光陰の狭間に抗う者たち
「ここが塩釜ね、たしかに磯の匂いがすごいわ」
「オイラはたまに来るんだけどね。魚はどれも絶品なんだ」
「……その銭、どこから出してると思ってるの?」
芳がじろりと睨み、太郎は気まずそうに目をそらした。
おそらく喜二郎か、芳に小遣いをもらっているのだろう。
「三年前だと、たしかあのあたりで商売していたはずなんだけど……」
三吉が鮫を売っていた露店の方へ行ってみる。
すると、そこには喜二郎と三吉がいた。
店の前には行列ができている。
「さぁ、昨日もあっという間に完売した蒲鉾はいかが? 美容に健康。そして縁起も良い三吉印の紅白蒲鉾だ」
月代姿もすっかり様になった喜二郎。
一年前に見たよりも、少し背が高くなったようだ。
そんな彼が、以前銭湯で見たような、ありえないほど爽やかな笑顔で客を捌いている。
芳と太郎はその姿を見て驚いていた。
「キジ兄が、すげー気持ち悪い笑顔してる」
「商談するときの顔に似てるけど、別物ね」
喜二郎はみるみるうちに人の列を捌き、最後の蒲鉾まで売りさばく。
「今日買えなかった者は、また来てくれると嬉しい。詫びの印にこれをつまんで行ってくれ」
サイの目状に切った小さな蒲鉾を載せた盆を、三吉が買えなかった人達の前に出す。
楊枝が刺さっており、少量ながら味噌が塗ってあるようだ。
買えなかった人も満足したのか、今度こそ買おうと息巻いているのが見えた。
客がある程度捌けたところで、鈴たちは喜二郎に声をかけた。
「スズ、来ていたのだな。話しかけるのが遅くなってすまぬ」
「ううん、大繁盛だね」
どうやら鈴たちの存在には気が付いていたようだが、客の方を優先したようだ。
「久しいな……といっても一年ぶりか。いや、鈴にとっては3年ぶり……いや、数日ぶりなのか?」
「すごいね、お察しの通りだよ」
どうやら宝暦十三年から、この日までの流れもある程度把握しているらしい。
隣で何か作業していた三吉も鈴の存在を見て驚く。
「俺にとっちゃ三年ぶりだよ、久しぶりだな嬢ちゃん」
三吉は疲れた顔で笑った。だが、その笑顔に暗さは感じなかった。
喜二郎たちは露店の店じまいをし、三吉の家へ向かう。
「ところで、なんで叔父上が売り子をしていたの?」
「そ、それは……全く売れないんだよぉ、同じものでも。俺が売ろうとすると、なぜか」
そういえば、以前の三吉の露店では閑古鳥が鳴いていた。
三吉は鮫獲りと加工品の技術が抜群だが、物を売る才能は乏しいらしい。
「気にするな、適材適所という物がある。三吉がいなければ某たちの―――と」
一瞬だけ、喜二郎の足元が揺らいだ。
「すまぬ。某たちの産業も立ち行かぬ、自信を持て」
その笑顔は優しいものだった。
だがそこには隠し切れない疲労の色が見て取れた。
(それは、そうだよね……)
太郎が言っていた。喜二郎は昼夜を問わず駆け回っていると。
塩釜で売り手までやるくらいの働きぶり、無理をしているに決まっている。
(だから、なんとなくわかった)
未来で喜二郎に会えなかったのはなぜか。
そんなの、この働きぶりを見れば自ずと理解できてしまう。
鈴はその気持ちを一旦押し込めた。
「……ここが三吉の家?」
「おうよ。突っ立ってねぇで入ってくんな」
三吉の家はあばら家ではなかったが、とても塩職人の代表の家系とは思えない家だった。
大きさだけで見れば農民の仁八の家よりも狭い。
結構物が散らばっていることも相まって、なおさら手狭に感じてしまう。
「……三吉、出しっぱなしにするなと言っただろう?」
「わ、悪い。ようやく日持ちする方法が見つかりそうでよ。夜なべしているうちに漁に行ったもんだから、つい」
喜二郎がため息交じりに散らかった部屋を片付けていく。
鈴も手伝ったが、これが独り暮らしの男の部屋という物だろうか。
(……いや、叔父上の部屋は綺麗だったよ?)
