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天明の鈴がなる

鈴が目を開けると、埃っぽい匂いが漂ってくる。

強い日差し、湿気があるのにひんやりと冷たい土蔵。


この光景は、見覚えがある。

壊れていないし、新しくもない、実家の土蔵だ。


「これ……」

鈴が手にしていたのは、最初に見た掛け軸。


時を掛け、絶望を体験し、約束を紡ぐことになったキッカケの掛け軸。

ふー、と長い溜息をつく。


「もどって、来たんだ」

ようやく実感が湧いてきた。


長い旅路だった。

僅か数日、それでいて十数年の体験をいっぺんに駆け抜けた旅。

築いた絆、それは今も鈴の心の中に確かにある。

ここからが本当の始まりなのだ。


「あ! でもどうしよう。私、袴姿じゃん」

着替えは喜二郎の家に置いてきてしまった。

都合よく土蔵に服などあるわけもない。


家で着替えてもいいが、今の時間は家族がいる。この姿を見られたら説明ができない。

部屋の周りには見回りの人もいるし、ここは喜二郎の家に行って着替えた方がいいだろう。


(……?)

何か違和感を覚えたが、鈴は思い出せずにいた。




「よし、行こう」

鈴は土蔵の閂を外し、土蔵から出る。


夏だというのに肌寒い空気。

虫の声も聞こえない庭。

空は曇っており、満月がうっすらとかげる月夜。


日は落ち、すでに真夜中の時間帯だ。

曇天に差す月明かりを頼りに、裏門から外に歩き出した。


ここが現代ならば、喜二郎たちと別れてから十二年が経っているはずだ。

どうなっているのか、気になる。


喜二郎の家……もしくは仁八の家に行ってみよう。

過去、未来と見てきた中で、最もなじみのある街並みを足早に駆けていった。




「……スズだな?」


その瞬間、心臓が凍り付いた。

背後から声がかけられ、身をすくませる。

鈴は己のうかつさを呪った。


(バカだ! 私は……!)

振り返ると、菅笠で顔を隠した男たちがたたずんでいた。


そもそも、自分が過去に渡るきっかけになったのは、彼らに追いかけられたためだ。

危険を回避するために土蔵に逃げ込んだのに、浮かれてそれを忘れるなんて、どうかしている……!


(ど、どうしよう。どうしよう……!)


菅笠連中が背後にいる以上、もう裏門から家に入ることはできない。

かといって、この距離から正面の門に入ることは、鈴の足では無理である。

必死に頭を巡らせていると、むしろ彼らの方が落ち着きがなかった。


「おい、女子じゃなくて坊主だったのか?」

「いや、女子って話だったと思うが……」

「というか。さっきと、格好が違うぞ。人違いじゃねぇか……?」

ふと、自分の姿を見下ろす。


そういえば、鈴は今、十二年前の喜二郎の服を借りている。

月代はないが、脇差も指している、はたから見れば武士の子である。


「知らぬが……某に何か用か?」

叔父をまね、なるべく低い声を出して相手をにらむと相手はたじろいだ。


おお、さすが武士の装い、効果は抜群だ!


この様子なら奉行の手の者ではない。

少なくとも武士特有の落ち着きは感じられない。

すると、菅笠の男の一人が進み出て鈴を見下ろす。


「いや、見覚えがある。声、歩き方、顔立ち……こいつはあの女子だ」

ひゅっ、と鈴は息をのむ。

彼は、確か鈴に最初に声をかけてきた菅笠の男だ。

脂汗がだらだらと流れていく。


「スズだな、大人しくついてきて……」

「――誰かっ!!助けてっ!」

男の手が迫る前に、鈴はあらん限りの大声を上げた。

その声に男たちが仰天したような目でこちらを見る。


「誰かっ!」

「お、おい、なんで叫ぶんだよ」

取り巻きの一人が、狼狽したようにたじろいだ。


鈴が叫び続けると、塀の向こうの実家から少し人の気配がするようになる。

主犯格の菅笠は、舌打ちをした。


「面倒だ、担いで連れて行くぞ」

「お、おう」

鈴を見破った主犯格の菅笠の男が、素早く鈴の口に布を巻き付ける。


鈴は精一杯抗ったが、男四人に抑え込まれてはどうすることもできない。

長持ちのように担がれ、鈴は人気の少ない農家の方へと連れさられていった。




「んーっ! んーっ!!」

「大人しくしてろよ。ほら、付いたぜ」

到着したのは名主の家だ。

鈴はどういうことか混乱し、かっと脳裏にひらめく。


裏切ったのか、あのタヌキ親父!


