イロハのご褒美
収穫祭が終わってから数日後、林家に文が届いた。
受け取った女中によると、いつもの菅笠さんから受け取ったらしい。
「イロハから文ね。どれどれ……」
鈴がイロハからの文を受け取ると、封蝋を割って中身を確認する。
中には短く「喜二郎の家でお話しましょ」みたいなことが書かれていた。
……姫ってお城にずっといるものだと思ったのだが、イロハやミクニを見ている限りそうでもないのだろうか。
喜二郎は日中は城に出向いているのでいないが、喜二郎宅は自由に使ってもよいという許可をもらっている。
「ナナシ、叔父上の家に行こうと思うんだけど」
客間でずーっと胡坐を組んで座っているナナシに声をかけると、露骨に嫌そうな顔をする。
ぴらっとイロハからの文を見せて要件を伝えると、ナナシの眉間の皺がすーっと無くなっていった。解せない。
さて、イロハから話って何だろうな。
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鈴はナナシと共に喜二郎宅に向かうと、そこには福がいた。
「おりん様、お帰りなさいませ」
「あ、うん。私もお帰りなんだね。ありがと」
喜二郎と婚姻することが決まってから、福はお帰りと言うようになった。
あんまり広めていないはずなんだけど、喜二郎が話したのだろうか。
福はいそいそと鈴とナナシにお茶の準備をしてくれるが、それくらいは自分でやろう。
「いえ、これが私の仕事ですので。それより本日はなぜこちらに?」
「うん。えーと……私の友人がこれから来るんだけど……」
鈴が言葉を濁し気味にすると、福は何かを察したように準備を始めた。
茶菓子は倹約令で用意できなかったようだが、入り豆を用意してくれた。
倹約令にギリギリ引っかからないのが、この入り豆らしい。
「では、私は門の前で掃除しておりますので、ごゆっくり」
「あ、うん。気を使ってくれてありがとう」
福はお茶の用意を整えると、一礼して部屋から出ていった。
久しぶりに何もやらなくてよい時間ができたが、こういった時に鈴はいったい何をしていたのだろうか。
……真田紐でも編んでいようかな。
お茶を飲み終えて紐を編もうとしたとき、外から扉を叩く音が聞こえてくる。
ずっと部屋の壁に寄りかかっていたナナシが様子を見に行った。
しばらくしてイロハが部屋に入ってくる。
「お久しゅうございます、五郎八様」
「ええ、しばらくぶりね。リン」
余所行きの挨拶を済ませ、イロハは指文字で「楽にしていいわよ」と示してくる。
鈴は肩の力を抜いて「了解」と指文字で返答し、それを見たイロハが驚いたように手を口に当てた。
「……もう指文字を覚えたの?」
「母上がうるさいんだよ。花嫁修業で一番最初に覚えさせられたんだから」
イロハは「なるほどね」と納得したようだ。
鈴はイロハに座布団をすすめ、福が用意してくれたお茶をイロハにも注ぐ。
一息ついたイロハも、姿勢を楽にしていた。
「清右衛門に認められたわ。例の刺繍も含めてね」
「やった」
イロハの言葉に鈴はこぶしをグッと握った。
先日、鈴を活かすために何かしらの利点を示せ、と言われて提出したのが例の高級フンドシだ。
当初は図面だけを渡す予定だったが、商品として完成している方が価値も高い、という助言をイロハにしてもらった。
その結果、フンドシの完成品を作り上げて清右衛門に納品することになった。
鈴の力だけでなく、母の力も借りて縫ったものだが、出来はかなり良いと自負している。
あえて図面に書かずに現物を渡したのは、トカゲのしっぽ切りにされないためでもある。
これがある限り、鈴を生かす理由になるだろう。
イロハが諸々の事情を汲み取って頷く。
「例の物は、絶対に一気に渡してはダメよ。紙に書くのも薦めないわ。あなたの頭に図面があるうちは清右衛門を筆頭とする輩も手が出せないのだから」
「わかってるよ」
鈴は今まで書き溜めていた喜二郎の刺繍書き写しを、全部焼却した。
もし鈴を切り捨てようとすれば、もはや一反八両と清右衛門が言った高級フンドシは手に入らなくなる。
……実は写しだけは残しているので、それが見つかれば大事なのだが、それはもう仕方ない。
「喜二郎の方の施策は革新的な案が多いのだけれど、家老を説得するのに時間がかかっているわね。本当なら押し通したいところだけど、角を立てないように慎重に進めているわ」
角が立てば足の引っ張り合いになるのが人間の常なのだろう、怖い話だ。
話を聞く限り、仙台藩側から命を狙われる理由も少なくなっている気がした。
