始まりの刻
「ここは……?」
目を開けると、そこは見覚えのある景色だった。
喜二郎の家の土蔵である。
太郎――後の六郎太に助けてもらい、過去へ渡った時の土蔵。
真新しい間取りに、新しい家の匂い。
建築してから間もないことが伺える。
「戻ったんだ、過去に」
鈴は息を吐いた。
今までなら、狼狽えていただろう。
だが今は、やるべきことがはっきりしている。
「……行こう」
鈴は土蔵の外へ出る。
日差しは照りつくようなものではなく、どこか涼しさを含んでいた。
風には、秋の気配が混じっている。
「今は夏の終わり頃なのかな」
そうつぶやいて、鈴は家の中を覗き込む。
家には誰もいなかった。
「叔父上がいそうなのは実家、仁八の家、湯屋……はこの家ができたなら、もうないかな」
そうなると、仁八の家が一番可能性が高い。
鈴は喜二郎の家を飛び出し、農地の方へ向かった。
すれ違う街の人たちの顔は明るい。
田楽、あげ餅の匂いが漂う。
味噌の商品が多くなっているのがわかる。城下でも噂になっているようだ。
少なくとも、未来で見たあの灰色の景色や、ギラギラした目ではなかった。
城下街を抜けると、農村へ続く街道が広がっていた。
広々とした畑は以前の過去にはなかったものだ。
(違う、一度だけ見たことある)
そう、明和五年。
最初に時空を超えた仙台の光景だ。
あの時よりも発展していたが、面影がある。
「あそこだ」
鈴は仁八の家にたどり着いた。
そこには成長した太郎――六郎太がいた。
鈴が「六郎太」と呼ぶと、太郎はきょろきょろとあたりを見渡し、鈴を瞳に移す。
「スズ姉! 来てたんだ」
六郎太は鍬を放り出すと、子どものころと変わらない勢いで駆け寄ってきた。
あの頃と何ひとつ変わらない笑顔だった。
灰色の未来で失ったはずの笑顔が、今は確かに目の前にあった。
「今はいつなの、太郎」
六郎太……いや、この時代ではまだ太郎かもしれない。
だから今は太郎と呼ぶことにする。
太郎は「明和六年だよ」と答えた。
つまり、最初に鈴が過去へ来た時から一年後である。
「明和3年からここまでのこと、教えて。叔父上たち、その後どうなったの?」
「わかった、ちょっと待っててね。これ片付けてくるから」
そう言うと、太郎は農具を部屋に押し込んだ。
ひとまず家の前にある切株に腰を下ろし、太郎が話し始める。
「あれからだと、まず新しい堰はできたんだ。鯉もすごくイイ感じになったよ」
「え! スゴイね。最初の時も思ったけど、堰を造るのって大変だったでしょ」
「まぁね」と太郎は自慢げに胸を張った。
「父ちゃんが張り切ってね。畑仕事しながら堰の管理したりして、本当に体力お化けだよ」
「それで、鯉も育ってきたんだ?」
「うん、どこに出しても恥ずかしくないよ。見てよし、食べても良し。殿様にだって献上できちゃうぜ」
それは大きく出たものだ。
だが、それだけ自信があることは伝わってきた。
「キジ兄が米沢に行ったりして、塩釜と塩商人と繋がりを持てたって言ってた。……名主の伝手だってさ」
「あの計画にあったやつだね。そっちもうまくいってるんだ」
米沢からは大豆を買い、塩釜からは塩を買い、芳とその仲間が味噌を作るという流れである。
「塩釜というと、三吉はどうしてるの?」
「三吉は最近ほとんど村にいないよ」
ほとんど村にいない?
まぁ、確かに三吉が住んでいるのは塩釜だし。村にいなくても不自然ではないけど。
「味噌とか塩とかと関係ないところでキジ兄と何かやってる。鮫関係なんだけど、詳しくはオイラも知らない」
どうやら三吉だけは今のところ独立して動いており、喜二郎とサメの油や皮、すり身などを商品化にまい進しているのだろう。
「で、最初に取られた……ああ、そういうとまた怒られる。名主に渡した堰は、米育てるための水として使われちゃってるよ」
だが、その甲斐あって収穫を増やし続けているらしい。
旧堰を使う前とは比べものにならないほどの収穫量になったという。
(あれだけ綺麗で、管理された堰もなかなかないだろうしね。水がイイと、やっぱり作物が育つのかな?)
