太田庵と目のつけどころ
米沢藩との会談を終えた鈴たちは倉庫へ戻る。
江戸の町は日暮れの方が明るい。
町のいたるところで油が使われ、せわしなく人が動き回る。
江戸の夜の明るさや活気に改めて驚いた。
「リン、お腹すいたよ!」
限界、とトシが声を上げる。
鈴も空腹だったが、先日のように買い食いするのはためらわれた。
何しろ、物価がそれなりに高い。
日ノ本の中心地だけあって品ぞろえはものすごいが、地方の小娘が気軽に手を出せる値段ではなかった。
鈴の手持ちのお金などあっという間に溶けてしまうだろう。
鈴は知らないことだが、実際の物価は仙台とさほど変わらない。
屋台の多さと品数の豊富さ、そして普段あまり銭を持ち歩かないこともあって、江戸は何もかも高く感じていた。
むしろ品揃えの少ない仙台の方が、おいしいと感じるものは多かった。
わめくトシをなだめて倉庫に戻ると、三吉が握り飯を味噌で焼いていた。
「おぅ、お帰り。飯出来てるぞぉ」
三吉が差し出したのは焼きおにぎり、鈴の好物だ。
さらに沢庵のかわりに蒲鉾が笹の葉に乗っており、食欲をそそられる。
「「いっただきまーす」」
鈴とトシはものすごい勢いで焼きおにぎりを平らげていく。
江戸の町を散策していたのだろう。倉庫に詰めていた人たちも、その間に戻ってきていた。
「江戸の食いモンもウメェが、仙台のが一番だな!」
そう言ったのは人足の一人である。
あ、思い出した。鈴を名主の家まで攫……護衛してくれた一人だ。
鈴も味噌の焼きおにぎりを腹に収め、その夜は眠りについた。
翌朝、会津藩との連絡を取り付けるために、トシを使いにやった。
「やっぱり米沢は特別だったんだね」
帰って来たトシが、そう呟く。
会津藩は通常の手続きと同じらしく、翌朝来てほしいとの通達を受けた。
ああ、と鈴は頭を抱える。
しまった、昨日のうちに連絡をつけておくべきだったんだ。
「ねぇ、リン。今日はもうヒマでしょ?」
鈴が反省していると、やることがなくなったトシが江戸を歩こうと持ちかけてくる。
鈴は苦笑いした。
「いいけど、初日みたいな買物はあまりできないよ?」
「それでもいいさ!商売は足の軽さが大事だってキジ兄も言ってたし!」
トシに誘われ、鈴、トシ、ナナシは江戸散策へ向かった。
江戸は楽しい。
何せ本屋がそこかしこにある……!
「ちょっと別行動しない?」
「ダメだ」
鈴の提案は速攻でナナシに却下された。
散策していると、豆腐料理の店が驚くほど多いことに気付いた。
道行く人に聞くと、なんでも「豆腐百珍」なるものが出るほど、江戸の人は豆腐好きらしい。
豆腐さえあれば食卓に不足なしとまで言われるほどだ。
味付けは味噌か醤油とのこと。
(味噌は仙台の圧勝だけど、醤油はまだ高いからなぁ……)
近頃は醤油の方が人気らしく、鈴はちょっと残念だった。
江戸の味噌は物足りない。
であるならば、上質な醤油が手に入る江戸ではそっちに流行が向かってしまうのだろう。
「江戸って蕎麦多いよね、見渡す限り蕎麦屋だらけだ」
トシがそうつぶやく。
そう、蕎麦も人気だ。
二十歩も歩けば蕎麦屋があるほど、江戸では蕎麦が流行している。
しかし、むしろ蕎麦は江戸の方が価格が安いのに驚いた。
米の代わりにできないかな?と鈴は考えたが、そばをどうやって手に入れるか分からない。あとで聞いてみよう。
「おっちゃん、かけ三つ!」
そう思っていると、トシが蕎麦屋に入ってそばを注文していた。
「ちょ、トシ!」
あいよ、と言って蕎麦屋の店主がそばをゆで始めていた。時すでに遅し。
仕方なく鈴が16×3つ…48文を店主に支払う。大出費だ。
「トシぃ」
そう呟く鈴に悪びれもせず上機嫌なトシ。
