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利益なんて、知ったことではない

普段、自分を「お鈴(りん)」と名乗ることはない。

だが、この場で大切なのは格式だった。


相手は仙台藩の財政関係を一手に預かる重臣。名乗り一つにも礼を尽くさねばならない。

清右衛門は一瞬だけ落胆をにじませた。しかし、その目は鋭く、鈴を値踏みするように見据えた。


「さっそく要件を聞こう、手短にな」

侮ってはいないが、期待もしていない。


そんな表情を、清右衛門は浮かべている。

鈴は腹に、ぐっと力を入れた。

交渉の第一歩は、提案からだ。




「江戸に売る米、私たちに卸していただきたいのです」

「なんだと?」

意外、という表情で清右衛門は眉を寄せた。


面会を願い出る者の多くは、結局は金の無心だと聞いている。

いきなり予想を外したのか、清右衛門は怪訝そうな顔をしていた。


(大丈夫、大丈夫……これは祭なんだ!)

皆からは「思いっきりやれ」と送り出してもらった。


傍で額を伏して控えている名主と三吉も、静かに鈴を応援してくれている。

すぅ、と鈴は息を整えた。


「味噌1700石、塩300石」

鈴が静かに告げると、清右衛門の眉がぴくりと動いた。


「私どもは十二年かけて、一つの商圏を築いてまいりました。これが此度、私どもが出せる商売の種でございます」

「……それは誠か?」

鈴が名主に合図すると、布をかけた椀が二人の間へ運ばれた。


「取れ」

横に控える小姓が布を外すと、中には味噌玉が載っていた。


これは、と清右衛門の目の色が変わる。

先ほどまでの失望は消え失せ、商人として獲物を見定めるような眼差しで味噌玉を見据えていた。


清右衛門の目が鋭さを帯びる。


「それほどの味噌と塩を蓄財した手腕は見事だ」

しかし、と清右衛門は続ける。


「藩としてほしいものが何か、お主はわかっているのか?」

「銭でございます」

短く正確な答えに、清右衛門はうなずく。


「藩が欲しいのは物資ではない。味噌や塩を、米と交換する利は仙台藩にはない」

仙台藩は火の車だ。


名主がそう言っていたのを、あらためて認識させられる。

だが、ここで引き下がってしまっては、御輿に上がった意味がない。

鈴は、祭囃子の太鼓を打ち鳴らすような気持ちで口を開いた。


「では、江戸で売る米の価格はいかほどでしょうか」

清右衛門は指を立て、一石の銭の価格を指し示す。


例年通りであれば、たしかにそのくらいの価格なのだろう。

鈴は左の手のひらと、右の指三本を立てる。


「その八割の値で、我々が買い取りいたします」

「正気か、お主」

「もちろんです」

倍額を払うどころか、八割で買い取ると言った鈴に、清右衛門は鼻白んだ様子だ。

はた目から見たら、計算のできない頭のおかしい人間に映っているに違いない。


(だけど、清右衛門様は只人じゃない……)

清右衛門はその眼で「理由があるのならば述べよ」と先を促している。


「私たちは、江戸で商売をし、その銭で米を買わせていただきたいのです」

「……続けよ」

「もし、さきほどの値段より高ければ、そのまま江戸に卸していただいて構いません」

しかし、と鈴は言葉を繋ぐ。


「それより安ければ、私どもに買わせていただきたいのです」

その瞬間、鈴は獰猛な獣から発せられるような何かを感じた。


戸惑い、懐疑、期待――。

幾つもの感情が入り混じった眼差しが、鈴を射抜く。

一代で商人から奉行になりあがった怪物が、じっと鈴を見つめている。


(だ、大丈夫。大丈夫。大丈夫……!)

