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名君との会談と、信用の価値

田沼から得た許可状を懐にしまい、鈴たちは次の目的地、米沢藩邸へ向かった。

喜二郎との深い繋がりがある米沢藩なら、大きな期待が持てるだろうと考えたためである。


(江戸に着いたら、小さく商売を始めろ。いきなり大物を釣ろうとするな)

そう、名主と事前に相談していた内容とは違ったが、大筋は問題ないはずである。


なぜなら、まだどの藩とも取引していないからだ。

最初に会った相手があまりにも大物だったため、もはや釣り竿なんて意味をなしていないとも言える。


(米沢藩って、どういうところなのかなぁ?)

喜二郎の手紙では、お酒が美味しいと書かれていた。


くそぅ、自分も飲んでみたい。あとちょっと大人になれば、飲めるのに……!

そうこう思っているうちに、使いに出したトシが戻ってくる。

意外にもすぐ面会が許されたとのことだ。


(田沼様のところでは一日待たされたのに、予想外過ぎる……!)

ちょっとのんびりしていた鈴は、鮫製品を新たに選出して米沢の藩邸に向かった。




「お初にお目にかかります、先ほど使いを出しました、おりんと申します」

「話は聞いております、お通りください」


米沢藩邸では袖の下すら不要であり、藩の気風の違いを感じた。

門を通り、女中によって身体検査が行われる。


ちなみにナナシは門で待機だ。

そのまま女中に案内され、手入れされた廊下を横切っていく。


そこから見える庭には池があり、鮮やかな赤と白の鯉が泳いでいるのが遠目からでも見えた。

その様子を眺めながらしばらく進むと、鈴とトシは最奥の間に通される。


「え……ここって」

客間……いや、藩主が使う屋敷の部屋ではないだろうか。

鈴とトシは表情を硬くする。


「殿、お連れしました」

―――殿っ!?