概ね順調なんだ、と胸をなでおろした。
だが、解けない疑問もある。
明和五年の時、みんなが「スズ様」といって自分を広間に連れて行った。
だが宝暦十八年でも、明和三年でも鈴はほとんど堰には関わっていない。
当然ながら農民達に慕われることも、頼られることもなかった。
(きっと、どこかで歴史がズレたんだ……)
原因が分からないが、そうとしか考えられない。
もはや考えてもわからない疑問だった。
鈴が頭を悩ませていると、太郎が「キジ兄が心配だよ」とつぶやいた。
「どういうこと?」
「言葉のまんまさ。朝から晩まであちこちを駆けずり回って、ここ数年ろくに寝てないと思う」
そういわれて、鈴ははっとする。
喜二郎は、あらゆる事業に顔を出している。
むしろ彼が関わっていない事業が一つもない。
明らかに働き過ぎだ。
このままではいつ倒れてもおかしくない。
(そういえば………)
鈴は、未来で喜二郎には一度もあっていない。
未来の六郎太は、「キジ兄は今ここにはいない。遠い場所で養生している」と話していた。
(思えば、変だ)
喜二郎は参勤交代をするわけではないし、江戸にいくとは考えにくい。
米沢で商売をしている、とも考えたが、喜二郎がこの仙台での繋がりの中心であることを考えるとそれもおかしい。
未来の芳は言っていた。
「今は養生しているわけではない、すぐに会えるわけでもない」と。
ぞわり、と鳥肌が立った。
しかし、今は考えないことにする。
「叔父上は今どこにいるか、わかる? もう米沢にいっちゃったの?」
そうだとすると、非常にまずい。
たしか喜二郎がいないときに新しい堰の使い方をめぐって諍いが起こるはずだ。
しかし太郎は「うーん」と首をかしげる。
「名主の家にいるんじゃないかな。あそこでどこかの商人と、よく商談しているみたいだし」
「商人?」
「うん、味噌の出来が想像以上に良くて、売り物になるんじゃないかって話してた」
最初は飢饉に備えた保存食の扱いで、とりあえず食べられればいいくらいの位置づけで考えていた。
しかし、どうやら芳を中心とした味噌作りは備蓄の枠にとどまらない品質まで達したらしい。
「オイラも食べさせてもらったことあるけど、あれ食べたら普通の味噌なんてもう食えないよ」
藩で流通している味噌よりも、味もコクも数段勝るらしい。
鈴も元々美味しいとは思っていたが、藩公認の味噌より旨いとはすさまじい成長ぶりである。
芳、そういえば未来で別れた後、どうしたのだろう。
別れ方が不穏だった、できればすぐに会いに行きたい。
「たしか朝に偉そうな人が名主の家に入っていったし、しばらくは近づかない方がいいかもよ」
「それは……確かにそうだね」
時を渡った鈴は身分を証明できるものを持っていない。
もし役人と鉢合わせにでもなれば、面倒なことになる。
「うーん、ここで待ってててもいいんだけど……そうだ! オイラの鯉を見てくれないか?」
「自信あるって言ってたもんね。うん、見に行きたい」
その言葉を聞いて、太郎は跳ねる勢いで切株から飛び出していった。
その姿に苦笑いしながら、鈴は後についていく。
道中たわいもない話をした。
最近は赤と白の見事な鯉が増え、大事にしている。
そろそろ元服なのに名前が決まらないなど。
「オイラの名前、太郎だぜ。太郎。いっそのこと桃太郎とか、金太郎…いや、鯉太郎にしようかな。…いや、響きが恋太郎みたいでちょっと恥ずかしいなぁ」
「いい名前が決まるといいね」
何て名前になるかは知っていたが、由来がどこで決まるのかは自分も知りたいところだった。
旧堰を越え、山間の土地に差し掛かる。
「そこ、危ないよ。気を付けて」
まるで大きな水たまりのような光景が広がっているのに気が付いた。
足場もあったが、ぬかるんでいたらわからなかっただろう。
そこには立派な新しい堰があった。
大きさは旧堰と同じ位だが、澄んだ水はそのまま飲めそうなほど透き通っている。
堰の外周には仁八がいた。
「あ、仁八だ。おーい!」
