竜虎相搏つ
丸に十字の紋―――薩摩藩。
武をもって名を轟かせる、西国最強の雄である。
その客間で二人の男が対面していた。
「お初にお目にかかっ、島津重豪ち申す」
「仙台藩財務担当奉行、安倍清右衛門と申します。お見知りおきを」
薩摩藩邸では、島津重豪と清右衛門による藩同士の交渉が行われていた。
重苦しい空気の中、島津重豪はちらりと清右衛門を見る。
(生白か男じゃ)
ふん、と鼻を鳴らし、島津重豪は本題に入る。
「米沢と仲良うしちょっらしいな、仙台はなにを考えちょい?」
「ひとえに、財政政策のためでございます」
は、と島津重豪は笑い飛ばす。
「わっぜ大げさに商売しちょっらしいち。まさか幕府に仇なす、なんて考ていっとじゃなかじゃろうな」
「天地がひっくり返ってもあり得ませぬ」
重豪はそのきっぱりとした物言いをする清右衛門をねめつける。
典型的な仙台藩の役人である、控えめを装いながら発言には糸目をかけない尊大な物言いぶり。
「鮫ん製品がよう売れちょっらしいな」
「どうやら、そのようですな」
清右衛門のその物言いに、重豪は疑問を浮かべる。
「わいが主導して売っちょるんじゃなかとけ?」
「売っているものは承知しております。しかし下々が何を売り捌いていても、私がしているのは一つです。責任を負うことですよ」
この場に呼ばれたようにね、と清右衛門は言葉にせず微笑む。
「ほぅ、じゃあそん売っちょっ奴をこけ呼べ。品物を買い取ってやっ」
「藩主殿に下々の者を会わせるわけにはいきませぬ。交渉ならば私が請け負いましょう」
パンパン、と清右衛門が手を叩くと小姓が二人入ってくる。
その手には盆を持ち、その上には味噌、塩、そしてサメ製品が並べられていた。
「米沢藩だけでなく、田沼様も気に入られた品々でございます」
ぴくり、と小姓の一人が反応した。
しかしすぐに視線を伏せる。
だが重豪はそれどころではなく、大きく目を見開いた。
「あん男を虜にしたとがこん商品じゃちゅうとな?」
「さようでございます」
重豪の目を引いたのは塩だった。
薩摩は海に面しているが大規模な製塩に適した干満の差が少なく、気候的にも安定した塩田を作るのが難しい。
海に面していながらその恩恵を受けることなく、他藩からの輸入に頼っているのが現状である。
そして、塩を元に作られる味噌。これに至っては塩がなければ作れないのだから、推して知るべしだろう。
悟られる危険はある。だが、こちらの興味を悟られても知るべきだろうか。
(知っべきじゃ)
差し出された塩を重豪は一掬いし、舌で転がす。
衝撃だった。
言葉では言い表せない、上質な塩。
極限まで濃縮した海水であろうに、その味には深みすら感じる。
(欲しか。じゃっとん……)
だが、それを長年対抗してきた仙台から買ったとなれば、屈辱以外の何物でもない。
仙台藩は長いあいだ、薩摩と対抗してきた。
同じくらいの藩の格。されども同じ外様大名として侮られるのは藩の威信に関わる。
威信は家臣への忠誠心にも影響を及ぼす。
ここで島津が腰を折ったとあれば、忠誠心が揺らぐことにもつながるであろう。
――であれば「正々堂々」奪い取ればいい。
にぃ、と重豪は心中で唇をゆがめる。
重豪は心の内をよそに、清右衛門ににっこりと笑いかける。
「こんたいかほどん値が?」
「このくらいでしょうな」
藩の取引では一石単位だ。清右衛門は指でその値段を示す。
重豪は笑みを崩さず、頷いた。
「よか、買い取ってやっ」
「恐れ入ります」
「支払いは芋でよかね?」
その瞬間、清右衛門の表情が曇った。
薩摩藩もまた、財政はひっ迫している。
むしろ財政難になっていない藩など、この日ノ本では存在しないといってもいい。
だから、あるもので支払うのだ。
たとえそれが価値に見合わぬ商品を掛け合いに出してもである。
(……?)
