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祭りの終わりと、江戸への道

「大丈夫か、リン」

「……うん」

喜二郎をまねて、皆が育ててくれた思いを頼りに、自分なりの言葉で答えた。


だけど、鈴はもう精魂尽き果ててくたくた。

頭がぼんやりして、もうまともに考えられない。


先ほどの勇ましさはかけらもなく、三吉の背におぶわれて名主の家に向かう。

細かな条件の確認は名主に任せており、鈴の出番も一旦終わりだろう。


「立派だったぜぇ」

「ありがと」

江戸での販売と船の使用条件は証文にまとめ、大枠の部分は確認して血判を押した。

一歩間違えば、不敬罪でしょっぴかれてもおかしくない交渉だった。


何とかなって、一気に疲れが押し寄せてくる。

やがて名主の家に着き、へろへろの状態で客間に降ろされる。


すると、人の気配を察したのか、芳の子供……トシが鈴の前にやってくる。

誰の子か聞いていないが、今さら聞くのも少し気が引ける。


「お帰り、リン。お疲れさま!」

「ありがとぉ」

元気がないとき、子供の笑顔は何よりの薬だった。

トシの笑顔に少しだけ元気をもらう。


(もう少しだけ頑張ろう)

ふんす、と鈴は気合を入れてこれからやるべきことを考える。


最初は、三吉が持ってきたサメ製品を隠し玉として提示するはずだった。

だが清右衛門との交渉で、その考えは捨てることになった。


結果として清右衛門の条件は丸のみしたが、その代わりに米は当初予定した倍購入できる。

結局のところ、仙台に食うものがあればいいのである。


「それにしてもうまくやったな」

三吉がにやり、と笑う。


交渉での隠し玉、サメ製品の利益はそのまま残る。

そこは喜二郎と相談しなければならない。


鈴は客間にあった紙と筆を拝借し、喜二郎へ手紙を書く。

手紙を書き終えたものの、誰に託せば喜二郎へ届くのか分からない。

名主が戻ったら相談してみよう。


手紙を書き終えると、トシが母の芳を呼んでくる。

芳は子供と全く同じセリフで労いながら、鈴の着替えを手伝ってくれる。


今日の報告を話しながら、名主が戻ってくる間、食事をとる。

そして一息ついていると、細かい交渉を終えた名主が帰ってきた。

だが、その表情に交渉を終えた安堵はなかった。




「どうしたの?」

「うむ……。皆を集めてくれ」

それを聞いて、トシが仁八を呼びに行く。

仁八も名主の家に集まると、名主は重い口を開いた。


「人手が足りん」

「え?」

名主が詳しく内容を話し始める。




船も人足も確保した。

売り上げの半分で、その賃金も支払うことになった。

だが、肝心の売り手がいない。


「どういうこと? だって、味噌は芳が、塩・サメ製品は私も入れて四人もいるじゃない」

「農民と女は江戸に行けん」

なんと、そんな決まりがあるのか?


江戸に渡るには手形が必要だが、身分差がある場合は手形を発行してもらっても、入れないことが多い。

そして女に至っては藩を移動するための手形の種類も多いのだという。


「え?じゃあ、農民の六郎太はどうやって米沢に行ったの?」

思えば、六郎太は米沢にいる。


過去で「何とかする!」と言っていたが、どうやって何とかなったのだろうか。

すると、芳が「私の婿養子になったんだよ」と説明してくれた。


「え! そうなんだ。じゃあ、トシは六郎太との子なんだね、びっくり! おめでとう!」

「話を逸らすな」

今話すことではない、と名主にたしなめられる。


ともかくとして、そうすると鈴も江戸に行けないことになる。

むしろ、この場で江戸へ行ける職人は三吉だけということになるのではないか?


(なんてこと、売り物があるのに売り手が足りない!)

そして売り手があの三吉。よりにもよって三吉しか残っていない……!


絶望と言うのは、未来ではなく現代にもあったんだね、と鈴は泣きたくなった。


「お、お前らぁ。何を考えているのか、言わなくてもわかったぜぇ……」

三吉がしょぼくれているが、商売が苦手という自覚はあるのかばつの悪そうな顔をしていた。


「お奉行様に人員を借りる……というのは?」

芳がおずおずと意見を出す。


「打診してみたが、そうすると米の半分がなくなると申された」

名主が苦しそうにそう答える。

清右衛門様は商人の顔だけじゃない、今度は政治家として条件を突きつけてきたのである。


(どうしよう……?)

