テンのイシ
祝言まで十日を切ったある日、母の初が大量のこけしを買ってきた。
どこに行っていたのかと思ったら、父と一緒にあの湯治村に行っていたらしい。
「リンが作ったという湯治村、素晴らしかったわ。温泉も言わずもがなだけど、作法が整っていたのが特にね」
だってその作法を教育したの、私じゃなくて六郎太だもの。
鈴はどちらかというと平民の方の接客担当を教育していた、なんて母に口が裂けても言えるはずがない。
しかし湯治村ということは、近くの白石方面にも行ったついでなのかもしれない。
あの母がまさか温泉だけが目的で動くということはないだろう。
ちなみに鈴は輿入れの日が近づくにつれて、何も役割がない毎日をどう過ごしたらよいか持て余し始めていた。
今まで激動の数年間を過ごしていた鈴にとって、危険がない日々がこれほど緊張感を失わせるものだとは思わなかった。
食料の計算もしなくていいし、村人の喧嘩仲裁もしなくてもいい。
蔵のモチ達を世話することもないし、ネズミに怯える心配もしなくていい。
花嫁修業という自分の勉強をしているだけなのにご飯が食べられる。
失敗しても怒られるだけで人が死ぬわけでもないし、一家の命を天秤に掛けることもない。
そんな今まで望んできた理想の生活をしているはずなのに。
責任を持たなくてもいい生活を、どう過ごしていいのか鈴は分からなくなっていた。
簡単に言えば、落ち着かない。
あんなに無理難題を吹っかけられ続けて、いつもべそをかきながら皆に泣きついて。
それでもどうにかこうにか乗り切って一安心することもない。
もう安心が日常にあるからだ。
このような日がくることを望んでいたはずだった。
(でも、違うんだよなぁ……)
仙台は飢饉を乗り越えた。……そう言ってもいいだろう。
しかし、他の藩ではまだ天明の大飢饉が続いている。
なにか、できることはないかとずっと考えていた。
(ナナシと六郎太に聞いた時は、できることは何もないって言われたんだよね……)
こんな気持ちで祝言を挙げていいのだろうか。
不幸な人が大勢いる中で、祝い事をしてもいいのだろうか。
そんな気持ちを喜二郎に打ち明けたところ、彼はなんとも言えない表情をしていた。
「心苦しい気持ちはわかる。だが仙台が飢饉を乗り越えたと言っても、食料を融通する余裕があるわけではない。……それぞれの藩がこの飢饉でどれだけ身を切ったかによって、藩民の運命が決まる。支援するのは、まだ先の話だ」
「……うん。そうだよね」
陸奥の国を救済できる案など鈴には持ち合わせておらず、納得するしかなかった。
仙台が安定するまで、自分ではもうどうすることもできない。
頭ではそう納得した。
しかし心の中では、折り合いをつけるのはなかなか難しそうであった。
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「リン、さすが私の娘ね。日ノ本一の美人よ」
白無垢の衣装合わせをしながら、母の初がそう言い切る。
鈴よりも母の方が張り切っており、その勢いに鈴は気圧されていた。
あと数日で祝言であり、花嫁修業も一通り完了した。
どこに行っても恥ずかしくない、と母からは太鼓判を押された。
衣装合わせが終わり白無垢からいつもの服装に戻ると、父の市平と喜二郎が帰ってくる。
「お帰りなさいませ」
鈴がそう声をかけると、父たちは「ただいま」と返事をしてくれる。
しかし、白無垢が仕舞われるのを見た父が、明らかに残念そうな表情をしていた。
「せっかくなら、もう一度着てみせてくれ」
「えぇ……?」
あれ、着るのも脱ぐのも大変なんだよ。
鈴がそう言ったら「冗談だ」と父が微笑んだ。
それから父と母の間で、式の進行についての議論が始まる。
あのー、それ一週間前に完璧って言ってたやつなのに、どこを直すつもりなのだろう。
「いやいや、まだまだ練り足りない」
「私たちに任せなさい」
その熱気に、横にいた喜二郎と一緒に鈴は肩を竦めた。
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庭の縁側で、鈴と喜二郎は空を見上げる。
夏にはあれほど曇っていた空が、今では月明かりが見えるまでになった。
「叔父上は、これで良かったと思う?」
祝言のこと、飢饉のこと、時掛けのこと。
全てひっくるめて鈴は喜二郎に尋ねた。
喜二郎は頷く。
「……ああ、某たちは精一杯やった。父上も言っていたが、本来歴史は変えるべきではないと思う」
だが、そう言った喜二郎の表情は曇っている。
どの部分が気になったのか、聞いても良い物だろうか。
「リンの方はどうだ」
「私? うーん……」
喜二郎の問いに、鈴は唸り声をあげる。
歴史を変えるべきではない、と喜二郎は言うが鈴はそうは思わない。
本来たどるべきだった未来は、それはそれでどこかに行きつく。
だが、悪い未来が分かっていてそれを変えられるなら、鈴は変えるべきだと思っている。
素直にそう話すと、喜二郎はおかしそうに笑った。
「リンは変わらないな」
そう月を見上げる喜二郎は、どこか物憂げだった。
会話も続かず、二人で月を眺める。
この月をどれだけ待ちわびていたのか、喜二郎は愛おしげに空を見上げていた。
「仙台は、もう大丈夫だ」
唐突に喜二郎は呟いた。
鈴もその言葉に頷く。
「そうだね。私たち、ここまで頑張って来たんだもんね」
「……だから、リン。お前の本当の願いのために、これからの時間を使ってもいいんだぞ」
喜二郎はそう言って、見上げていた月から少しだけ目をこちらに向けていた。
本当の願い……って何だろう?
首をかしげる鈴に、立ち上がった喜二郎は手を差し伸べる。
「迷っているんだろう? だったら、最後の選択がどのようなものになるかは、天の意思に任せてみないか」
「天の意思って?」
喜二郎の手を取り立ち上がると、喜二郎は廊下を歩きだす。
連れられるまま、鈴はその背中を追った。




