新たな火種
貯水池に隣接する浅い池、これが鯉の飼育場なのだという。
「魚の姿が見えるんだね」
鈴は思わず感嘆の声を漏らす。
太郎は誇らしげに胸を張った。
「綺麗な水を引いているからさ!」
水はけの悪い土地は作物を育てるのに向かない。
だがここは山の地下水がたまる場所らしく、水は透き通るほど澄んでいた。
太郎は背中に背負っていた麻袋を開くと、白い小粒の玉のようなものを池に投げ入れる。
ばしゃばしゃと水が跳ね、鯉はそれに群がった。
「わ、すごい元気。この鯉、食べられるんだよね」
「んー…まだちょっと泥臭いから味はそれなりだけど。あと数年もすれば美味しくなるよ」
鈴は鯉が順調に育っていると知る。
新鮮な水、綺麗な環境の維持がこれからも必要らしい。
元気に跳ねる鯉を見て、鈴も心持ちワクワクしていた。
「でも、よくみんな銭出してくれたね」
鈴がそうつぶやくと、太郎は首を振る。
「皆、銭はないって見て見ぬふりだったよ」
その言葉に鈴は驚く。
村の共有財産になるのであれば、銭を出し合うものだと鈴は思っていた。
堰を作るというのは簡単ではない。
水質、場所、色々なことを調べて、準備が必要だと喜二郎は言っていた。
村が協力したのでなければ、どうやって作ったのだろう。
無償労働という名の普請だろうか。
「キジ兄が銭を出したんだ」
この堰を作るための人手と銭は、喜二郎が用意したのだという。
鈴は自分より小さい子供(叔父:11歳)がこれほどの設備を整えられたことに驚く。
「道具はオイラ達で集めてたからなんとかなったんだけど、キジ兄はすごい苦労してたって聞いているよ」
初めの一年は銭稼ぎと人手集めに奔走していたらしい。
そして伝手と銭を携え、仁八と太郎が行った地質調査の結果をもとにこの堰を作ったのだという。
さらに一年が経ち、水を貯えるとともに水質も改善していき、今に至るのだという。
ちなみにここまで水質を管理してきたのは太郎なのだそうだ。
だが、そこで太郎は顔を曇らせる。
「だけど、この堰ができてからみんな現金なものでさ。オイラ達に詰め寄ってくるんだ」
新たな水源ができたことで、他農家から「水を使わせろ」という圧力が起きはじめたのだという。
できる前はあれほど無関心だったのに勝手すぎる、と太郎は憤慨していた。
ともあれ、鈴は前回の課題であった堰ができていることに、ひとまず胸をなでおろした。
そういえば、と太郎は鈴を見た。
「スズ姉ちゃんはキジ兄を手伝いに来たの?」
「え?」
スズ姉ちゃんという呼び方にも驚いたが、それよりも「喜二郎の手伝い」とはどういうことだろう。
「手伝いって?」
「んーと……『ヨネザワとワタリをつけるのに、足りないものが多すぎる』とか言ってたし、それ手伝いに来たんじゃないの?」
太郎の話では、今の喜二郎は猫の手も借りたいらしい。ついでに知恵も必要としているらしい。
自分がこの時代にやってきたのは、そういった運命があるからなのだろうか。
あの掛け軸は、必要な時へ自分を導いているのかもしれない。
掛け軸によって渡る時間の因果関係が、鈴にはいまいち分からないが、そう思うことにした。
「私にできること、あるの?」
「もちろんさ! キジ兄だっていっつもスズ姉ちゃんのこと気にしてたんだぜ」
ここまでできた堰を見て、鈴は思う。
喜二郎がここまで努力を重ねて作り上げたのは想像に難くない。
自分にはこのような堰を作る力はない。あの時代に残って、三年一緒に頑張ったとしても役に立てたかは疑問だ。
(でも、なんでだろう)
この時代でも、鈴が彼らの力になれるとは正直思っていない。
しかし、なぜだか喜二郎と太郎の期待感が非常に高いのである。
宝暦十三年で自分が何をしたのか思い出してみるが、思い至らなかった。
「とりあえず、父ちゃんのところに戻ろうぜ。腹減った」
鈴と太郎は仁八のところに戻り、二人を待っていた仁八がクワを降ろす。
「飯にするか、今日は粟飯だが、食ってくか?」
「ありがとう。でも大丈夫、二人で食べて」
鈴は名主の家で食事をしてきたばかりだ。
それに農民の食事事情は軽視してよいものではない。
名主の家でもそうだったのだが、鈴が彼らの食料をこれ以上減らすわけにはいかなかった。
「そういえば、叔父上は今どこにいるの?」
粟の握り飯を食う二人に、鈴は喜二郎の行方を聞く。
「昨日、ここには来てたんだが、今日はもう来ないだろう。喜二郎はおそらく湯屋だ」
数日おきに昼にはこの堰を見に顔を出すそうだが、もう日も高くて今日は来ないだろうとのこと。
どうやら、喜二郎は湯屋で仕事をしているらしい。
「わかった、行ってみるね。二人とも、元気でいてくれて嬉しいよ」
鈴の言葉に仁八と太郎が笑顔で見送る。
喜二郎を探し、鈴は城下の湯屋へ向かった。