仁八は驚いていたが、すぐにこちらの方へと向かってくる。
「そういえばまだ生まれてなかったな、元気だったかスズ」
「うん、おかげさまで」
仁八の身体がものすごく逞しくなっていた。
どうやら仁八は畑仕事の合間にこの堰を管理しているらしい。
「まぁ力仕事だからな。やってるうちに力が付いた」
堰の補強、水底の掃除、堆積した土砂の撤去などらしい。
畑仕事の合間にやるような仕事ではないはずなのだが、仁八は文字通り力業で解決してきたのだろう。
「ほら、あれだよ」
太郎が堰の横に併設された池を指さす。
ちょっと遠くて見えないが、立札が建てられているようで、近づいてみる。
立札には「太郎ノ五一」と書かれていた。
「ゴイチ?」
鈴が首をかしげると「コイって書けないんだよ」と太郎は答えた。
「あぁ~……、なるほどね」
「何が?」
「ううん、なんでもない」
五と一を足して六。反対から読むと「六郎太」になるわけだ。
池には太郎自慢の見事な鯉がたくさん泳いでいた。
どれも光沢が美しい、将軍様に献上できると豪語するだけのことはある。
「お前さん、今来たばかりか? 堰のことはどれくらい聞いてる?」
仁八がそう言ってくれる。
「聞いてるのは、少しだけ。できれば教えて」
「わかった」
仁八からは現在の詳しい情報が聞けた。
新堰は完成した。
最初のころよりも費用が抑えられ、しかも頑強できれいなものになった。
鯉も無事に移動できた。
最近では生活用水として村に活用され始めている。
この新堰も名主が農業用水として活用したがったが、旧堰を引き合いに出したのと、契約書があるため断ることができたとのこと。
契約書を持つ鈴は姿を消したまま見つからない。
契約そのものを覆すこともできず、名主はこの堰をあきらめたらしい。
仁八らしく、事実だけ簡潔に答えてくれた。
「安心は出来んが、喜二郎がいるうちは大丈夫だろう」
その言葉に、鈴は胸が苦しくなった気がした。
仁八の家に戻って、名主の家の様子を伺う。
遠くから名主の家をうかがうと、人の出入りはあるものの、先ほどまでいた客人の姿はもう見当たらなかった。
「もう入ってもよさそうだし、見てくるね」
「待って、オイラも行くよ」
そう言って鈴が仁八の家を出ると、太郎もついてきた。
慎重に中の様子を伺うと、どうやら大人たちのほとんどは出払ってしまったようだ。
「あの、喜二郎いますか?」
「坊ちゃんかい? しばらく前に出てったよ。ん? あんたどこかで見た顔だねえ」
鍋をかき回している女中さんに聞いてみると、そう返答が返ってくる。
どうやら入れ違いになったようだ。
「うーん、どこ行ったんだろ?」
「さすがに米沢とかじゃないと思うけどね」
太郎と顔を見合わせていると、「スズ姉!」と弾んだ声が聞こえてくる。
芳だった。
三年前に別れた少女の面影と、未来で見た大人びた表情。その両方を宿した笑顔だった。
「久しぶりね! 3年ぶりくらいかな?」
そういって芳が満面の笑みを浮かべる。
その声を聞いただけで、鈴は思わず目頭が熱くなった。
鈴は込み上げるものを押し込みながら、「久しぶり」と笑った。
「なんで太郎もいるのよ、スズ姉だけでよかったのに」
「うるさいなぁ。オイラはスズ姉の護衛なんだ。こういう時のために、キジ兄に頼まれてんの」
太郎とは顔なじみなのだろう、芳は気兼ねなく話している。
「それよりもスズ姉、試作品作ったの! ちょっと食べてみてよ」
「待て待て、スズ姉は武士の娘だぞ。オイラが毒見する」
あんたは食べたいだけでしょ、と芳は目を細めて台所へ向かう。
持ってきたのは味噌汁と米、ちゃんと二人分用意してくれたようだ。
「いただきます」
毒見すると言っていた太郎は、毒見なんてするそぶりもなく白飯と味噌汁をかきこんでいた。
どうやら芳のもとへ来れば、「味見」という名目でご相伴に預かれる。それも目当てだったに違いない。
鈴は苦笑いしながらも椀を持ち、味噌汁をすする。
(お、おいひぃ…!)