それほど待つこともなく店主は蕎麦を椀に流し込むと、「お待ちぃ」という掛け声で蕎麦を差し出す。
「わーい」という無邪気な声でトシは椀を受け取り、トシはずるずると蕎麦をすすった。
「美味しいね、素材がいいのかなぁ。蕎麦の実ってどこで買ってるの?」
「ああ、信州の方からだ。大量に入ってくるし、ここいらの店はみんなそうさ」
「ふーん、だから美味しいんだねぇ。……でもどこもかしくも蕎麦屋で、目移りしそうかな」
そうなんだよ、と店主が苦笑いする。
「器を凝ったり薬味を工夫している店もあるがな。結局、どこも同じ蕎麦よ」
差をつけるのが難しいんだ、と店主が苦笑いしていた。
「そっか、おっちゃんが一度食べてみたいな、って蕎麦屋もあるの?」
「そりゃあ藪に更科、あとは砂場だろうな。あそこは格式が高くて、俺たちみたいな店のように気軽に入れないしな」
なるほどねぇ、とトシは言いながらそばを平らげる。
鈴とナナシもその話を聞きながら、そばを食べ終え、器を下げた。
「また来てくんな」
「わかった!」
「トシぃ」
鈴は恨みがましい目を向ける。
今朝、あまり無駄遣いはできないと話したばかりなのにこれだ。
……蕎麦は美味しかったけど。
するとトシはにんまりと笑顔を向ける。
「次に売りに行くところ、見つかったね!」
「え、何を?」
鈴は頭に疑問符を浮かべてトシの説明を聞く。
トシは笹包みを取り出し、かまぼこをパクリと口に入れる。
ああなるほどな、とナナシと鈴も合点がいった。
「一度倉庫に戻って武器を補充しよう!」
次なる販路として、江戸中にあふれる蕎麦屋が浮かび上がった。
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「はい、出来上がり!」
「うめぇな、これ」
先ほど立ち寄った蕎麦屋で、トシと店主がやり取りをしている。
トシは倉庫から蒲鉾の桶を一つ開け、再びこの蕎麦屋に戻って来た。
茹で上がった蕎麦に蒲鉾を添え、店主と鈴がすすっている。
二杯目だが、いくらでもすすれてしまった。美味しい。
ちなみに蕎麦をゆでているのは、ものすごく不満そうにしているナナシである。
「俺は護衛なんだが……」
「固いこと言いっこなしだよ。持てる物なら箸でも使え!っていうじゃん」
「それを言うなら、立っている者は親でも使え、だ」
トシの勢いに、ナナシは渋々といった様子で従う。
自分の言うことは聞いてくれないくせに。解せない。
ずるずると蕎麦をすすり、飲み干した。
いろいろ心の中で言ったものの、さすが蕎麦の本場である江戸である。
昔食べた三吉の蒲鉾入り蕎麦もおいしかったが、醤油を使っているだけあって、こちらの方がのど越しが良い。
なるほどなぁ、と店主はうなずく。
「薬味があると違うねぇ。おい、坊主、この蒲鉾いくらするんだ?」
「このくらいだと、6文くらいかなぁ?」
がっくりと店主が肩を落とす。
6文というと、売るなら12文くらいにして出さないと利益にならない。
元の蕎麦と合わせれば28文である。確かに高いだろう。
「リン、ちょっといい?」
トシが鈴に顔を寄せる。
「江戸にいる間、このおっちゃんに蒲鉾、タダで渡したいんだけどいい?」
「どうして?」
「これからすっごく協力してもらうからさ」
どうやらこの店主に作ってもらった蕎麦に、かまぼこを添えて有名店に殴り込みをかけるらしい。
「ええと……いいけど、うーん…」
「なに? 銭のこと?」
「や、違くて。見た目があんまり食欲をそそらないな、って」
たしかに味はいい。
だけど、武家で出される吸い物などは、綺麗さも求められる。
格式の高い蕎麦屋に出すには、このぶつ切りした蒲鉾蕎麦は敬遠されそうな気がする。
