ナナシの菅笠
寺子屋を出ると、鈴はかじかむ手をこする。
いつもの帰り道、鈴は町中を歩いていた。
川沿いを歩くが、あの少年は川にはいないようだった。
「まぁ、この寒さじゃ仕方ないよね」
日は傾きかけていたが、夏とは思えない冷え込み具合だ。
川底の石が見えるほど浅くなった川にも、魚一匹泳いでいない。あきらめたくもなるだろう。
「……ん?」
背中が、ぞくりとする。
ふと、視線を感じた。
橋のたもとに、菅笠をかぶった男たちが集まっている。
その内の一人が、じっと鈴の方を見ていた。
……そんな気がした。
菅笠の影に隠れ、男の表情は見えない。
(まぁ、気のせいだよね)
大して気にも留めず、鈴は再び歩き出す。
すると。
「…おい」
目の前で、低い声が聞こえた。
鈴が顔を上げると、目の前を大きな影が塞いでいた。
さっきまで橋のたもとにいたはずなのに、いつの間にか鈴の前に立っている。
町人とも武士ともつかない格好、年齢もよく分からない。
見上げているはずなのに、菅笠の中は陽光が届いておらず、表情は読み取れなかった。
「あんた、名前はスズか?」
菅笠の男は静かに尋ねた。
鈴は目を瞬かせた。
「スズ?」
首をかしげて、思い当たる。
時々、自分の名前を「スズ」と読む人がいる。
「いえ、鈴ですけど」
自分は風鈴の鈴と書いて、リンだ。
家では「おりん様」と呼ばれることもあるが、皆はリンと呼ぶ。
男の表情がわずかに動き、何かを確かめるような顔を寄せる。
鈴はのけぞるようにして後ずさる。
男は何か気になるようであったが、小さく首を振って背を向けた。
「そうか」
それだけ言うと、菅笠の男は周りの取り巻き達と何かを話し、人混みの中へ消えていった。
鈴はしばらくその場に立ち尽くす。
何だったのだろう。
「まぁ、人違いだよね」
鈴はそう言い聞かせるようにつぶやき、歩き出した。
けれど、あの菅笠だけは。
なぜか、いつまでも頭から離れなかった。




