章末:天からの知らせ
「……行った、か」
喜二郎が掛け軸をのぞき込むと、その掛け軸には脇差を指した子供の絵が描きこまれる。
気が付いた時には鈴の姿はなかった。
喜二郎は手ぬぐいを取り出し、顔をぬぐう。
脇差と服は持っていかれてしまった。
だが、鈴が12年後、何者かに追われて土蔵に逃げ込んだことを考えれば備えは必要だろう。
ひとまず、鈴をこの時代から送り出すことはできた。
名主を引き入れ、鈴が証文を持っている以上、あの堰を奪われる心配もしばらくはないだろう。
あとは、喜二郎たちの頑張りと成果次第だ。
さて、自分はこの後、狂言芝居のお産で什吾を呼びに行かなければならない。
「初孫という嘘で、父を謀ると思うと気が引けるな……」
もうバレることを前提として覚悟を決め、怒られるとしよう。
あとは、約束した芝居を最後まで演じ切るだけだ。
兄を慌てさせた時と同じ芝居で、本家へ向かう父を焚き付ける。
日も沈み、あたりに虫の音が聞こえる中、父とたどり着いた家。
そこでは女中が戦場のごとく駆け回っていた。
「これはただ事ではないな、間に合ったのだろうか」
「え、ええ。そのようで」
そこでは、なんと義姉が本当に産気づくことになったらしい。
父が産婆に指示を出しながら、戦場に加わっていく。
そんな喧騒の中、喜二郎は力が抜けたように縁側へ腰を下ろし、夜は更けていく。
未来―――か。
いつか会って、今日のことを話せる日が来るだろうか。
彼女は自分のことを覚えているだろうか。
彼女に会ってから六年、あっという間に時が流れた。
彼女にとっては長い旅路でも、自分にとっては瞬きほどの時にも思えた。
だが、それでも。
彼女と出会い、いつも道を指し示してくれていた声と言葉に、喜二郎は無限の活力を与えてもらっていた。
「お前は、某に与えられた鈴の音。天の知らせだったよ」
そして鈴を鳴らしたような大きな産声とともに―――。
元気な、女の子が生まれた。
その小さな命が、やがて幾つもの時代をつなぐことになると本人が知るのは、12年も先のことだった。
第一部、時掛け編完です




