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芳との味噌計画と、堰を渡す決断

「すまん。名主も、何も間違ったことは言っていないので、答えられなかった」

「致し方あるまい」

仁八の肩を、喜二郎が軽く叩く。

どちらも好き好んでいがみ合ったわけではないのだ。


「……叔父上、どうして味噌のこと話さなかったの?」

名主が去った後、鈴は喜二郎に味噌のことを言わなかった理由を尋ねた。

喜二郎は「話せなかった」と首を振る。


「まだ足がかりもできていない不確実な状態だ。根拠もなく農民の命をかけるわけにはいかない」

そもそも味噌の話を仁八たちに相談しに来たのだ。

まずは彼らから意見を聞くのが先である、という判断のようだ。


「スズ、喜二郎。礼を言う。助かった」

仁八は名主との間に入ってくれた鈴と喜二郎に礼を言う。


「ごめん……私、役に立てなかった」

「そんなことねえ。おめぇさんが入ってくれなかったら、太郎が飛び出していたろうよ」

仁八の家と名主の家。本百姓同士とはいえ、やはり格差は歴然だった。


だが、仁八にも意地がある。

名主の言葉を否定はできないが、無言を貫くことで意向に従わないことを暗に示したのである。


(でもそれだと、仁八たちが……)

このままでは仁八たちが村八分になってしまう可能性がある。


「気にするな。俺たちの家のことは俺たちで何とかする。それよりも二人そろって今日はどうした」

「……うん、実はね」

鈴たちは味噌の話を仁八たちにする。

しかし仁八と太郎は、あまりピンと来てはいないようだ。


味噌を作るのはわかる、飢饉に備えて蓄えるのもわかる。

しかし、それを作ったり売ったりすることで年貢の代わりになるということを、納得できていないようだ。

飢饉に備えて味噌を作っているのに、売ってしまえば元も子もないという感覚らしい。


鈴が根気よく説明するが、やはり納得はできていないようだ。

まだ構想の段階だからだろう。


「この話は時間をかけていく必要があるな。……仁八に訊ねるが、味噌の作り方はわかるか?」

「味噌か……」

喜二郎は一旦話を切り、仁八たちに味噌を作れるか尋ねる。


作れるが、出来はあまり良くないらしい。

喜二郎も以前、仁八の家での食事には苦笑いしていた。

おそらく、作る工程のどこかに穴があるのだろう。


「大豆はあまり採れん、隠し畑で作っているものだと質もよくない」

量も少ないので、試行錯誤もできていない、ということらしい。


「以前話したな。味噌があるだけで農民には生活を一変させる力がある」

雑穀や野草でも食えるようになる、という話のことだろう。

そのため、作った端から消費してしまうらしい。


飢饉の恐ろしさを知る仁八でも、味噌を作り続け、貯蓄していくのは難しいのだろう。

あまり品質も良くないということから売れるとも考えていない様子だ。


「ふむ……」

喜二郎は顎に手を当て、低く唸る。


鈴自身も味噌作りには覚えがない。

実家では藩から支給された味噌を使っていただけだった。

味噌作りに知見がある人物は他にいないらしい。


だったら、知っている人のところに行くしかない。


「ねぇ、叔父上。名主さんの家に行ってみようよ」

「お前、すごいな。あれだけ詰められた後にそう思えるのは、素直に感心する」

そう言って喜二郎が若干引いている。

失敬な、まるで「図太い性格」だと言われているようだ。


「別に名主さんを尋ねるわけじゃないよ、あそこにいた子供に聞こうと思ってるの」

「子供? ……芳のことか。そうか、いや……なるほど。確かに脈があるかもしれん」

あの子は味噌玉を使っていた、と言っていた。


喜二郎は「盲点だった」と顎に手を当てる。

どうやら名主の印象が良くないことから、彼女と関わること自体をどこか避けていたようだ。

あんなに慕われているのに、罪な少年である。


名主の娘――芳(ヨシ)。


彼女に話を聞ければ、味噌作りは大きく前へ進むかもしれない。

鈴たちは、芳にも協力を頼んでみようということで話がまとまった。


とりあえずその日は解散し、後日改めて集合することになった。




話し合いが終わり、喜二郎の仮宿へ戻る途中、気になっていたことを鈴は尋ねた。

「そういえば銭湯の仕事はいいの?」

「ああ、問題ない」

どうやら三日ほど代理を雇ったようで、その間の仕事は心配ないらしい。


喜二郎は仁八の家へ向かう途中、鈴に確認する。

芳と鈴に面識があるのか、どんな話をしたのかなど。

鈴は今まであったことをかいつまんで説明する。


「むしろ叔父上の方が、彼女と面識あると思っていたよ」

この時代に来た時、芳は喜二郎のことを「キジ兄」と呼んでいた。


キジ兄はよく来る、と言っていた気がする。

喜二郎はバツが悪そうに鈴から視線を外す。


「名主との腹黒い会話を、な。互いに笑顔だから子供には某たちが仲良くしているように見えたのだろう」

それに、と付け加える。


「医者の子供が毒を食らって死ぬなど、笑い話にもならんだろう?」

だから名主の家で食事したのは宝暦十三年のあの時だけらしい。

笑えない冗句だった。




翌朝、再び仁八の家にたどり着くと、喜二郎は早速話し始める。

「名主に、堰を使わせる方向で行こうと思う」

喜二郎の言葉に皆が驚く。


あれほど未来のために大事と言っていた水を、あっさり手放してしまうのだろうか。

鈴は言葉を失った。


(堰がないと、未来で病になること。叔父上は知っているはずなのに……!)

