名主の家へ
名主の家を訪ねてみたが、六郎太という者はいなかった。
「では、六郎太という子はおらぬのか」
「ええ、知りませぬな」
喜二郎と名主は面識があるようだった。
名主は鈴へ目を向ける。身元の分からない娘だからか、どこか警戒しているようだった。
「立ち話もなんです、どうでしょう。お食事を用意しましたので、ゆっくり話しませぬか」
「いや……」
喜二郎が断ろうとした、その時だった。
ぐぅぅ……。
静かな屋敷に鈴の腹の虫が響いた。
喜二郎は目を丸くした後、ため息をついて頷く。
「…せっかくの好意だ。馳走になる」
「では、こちらへ」
真っ赤になる鈴をよそに、二人は奥へ進んでいく。
(お、美味しそうな匂いがするのが悪いんだよ……!)
バツの悪い顔をしながら、鈴は彼らについていった。
客間には何も置かれていなかったが、すぐに盆に載った食事が運ばれてくる。
ちょうど名主の家も食事時だったようである。
喜二郎と鈴は手を合わせる。
「おいひぃ」
味噌汁をすすった鈴は、思わず声を漏らす。
質素な食事だったが、温かな味噌汁があるだけで心まで満たされる気がした。
鈴が食べたのをみて、しばらくしてから喜二郎も箸をつける。
(……あっ! 叔父上、私に毒見させたな!)
一瞬遅れて鈴がその事実に気が付いて睨みつけるが、喜二郎は気にしたそぶりも見せない。
喜二郎も「味噌汁がうまいな」と言うと、名主は神妙にうなずいた。
「先の宝暦の大飢饉で最も苦しんだのは塩気なのです。それからという物、味噌作りには少しばかり凝っております」
「ほう」
「米も難儀でしたが、それ以上に味噌が手に入りませなんだ」
宝暦の大飢饉のときは米よりも味噌の調達が一番難儀だったらしい。
それから家で消費する分は自分たちで作るようになったとのことだ。
「して、喜二郎殿。年貢の方につきましては、御父君に些か便宜を図っていただきたく……」
「……口添えはしておこう。宝暦の飢饉のこと、父上は重々承知だ」
二人は何やら難しい話をしていた。
8つだというのに、もう私より賢い感じがするってどういうことなの。
鈴は久々の食事を終える。
「六郎太」という名は、本百姓の家ではよく見られる名です、と名主は言った。
「それに『太郎』ではなく『朗太』という名は、農民でもある程度の家柄に見られます」
「そうか、世話になった」
鈴と喜二郎は農家の家を回ってみることにした。
名主は林家の当主に何卒便宜を、と言って握り飯を二つ持たせてくれた。
「……スズ、未来の話は某以外にはするなよ」
道中、喜二郎は鈴にそう釘を刺した。
「……どうして?」
「気でも触れた者と思われる」
ひどすぎる。私は何一つ嘘なんて言っていないのに!
(あ、嘘ついてた)
つい先ほど本名を偽ったではないか。
「あぁ……だからみんな私をスズって呼ぶんだ、なるほどね」
「……本名は違うのか?」
内緒、と鈴は人差し指を当てる。
未来の私のため、この時代にいるときはスズと名乗ることにしよう。
そう、十二年後の私が困らないために。
「ってことは、私の話、信じる気になったんだ?」
「いや、まったく」
喜二郎は首を振る。
どうやら喜二郎の信頼を得るのはまだまだかかりそうだった。




