目こぼし
堰づくりは、鯉を育ててみるという名目のもと、林什吾へ相談しに行くことになる。
鈴は土蔵の中で待機して、その結果を待つことになる。
「叔父上、大丈夫かなぁ」
八歳の叔父に、将来のすべてを託すしかない自分が情けなかった。
せめて今できることは何かと考えながら、鈴は喜二郎の帰りを静かに待った。
「許可できない」
林什吾の重たい言葉が部屋に響く。
喜二郎は昨今の水不足を理由に、水質改善と魚の養殖を目的とした池の建設を願い出た。
返事は即座に却下だった。
だが喜二郎も、自分の願いが子供の思いつきにしか聞こえないことは承知していた。
喜二郎は腹に力を入れて、交渉を続ける。
「魚……鯉は、万が一飢饉が起きたときの食料になります。平時は観賞用として献上品にもできます。さらに池の規模が大きくなれば、水源にもなります」
「ならぬ、それこそ許可できない」
頑とした態度に喜二郎は手を握りしめ、落ち着いて息を整えた。
什吾は現実主義者だ。何かしら理由があるのだろう。
逸る気持ちを抑え、喜二郎は什吾を見据える。
「……理由をお聞かせください、父上」
「池、と言ったな。……お主がもし堰を作ろうと考えているならば、その銭はどこから出す。藩の財政は非常に切迫しており、その余裕はない」
「……おっしゃるとおりです」
「それに、堰となれば水は米増産のためにも使われる。そうなれば年貢を上乗せすることになる」
什吾の言うことはもっともである。何一つ反論できる要素が見当たらない。
今まさに年貢で苦しんでいる農民に、さらに税を課させるというのは喜二郎も本意ではない。
だがそれでも、未来のためには水が必要となる可能性が高い。
喜二郎は考えてきた限りの案を述べ、什吾に説得を試みるが、全て却下されてしまった。
(……ここまでか)
藩の力は頼れそうにない。
こうなれば秘密裡に水源を作るしかないだろう。
たとえそれが藩の意に背くことになったとしても、喜二郎はすでに腹を決めていた。
喜二郎は静かに目を伏せ、時間を取ってくれた什吾に礼を言う。
「お時間いただきありがとうございました。藩の力を借りることが容易でないこと、胸に刻みました。……失礼いたします」
「……村が勝手に作ったものや、自分達が知らない間にできた小さな堰については、藩の知るところではない」
立ち上がって部屋を後にしようとする喜二郎に、什吾が呟くように言った。
喜二郎が目を丸くする。
「父上」
「独り言だ、返事をするでない」
什吾は既にこちらを見てはおらず、仕事であろう書き物に手を動かしている。
「儂の領地で、収穫もできぬ農地が水を湛える。それが偶然堰のようになったとしても、儂や藩の知るところではない」
喜二郎は何も言わず、頭を下げる。
要するに、費用も人手も藩は一切出さない。
そして堰の水が年貢増加のために使われたり、規模が大きくなると藩の許可がいることも考慮に入れておけ。
そう忠告して、什吾は目こぼしをしてくれた。
もちろん、村の合意も必要となる。
資金、人手は全て喜二郎持ちになるが、小規模であれば村と藩の許可がなくても進められそうだ。
喜二郎は頭を下げたまま、什吾の部屋を後にした。