つまり何が言いたいのかというと、「かわいくない」のである。
うーん、と鈴は調理場へ目を向ける。
そこには麺を湯切りしているナナシがいる。
「ナナシ、茹でた蕎麦、頂戴」
「……ああ」
ナナシが何か言いたそうにしていたが、また今度だ。
ナナシが茹で上げた蕎麦に、鈴は先ほどとは違う盛り付けをする。
蒲鉾を三つ、半月に切ってどんぶりに浮かべ、耳に見立てて麩を散らす。
最後に黒豆を目に置いて、こう、こう、こう……。
「これをこうして、これつけて……ほーら、かわいくなった!」
目と口は蒲鉾、鼻と耳にお麩、小さな豆を添えて―――福笑いの完成である。
「おお」とトシと店主が声を上げる。
「すごいね、なんか縁起もよさそう!」
「嬢ちゃん、これ売ってもいいか?」
二人の反応を見るに、好感触だ。
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ナナシが自分で茹でた蕎麦を食べている間に、店主は屋台を担いで江戸でも名の知れた蕎麦屋へ向かい、トシは店の親方へ取り次ぎを頼みに走った。
待っている間、店主は張り切って蕎麦をゆで、鈴は盛り付けを整えた。
やがて戻ってきたトシは「親方は忙しくて来られない」と肩をすくめる。
「なら、これだけでも渡してきて」
鈴は試作品を託し、トシは再び名店へ向かった。
ほどなくして「話を聞きたい」という返事が届く。
かくして蕎麦の名店の親方と対面することになった。
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江戸で屈指の人気を誇る、根津の太田庵。
遊郭が近く、そこにくる遊び人相手が多く立ち寄る蕎麦屋である。
太田庵の親方である亀助はため息をついた。
江戸には蕎麦屋が増えすぎた。
太田庵は、上質な醤油と厳選した蕎麦が売りだ。
しかし今はどこもかしこも少し歩けば蕎麦屋にぶつかる。
太田庵の蕎麦は品質こそ高いが、いかんせん高いのが玉に瑕である。
(蕎麦と汁、そして立地を武器に戦っていくのは、もはや難しい……)
皆、太田庵ではなく、その横の夜鷹蕎麦で腹を満たして帰っていくのだ。
売り上げは右肩下がりで、このままだと店の存続も危うくなってきていた。
「親方、客人がお見えですが、いかがいたしましょう」
「後にしろ、今は忙しい」
亀助は帳簿をにらみながら手を振る。
今月の売上が前年の七割。
奉公人を減らしたが、それゆえに人手が足りなく忙しい。
これ以上売り上げを落とせば、安い蕎麦粉に切り替えてでも食いつないでいく羽目になる。
(だが、それをすれば、もはやここは太田庵ではない………)
それをすれば客足がさらに遠のくこともわかっている。
太田庵は、誰が認めずとも「本物」の蕎麦屋なのだ。
丁稚は下がっていったが、すぐに布がかけられた盆を持って帰ってきた。
「あの、客人がこれに興味ないか、と差し出してきました」
「後で見る、そこに置いておけ」
亀助はそう言ったが、盆の奥からかぐわしいにおいが立ち込める。
醤油の香りだ。
思わず亀助は筆を置き、布をめくる。
蕎麦だった。
だが、その蕎麦は薬味と具がちりばめられ、見た目が非常に良い。
「なんだ、これは……?」
何が載っているのか、一目では分からない。
だが、妙に気になる。
亀助はいてもたってもいられずそばをすする。
「……不味い」
ひどい味だ。
汁も、蕎麦も、そこらへんで売っている蕎麦屋と同じく、本物の品質を理解していない雑多な出来栄えである。
「しかし……」
だが、薬味と具。これは違う。
とくにこの白い具の触感が面白い。柔らかい歯触りなのに弾力がある。
(……魚のすり身か!)