あくまでも有用性を示している内は、だが。
とりあえず血なまぐさいお話は一区切りといったところだろう。
鈴が安心したように大きな息を吐くと、イロハはくすりと笑った。
「ようやく婚姻の土台が固まったわね、お疲れ様」
「イロハからその言葉を聞くまで、気が気でなかったよ」
あと数か月もしないうちに喜二郎と祝言を挙げる。
だがその日までに藩が鈴たちを切れない理由を作るのは大変だった。
イロハは労うようにポンポンと自身の膝を叩く。
「ご褒美をあげるわ。頭を乗せなさい」
そう言うと、イロハは懐から耳かきを取り出していた。
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鈴はイロハの膝に頭を乗せて、耳かきをしてもらっていた。
極楽だ。人に耳かきしてもらうのがこんなに気持ちいいとは思わなかった。
イロハからはいい香りがしていて、うとうとと鈴は眠くなってきていた。
「イロハ、聞いてもいーい?」
「あなた表情豊かだから、耳かきしている間に聞くのはオススメしないけど。それでもいいならどうぞ」
ああ、それは危ないかな。
じゃあ、聞いても驚かなそうなところから聞いていこう。
「初めて会った時、なんで白石まで来てたの?」
イロハと初めて会ったのは白石だった。
思えばあそこまで遠出しなくても、仙台の城下……それこそ今みたいに喜二郎の家にいるときに尋ねてくればよかったのではないだろうか。
「片倉の力を借りに行ったのよ。あなたに会ったのはそのついで」
「あ、そうなんだ」
てっきり鈴に会うために白石に来たのかと思っていたが、逆なのか。
たしかに表向きは片倉の力を借りに行くというより、鈴に会いに来たという方が色々都合が良かったのかもしれない。
「今度、城に白石温麺持っていくね」
「あなた、ひょっとして城生活で暖かい食事がとれるなんて思っていないわよね? 倹約令が終われば冷めた料理ばかりよ」
え、そうなのか。
お城って贅沢三昧でタイやアワビなどの高級品を毎日食べて、晩餐には高級なお酒付きの生活を想像していた。
冷めた料理って、冷や飯みたいなものかな?
味噌汁を掛ければ美味しくなりそうだけど、味噌汁もだめなのだろうか。
「食事に関しては街で食べた方が美味しいのは間違いないわ。夢を壊して悪いけど」
へぇ。町の食事を知っているんだ。
それを聞くのは野暮な気がして黙っておこう。
「それよりリン、花嫁修業は順調かしら」
「まぁ……そこそこ。ねぇ聞きたいんだけど、兵法や兵糧計算って、ほんとに私に必要になるの?」
鈴がそう尋ねると、イロハは少し考えて答えた。
「必要になる場合と、ならない場合があるわ」
「そっか。なら、まんざら無駄じゃないわけだね」
この太平の世には不要だと思っていたが、役に立つ可能性があるならしっかり勉強しておこう。
鈴がこれまで勉強してきた内容をイロハに話していくと、イロハは首を傾げた。
「……能や茶道の話が出てこないのだけれど、そっちは大丈夫なの?」
「えっ、なにそれ。初耳なんだけど」
イロハはため息を吐き、ポンポンと鈴の頭を優しくたたく。
鈴はイロハの方を向いてひっくり返った。
「城の中、特に女しか入れない場所は伏魔殿なのよ? 仙台はだいぶマシだけど、江戸の話を聞く限り教養のない女はすぐ命を落とすわ」
「なんか……いきなり物騒な話になったね」
鈴が恐怖に身を震わせていると、イロハはくすくすと笑った。
「だからあなたの母は権謀術数を教え込んでいるのでしょうね。あわよくば私と張り合わせようとしているのかしら?」
「私、イロハと争いたくないよ」
鈴がそう吐露すると「私もよ」とイロハも優しい顔をした。
「喜二郎と最初に結ばれるのが、あなたじゃなくてミクニだったら……私も全力で正妻の座を守るために気を張ったでしょうね」
「あ~……ミクニもそう言うの得意なんだ?」
なんかいつもぽかぽかした雰囲気のあるミクニが、そんな権謀術数を扱うのを想像できない。
「あの子が明るいから忘れているかもしれないけど、島津重豪の娘なのよ」
「……その言葉で目が覚めたよ」
鈴はイロハにそう言ったが、実のところミクニも重豪も嫌いではなかった。
むしろあの竹を割ったような快活さは、好感が持てる。
……うん、そう思っている鈴には権謀術数が向かないことはわかった。
その後、何気ない会話をしながら微睡みがやってくる。
いつの間にか眠りに落ちた鈴にイロハはずっと膝を貸し、その寝顔を眺めていた。