あれほど「未来に期待してる」とか言っておきながら、実は裏で糸を引いていたのだ。

それも鈴が時間移動する前を狙って、もしくは戻ってきた直後を狙って攫う手際の良さ。

芳が油断ならない父、とあれほど言っていたのを、今更ながらに痛感する。


ぐつぐつ煮えたぎる思いを心に秘め、鈴はこの場をどう脱出するか考えを巡らせる。

腰の脇差は取り上げられ、手も後ろ手に縛られている。


しかも大の大人に担ぎ上げられ、この状態では逃げようがない。

屋敷の客間に通され、そこに降ろされる。


そこには白髪の混じった初老の男が背を向けて何やら書き物をしている。

お連れしました、と担いでいた男がその初老の男に声を掛けた。


そこには以前のようなギラギラとした空気を秘めた狸ではなく、穏やかな老人の背中だった。




ご苦労、とその初老の男が振り向く。

少し老けているが見覚えがある、名主だ。

だが、名主は鈴の姿を見るなり、ぎょっと目を見張る。


「……丁重に、連れてこい、と伝えたつもりだが」

「いや、大声出して暴れるもんだから……」

取り巻きの男がしどろもどろになる。

だが、鈴を見破った男が悪びれもせず名主に告げる。


「あそこであのまま騒がれれば、奉行側に怪しまれる。奉行から守るため、丁重に連れてきたと自負している」

名主はトントンとこめかみを指で叩き、自ら鈴の戒めを解いた。


「済まぬな、スズ殿。伝達に不備があったようだ。あとでこやつらには十分言って聞かせる」

「お気になさらず。こっちも裏切りのタヌキ親父なんて思ってごめんなさい」

鈴があまりにも自然に毒を吐いたので、名主がヒクヒクと口を吊り上げる。


ともあれ、自分を追いかけていたのは名主の手先だったようだ。

自分を何かから護るつもりだったのなら、知り合いの一人でも寄越してほしかった。

ひとまず一息ついた鈴は、名主と向き合う。


「それで、今はいつですか?」

「天明元年、お前がスズ殿として旅立った年だ」

つまり、やっと現代に無事帰ってこられたらしい。

帰ってきた途端、こんな誘拐じみたことをされる時代が、別の時代だったら恐ろしすぎる。


(いや、私。結構誘拐されているような気もするけど……)

ちょっと思い当たることが多すぎて、一旦それは置いておくとしよう。


とにかく、名主には時掛けの話をした覚えはない。

であれば、鈴がこの時代から来たことを、仲間の誰かが説明したのであろう。

ほっと一息ついたのも束の間、すぐに気になったことを尋ねる。




「皆は……叔父上はどこですか?」

「キジはここにはおらん」

十二年前は「喜二郎殿」と呼んでいた。

いつの間にか「キジ」になっている。


だがそれよりもここにいないというのはどういうことだろう。

今までの未来を見てきた後だと、すぐ最悪の予想が沸き上がる。

だが名主は「まぁ落ち着け」と鈴をなだめる。


「キジは今、米沢にロクを迎えに行っている。パチはキジについていった。芳は馬でフカを連れてくる予定だ」

「ちょっと待って」

誰が誰のことを言っているのだろうか。

この十二年でこの名主と皆に何があったのだろうか。


名主はその白髪をなでつけ、「まぁ色々あったのだよ、テン」と自分も知らない呼び名で呼ばれた。

なぜ、スズでもリンでもなくテンなのかわからぬまま、名主は「そうだった」と鈴の知る不敵な笑みを浮かべた。




名主はこの十二年での出来事をかいつまんで説明する。


結論として、米は備蓄できなかった。

収穫量は格段に上がったが、清右衛門の政策でほとんどの米が年貢として回収され、隠し田などもほぼ暴かれたそうだ。

各地でかなり強引に年貢を取り立てたらしく、今まで減免にしてきた反動でかなり各地の農家は苦しい思いをした。


だが、その代わり、新堰を中心とした産業は著しい発展を遂げたらしい。

特に味噌は、仙台藩へ技術を売り込めるほど高い品質に仕上がり、伝統的な仙台味噌の品質を一段上げた存在になったのだという。


米沢にいるのはロク……六郎太らしい。

なんでも米沢藩主が鯉の有用性を非常に気に入り、六郎太がその環境づくりと後進の育成を行いに滞在しているとのこと。


フカというのが三吉らしく、よく作った製品を名主の家で品評会するのだとか。

喜二郎は米沢に行ったり、塩釜に行ったりで忙しいらしいが、とりあえず生きてはいるということで安心した。

とりあえず、自分が知っている人が無事であることを確認できた。


(あれ……? でも私の知っている叔父上は仙台にいたんだよね……歴史が変わった……?)

