薄氷から巣立つ雛たち
仙台に着くと、その日は解散になった。
喜二郎も目が覚め、馬を実家に戻しに行く。
よく利用しているのか、厩番の老人は慣れた手つきで馬を引き取っていった。
今日はもう日が暮れるということで、喜二郎の家に泊まることにする。
「実家の馬なんて、よく借りられたね」
「兄上……お前の父が協力してくれている」
道中、棒振りから豆腐と野菜を買い、世間話をしながら喜二郎の家に向かう。
その流れで「そういえば」と喜二郎が思い出したように手を叩く。
「義姉上――お初殿が、もうすぐ子を産むそうだ。よかったな」
「よかったなって……ああ、そうか。私が生まれるんだね、無事」
自分が生まれたのは夏と秋の間だった、と思い出した。
そう思うと生まれたばかりの自分に会ってみたいという気もする。
「思えば私が行き来できたのって、私がいない時だけみたいで一度も顔を合わせたことないんだよね」
何気なく言ったその言葉に、喜二郎が凍り付いた表情で立ち止まった。
「どうしたの?」
「……いや。少し考えを整理してから話そう」
喜二郎は眉に深いしわを刻んでおり、鈴はそれ以上聞くことはできなかった。
翌朝、仁八、太郎、芳が喜二郎の家に集まった。
「新しい堰を村に買い取ってもらう。――それが現実的だと思う」
集まった面々に、喜二郎がそう告げる。
その発言に鈴は首を傾げた。
「それって、旧堰と同じようにってこと?」
「いや、今度は厳格な条件を付ける」
これを見てくれ、と畳に紙を広げる。
そこには細かな条件がびっしりと記されていた。
喜二郎は昨夜一睡もしていない。
急いでも仕方がないことだと鈴は彼を諭したが、「大丈夫だ」と筆を執り続けた。
集まった仲間はそこに書かれた内容を読んでいたが、芳以外は首をかしげている。
鈴も目を通したが、一度読んだだけでは理解しきれそうになかった。
「条件が厳しすぎるだろうか?」
「うん……そうだね。完璧に守られれば問題ないと思うけど、守れる人は少ないと思うよ」
芳は「条件自体は良い」と認めつつも、あまりに複雑すぎると指摘した。
仁八や太郎はもちろん、鈴でさえ一度読んだだけでは理解しきれない。
全員の反応を見た喜二郎は、項垂れて肩を落とす。
「そうだな。あまり複雑にしすぎると、浸透するのにも時間がかかる。考え直そう」
喜二郎はそう言って紙を集め、横に置く。
すると太郎と芳が、口をとがらせる。
「キジ兄、昨日は皆で改めて考えるって言ったじゃないか。一人で考えちゃダメだよ」
「私も昨日、色々考えてきたの。こういう条件ならどうかな?」
二人が喜二郎の提案に対して各々の考えを述べていく。
明らかに喜二郎の負担を和らげようとしている動きだった。
無理もない。
昨日の様子を見ただけでも、喜二郎は働き過ぎだった。
どこかで彼の負担を減らさなければ、倒れてしまっても不思議ではない。
いつも守られるばかりでは、これからの喜二郎を助けることはできない。
鈴は自分もできることを考え、腹を決めた。
「私も、考えたことがあるの」
太郎と芳が、堰を買い取るための条件を話し合っているなか、この意見を言うのには勇気がいる。
「村全体を引き込んで、藩に報告するのはどうかな……?」
鈴の言葉に最初に反応したのは太郎だった。
「どういうこと? スズ姉」
鈴は頷き、一つずつ説明を始めた。
「この堰って、本当は村みんなのためにあるんだよね」
全員がその言葉に同意する。
だったら、と鈴は先を続ける。
「隠しておくんじゃなくて、村の財産として堰を共有するの」
未来において、あの堰は藩預かりとなってしまっている。
それは、喜二郎が「個人」で密かに造った堰と見なされ、藩の管理下に置かれた可能性が高いからだ。
だが、それが村という「団体」が作ったものとなれば、話が変わってくるのではないだろうか。
「その上で最初から藩へ届け出れば……簡単には取り上げられないと思うんだけど、どうかな」
「スズ姉は、優しいね」
芳がそういって鈴を見据える。
その視線は「甘すぎるよ」と物語っているようにも見えた。
「村のものにするってことは、名主の父上にも許可をもらわなくちゃいけない。でもそうなったら最後、あの堰はなし崩しに藩預かりになる可能性が高いんだよ」
名主が藩の上役と通じていることを芳は指摘する。
そのほかにも、村で作ったものだと知れたら年貢が上がることなどの負担も懸念だと述べた。
「うん……。そうかもしれない。だから、名主さんを仲間にできないかな、って思って」
「父上はね……狸なの。村のことも藩のことも全部考える人。だから簡単には味方になってくれない」
村を説得するということはすなわち、あの名主を味方に引き入れる必要があるということだ。
