不在の麒麟
「……叔父上は?」
鈴は喜二郎の安否を尋ねる。
もう、家はない。
家族が無事であるかは、絶望的である。
だが、喜二郎は実家の外に家を構えていた。
彼だけは生きている可能性はある。
――そして、彼なら。
喜二郎なら、この現実さえ変えられるかもしれない。
鈴はその思いを胸に、もう一度声に出した。
「叔父上はどこにいるの?」
その問いに、六郎太は鈴を探るような眼で見つめる。
なんだろう……嫌な予感がした。
「……スズ姉が、キジ兄と最後にあったのはいつだ?」
「えっと、明和五年」
天明元年の夏に会っているが、おそらく六郎太が知りたいのはこちらだろう。
六郎太はその答えを聞き、遠くを指さした。
「キジ兄は……今ここに、いない」
その方向は喜二郎の家でも、実家の方向でもない。
―――仙台城があるはずの方向だ。
だが、そんなに近くにいるなら、なぜ六郎太は「仙台城」と言わないのだろうか。
その指が示す先……あっちは米沢とか、江戸の方向でもあるが、そちらだろうか。
鈴が疑問に思っていると、六郎太は己の胸の内を独白した。
「……キジ兄が、ここにいてくれたら。何度もそう思ったさ」
六郎太は周囲を見渡す。
……すべてが灰色の、崩壊した仙台を。
「もう、すべてが、手遅れさ……」
神や仏でも、もはや仙台は救えない。
六郎太の諦めきった声は、そう告げていた。
この惨状を見れば、誰だってそう思いたくなる。
だけど、喜二郎なら。
林家の麒麟児なら、この状況でも起死回生の一手を示してくれるのではないか。
鈴はそう思わずにはいられなかった。
だが考えとは裏腹に、六郎太は鈴にむかって頭を下げる。
「キジ兄は、麒麟児かもしれないが、変えられるのはアンタだ、スズ姉」
「わ、私……?」
六郎太の言っている意味を、鈴は理解できなかった。
喜二郎ではなく、なぜ鈴を指名するのか。
喜二郎にできないことを、鈴ができるはずもないのに。
だが、鈴を見据える六郎太の目には、力強い輝きがあった。
「スズ姉、後生だ。――こんな未来を変えてくれ」
その言葉が、どんな意味をもつのか。
鈴は言葉の意味を反芻する。
(この未来を、変える……?)
灰色の空、色のない街並み、飢えと病に苦しむ人たち。
ここに住む人たちを、鈴がなんとかする。
「無理、だよ……」
本気でそう言っているのだろうか。
わずか12歳の子供が、この未来を変えられるなんて、どうして思うのか。
時を掛ける。
そんな夢みたいな力……過去を変えられたとして、何を変えればいいというのだ。
「………」
できない。
自分には荷が重すぎる。
それこそ、喜二郎のような麒麟児でない限り、そんな大仕事できるはずがない。
鈴自身ではなく、……遠くにいるといっても健在なら、その役目は叔父しかいないではないか。
「できるよ、スズ姉なら」
六郎太の期待に満ちた二つの眼が、鈴を見ていた。
「スズ姉がどうやってこの時代に来たのかは、知っている」
「なら――!」
「でも、オイラ達も試したが、ダメだった。……ダメなんだよ」
悔しそうにする六郎太。
時間を掛ける……それができるのは、鈴だけだとでもいうのか。
(でも………なんで、私なの!)
鈴は何かに秀でた能力があるわけでもなく、頭が良いわけでもない。
特別な人間ではないし、何かを変えられる力もない。
「……背負えない。背負えるわけないでしょ! こんな未来をどうにかなんて、できないよ!」
「スズ姉は―――」
「私は! スズじゃない! リンだよ! それが誰か知らないし、仮に私だったとしても!」
鈴は力なく、手を下ろした。
「……私に、私なんかに、誰かを救える力なんて、あるわけないよ」
未来を救うなんて、この凡才の手に余りある。
少なくとも、鈴には無理である。できるはずもない。
あの過去に戻った時だって、何もできないまま、この未来に来たのだ。
「オイラは何度も救われた」
できない理由を考えていく鈴に、六郎太は優しく語りかけた。
それは先ほどの懇願する目とは違い、昔を思い出すような……そんな目をしていた。
「たとえスズ姉が、自分を信じられなくても。オイラがスズ姉を誰よりも信じている。それは絶対だ」
「……」
その信頼の言葉に、鈴は何も答えられない。
風の音だけが、周囲にこだまする。
「信じられないかい。でも、これが証拠で、証だ」
六郎太は懐から何かを取り出し、鈴の前に差し出した。
そう言って渡されたのは、古びた薬袋。
藩医が持つ絹に、喜二郎が施した見事な刺繍。
ついさきほどまで、食べ物があると間違われた……あの小袋に似ていた。
六郎太は「キジ兄は望まないだろうが」と前置きして、薬袋を鈴へ渡す。
「キジ兄が…ここにいないとき。もし過去から来た人がいたら、渡してくれって頼まれていた」
(頼まれていた……?)
それは、用意したのが喜二郎ではないような口ぶりだ。
その人物のことを六郎太は語らない。
恐る恐る、鈴はその薬袋を受け取り、逆さに振る。
「紙が入ってる…?」
掌に落ちたのは薬ではなく、三枚の書付が入っていた。
そのうち一枚だけに「壱」と書かれている。
鈴はそれを開く。
「未来を知りたいなら祖父を尋ね、過去を知りたいなら叔父を尋ねよ」
そこには、それだけ書かれていた。
どこかで見たような字で、叔父の時に比べるとずいぶんと丸みを帯びている。
「お爺様……」
鈴は書付を握りしめる。
家も、叔父もいない世界。
仙台城がまだあるなら、祖父……藩医の林什吾はそこにいるかもしれない。
これが何の、そして誰が書いた手紙なのかはわからない。
それでも、今は家族に会いたい。
その気持ちだけが、鈴の心の中にあった。