だらしないぞ、三吉。
片づけが終わり、各々が座れる場所を見つけて腰を下ろす。
こじんまりとしているからか、5人も入ると少し窮屈な感じもする。
「嬢ちゃんたちは飯食ったかい? 良ければ新作を食べて感想を聞かせてくれねぇか?」
三吉と喜二郎は昼餉がまだらしく、食事にしようということになる。
「もちろんさ!」と太郎が間髪入れずに答えた。
鈴と芳もうなずいた。
三吉は手早く湯を沸かすと蕎麦を入れて茹で始める。
「スズはここまでの経緯、どこまで聞いた?」
待っている間、何もしないのも手持ちぶたさと感じたのか、喜二郎が訪ねてくる。
「大方は聞いたと思うけど、米沢との交渉があと一歩ってところまでは知ってるよ」
「そうか、であれば某から話すことはほとんどないかもしれぬ」
喜二郎は鈴に聞きたいことはあるようだったが、とりあえず腹を満たした後にするようだ。
「できたぜぇ、ほらよ」
全員に椀を配る三吉。その中には澄んだ出汁が張られていた。
三吉は湯切りしたそばを椀へ入れ、その上に紅白の蒲鉾を乗せた。
鈴たちが「わぁ」と感嘆の声を上げる。
なぜこれが先ほどの売り場でできなかったのか不思議でならない。
「見栄えいいだろ? さぁ食べてくんな」と三吉が促す。
蕎麦は普通だったが、汁と蒲鉾は驚くほどおいしかった。
味噌は芳が作ったところのものらしい。
そして、以前は食べた蒲鉾より、明らかに食べやすくなっている。
弾力、歯切れ、ほどよい塩味。どれもが味噌に負けない存在感がある。
それでいて主役を食わない、蒲鉾というのはこんなにおいしいものだったのか。
「その顔を見れただけでここまで頑張った甲斐があるってもんよ、なあ喜二郎?」
「ああ、そうだな」
汁をすする喜二郎も、満更ではない顔をしていた。
そして、その眼が少しだけ船を漕いでいたのは、おそらく気のせいではないと思った。
三吉がここまで作り上げたものを一つずつ説明してくれる。
「完成したのは、今のところ蒲鉾だけだ。でも革製品もあとちょっとなんだよ」
「でも、米沢には売れないんだろ?」
六郎太の指摘に、三吉は勢いよく首を振った。
「売れる売れねぇじゃねぇ! 作ることに意味があるんだ。そうだろ、喜二郎!」
「……ん? ああ、そうだな」
三吉が熱く語りだす。
さっきの大人しさはどこへ行ったのか。三吉は売り場とは別人のように熱弁を振るっていた。
「だが、油は苦戦しててな。俺はどっちかっていうと革製品の方をもっと作りこんでいきたいんだが……」
「油も必ず売れる。某を信じろ、三吉」
「本当かぁ?」
三吉は半信半疑といった目で喜二郎を見る。
喜二郎は少し考えた後、女子二人に向き直った。
「……スズ、芳」
「なぁに?」
「仙台で一番に美人になれる薬があったとする。だが、手持ちの銭を全部払わねば買えない。どうする?」
鈴と芳は即答する。
「買う」
「高くても買うわね」
喜二郎は「これが答えだ」と言わんばかりに二人へ視線を向けた。
「はぁ……そういうもんかぁ。男の俺にゃ分かんねぇ世界だ」
「お前、今度見合いするんだろう? 少しはそういうことにも詳しくなっておいた方がいいんじゃないか」
「どうせ破談だよ、心配するだけ無駄さ」
どうやら見合いがあるようだが、三吉はあまり乗り気ではないようだ。
「ところで、今更なんだが。嬢ちゃんはなんでこの時代に? いや、別に迷惑ってわけじゃないんだが」
あまりこの手の話に触れてほしくないのか、三吉は鈴に話を振る。
みんなの視線が鈴に集まった。
少なくとも、この場にいる誰もが未来を悲観しているようには見えない。
鈴はためらいがちに未来のことを話し始めた。
鈴は未来で見聞きしたことを話し始める。
大飢饉は避けられていなかったこと。
事業が間もなく藩預かりになり、堰も奪われてしまうこと。
米沢藩との交流もなくなり、救援先がなくなったこと。
喜二郎たちが最後まで抗ったが、未来は変えられなかったこと。
「……信じねぇ。俺ぁ、信じねぇぞ」
三吉が全員を代弁するように吐き捨てた。
部屋の空気が一気に重く沈む。
鈴も、できることなら信じたくない未来だった。
ここまで積み上げてきたものが、すべて失われる未来など、信じられるはずがない。
だけど、何が原因なのか、この時代に来てからはっきりしたことがある。
「私は六……太郎と芳には未来で会った」
太郎と芳を見る。
二人とも、未来で心細かった自分を導いてくれた恩人だ。
「三吉は会えていないけど、事業を続けているって聞いている」
これは芳から聞いた話だが、三吉だけはどんな状況でも元気に生きていそうな気がした。
だけど、と鈴は続ける。
「叔父上と私自身、そして仁八には会えていない。これ、どういうことかわかる?」
太郎と芳と三吉は首をひねったが、喜二郎は心当たりがあるようだ。
「おそらく、三人は未来で既に死んでいるのだろう」
太郎たちが顔色を変える。
だけど鈴は、やはりそうなのか、と思った。
未来では、喜二郎も、仁八も、そして鈴自身も――既に亡くなっている。
六郎太も芳も、その三人については多くを語らなかった。
特に「喜二郎は、遠くで養生している」と説明した時、喜二郎自身が違和感を覚えていたのを鈴は思い出した。
遠くにいるのならまだしも、養生している。
喜二郎の性格なら、病に伏せても故郷を離れて静養するような人ではない。
(やっぱり、未来では叔父上と仁八は死んでいたんだ……)
なんとなく、そんな気はしていたが、喜二郎にきっぱりと言われたことで現実味を帯びてきた。
だが、腑に落ちないことがある。
鈴はともかく、体力お化けの仁八までなくなってしまうというのは、やはり飢饉の影響なのだろうか?