芳の言葉に、太郎も深くうなずく。
「オイラも芳の意見に賛成だ。あの名主が藩にたてついてまで味方になってくれるはずがない」
「……そう、だよね。ゴメン」
この場で誰より経験が浅いのは鈴だ。
一晩考えて思いついた案だが、やはり綻びがあるのは分かり切っていたことである。
鈴は先ほどの案を破棄しようと思ったその時。
「いや、スズの案は盲点だった」
だが、その言葉に賛同したのは他ならぬ喜二郎だった。
「某は、あの堰を自力で作ったことにこだわり過ぎていた。スズの言う通り、あの堰は村のために作ったものだ。それを忘れて、少しおごっていたのかもしれぬ」
「キジ兄……」
太郎が何かを言いたそうな眼をしていたが、そのまま口を噤んだ。
「だが、名主を仲間に引き入れるのは並大抵ではない。長としての立場があるからな」
突破口がないと厳しいだろう、と喜二郎は言う。
だが逆に言えば、名主を引き入れることができれば堰に関する大きな後ろ盾になってくれる。
さらに藩が付け入る隙も減り、未来の産業を育てられる可能性も高くなる。
「名主を説き伏せたら、村人の説明はしよう」
今まで沈黙を保っていた仁八が、そう告げる。
その言葉に目を見開いたのは芳だった。
「仁八、あなたまで……」
「できないことを言ったつもりはない」
だから、お前たちも名主を説得して見せろ。と仁八は目で語り掛ける。
その覚悟は、この場の誰よりも重かった。
それを感じ取ったのか、太郎と芳も腹を決めた表情をする。
「方針は一致したな。ではこれから、説得する内容を考える故、しばし待て」
喜二郎はそう言って話をまとめると、紙と筆を取り出して硯を擦る。
擦った墨に筆をつけ、紙を抑えて筆を近づけて……墨が一滴落ちる。
「叔父上……?」
喜二郎が持つ筆の先が少しだけ震えていた。
そして喜二郎の頭がゆらりと揺れたかと思うと、彼の態勢が崩れる。
喜二郎は畳に手をつくが、立て直そうとする喜二郎の身体が、ゆっくりと崩れていった。
「叔父上!」
喜二郎の顔からは血の気が失せ、真っ青になっていた。
「大丈夫だ。大事ない」
布団に寝かされた喜二郎が、青い顔のままそう告げる。
本人はそういうが、大事に決まっている。
だが、彼は何かに急き立てられるように、布団から這い出ようとした。
「こんなになるまで頑張ったんだよ。少しは休んで。それからみんなで相談しよう」
「それでは、間に合わない。急がなくては……」
だが喜二郎はそう言って、布団に突っ伏する。
仁八が何も言わず喜二郎を布団の中に戻し、枕の上に頭を乗せさせる。
「叔父上、方針が決まったのだから、焦らなくても大丈夫だよ」
「……リンが、もうすぐ生まれる」
その言葉に「リン?」と周りが首をかしげる。
体が固まったのは、鈴だけだった。
「男なら、倫太郎。女なら鈴にしようと、兄上が言っていた」
「へぇー。性別までわかるなんて流石お医者様の……」
太郎がそこまで言って、言葉を止めた。
全員が鈴を見る。
「未来から来た……それにスズ姉が叔父上って呼ぶってことは……まさか」
「う、うん。今年生まれるの、多分、私…」
「はぁ~……おめでとう、スズ姉! あれ、リン?」
太郎が混乱した様子で頭を抱える。
しかし、その様子に険しい顔をしたのは芳だった。
「もしかしてだけど……スズ姉が、そのリンって子と一緒の時代にいると、良くない……?」
「……分からぬ」
だが、喜二郎には何か確信めいたものを感じているようだった。
何かを話そうとする前に限界が来たのか、気を失うように眠りに落ちる。
仁八がすぐさま喜二郎のもとに駆け寄り、その様子を確かめる。
「……過労だろう、今は寝かせておけ」
仁八はそういって、喜二郎に布団を掛けた
「芳……どう思う?」
太郎が、そういって芳に話を振る。
おそらくだけど、と前置きして鈴を見た。
「堰に関して、仁八とキジ兄は藩に狙われる理由がある。でもスズ姉は、この時代にいるわけじゃないから、藩に狙われる可能性は低いはず。だから、未来でスズ姉が亡くなったとすると、何か別の理由や因果があるんだと思う」
「もう少し簡単に話してくれよ、分かんねぇよ」
「つまりね」と芳は結論を話す。
「スズ姉は、自分が生きている時代には時掛けができないんじゃないかと思うの。でももし、スズ姉が生まれてしまったら、どうなると思う?」
「……分かんねぇ」
太郎がそういって、目を伏せる。
静まり返る部屋で、鈴が呟く。
「同じ人間が、同じ時代に二人存在することはない。ってことだよね」
「たぶん、ね」
つまり、今まで過去に行けてたのは鈴が生まれていなかったから。
そして、未来へ行けた時、未来の自分には会わなかったのは、……未来の私は、もういなかったからなのだろうか。
