絹に新たな税を課すということで皆もよろしいかな」
新たに「絹」に税を課すことになった。
米が余り始め、稲作を減らして桑を育てる農民が増えたためである。
藩主はそれぞれ複雑そうな表情を浮かべ、評議は終了した。
江戸城を後にした藩主たちは、そこからが本当の情報交換の場になる。
特に今回注目を浴びていたのは米沢藩主である上杉治憲。
彼が統治者になってからというもの、莫大な借金をみるみる減らし、その手腕にあやかりたいと多くの者が彼の家を訪ねた。
「皆様、よくぞおいでくださった」
上杉治憲は客人たちを食卓へ招いた。
出されたのは一汁一菜。
豪勢なもてなしを受け続けてきた藩主たちは面食らう。
だが、これこそが名君たる手腕を発揮した彼の姿なのだろう。
質素ながらもしっかりと濃い味付けの品々に客たちは舌鼓を打つ。
「良い味噌を使っておられますな」
藩主たちは口々にその味噌汁を褒めた。
つまるところ、味噌汁しかないからなのだが、その味はまさに絶品だったので嘘ではない。
客人たちはもう一口味噌汁を口に運ぶ。
塩気はしっかりしているのに角がない。
旨味が深く、後味が長く残る。
粗食であるはずなのに、あっという間になくなってしまう。
その様子を見ていた治憲は微笑む。
「こちらは、仙台から譲り受けた味噌なのですよ」
ほう、とそれぞれが感心する。
伊達政宗公が味噌作りに邁進していたとは聞いていた。
昔はその品質の高さから、諸藩がこぞって仙台味噌を買い求めた。
だが、昨今ではそれも下火になり、江戸でその味噌を見ることは少なくなっていた。
それをここで味わえるとはなんという僥倖である、という表情だ。
たしか、巷で仙台味噌が再びやってきたという瓦版を見た、と家臣たちが話していた。
だが価格が割高で、財政難の今では、味を求めて買い付けるには勇気がいる代物であろう。
「それに」
上杉治憲はすすっていた椀を置き、述べる。
「仙台味噌は、十年経っても腐らない、と言ううたい文句なのですよ」
その言葉に周囲がざわめいた。
「……十年?」
「それは誠か」
物は腐る。
それが十年も腐らないなど、ありえるのだろうか。
たとえ味噌であっても、常識では考えられないだろう。
皆が半信半疑で顔を見合わせる中、治憲は微笑む。
「お疑いですか?」
「いや……さすがに十年は言い過ぎでしょう?」
一人の意見に、居並ぶ藩主たちもうなずいた。
なるほど、と言って、治憲はそれぞれの椀を指す。
集まった面々が、その椀に目を落とした。
そして今度は治憲の引き締まった表情に、目が吸い寄せられる。
「皆様がお召し上がりになったのは、十年前に仙台で作られた味噌なのですよ」
その言葉に、藩主たちの眼の色が変わり、再び飲み干した椀を見つめた。
これは喜二郎が米沢藩に来た時、売り込みに来た商材の一つだ。
鈴に渡された味噌はさらに洗練されていたが、治憲は喜二郎に紹介された味噌のうたい文句にすっかり虜にされた。
あの時のうたい文句を確かめるため、最初の一口だけ味見をし、残りは十年間手を付けず保管していた。
だが、こういう時にこそふるまうのが、最も効果がある。
「私も日々、世話になっております」
集まった者たちが次に何をするべきか、もはや言うまでもなかった。