名主はうむ、と咳払いし、意見を述べる。


「儂は無理すれば行ける。名目は江戸での日雇い扱いでな。だが、そうなると船が使えんので、馬で向かうことになる」

米を売りに行くのはあと5日後、そうなるとすぐにでも出発しないと間に合わない。


だが、その場合、荷物の積み込みの指示役や手続きを行う人が不在になる。

正直、そこら辺のやり取りができるのは、この場では名主しかいない。


だがあちらで味噌や塩、そしてサメ製品を売るために大店取引を行える人材も名主しかいないのである。

鈴は先ほど書いた証文の写しに目を落とす。




「あれ? 責任者については、清右衛門様とともに江戸へ同行することを許可する――って書いてあるよ」

「……確かにそうだ。だが、江戸の法では理由如何に関わらず、船による農民の移動は認められておらんのだ」

「じゃあ、許可があれば、武家の女は船に乗れるってこと?」

名主は顎に手を当てる。


「法としては問題ない」

「じゃあ」

希望が出てきた。

それならば、鈴は江戸に行くことができるからだ。


どうしよう、一度江戸の本屋に行ってみたかったのだ。

それと田楽、あちらは豆腐文化が非常に発達していると聞く。


鈴の胸には希望と喜びが広がっていった。

その様子を見ていた名主は、ぴしゃりと冷や水を浴びせる。


「だが、女が江戸に行くには、少なくとも手形が三つ必要になる。用意できるのか?」

うっ、と鈴は言葉に詰まった。




江戸に行くときに必要な手形は「寺請証文」「往来手形」だ。

そして女が藩から藩へ移動するにはそれに加えて「女手形」が必要になるらしい。


現代に帰ってきた鈴は、身分を証明できる「寺請証文」は実家にある。

「往来手形」を発行するのは名主なので、これも問題ないだろう。


問題は「女手形」だ。


これは藩で取り扱うため、今から申請しても間に合わない可能性が高い。

だが仁八が「いや」と口をはさむ。


「お前は、女手形を持っている」

「ええ!?」

正確には、喜二郎が用意している、はずらしい。


「鈴が時間を行き来し終えた後、江戸でともに商売をするために用意していたはずだ」

そう仁八が告げる。


さすが叔父上である。用意周到だ。

だが、と仁八は続ける。


「喜二郎は今、米沢にいる。取って戻ってくるまでには、船は出発してしまうだろう」

「ええ……?」

米沢から仙台まで、往復で七日、早い者でも六日かかるという。

確かにそれでは間に合わない、船は待ってはくれないのだ。


「いや……待て。それなら行けるかもしれん」

だが、名主はひらめいたのか、考えを話す。


「女手形が必要なのは、江戸から出るときだけだ。入るだけなら先の手形二つで事足りる」

「じゃあ、私たちが江戸で商売している間に届けてもらえばいいんだ!」

妙案である、と鈴は色めき立つ。

だがそれでも、と名主は唸った。


「リンとフカだけでは、さすがに心もとない。やはり小回りが利く人間を雇うしかあるまい」

「ええっと、江戸での相場は……?」

名主が指で一日の相場を示す。


全員が高すぎる賃金に目を丸くした。

信用があって、使える人間となるとそれくらいするらしい。


そして、それでもなお騙そうとしてくるものが後を絶たないのだとか。

地獄の沙汰も金次第とは、未来だけで十分なのに。


「やっぱり、三吉にも商売を手伝ってもらうしか……」

「おいおいス……じゃなかったリン。お前、本気で言ってるのかぁ、それ」

三吉は力こぶを作って胸を張る。

鈴も口にした瞬間、「これは博打よりひどい案だ」と気付いた。




うーん、と皆が唸り声をあげていると、トシが手を上げる。

「僕がいくよ」


全員がトシを見る。

しかし名主は顔をしかめた。


「何を言っているか分かっているのか、トシ」

「僕は一応職人の息子って体だからね、船にも乗れるし、手形も用意できる」

「お前には無理だ、いくつだと思っている」

鈴はトシを見る。

自分より年下なのは確実だろう、おそらく五、六つというところだろうか。


「九つだよ。でも、キジ兄がじいじと堰を作り出したのもその位の年なんでしょ?」

(えっ……!)

思っていたより年齢は離れていなかったらしい。

それに、とトシは続ける。


「リンだって、十二なんでしょ? 僕と大して年は変わらないはずだよ」

「たしかにリン殿とさほど年は離れておらん、だが、お前に何ができるというのだ」

にっ、とその言葉を待っていたようにトシが唇を吊り上げる。


「父ちゃんから鯉の世話の仕方、じいちゃんからは堰の作り方、母ちゃんからは味噌作りとその活かし方、全部聞かされてるよ」

むうっ、と言葉に詰まる名主。


意外としっかりしている。

この前は母の芳に膝枕されて眠そうにしていた印象しかなかったが、この家の血統というところを甘く見ていた。


(あれっ。私より頼りになるんじゃないの、この子……!)

先ほどトシが挙げたことは、どれも鈴には詳しく分からない。


年下で自分よりずっと優秀な人は喜二郎だけで十分だと思っていたのに、ここにも英才がいたというのは素直に落ち込んでしまう。


「トシ、私が責任を持つわ、行ってきなさい」

芳が、トシの背中をとんと押した。

それを見ていた名主が、何とも言えない表情で芳を見つめる。


「しかしな、芳……」

「大丈夫、トシがヘマしても、私の首と父上の切腹だけで済むわ。思いっきりやってきなさい」

「だから……いや、確かにそれだけで済むのならば、安いものか。……失敗するなら、いや、失敗なぞ恐れず思い切りやれ、と言うべきだな」

こういうところは、ちゃんとおじいちゃんなんだな、と鈴は感じた。

名主はトシの膝を叩いて激励する。


「トシ、行ってこい。思いっきりな」

「任せてよ!」



それはかつて六郎太――太郎が見せた、そっくりの笑顔だった。

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