心の中で叩き続ける太鼓を、さらに激しく打ち鳴らす。


「何か、目算があるのか、言え」

「……仙台味噌は伝統、塩は産業、そして米は備え」

清右衛門の眉が、ピクリと動いた。


これだけ伝えれば、清右衛門ならばもう察するだろう。

ふっ、と清右衛門は視線を外し、しばし考えるしぐさをする。


味噌も塩も、仙台が誇る産業だ。

だがその中で、鈴は米を「備え」と告げた。


その意味するところ……「飢饉対策」に清右衛門が気づかないはずがない。

鈴は清右衛門の反応を待った。


「足りぬな」


清右衛門はそう言って、手を振った。




鈴の額から、一筋の汗が滑り落ちる。

清右衛門は畳の上に、大きな円と小さな円を指先で描いた。


「お主はその味噌1700石と塩300石を江戸に売る、と言ったな。どうやって運ぶのだ?」

「お米を運ぶ船を、代わりに使わせていただきとうございます」

「話にならん」

清右衛門はぴしゃりと言い切る。


清右衛門にとって、商品を運ぶための費用は藩が持てと言われているようなものだろう。

受け入れられるわけがない。

だが、ここが勝負所だ、と鈴は感じた。


「私どもの荷を積むために降ろした米は、お示しの値で買い取ります」

「なんだと?」

ぎらり、と清右衛門の目が光った気がした。


また、あの獣のような眼だ。

だが、清右衛門は顎をしゃくり、「足りぬな」と再度手を振った。

鈴はぐっと気持ちを抑えて、清右衛門の言葉を待った。


「船を動かす人足、滞在費を考慮すれば赤字だ。いつもと違ったものを運搬する煩雑性もある」

人足の賃金――そこは、確かに計算に入っていなかった。

積み替えや荷扱いにかかる費用も、どれほどになるのか見当がつかない。


傍に三吉がいる。

海の男、三吉ならわかるかもしれない。


だが、三吉は畳を二度叩いた。

分からない、の合図だ。

清右衛門は、こちらが黙していることを納得と受け取ったのか、同意を求めてくる。


「同じ値段なら米を運ぶ方が安上がりだとは思わんか?」

「……では、いかほどの手数料ならば、船をお貸しいただけるのでしょうか。お勉強させてください」

その言葉に、清右衛門は手のひらを広げる。


「味噌と塩の売り上げの五割」


横にいる三吉の眼がカッと見開かれた。

鈴は笑顔を崩さず、袖で口を隠しながら三吉に抑えるよう指で合図する。

心臓を握りつぶされるような緊張に、手のひらは冷たい汗でじっとりと濡れていた。




「承知いたしました」

鈴のその言葉に、今度は名主の方が息をのんだ気配があった。


清右衛門がわずかに目を見開いた後、口元を手で覆い隠す。

商人ならば、五割の根拠を聞くのが筋である。


それをせず、即断で返答するなど商人にあるまじき行為なはずだ。

相手がふっかけてその値段にした場合、その条件を呑んだ商人は無能と言われるのだろう。


だが、みんな勘違いしている。


(私は、商人じゃない)

欲しいのは、銭じゃない。


ましてや名誉や有能といった形のない称号でもない。

欲しいのは、食えるものだけだ。

鈴は口元を緩めた。


「その条件で船をお貸しいただけるのであれば」

鈴は一度息を吸い、静かに言葉を続けた。


「同額で、倍の量の米を買わせていただけますか?」

清右衛門は口元を手で覆い隠したまましばし黙り込んだ。




---

悪い話ではない。

むしろ利点しかない。


清右衛門は、そう判断した。


万が一、江戸で米が安値であった場合の保険。

船に積み込む分の担保代。

人件費、その他もろもろを買い取る保証。

そして何より「仙台に米が残る」という事実。


どれをとっても仙台藩が不利になる要素はなく、むしろ飢饉対策までできるのだから乗らない手はない。

だが、清右衛門の警戒心が、首を縦に振らせずにいた。


(この娘の利はどこにある?)

一見、商売の話をしにきた商人の娘のようではある。


しかし、商人にあるまじき確認不足をいくつか行っている、これでは商人としては失格だ。

だが、身元は藩医の娘、商売とは縁遠いはずの娘である。


そのためなのか?

合理性のあるところと、まったくないところが入り混じっている。


清右衛門は傍で平伏している名主を見る。


十数年前、この男の村にできた堰を藩預かりにしたことで、村の収穫量は格段に向上した。

手ごまに優秀な駒が手に入ったと、その時は喜んだ。


だが、数年後に新しくできた堰は、のらりくらりと藩預かりを保留にされてしまっていた。

おそらく、この娘の後ろ盾はこの男だろう。


喜二郎が後ろ盾であれば、こんな採算の合わない話などするわけもない。




(では、何のために米を……? まさか一揆か)

だが、その考えは打ち消す。


武士の子であるこの娘が、一揆に加勢する理由がない。

謀反、という考えもあるが、女子である以上なおさら考え難い。


ではなんだ、なぜそこまで米を求める?

それに、それらの産業は、喜二郎が育てたものだったはず。

なぜ名主たちは、この娘に従っているのだ。


喜二郎の指示なのか? いや、利益にならない。だが、利益にならずとも利点があるはず……。


清右衛門は様々に仮説を立て、検証し、否定し、また考え……それを繰り返しながら、ついに結論を出す。


(食うための米を残す……、理由は分からんが、それしかない)

となれば飢饉対策のため、となるのだが、飢饉はいつ起きるか分からない。


ゆえに、未来の保険として、米を蓄えるために、この娘は交渉しに来た、と言うことになる。

―――腑に落ちぬ。

だが藩にとっては利益しかない。


「ふむ」

清右衛門は手元に置かれた味噌玉を手に取った。


そばに控えていた小姓がさじを持ち出し、毒見をする。

毒見を終えた小姓が思わず目を見開く。

それを見た清右衛門が、自らも味噌をひと掬いした。


「ほぅ」

うまみがある。

湯に溶かしていないからか、塩気は強い。だがそれを支える深いコクと芳醇な香りがある。

おそらく清右衛門が知る仙台味噌とは比べ物にならない品質であろうことは確かだった。


「米はどの藩でも作れます」

娘が、そう言って清右衛門を見た。


「ですが、この味噌は仙台にしか作れない逸品です」

その表情に、鈴は挑むように微笑んだ。




「政宗公が築き上げた仙台味噌、江戸で天下を取ってみませんか?」


その笑顔は、商人が浮かべる笑みではない。

自分たちの仕事を心から誇る、職人の笑みだった。

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