鈴は全身の毛が逆立った気がした。



「入ってくれ」

威厳のある、そして不思議を引き付ける声色が、ふすまの中から聞こえた。


奥女中が襖をあけ、鈴たちが平伏する。

息を整え、整え、整え………。


「喜二郎の姪でございます。林家の長女、おりんと申します」

「よく参った。近くで話そう」


そう言って面を上げる。


言葉ではない。

しぐさでもない。

ただそこに座っているだけで、人を惹きつける何か。


叔父とも違う、人の心を自然と寄せる何かがあった。

その柔らかな表情一つで人を虜にするような、そんな雰囲気を纏った男だった。

鈴とトシが顔を見合わせ、素直にたたみ一つ分くらいの距離まで寄る。


「上杉治憲だ。喜二郎殿には米沢で世話になっている」

「は、はい、上杉様……!」

鈴とトシが平伏した。

淡い夢想が霧散し、一気に身分という現実がやってくる。




いきなり藩主と相対することになり、鈴の心臓が早鐘のように音を立てる。

案内された先で待っていたのは家臣ではなく藩主・上杉治憲本人だった。


硬くならないでいい、と治憲は微笑む。


「お主たちがもたらした物は、いつも興味深い。特に鯉と塩は米沢では作れなかったものだ」

「お、恐れ入ります」

顔を上げてくれ、と治憲は諭す。


喜二郎より少し年は上なのだろう、その眼は優しくも修羅場を潜り抜けた強さがあった。

治憲は喜二郎が米沢に来てからの話をする。


「最初は塩、そして次に鯉、さらに味噌。お主たちが魅せてくれた逸品はどれも素晴らしい」

塩が取れない米沢では、その恩恵が大きく、さらに良質なこともあって改革の柱になっているらしい。


「とくに鯉、あれはどの藩も目をつけていなかった。慧眼に恐れ入るばかりだ」

鯉は最初藩内では懐疑的な意見が大きかったが、治憲が積極的に推進したらしい。


釣らなければ蓄え続けられる非常食として、そして観賞用としての有用性を治憲は非常に評価していた。

六郎太が米沢にやってきて、そこから人手も少ないなかで喜二郎と環境を整えたことを治憲は喜んでいた。


トシはその話を聞きながら、表情が輝いている。

父の功績が評価されて、嬉しいのだろう。



「外の池にいる鯉も、二人が育てたものだ。初心を忘れぬため、米沢からここに運び込んだ」

ぱしゃ、と池の鯉が跳ねる。

ここまで評価されていたことが、素直にうれしかった。




喜二郎が育てた産業の中でも、鯉だけはほとんど日の目を浴びてこなかった。

鈴とトシの喜びを見て、治憲は「其方たちには謝らねばならぬ」と頭を下げた。


「今、米沢藩はゴタゴタしていてな。そういう意味で、儂はお主たちの助けにはなれぬかもしれぬ」

「と、おっしゃいますと……?」


米沢は藩政を立て直すために大倹約令を発布したところらしい。

それに伴い、ぜいたく品を禁じ、粗食で日々を過ごして藩政を取り仕切っているのだそうだ。


見れば、確かに治憲が纏う衣服は絹ではなく綿だった。

それでも漂う威厳が感じられるのは、窮地に臨む藩主としての気迫からなのだろう。

そういった理由から、鈴が持ち込んだ商品はここでは買えない、と治憲は言う。


大きく当てにしていた鈴が、正直かなり気落ちしてしまったのも無理はない。

だが、今度のはどうにもならない。

藩政で倹約令を出しているとなれば、物を売りつけるなどできるはずもない。


(でも、治憲様に不義理はしたくない)


叔父を評価し、六郎太を評価してくれた治憲に悪感情を抱くはずもなかった。

でも義理を通せば、仙台の未来が危うい。

正直米沢以上の取引相手など、鈴には考え付かなかった。


(考えろ、考えろ、考えろ……)

物を売らずに、利益を出す方法。

相手に不義理となることもなく、双方が納得できる終着点。


(……そうだ!)

すると、鈴は思い出した。

先日の田沼邸にて、物を売らなくても効果が出た方法があった。


「ありがとうございます。上杉様の心意気、感服いたしました。叔父上の近況もお知らせいただき、感謝申し上げます」

「うむ、こちらの事情に巻き込んでしまいすまぬな。儂にできることがあれば言ってくれ」


そう、その言葉を待っていた。


(私も、腹黒くなっちゃったのかな……?)

自分の中で呵責が暴れまわる。


すべてを心の手のひらで押さえつけ、鈴はにっこりと笑みを浮かべた。

では、と言って鈴は持ってきた品をトシに差し出させる。


「こちらは私と叔父上が作り上げた品です。江戸におられる間、こちらをお使いいただけませんか?」

「これは、味噌と塩……あとは皮製品か?」

鈴はうなずいた。


直感だ。


この人が使う物は、他藩の藩主も欲しがる。

田沼様とはまた違う求心力を感じる。


(だからこそ)

全身全霊をかけて治憲様に使ってもらいたいと鈴は意気込んだ。

だがその願い空しく、治憲は首を振った。


「済まぬが、金子を都合することは難しい」

「恐れながら、そうではございません。こちらを日々お使いいただければ、それが何よりの便宜となります」


米沢藩主が使っている品。

その噂が広まれば、興味を持つ者は必ず現れる。

しかし、それでも治憲は頷かなかった。


「……残念ながら、皮製品も贅沢品でな。倹約令を出しておる以上、高価な装飾品は身に着けることができぬのだ」

「そう、ですか」


治憲の言葉に、鈴は項垂れた。

なんだろう、ここまで真剣に交渉に臨み、受け入れられなかった感覚。

湧き上がるのは悔しさじゃなかった。


(そうか、ダメだったんだ)


失敗した。

鈴はもっと利益を示し、藩の有用性を訴え、売るべきだったのだ。

何度も失敗して、学んできたはずなのに。

一番の大店を、鈴の判断で不意にしてしまったのだ。


「しかし」


何も考えられない鈴に、治憲は盆にのせられたサメ製品の中から瓶をつまんで掌に載せた。

「えっ……」

「油は日用品だ。儂のわずかに自由にできる銭で買うことができる」

そう言って治憲は瓶のふたを外し、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。


治憲はちらりと鈴の髪を見る。

鈴の髪が、この油で整えられたものだと気が付いたのだろう。

治憲は微笑んだ。



「妻も。これならば、喜んでくれよう」

そして鮫油は藩主自らが買い取ってくれた。


当初から渡す予定だった分のお試しの味噌と塩は「これから楽しみにしていてほしい」と意味深なことを言われる。


「喜二郎殿は良い姪子を持たれたな。米沢も仙台も、これからが大事だ。儂もできることは協力しよう」

大きな後ろ盾を得たことを実感し、鈴は平伏する。



こうして鈴は商品ではなく「信用」を借りるという新たな商売の形を学んでいった。

上杉治憲。

一般的には「上杉鷹山」の方が聞き覚えある人も多いかもしれません。

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