疑問に思ったが、今は状況整理を優先しよう。

名主はというと、今まで喜二郎がやってた旗振り役をやっているらしい。


「その苦労の甲斐あって髪の毛も真っ白だ」

わっはっは、と名主は豪快に笑った。


だいぶ印象が違うのは、髪の毛が白いせいだけではない気がする。

それにしてもずいぶん鈴に親しげだが、自分にはそんな記憶がない。

やはり過去に渡ったせいで、持っていない記憶の出来事が起こったのだろうか?


「あの、名主さん。私、あなたとそんなに過去で親しくしていましたっけ……? 歴史が変わったのでしょうか?」

名主は「そうではない」と苦笑いする。


「覚えておらぬだろうが、お主は小さいころ、一時期ここに預けられていたのだよ。過去にここへ来た時、懐かしいと思ったことがあるのではないか?」

そういえば、説明されたわけでもないのに客間だとか、居間の場所とかが何となくわかった気がする。

だが、と名主は答える。


「お主は未来と、そして過去を見聞きし、成長した。だが、記憶の齟齬が出ぬよう、なるべく関わらぬよう注意していたのだよ」

確かに、自分は名主とこんな会話をするとは思っていなかった。

そんな知識があったのなら、過去に行ったときもっと違う立ち回りができたはずだ。


(それに、配慮をするなら部下にもう少し優しく連れてくるよう、念押ししてほしかったよ……)

鈴は心の中でぼやいた。




すると、客間の襖ががらりと開いた。

「じぃじ、お客さん?」

入ってきたのは眠そうに目をこする子供だった。


後ろから妙齢の女と、男が入ってくる。

こちらは見覚えがある、芳と三吉だ。


「トシ! もう寝なさいと言ったでしょう」

「芳と三吉、久しぶり……でいいんだよね?」

どうやら芳の子だったようだ。


父親は三吉だろうか。繋がりはよくわからないが、不思議ではない。

三吉の見合いの相手は芳だったのか、そんなそぶりはなかっただけに驚きだ。


すると、三吉は「父親は俺じゃねぇぞ」と笑いながら首を振った。

落ち着きがない子供をあやしながら、芳は鈴の方へ向き直る。


「久しぶりね、スズ姉。それともリンと呼んだ方がいいかしら」

出会ったころと変わらない笑顔に、鈴も顔がほころぶ。


あの未来で見た儚げな彼女ではないことに、ほっとした。

自分はどちらでもよかったが、この時代の皆が言いなれているならリンでもいい。


その旨を伝えると、それ以来、皆はリンと呼ぶことになった。




鈴は芳と三吉の話をかいつまんで聞かされる。

味噌、塩、大豆の商業圏は安定し、味噌の貯蓄は現在約2500石にも上るのだという。


(あの時の約束、果たしたんだ)

十年で二千石、と言っていた芳。

それから二年が経っているから増えているのも納得だが、二千石の味噌を作るのだって容易ではなかったはずだ。


「俺の鮫製品も中々だぜぇ? あれだ。六郎太風に言うなら、江戸で殿様に出しても恥ずかしくない品ってやつだ」

鮫製品は、今のところ他藩での販売実績はなく、ほとんどが地産地消だという。

それでも製品数はかなりのものらしい。

しかし見栄っ張りの仙台藩の人間にはウケがよく、銭に換算するとかなりの額になるのだという。


そういえば江戸では袖の下が物を言うと聞いたことがある。

そういった贅沢品も需要があるのだろう。

その成果を聞いて、皆がこの十二年間、どれだけ努力を重ねてきたのかうかがい知ることができた。


「今日はもう遅い。積もる話もあるだろうが、今日はもう泊まっていきなさい」

様々な話を聞き、もう夜も遅い。

トシと呼ばれた子供は、既に母親の膝を枕に眠っていた。


その日は名主の家に泊まることになった。

鈴の家には名主からの使いを出してくれるらしい。


泊めてもらうにあたって、鈴は服を着替える。

脇差の置き場所に困ったので、いったん名主の家で芳に預かってもらうことにした。

なる→鳴る→成る

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