その疑問を察したように、喜二郎は周りを見渡す。
「某と仁八、それにスズ。この三人には共通点がある」
「共通点……?」
皆で顔を見合わせるが、答えは見つからない。
なんだろう、最初に出会った仲間つながりとかだろうか?
「……新しい堰の契約書。その当事者だ」
「あぁ……確かに、そうだね」
喜二郎の答えに、鈴は納得する。
たしかに言われてみればあの時の、血判を押した者が、そろって未来にはいなくなっている。
だけど、契約書を持っているのは鈴だ。
契約書がこの時代に存在しないのなら、契約の破りようがないはずだ。
それと、未来で三人の消息が分からないことに、何の関係があるのだろうか。
「……仮に、某と仁八が亡くなったとしよう。あの堰はどうなる?」
「え? それは……」
あまり考えたくない仮定だ。
だが、そもそも鈴がこの話題を振った以上、答えないわけにもいかない。
「契約書があるんだから、今まで通り、だと思うけど」
「その契約書はどこにある?」
「それは……あ!」
契約書は当然ながら鈴が持っている。
時間移動できる鈴が持っていれば、契約書を奪われることはない、というのが元々の作戦だ。
だが、血判を押した当事者が全ていなくなった場合、どうなるのか。
「……あの堰を保証できる人間が、いない?」
「いや、一人だけいる」
え、誰だろう?
鈴達が頭をひねってその答えを探していると、芳が「はい」と手を挙げた。
「父上。名主だと思います」
「その通りだ、芳」
「あぁ……!」
そういえば、あの血判の保証人として名主も証人となっていた。
たしかに契約書そのものは鈴が持っている限り、なくなりはしない。
だが、契約書そのものは残っていても、その契約内容を証言できる当事者がいなくなる。
極端な話、名主が『これは農業用水として譲り受けたものだ』と言えば、それを否定できる者がいない。
鈴がその時代にいない以上、喜二郎と仁八さえいなくなれば、堰を奪う計画は完遂できる。
(……だけど、私がその時代にやってきたとしたら、その時はどうするんだろう?)
その時は自分も狙われるのだろうか?
というか、以前攫われたことがあるのはそういったことが理由だろうか?
うーん、と唸る鈴に、喜二郎は分かりやすいよう補足する。
「……旧堰ができてからの収穫量がどうなったか。聞いているか?」
「格段に増えた、って聞いてるけど」
鈴の返答に、喜二郎は頷く。
「収穫量を見れば、堰の有用性が示されたわけだ。さらに、収穫が増えたことで年貢も増えていく」
しかし、と喜二郎は指を立てる。
「堰は簡単には作れない」
「つまり……新堰を手に入れるために、叔父上たちが狙われたってこと?」
そこまでしてでも、堰を手に入れたい者がいるということなのだろうか。
鈴の言葉に、それぞれ複雑な表情を浮かべる。
「……あの新しい堰を、農業用水として使うことで、最も得をするのは誰だと思う?」
「それは……名主じゃないの?」
鈴の答えに、芳が首を振った。
「違うよ、スズ姉。さっき教えてくれたじゃない、藩に取られたって。一番得するのは年貢を取り立てる藩だよ」
芳の言葉に、鈴が「なるほど」と頷いた。
「藩の中に、某たちへ力を貸してくださる方がおられる」
「え?」
「その方の話によると、藩で意見が分かれているらしい。中には藩の財政のために、あの堰を狙うものもいるとのことだ」
喜二郎はそこで静かに言葉を区切る。
「その誰かが意図して動いたのなら、狙われる理由としては十分すぎる」




