清風明月
秋が終わり、肌寒い冬がやってきた。
色々あったが、鈴と喜二郎の式の日取りは年明け三日目となった。
あと一か月ちょっとで鈴も奥方様と呼ばれることになる、なんだか感慨深い。
「リンの場合は側室だから『林の方』と呼ばれると思うけどね。正妻の座を狙ってもいいのよ」
「私にその気はないよ、母上」
それに林の方、というのはなんだか可愛くない。
他に何か別の呼び方がないものだろうか。
「そうねぇ。家紋に竹が入っているから……竹の方とかかしら」
「何か宿の階級みたいな呼び方だし、まだ林の方がマシだよ……」
それに仙台の武家は七夕に因んで竹の家紋を入れる家柄が多い。
大名屋敷で暮らすことになったら竹の方がいっぱいいて、自分だと分からないなんてこともありそうだ。
何はともあれ、とにかく早めに子供を産むのが大事らしい。
喜二郎との子供って、なんだか想像できない自分がいた。
花嫁修業という名のよくわからない軍事訓練も、一通りできるようになった。
唯一料理の腕だけはそこそこだったが、城に住むことになれば鈴が料理することはあまりない。
あと一か月ほどは特に何もすることがない。名主村のことも、もうほとんど関わることはなくなった。
ひたすら反復練習しながら嫁入りの日を待つ日々である。
「能や茶道の腕は……城に行くことになってから練習するといいわ」
「母上も苦手だったんだね、意外」
イロハに言われていた能や茶道だが、初も苦手だったらしく後回しにしていたらしい。
この前、塩釜から来たトミに教えてもらっている時、初も鈴の横でいそいそと手習いしていたのは印象深かった。
「能も抹茶も、良さが分からないのよ。むしろ椀がどれくらいの値で売れるかの方が興味深かったわ」
そういえば母は商人の血も継いでいるのだった。
売れる売れないの方が分かりやすいのは、鈴も同意である。
母と一緒に「良いお手前で」と言い合いながら練習していると、喜二郎と市平が城から帰ってきた。
「お帰りなさいませ、旦那様。喜二郎」
「お帰りなさいませ」
市平が感激したように、鈴と初を抱きしめようと飛び込んできた。
むろん鈴たち母娘は軽く躱したので、市平は畳の上をすべることになって、その横で見ていた喜二郎が天井を仰いでいた。
喜二郎はしばらく城での勤めが忙しいらしく、最近あんまり顔を合わせていない。
だけど離れて不安に感じることもなければ、あんまり照れ臭いという感じもしない。
……長く家族として接してきたせいだろうか、夫婦になってもあんまり変わらない気がしてきた。
「リン。お主宛に文を預かっている」
「えっ、誰からだろう」
イロハかな、と思ったが差出人はミクニだった。
なんか鈴の祝言の日に仙台に来るらしいというような旨が書かれていた。
以前「仙台にくるのに費用がかかるので、お支払いを!」とかあれだけ騒いでいたのに、気軽に来てもいいのだろうか。
というか、どこでその情報を知ったのだろう。謎である。
「薩摩……いや、島津の情報網もなかなか侮れないということなのだろう。イロハ様の祝言ではなく、リンの祝言に来るというのに何かしらの意図があるのかもしれない」
「まぁ、祝福してくれるんなら嬉しいよ」
鈴はそう言って苦笑いして文を懐にしまった。
すると喜二郎が鈴の正面に座り、鈴の首に何かを掛けた。
石か何かの首飾りのようだ。
「遅くなったが、結納の品だ」
「わっ、ありがとう叔父上」
鈴がそう素直に喜んだが、初が咳払いする。
おっとそうだった、もうそろそろ旦那様って言わなきゃならないんだよね。
ちなみに鈴からは真田紐で編んだ腰帯を贈った。
嫁入り道具一式は既に林家にあるため移動もない。個人のやり取りだけでいいらしい。
鈴が嫁入りすることを知らせるのは、イロハが結婚してからという話なので、身内だけの祝言になるそうだ。
ちなみにどこから聞きつけたのか、名主村の皆と塩釜の三吉たちはすでに知っているらしい。
ささやかながら村で祝福をしてくれるとのことだ。
そこに行けない鈴としてはその気持ちだけでも嬉しかった。
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夜半、部屋に差し込む月明かりで鈴は目が覚めた。
光に誘われて襖をそっと開けると、見事な満月が空に浮かんでいた。
「わぁ~綺麗。久々のお月様だ」
あ、しまった。こういう時は何か一句詠まなければならないのだった。
えーと……霧濡れど、ことほぎに見ゆ、萩の月。
知ってはいたが、鈴に詩の才能はなさそうである。
このまま眠るのはもったいない気がしたので、少しだけ月見としゃれこもうではないか。
えーと、父上の隠し酒ってどこにあったっけ……。
さすがに起こすのは申し訳ないし、この時間に尋ねたら母上の雷が落ちかねない。
仕方ない。こっそり土蔵に隠していた砂糖を舐めるくらいにしておこう。
いそいそと縁側から土蔵に行こうとすると、先客がいた。
ナナシだった。
「ナナシもお月見?」
鈴がそう声を掛けたが、ナナシは一瞥しただけで特に反応を返さなかった。
まぁ、こういう反応にもかなり慣れた。
縁側から土蔵に行こうと思ったのだが、あいにくと外に行くためのわらじはナナシが履いていた。
まさか甘味を取らせないようにここに張っていたなんて言わないよね。
しかし少し違和感があることに気が付く。
ナナシ、私の見えない位置に一瞬だけ何か隠したよね。
ひょいとナナシの正面を覗くと、皿に稲荷ずしが乗っていた。
「あ、ずるいー。砂糖とか汁とか絶対隠してあったやつ使ったでしょー」
「……」
ちらちらとナナシを見る。
ほら、黙っていてほしければ、分かっているよね?
ナナシは観念したように皿を鈴の方へ近づける。
ちゃっかり稲荷の半分は手に握っていたが、二つも食べられれば鈴は満足である。
「おいひぃ」
甘じょっぱくてフワフワの油揚げに、あまじょっぱい酢飯が絡んで絶品だ。
しかし酒の代わりに稲荷ずしで月見とは、ナナシも風流である。
「そう言えば、私ナナシがお酒飲んでいるところ見たことないね。こういう日に飲みたくならないの?」
「……ご先祖様は流罪になった時、酒を得るために敵方の兄へ頭を下げた。俺は兄に頭を下げるつもりはない」
へぇー。ナナシって兄弟いたんだ。聞いたことなかった。
しかしナナシのご先祖様とは興味深い、きっと真田幸村伝説にあった話のことなのだろう。
天明の大飢饉が落ち着いたら一度でいいから真田のお話を聞いてみたいと思っていたんだよね。
鈴は期待の眼差しでナナシを見ていたが、ナナシは何も語ることなく腰を上げた。
「なんだよぅ。教えてくれてもいいじゃん」
「……敗者の歴史だ。語る価値などない」
いやいや、私にとっては値千金だよ。
だがナナシはため息一つ吐いて「知りたければ母君に聞け」と言って去っていった。
少し残念な気持ちになりながら最後の稲荷を食む。
うん。やっぱりおいひぃ。