最初に食べたころよりも、明らかに品質が良くなっている。
塩加減もちょうどいい。
一般的な仙台味噌は塩味が強く、お湯を多めにしなければならない。
その分、どうしてもコクが薄くなる。
だがこの味噌汁は完全にその欠点を克服していた。
「どう?」
「常識が変わる、ってこのことを言うんだね」
その評価に、芳はにっと笑みを浮かべた。
芳からは主に喜二郎の商売についての話が聞けた。
喜二郎は現在、米沢の商人と取引の話を進めているらしい。
「まだ商人との取引だけど、いずれは藩を巻き込んで大きい取引にしたい、ってキジ兄が言ってたわ」
とくに塩釜の塩は米沢商人の受けが良いらしく、良質な豆を譲ってくれている。
その豆のお陰で芳の味噌作りの品質が上がり、良い循環が起きているとのことだ。
「米沢のお殿様が、そういった備蓄関係のものに興味を示しているんだって。取引まであと一歩ってとこらしいわよ」
塩釜の塩、芳の作った味噌、さらに切り札に鮫の製品を備えて、いずれは米沢藩に交渉しにいくらしい。
「でもさぁ、鮫製品って、あんまり米沢の商人の反応よくなかったんだろ? 高級品は江戸の方が売れるとかなんとかで」
「わかってないわね、太郎。江戸にすぐ販路が開けるわけじゃないでしょ? こういうのは匂わせるだけでも効果があるのよ」
芳が非常に成長していた。
考え方が喜二郎に似てきている。……いや、名主に近いのかもしれない。
「今、味噌の品質の方はかなり上がってきたから、キジ兄は塩釜に力を割いてる。米沢との交渉までに形にしたいんだって」
「じゃあ、叔父上は塩釜に?」
「そうよ」
少なくとも米沢へ向かってしまったわけではない。
鈴は胸をなで下ろした。
しかし、先ほどまでここで交渉していたはずなのに、もう塩釜へ発ったというのだろうか。
鈴の表情を察したのか、芳がコクリと頷く。
「スズ姉が来たことを知ったら、キジ兄もきっと喜ぶわ。知らせに行きましょう」
喜二郎を追って、鈴は太郎と芳とともに塩釜へ向かうことにした。
「でもいいの? 二人とも。仕事、あるんでしょう?」
「仕事より、スズ姉の方が心配だ」
「仕事も大事だけど、スズ姉の方も心配だもの」
他の人から見ると、どうやら鈴はかなり危なっかしいらしい。
(でも、確かにそうだよね)
今までの過去は、喜二郎がいつもそばにいた。
攫われかけたこともあるし、確かに一人でいるのは危険かもしれない。
「でも、今から塩釜にいくと、日が暮れそうだね」
「大丈夫。うちで馬を借りられるから」
芳は家から一頭の馬を引き、三人でそれに乗る。
「重いわよ、太郎。あんた走りなさい」
「父ちゃんじゃあるまいし、できるわけねーだろ。詰めれば大丈夫、大丈夫」
そんなやり取りをしながら、長い長い街道を馬が駆けていく。
休憩を挟みながら進んでも、馬の脚は人よりずっと速い。
気が付けば、潮の香りとともに塩釜の町並みが見えてきた。