では、リンが生まれてくる時、未来から来たスズがいたらどうなるのだろう。
(どちらかが消える……のかな。おそらく……)
鈴には今まで過ごしてきた12年の記憶がある。
そして、鈴は未来の自分と会った記憶はない。
記憶に矛盾がないとするなら、鈴が生まれてくるのに合わせて、自分が消えるという可能性だ。
雲のように消えるのか、何かしらの原因があって、いなくなってしまうのかは分からないが。
いずれにせよ、時間はそれほど残されていない。
(……でも)
こんな状態の喜二郎に、全てを押し付けて未来に帰ることはできない。
それに鈴が「名主を仲間にすること」を提案したのだ。
言い出した者が、責任を取るべきだろう。
「……みんな、聞いてくれる? 今は私のことは後回しにしよう」
「後回しって……スズ姉」
「未来では、叔父上がいなくなった後に、堰が藩預かりになった。だから」
鈴は皆の顔を見据え、声に力を込めた。
「――だから今度は、叔父上の力に頼らず、名主さんを説得してみようよ」
「喜二郎は、おそらく数日寝かせておけば、大丈夫だろう」
一週間後には米沢へ発つ予定だ。仁八の見立てでは「それまでには起きるだろう」とのことだ。
おそらく起きたら起きたで、準備のためまた無理をするのだろう。
だから、この堰問題だけは鈴たちで解決し、喜二郎を少しでも負担の少ない状態で米沢へ送り出したい。
「そのためには名主を説得できる材料が欲しいんだけど、何か案あるかな?」
鈴がそういって周りを見渡す。
一旦、自分が消える可能性については頭の隅に追いやることにした。
こういう時に焦ると、ろくなことがない。
それに鈴がいつ生まれたのか、実は本人も正確な日付を知らない。
だったら、もういっそのこと考えないことにする。
太郎と芳がそれぞれに意見を述べ始めた。
「あの堰で支えている産業を紹介するとか?」
「いえ、父上なら知っているでしょうし……いっそのこと袖の下を渡すというのは?」
「お前、自分の父ちゃんによくそんなこと思いつくな……」
「バカ太郎は黙ってなさいよ」
二人が互いを睨みつける勢いで頭を突き合わせた。
なんだかいがみ合いが始まったので、鈴が間に入っていったん二人の距離を離す。
「名主さんって、強欲っていうより、苦労人?っていう印象なんだけど、違うのかな?」
鈴が、名主の印象を述べる。
確かに上から圧をかけるようなところはあった。
だが、堰のことは村全体の収穫を上げるために必要なことだと考えているような節もあった。
「いやいや、間違いなく強欲な人間だよ」
「苦労人というのは間違ってないと思う」
互いの目の間に火花が散る。
鈴が咳払いする。
「名主さんが『これなら私たちに協力したい』って思う条件って何だろう?」
「それは……やっぱり、村全体の利益になるようなこと、だと思う」
村の利益、かぁ。
そういえば、最初の堰を渡すときも、名主は村全体の収穫量を増やすことを目的としていた。
堰を農業用水に使わず。
堰を産業開発と増産だけに使い。
利益を増やして、税を増やさない。
「……米沢との交渉がうまくいけば解決なんじゃない?」
「本来なら、そうなんだけどね」
そこで、鈴がもたらした情報が足かせになってくる。
すなわち、喜二郎が米沢に発つと、名主の一派が堰を奪いにくるという未来だ。
「つまり、キジ兄が仙台にいるうちに、名主を説得させる材料が必要、ってことだね」
太郎がそう締めくくる。
結局また振り出しに戻ってしまった。
「……私が知ってる未来の話って、何か役に立たないかな?」
そういって、鈴は唇を噛む。
自分で言い出したことだけど、この情報も曖昧だ。
失敗した出来事の理由は何となくわかる。あくまで何となくだ。
だが成功したものが何なのか、そしてなぜ成功したのか説明できるものが何一つない。
「……ううん、スズ姉。それは考えようによるかもしれない」
「まずは全部聞かせて」と芳は話しの続きを求めた。
それから鈴が体験したこと、驚いたこと、怖かったことをみんなに話した。
喜二郎以外に全てを話したのは、これが初めてかもしれない。
「……オイラ、未来でも太郎なの? 元服しても名前変わってないの?」
「名前は変わってたよ。でも、それはいずれわかることだと思うよ」
そんなぁ、と太郎が肩を落とす。
なるほど。未来の六郎太と芳も歴史改変を避けるために、こうやって言えなかったのかもしれない。
そんな中、芳は一つ気になったことがあるのか、鈴に確認を求めてきた。
「スズ姉、米の値段なんだけど……十倍近くになってたってこと?」
「え? うん。棚には何も並んでなかったけど、値札だけ」
「もしかしたら……それ、使えるかもしれない」
首をかしげる鈴達に、芳は考えを話し始めた。




