名主との対立
「油や皮は時間がいる。持ち帰って考えるゆえ、時間をくれ」
「おっ、それはねぇぜ。こんな面白い物、俺にもやらせてくれよ」
そう言って、鮫の皮や油の作り方や使い道は後日探っていくことになった。
「これは俺が実家を出るときに持たされた塩だ、好きに使ってくれよ」
三吉は、自分が自由にできる塩の袋を譲ってくれた。
「いいのか?」
「その代わり、抜け駆けすんなよ。絶対に俺も研究させてくれよ」
鈴たちは三吉に礼を言い、一袋分の塩を手に入れると、翌日は仁八たちのもとへ向かうことにした。
今回の収穫は、鮫商売の可能性と、三吉という頼れる塩職人との縁だった。
「なんか形は違ったけど、とりあえず塩は手に入れられたね」
一袋ではあるが、塩を手に入れることができた。
ぺろりとなめてみると、仙台城下で使われているものより質が良い。
鈴は満面の笑みで、喜二郎も満足げな顔をしていた。
「だが、大豆は今どうにもならない。……仕方ない、今回は買ってから帰ろう」
市場でかなり割高な大豆を購入し、その日は一旦喜二郎の仮宿に寝泊まりすることになった。
翌朝、仁八のところへ向かう。
味噌の作り方は、喜二郎も鈴も知らないからだ。
作り方を知っていて、口も堅く、協力してくれそうな候補は仁八たちを置いて他にない。
「ん? どうしたんだろう」
田んぼの向こうに仁八のあばら家が見える。
そこに人が集まっていた。
「騒がしいな、何事か」
仁八の家の前で何か揉めていることに気が付く。
軒先にたっている一人は仁八だ。
「仁八、悪いことは言わん。堰を手放し、村のために開放しろ」
「……」
名主……富谷久蔵が水利用を要求しているところのようだった。
仁八は、ただ黙っている。
太郎は何かを言いたそうに身を乗り出していたが、仁八がぎろりとにらんで抑えていた。
名主に逆らえる農民など、この村にはいない。
仁八が太郎を抑えた理由も、それだけで十分だった。
しかし、あの堰は喜二郎と仁八たちが心血を注いで作り上げたものだ。
最初、村人たちは手も貸さず、反対ばかりしていたという。
(なのに、今頃……身勝手すぎる!)
太郎が不満げなのもわかる。事情を知った鈴だって、もう我慢できない!
「叔父上!」
「あ、おい! 待て!」
仁八が名主に意見することができないというのであれば、藩医の娘である自分が物申すべきである。
むしろここで言わなければ、何のための家柄なのだ。
「あなた達、何をしているんですか!」
「何をだと? いや……お主は昔、喜二郎殿と儂の家に来た子供か」
鈴が間に入ると、名主は胡乱気な表情で鈴を見つめた。
「あれは! 喜二郎と仁八達が作った堰でしょ! あなた達が好きにできると思っているの!」
「無論、思っていない。だからこそこうして頼みに来たのだ。……そうだろう? 仁八」
名主は一切怯まない。
くそぅ、非常に悔しい。子供だと思って!
「権力を振りかざして、仁八に詰め寄るなんて、恥ずかしくないの?」
「何を恥じることがある。権力など、こういう時以外に何の使い道があるのだ?」
「……水が使えて収穫が増えても年貢が重くなるだけ、名主さんならわかるでしょ?」
「わかるとも。だが、儂らには今食えるだけの米が必要なのがわからんのか?」
ああ言えばこう言う。
まるで未来の喜二郎と話しているみたいだ。
普段は優しい叔父だが、結構理屈っぽいところなんてそっくりである。
息を荒くする鈴に、名主は一瞥を向ける。
「調べたが、お主の身元がわからん、どこのどいつかわからんが口をはさむな」
その言葉に、鈴は言葉が詰まる。
そうだった、鈴はこの時代では生まれてすらいない。藩医の娘どころか身分すら証明できない。
「その女子は、その堰を作ることを立案した責任者の一人だ」
喜二郎が鈴に追いつくと、背にかばった。
名主は喜二郎の姿に少しひるんだようだった。
「喜二郎殿、そうは言っても身分がわからぬものなど信用できぬ。水に絡むことならなおさらだ」
「その水の必要性を最初に訴えたのがスズだ。某たちはそれを信じ、銭と人足を費やした」
名主はそれを言われると弱いのか、悔し気に呻いた。
だが、名主は引き下がらない。
「それについては感謝している。だが、仁八一人と、村全体。どちらの問題の方が大きいか、喜二郎殿ならわかるはずだ」
「堰の所有者は某だ。仁八に詰め寄るのはお門違いだ」
「ならば言わせてもらおう、仁八は儂の村の一員だ。その仁八が管理しているのは儂の村にある堰だ。儂は間違っているか、喜二郎殿?」
「少しでも協力したのなら、その言い分は通る。だが貴様が何をした、久蔵」
久蔵は一瞬言葉を失う。
二人は鋭く睨み合った。
一触即発の空気に、周囲の人間が息をのむ。
ちらりと、名主は周囲の人間を見る。
村人たちが不安そうに二人を見比べていた。
その空気を察したのか、名主は切り口を変える。
「喜二郎殿は、このままこの農村の皆が飢えてもよいのか?」
宝暦大飢饉による村ぐるみの減免が使えるのは来年まで。
後は通常の税収になってしまう。
この機会に蓄えを増やせなければ、村全員で年を越すのは無理、という考えらしい。
水が使えなければ収穫は増えない。
収穫が増えなければ税が払えない。
そして収穫が増えれば税が重くなっていく。
だが、それは米を税とした場合に限るのではないだろうか。
(味噌なら……)
そう思ったが、喜二郎は口を開かない。
喜二郎がそれを口にしないということは何かしら考えがあるのだろう。
喜二郎と名主はしばらくにらみ合っていたが、取り巻きの農民を下がらせる。
「喜二郎殿、儂は堰を奪うつもりはない」
しかし、と名主は続ける。
「村が飢えれば、いずれ村人はあの堰へ向かうだろう。その時、お主らは止められるのか?」
「……」
喜二郎は答えない。
……答えられない問題だからだ。
「今日はお暇しよう。儂もこんな真似はしたいわけではない。仁八、お前次第で村が変わる。身の振り方を考えておけよ」
名主は深く息を吐き、踵を返した。
お前たち次第で村の運命が決まる――その背中が、そう語っているようだった。