重豪の提案に、小姓が清右衛門に耳打ちする。
髷はあるが、月代がないところを見ると元服前なのだろう。
清右衛門は短く息を吸って、尋ねた。
「……いかほどの芋を降ろしていただけると?」
ぎらりと光る眼は武士のものではない。
殺気というよりも、覚悟を試す瞳。
これは商人特有のものである。
重豪は指を立てて、慎重に適正な数を示した。
「こがほどでいかがじゃろうか?」
「足りませぬな」
客間の空気がぴりりと張りつめる。
清右衛門の言葉に冷たい怒気が混ざる。
「この味噌と塩……いえ、これらの品はあの田沼様と上杉様をうならせたのですぞ。掘って出てくる芋との取引では割に合いませぬ」
「よう吠ゆっじゃらせんか」
重豪は獰猛な笑みを浮かべる。
清右衛門は、ただの奉行ではない。
だからこそ、相手が怒りを持つのを待っていた。
相手が感情を乱した、その瞬間こそ仙台藩が敗北する時だからだ。
清右衛門の瞳には強い光が宿っている。
恥による怒り、冷静さによる抑制。
だが、わずかに怒りの方に振り子は傾いている。
―――いくらでも怒れ。その怒りが隙を生む。
二人の巨星に挟まれ、傍らの小姓が身をすくめていた。
……だが予想に反して、清右衛門は表情を落ち着かせる。
「……芋と砂糖、それを塩と味噌をこのくらいの分量で等価ですな」
清右衛門が指を立てる。
比率は等価ではなかった。
「馬鹿にしちょっとか」
重豪は吐き捨てて言う。
たしかに公平な取引を持ち掛けたわけではない。
だが、清右衛門が示したのは、商人特有の暴利に他ならなかった。
もしもその条件で取引したいなら、足りないものがあるだろう?
「うん?」と清右衛門が首をかしげた。
「鮫製品をお望みならば、唐物を持ってきていただければ相談に乗りましょう」
僅かに反応しかけた理性を、強靭な意思で抑え込む。
唐物、と清右衛門は言った。
鮫製品が、それに匹敵するのをしっかり理解している。
重豪はさりげなく視線を逸らす。
「貴重品がおったぁ譜代のぼんくらだけじゃ」
重豪は手を振る。
無論、嘘だ。
鮫製品は「高く売れる」。
特に「海の向こうには」である。
それを「物々交換」で手に入れられるなら、喉から手が出るほど欲しい。
そして、味噌と塩の取引。これも正直なところ悪いものではない。
草の者の知らせでは仙台の味噌と塩の品質が非常に高いこともつかんでいる。
(じゃっどん……)
ここからはもう、威信の話だ。
仙台から値切られたという屈辱が耐え難い。
北国の成り上がりが、薩摩に物申すなどおこがましいにもほどがある。
―――建前上はそうふるまわなければならないのが藩主だ。
その時、清右衛門が視線を外して何かを察したのか、ため息をつく。
「味噌と塩、そして米をこれほどでいかがでしょうか」
「……仙台の米も付けるちゅうことか」
「左様でございます」
清右衛門は苦しそうな表情を見せながら頷く。
こやつは分かっている。
「ほう」と重豪は腕を組んで、ぐっと手を握った。
清右衛門は続ける。
「その代わり、島津は錫の生産が盛んな地、いくばくか融通していただけるとこちらも面目が立ちます」
面目が立つ、という言葉を聞いて重豪はにんまりと笑みを浮かべた。
そう、そうだ。その言葉が欲しかったのだ。
薩摩は仙台よりも上、そう決定づける言葉が大切なのである。
―――少なくとも、家臣たちにそう見せねばならない。
清右衛門の言葉に、重豪は満足げに頷いた。
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島津藩邸を後にした後、清右衛門が後ろを振り返る。
「勉強になったか?」
「商売って、銭だけでやるものじゃないんですね」
小姓姿の鈴がため息をつく。
薩摩の相手は、鈴たちには無理だった。
あの交渉を見ていればわかる。
ノコノコ鈴が出向いて行ったら、一瞬でとって食われて海に捨てられていただろう。
だから、鈴たちが「仙台藩として」一番力が強い人を頼った。
そう、言うまでもない。清右衛門である。
はぁ、と鈴はため息をつく。
「でも、味噌と塩が田沼様に気に入られた……って言われたとき、冷や汗が止まりませんでした」
「気づかぬ向こうが悪い」
味噌と塩は田沼に見向きもされなかった。
しかし、薩摩藩主が気に入ると見るや、それらを引き合いにして高く売り込むとは思わなかった。
たしかに「これらの品」と言い直していたので、嘘ではないのだけれど。
「でも、芋と砂糖ってどうすればいいでしょうか」
「塩と同じだ、砂糖につければ保存が効く」
そうなんですか? と鈴は首をかしげる。
芋は用途が広いらしい。
地中で育つため害獣にも強く、米ほど手間もかからない。
江戸で米の値下がり具合に頭を抱えていた清右衛門だが、この期に交換できるのであればまさに商機である。
「ありがとうございます、清右衛門様」
商売とは、物を売ることだと思っていた。
だが今日見たのは、価値と価値を結び付ける仕事だった。
正直、鈴たちだけで会談に臨んでいたらとんでもない失敗をしていたに違いない。
というか、あの薩摩隼人に「はい」と答える以外の選択肢が、鈴にはできそうになかった。
「なに。対価はしっかりと受け取った」
清右衛門のその言葉に、鈴が怪訝な表情を浮かべる。
「値下がりした米から、錫を手に入れることができたのだからな」
どう転んでも利益を確保する、商人らしい笑みがそこにはあった。
天明二年には重豪の娘が登場します