あれほど未来のために必要だと言っていた堰を、自ら手放すという。

喜二郎の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。


「喜二郎が言うなら従う」

「ちょ、ちょっと待ってよ父ちゃん。キジ兄、ちゃんと説明してくれよ」

あっさり頷く仁八に、太郎が慌てて待ったをかけて理由を尋ねる。

喜二郎は頷き、続ける。


「このまま名主と対立を続けるのは得策ではない。先日の一件を考えてもこのままでは仁八たちの身が危うい」

それに、と喜二郎は太郎に振り返った。


「何も得なかったわけではない。仁八は堰を作る技術を身に着け、太郎のお陰で鯉も増えた」

「でも、堰を使わせることになったら、オイラの鯉はどうなるの?」

喜二郎は人差し指を立てる。


「実は某と仁八で、他にも堰が作れそうな場所をいくつか見つけてある」

名主に堰を渡したとしても、すぐに水が枯れるわけではない。

農業用水として使えば、いずれ水量も減っていくだろう。


だから、一刻も早く新たな堰を完成させ、そこへ鯉を移す。

農地灌漑へ水は引けないが、生活用水としては使いやすい場所を探し、今度はそこに堰を作ろう、と喜二郎は提案した。

しかし、太郎は納得がいかないようだ。


「あそこは、オイラが……オイラ達が全力で作り上げた場所なんだよ。それを渡すっていうの?」

「……気持ちはわかる。しかしな、太郎。無償で渡すわけではないぞ」

喜二郎がそこで二つ目、そして三つ目の指を立てる。


「代わりに芳を筆頭に、味噌作りの人員を確保する。そして名主の伝手を最大限利用する」

喜二郎は藩医の家系ではあるが、直属の家臣がいるわけでも商人の繋がりがあるわけではない。

つまり交易に関する人脈は、ほぼ持っていない状態だ。


対して、名主というのは村の代表名だけあって伝手が広い。

堰を担保に、名主の人脈と協力を丸ごと借り受けようというわけだ。


「新しい堰でも、必ず鯉のための池は確保する。それで納得してくれないか、太郎」

「……わかった、わがまま言ってゴメン」

太郎も頷いた。納得したわけではないだろうが、喜二郎の決定には素直に従うことにしたようだ。

細かな段取りを詰め終えると、一行は名主の家へ向かった。




名主との話し合いは主に喜二郎が担当した。

鈴は隣で聞いていたものの、駆け引きの内容はさっぱりわからなかった。


「いや、その条件では堰を渡すのは厳しい。名主殿ならお分かりだろう?」

「いやいや、喜二郎殿。こちらは大切な娘を預けるのだ。不足はあるまい?」

「いやいやいや……」

予め断られることを前提にした条件は、予想通り名主によって却下された。


堰を使用するなら利用料を払ってほしい、使用する期間はこちらが指定する、などである。

だが、それらは受け入れられないと分かったうえで、喜二郎は条件を取り下げて譲歩する。

結局、概ね喜二郎が当初考えていた内容は認められたようである。


「まぁ、想定の範囲内だ。……いや、欲を張るとろくなことがない。これが最善だと考えよう」

喜二郎は納得していない部分もあるようだが、呑み込んだらしい。


結果的に、喜二郎たちは味噌作りに欠かせない芳、そして数人の人員を確保することに成功した。

子供や年配の女、足腰の悪い老人たちだった。

それでも貴重な戦力である。


「よろしくね、キジ兄! タロー、パチ。それとスズ姉?だっけ。芳です!」

芳の元気な挨拶に、喜二郎たちは歓迎の意を伝える。


太郎はなんだか複雑そうだった。それでも反対はしなかった。

そして名主の紹介として塩釜の塩職人と米沢の商人に話をつけてくれることになった。


正直、この人脈こそが最大の収穫と言ってもいい。

喜二郎たちが数年かけて築いた堰も、多くの村人を救うためなら、その苦労も報われる。




堰の使用は3か月後、と決まった。

およそ、穂ばらみ期~出穂期(7月下旬~8月上旬頃)の引き渡しである。

この時期は稲の活力が最も高まるため、その時期に合わせて堰の水を開放することになる。


「それまでに新しい堰を完成させ、鯉だけでも住める環境を整えねばな」

堰を開放する際、鯉が泳ぐ池の水には手を出さないこと、鯉のいる池は太郎が管理すること。

そして、この契約は喜二郎と仁八、双方の承諾がない限り破棄できないものとした。


仮に仁八に無理やり契約を破棄させようとしても、名主は喜二郎に手を出すことはまずないだろう。

そして契約書は未来に帰ってしまう鈴が持っていれば、盗まれる心配もまずない。


(よくこんな悪知恵……こほん、戦略を考えつくなぁ……)

喜二郎はまだ十一歳だ。

自分より年下の少年が、これほどの能力を持っているということに、鈴は自分が情けなくなる。


「では、契約書に血判を」

喜二郎が用意した契約書に、まず仁八が署名し、拇印を押す。


内容をじっくり確認した名主も「問題ない」と頷き、同じように署名と拇印を済ませた。

それを、喜二郎が預かることにした。


……表向きは。


(実際に持っているのは私なんだけどね)

契約書の受け渡しが終わり、堰の引き渡し契約は完了した。

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