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テンメイズヘル  作者: アントン
序章
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2/10

仙台の鈴

時は天明元年、西暦1781年。

東北最大の城下町、仙台。

その城下の一角に立派な屋敷を構えた家がある。


林家。


東北でも名の知れた学者と藩医の家柄だった。

分家ながら数々の功績を残し、藩医として代々藩に仕えてきた名家である。

その屋敷の一角。布団の中でもそもそと動く。


林家の一人娘、リン

今年で12。そろそろ大人の仲間入りだ。

朝早くから使用人たちが慌ただしく働いている。


「リーン」

寝ぼけた眼で声の方を向く。

着物にタスキを掛け、忙しいのか襖から首をのぞかせる母。

鈴はいつものように母に起こされる。

「ほら、寺子屋にいく用意をしなさい」

「はぁい……」

寝ぼけ眼のまま朝食を食べ、支度を整えた。


藩医の家系である林家は、侍や町人の家とは違う。

客人が訪れることも多く、屋敷には常に人の出入りがあった。

だが、鈴にとってはそれが当たり前の日常だった。


「リン、またぼんやりしているの?」

母にそう言われ、鈴は慌てて箸を動かす。

父の市平は朝から藩の医学校での講義に出かけていた。

祖父の什吾も同じく藩の仕事で城へ上がっている。

家族が揃うことは意外と少ない。

それでも林家は温かい家だった。


「リン、帰りに喜二郎の様子を見てきてくれる?」

「うん、いいよ」

喜二郎と言うのは父の弟、つまり叔父のことだ。

林家の実家ではなく、自前の家を建てて住んでいる。

父と母は何くれなく叔父の様子を気にしており、心配しているのだ。

かくいう鈴も、よく叔父の家には遊びに行く。

蔵書…というか本をたくさん持っているためである。

今日も本を借りて、物語に思いを馳せるのが楽しみだ。

叔父の家には特に冒険譚のような本が多く、そこが実家の蔵書と違うところだ。


食事を終えた鈴は町へ出る。

鈴は城下を吹き抜ける風を感じる。

味噌の香り、魚を焼く匂い、人々の笑い声。

仙台の街並みは、今日も活気がある。

この町を離れる日が来るとしても、仙台が日ノ本で一番好きな町であることは変わらない。

「よし、行こう!」

鈴は足早に寺子屋へと駆け出して行った

---。

寺子屋では文字や算術を学ぶ。

鈴は授業の中でも歴史の話が好きだった。

特に好きなのは戦国武将の物語。なかでも真田幸村の伝説は何度聞いても飽きない。

叔父に本を借りた本は擦り切れるまで読んでしまい、彼が苦笑いしていたのを覚えている。

ちなみに鈴は医術の知識はなく、家族も継承させるつもりはないようだ。

いずれ婿を取り、その人に継がせるのだろう。

寺子屋が終わった帰り道、仙台の町は今日も賑やかだった。

12年生きてきたこの日常の光景が、鈴を満たしてくれる。


寺子屋を出た途端、冷たい風が髪を揺らした。

「うう…寒っ」

昨年より少し肌寒い気がする。

夏だというのに風はひんやりとしていた。


「あ、そうだ。叔父上に挨拶しなきゃ」

鈴は母から頼まれていた、叔父の喜二郎の様子を見てくるお願いを思い出す。

実家から少し離れた杉林の道を歩く。

木漏れ日が差し込む杉林を歩き、彼の家を目指す。

やがて見えてくる生垣と門に囲まれた家、喜二郎の家にたどり着く。

少し裕福な長男が住む家、といった風情だ。


(真田伝説記、また借りなきゃ!)

様子を見てこい、と母に言われたが、鈴はもっぱら物語の本が目当てである。

時々知らない大人が訪ねて来るので落ち着かないが、それでも本を借りるために足を運んでしまう。

揃えてある本はどれも面白い。


「叔父上、いらっしゃいますかー!」

鈴が門の前で声を張ると、「開いている」と家の方から声がする。

遠慮なく鈴は門をくぐると、喜二郎は机に向かい難しい顔で書き物をしていた。

「叔父上、また仕事?」

「仕事ではない。考え事だ」

「それ、仕事と何が違うの?」

喜二郎は苦笑いしながら顔を上げる。

いつも忙しそうにしているが、決して邪険にしたり追い返そうとはしない。

顔も広く、遠方から彼を訪ねてくる客も多いらしい。

書き物の横には、仙台藩だけでなく米沢や白石、江戸の地図まで広げられていた。

ちょっとからかいたくなって、喜二郎を茶化してみる。

「林家の麒麟児って、なんか語呂がいいよね」

「……その呼び方は好きではない」

叔父上は、世間では「林家の麒麟児」と呼ばれているらしい。

彼自身はこの異名を「明智殿の呼び名は、遠慮したい……」と嘆いていたが。

叔父上は基本的に優しく、私の味方である。

鈴は勝手に座り込み、机の上を覗き込む。

何か手紙を書いているようだったが、達筆過ぎる上に難しい文字ばかりで何も分からなかった。

「つまらない」

「そうだろうな。……ところで今日はどうした」

「あ、そうだ。真田伝説記の後編貸して!」

そんなやり取りをしながら、鈴はにかっと笑った。

喜二郎も仕方なそうに、笑いながら息を吐く。


それが二人の日常だった。

叔父がいなくなる未来など、一度も考えたことがなかった。

この時の鈴は、まだ何も知らない。

未来のことも。過去のことも。

世界が大きく変わろうとしていることも。

ただ、当たり前の日々が続くものだと信じていた。

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