無論、亀助も蒲鉾を試したことはある。
だが、ここまでの弾力、今まで味わったことがない……!
「おい、客人を呼んできてくれ!」
「は、はい、ただいま!」
すると、着物を着こんだ少女と少年、そして侍がやってくる。
「お初にお目にかかります。仙台の藩医の娘、おりんと申します」
「これを俺に見せたのはお前か?」
はい、と少女は微笑んだ。
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交渉はうまくいった。
荷に積んでいた蒲鉾の約半数を、太田庵が買い上げてくれた。
秘密を漏らすわけにはいかないと、蕎麦露店の店主まで亀助に囲われてしまった。
店主(そこで知ったのだが名前は田酒というらしい)にはとばっちりで申し訳なかったが、本人は「雇ってもらえるだけでありがてぇ!」と喜んでいた。
亀助はこれから「蒲鉾蕎麦を大々的に製品化して、さらに飛躍させていく!」とのことだった。
まぁ、素材が分かれば作り方は簡単だし、真似されるのも時間の問題かもしれないのだが……。
「あーぁ、あのデンシュとかいうおっちゃんの店で、毎日タダ蕎麦食えると思ったのになぁ」
そうぶつくさ言っていたのはトシだ。
だがその言葉を聞いた亀助が目の色を変える。
「うちで食べろ、その代わりに案を出してくれ」
そう言って鈴たちに詰め寄ってきた。
亀助は今後の展望に光明を得たからか、非常に上機嫌である。
これ幸いと、無料食事の権利を得た鈴も上機嫌であった。
もっとも、作るのは引き抜いた店主――デンシュらしい。
ここで修業を積みながら、私たちは実験台になるということなのだろう。
だったら遠慮なくやりたいようにやろう。
鈴たちは江戸蕎麦の堪能券を得たのだ!
そんなことを考えていると、蒲鉾を運び終えた三吉が駆け寄ってきた。
「やったね、三吉。蒲鉾売れたよ」
「ああ、ありがとな。だが、喜んでもいられないぜぇ」
三吉は懐から手紙を二通取り出す。
日向国(現在の宮崎県)の高鍋藩。
そして薩摩藩からの面会の申し出である。
高鍋藩はわかる。
上杉治憲様の故郷の藩だ。治憲様本人から教えてくれた。
おそらく伝手を作ってくれたのだろう、感謝してもしきれない。
(というか、日向って仙台の反対側じゃなかったっけ……?)
そんな遠縁まで誘致していただいたのか、本当に頭が上がらない。
一方で、薩摩藩。ここは鈴には全く心当たりがなかった。
三吉もトシも首を振る。
「薩摩は、仙台に対抗している藩だ」
ナナシがそう解説する。
曰く、格式を巡って長年いがみ合っているらしい。
だとしたら余計に理由がわからない。
「仙台が米沢と仲良くしたから気に入らないとか?」
トシがそういうと「嫉妬のことをいっているのか?」とナナシが補足する。
「どうしよう……?」
「まぁ、断れないんじゃないかぁ?」と三吉が肩をすくめる。
商売するならともかく、いちゃもん付けられるために行きたくない。
ナナシはその意見に賛同しつつ、現実的な意見を述べる。
「気持ちはわかる。しかし対応を間違うと、藩との関係が悪化する」
ナナシが非常に深刻な表情でつぶやいた。
先に米沢藩主と会談できた際には感じなかった冷や汗が鈴の背を滑り落ちる。
胃が痛い。
「でもどうするのさ? 腹がいたいとかで断っちゃえば?」
そう、それだ。
まさに今、胃……いや、おなかが痛い。
これは理由になる。断っても仕方がない。
「藩印がある、断るのは無理だ」
ダメだった。
ナナシ曰く、仙台の代表として話を付ける必要がある、とのこと。
(仙台の代表……?)
あれ、だったら自分よりも適任がいるではないか。
鈴は一通の手紙をしたため、それをトシに急ぎ早に相手に届けさせた。




