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あなたを、知りたい

喧騒が激しくなり、鈴は扉の前から動くことができなかった。


ガサリ。


「えっ…?」

物音に気付くと、生垣をよじ登ってくる人影があった。


この家の周りは塀ではなく生垣によって囲まれた造りだ。

だが生垣は枯れており、入ろうと思えば、木の枝を刈り取って容易に入れてしまう。


「ろ、六郎太! 六郎太ー!」

力いっぱい、彼の名を叫ぶ。


―――門の外から、返事はなかった。


ドサリ、と生け垣を越えた人影が敷地内に落ちてくる。

一瞬だけ見えたその眼は血走っており、鈴に向かって突進してきた。


「うっ…!」

鈴は間一髪避け、その人影は門に衝突する。

振り返ると、続々と人影が生け垣を越え始めていた。


「―――っ!!」

鈴は震える足を叱咤して立ち上がり、駆け出す。

ここは四方を生垣に囲まれた敷地、逃げるのは家か土蔵しかない。


(土蔵…!)

家は雨どいで覆われていたが、武器を持った人間なら押し入れてもおかしくない。


だが、この家の土蔵なら戸の後ろから閂がかけられたはずだ。

本家の土蔵もそうだが、なぜ内側から閂がかけられるのかは、今は考えても仕方がない。


幸い、土蔵には鍵はかかっていなかった。

土蔵の中に入り、すぐに閂をかける。


外では狂気じみた声が響き続けていた。

鈴は扉の前で、膝から崩れ落ちる。




「もう、嫌だよ……」

―――六郎太を、見殺しにした。

恐怖と自責で震える鈴。


この絶望的な未来で、唯一言葉を交わせた相手。

自分を命懸けで守ってくれた六郎太を。

鈴は……見捨てた。


「人」を、見捨てた。


「………嫌だよ」

始まりは、なんだったのだろう。

どうしてこうなってしまったのだろうか。


そうして思い至る。

―――鈴が見捨てたのは、六郎太だけではない。


あの時、自分に能力がないと言って。

鈴は過去の喜二郎と、農民達を……見捨てた。

その結果がこんな未来を、引き起こした。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ――!」


こんな、地獄の未来は、嫌だ。

胸が苦しい、頭が痛い、息が乱れる。


何も入っていない腹から胃液がこみ上げる。

目頭が、熱い。


「なんで」

外で響く喧騒が耳に入ってこない。


どうすればよかったのか、ぐるぐると思考が回る。

六郎太は、鈴に未来を変えてくれと言った。


自分にそんな力、あるわけがない。

過去でも未来でも、逃げてばかりだ。


「なのに、なんで…」

鈴はぽつりと呟く。

「なんで、誰も」


鈴を、責めないのか。


過去で鈴が堰の問題を解決できていれば、喜二郎の負担を減らせたかもしれない。

そして、農民たちは鈴にはそれができると、そう言っていた。


だったら、その責任を果たさなかった自分を彼らは責めてもよかったはずだ。

もし、この未来の一端が自分の選択にあるのなら―――。


(六郎太は、私を責める資格があったはずなのに。なんで……)

なんで、自らの命を懸けてまで、鈴を守ろうとしたか。


「……嫌だ」

鈴の力を信じて命を懸けた六郎太。

この絶望的な未来で、過去から来るであろう人をいつとも知れず待ち続けた六郎太。

もし、あの時、自分が逃げなかったことで、この未来が変えられるというのなら。


(変えたい……)

こんなどうにもならない未来を。

地獄のような「終わった世界」を。

変えられるのなら――変えてしまいたい。


(……そんな、夢みたいなこと。できるはずがないのに)

過ぎ去りし日は遠く、深い憂いが胸から離れない。


人生で、たった一つだけ願いが叶うなら。

今度こそ、逃げたくない。

私は――この未来を変えるため、過去に戻りたい。




鈴は恐る恐る顔を上げる。

土蔵は綺麗に管理されていた。

誰かが守り続けていたことが分かる。


「あれは…」

鈴は、見覚えのある物を見つける。


そこにはたった一つだけ、立てかけられた風流な絵。

まるで生きているかのような、見事な筆使い。


この地獄の未来に、そして自分の知らない過去へつなげた――あの掛け軸。


だが今まで見たものとは、また違った内容である。

叔父の家の土蔵にも保存してあったのか。


「……なんだろう。すごく温かさを感じる絵」

実家で見たものとはまるで違う、温かみを感じる光景だ。


そこに書かれているのは二人の少年と、一人の農夫。

三人が肩を寄せ合い、食事を囲んでいる絵だった。

鈴は六郎太から預かった、書付の言葉を思い出す。


「過去を知りたいなら叔父を尋ねよ」

過去への通行手形。

これがそうであるなら、賭けるしかない。


(私が、そのきっかけになれるなら――)

自分の力はちっぽけで、震えるしかなくて、未来を変える自信なんてない 。


それでも、六郎太はそんな自分を身を挺してここまで連れてきた。

そして、六郎太は「自分はスズ姉に何度も救われた」と言った。


鈴は、薄汚れた薬袋を握りしめ、懐にしまう。

叔父上も、六郎太も、村の人たちも。


「みんな、『スズ』を知っていた」

みんなが知っている『スズ』を、鈴だけが知らない。


――ならば、どこかに「始まり」があるはずだ。


弱く、何も決められない自分でも。

どこかで誰かを救えた瞬間があったのなら。


―――それを知りたい。


叔父の家に掛け軸があるのは、おそらく偶然ではない。

鈴は掛け軸へ手を伸ばす。


視界が白く染まり、世界が遠ざかる。

足元が消え、落ちるような感覚に襲われる。

鈴は思わず目を閉じ、次の瞬間、景色が変わる。


「――っ!」


そこは壊滅した未来ではなく――

まだ壊れていない、本家の土蔵だった。

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