天明の夜明け
夏ごろから少しずつ晴れ間が見え始めており、あっというまに秋の訪れが近づいていた。
これからは収穫の季節であるが、仙台藩は昨年までの絶望的な空気ではない。
なんといっても今年は米の収穫が見込めている。
農民も奉行も待ち望んでいた米が、収穫できそうなのである。
それを、鈴は実家の林家で喜二郎を通じて聞かされた。
「皆、リンに感謝していた」
「私は結局家から出られなかったから、その様子を見られなかったんだけどね」
去年までは藩の配給が村々の命綱だった。
だが今年は自分たちが収穫した米で命を繋ぐことができる。これほど嬉しいことがあるだろうか。
……まぁ、ほとんどは年貢として徴収されてしまうのが悲しいところなんだけど。
それでも名主村はあと数年の間、年貢を免除されているのできっと喜んでいるに違いない。
きっと収穫祭では盛り上がることだろう。
仙台の収穫祭は、倹約令の間もごちそうとお酒が堪能できる日である。
今までは七夕祭や新年の祭くらいしか楽しめなかった、お祭り騒ぎになるはずだ。
その喜びを一緒に分かち合えないのが、とても残念である。
「せっかくのお祭りなのに、武家には関係ないなんてあんまりだよ」
言わずもがな、鈴は両親に参加を許してもらえなかった。
名主村が落ち着いた今、あまり農民が関わる行事に参加するのはよろしくない、ということらしい。
……そういう建前になっている。
やる気がすっかり抜け落ちた鈴は、今日も今日とて花嫁修業だ。
どう考えても嫁に『孫子』が必要とは思えないのだが、母が必要だというのだから仕方ない。
「リン。少し良いか?」
「うん? どうしたの叔父上」
鈴は声を掛けられて背筋を伸ばしたが、だらけている姿は見られてしまっただろう。
喜二郎は少し苦笑いして、手招きした。
不思議に思って近寄っていくと、喜二郎が耳打ちしてくる。
指文字ではないところを見ると、誰かが見ているからかもしれない。
「トシとイザマルを呼んでいる。祭に行ってこい」
「え? いいの?」
尋ねてみたが、良いわけがない。
だがそれを承知の上で、喜二郎は頷いてくれた。
「内成を連れて行けば最低限の名目は立つ。土蔵で待たせているから声をかけて連れ出してもらえ」
「……ありがと、叔父上!」
鈴はすぐに変装のために服を脱ぎ捨て始めたので、喜二郎はそそくさと部屋を後にしていた。
鈴の変装は、いつぞやの侍の恰好に脇差だ。
これなら遠目に見れば、鈴だとは思うまい。
鈴はおぼつかない足で土蔵に向かうと、ナナシが扉に背もたれていた。
「用意できたか、行くぞ」
「うん」
鈴は抱っこしやすいように両手を広げる。
ナナシはため息を一つ吐いて、菅笠を鈴に被せた。
「被っていろ。これならわかるまい」
「ん。ありがと」
そしてナナシは鈴を荷物のように担いで塀を飛び越えた。
……なんか想像していた連れ出し方じゃないんだけど。
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塀の向こうではトシとイザマルが待っていた。
「あ、来たね。スズ」
「お待ちしておりました。スズ様」
スズ? と一瞬戸惑ったが、外でリンと呼ぶわけにはいかないからだろう。
とても懐かしい呼び名だ。
鈴は「お待たせ」と言って、ナナシの肩から降りた。
「ここまで来て言うのもなんだけど、私って祭りに参加していいの?」
「当たり前だよ。イザマルだって参加するんだし」
「私を引き合いにするな。……スズ様の活躍を思えば当然です。是非ご参加ください」
どうやら名主の村だけでなく、塩釜の人たちも来ているらしい。
まぁ、せっかくごちそうを味わえる機会なのだ。皆が楽しみにするのも無理はない。
かくいう鈴も今日は楽しめるのだと思うと心が躍った。
「ちょっと待った。はい、これスズの分」
早く行こうと歩き出す鈴をトシが呼び止め、塀に立てかけてあった釣り竿を鈴に渡してきた。
「……なんで釣り竿?」
「これが今日のごちそうだからさ」
首をかしげる鈴。
不思議そうにする鈴の様子を見ていたトシとイザマルは、にっこりと笑った。
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「よーし、三匹目!」
「さすがトシ、鯉釣り上手だね」
鈴たちは新堰にある飼育用の池で、鯉を釣っていた。
釣った鯉は魚籠に入れ、このあと名主村で料理してもらうことになっているらしい。
鈴たちは池の縁から糸を垂らして釣りを楽しんでいる。
ちなみに鈴が一匹、イザマルはボウズだ。
「……こんなはずはない。釣りの理論は完璧なはずなんだ。なぜ私だけ釣れないのだ……」
「だって餌が取られているもん、イザマルの」
トシの指摘に「早く言え!」とイザマルは竿を引き上げる。
イザマルが餌を付け直している間に、鈴の竿がぴくぴくと震える。
少し待ってから竿を立てると水面に大きな波紋が広がり、なかなかの大きさの鯉が釣れた。
初めて鯉釣りをしたが、こんなに楽しい物だったとは。
「ナナシもどう?」
「俺はいい」
今日も今日とて律儀に護衛をしてくれるナナシ。
でも少しやりたそうにチラチラ見ているのに気づいているよ。
鈴は鯉を魚籠に入れ、木に背を向けて鈴たちを見守っているナナシに近寄った。
「ちょっと疲れちゃった。ナナシ、代わってくれる?」
「……竿を置けばいいだろう?」
ナナシの言葉を無視して、鈴は竿を手渡した。
仕方なさそうに竿を受け取ったナナシは餌もつけずに針を水面に浮かべた。
その様子を見ていたトシが笑い転げ、イザマルが鼻で笑ったが、ナナシはあっという間に一匹釣りあげていた。
鯉の口じゃなくて、背中に針が刺さっているんだけど。
唖然としたトシとイザマルを尻目に、ナナシが魚籠にその鯉を入れて再び竿を振ったのを見て、慌てて少年たちも釣り竿を動かす。
その様子を見ていた鈴は微笑むと、久々の外の空気を堪能しながら、そのまま堰の横に広がる草むらに大の字になる。
今日は青空が広がっている。
こういった緩い時間の流れが、今まで頑張ってきた鈴へのご褒美に思えた。
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大量の鯉を魚籠に入れて名主村に持ち帰ると、そこでは既に祭りの支度が整っていた。
名主村の人間だけでなく、塩釜の職人、こけし村の人、湯治村の人など大勢の人が集まっていた。
鈴が来たことに気が付いた六郎太が手を振ってくれる。
「お、来たな。リ……じゃなくてスズ姉。鯉は釣れたか?」
「この通り大漁だよ、六郎太。でもこんなに釣っちゃってよかったの?」
鈴がそう尋ねると、六郎太は笑いながら頷く。
「大切にとっておいたものは、こういう時に食べるから意味があるのさ。ほら、魚籠を寄こしな。さばいて料理にしてやるよ」
「あ~……私も手伝っていい?」
一瞬意外そうな顔をした六郎太だが、快く承諾してくれた。
鈴が花嫁修業をしていることを聞いているのだろう。
……実は生きたものを捌いたことはないので、この機会に慣れておきたい。
鈴が六郎太の手ほどきを受けながら鯉を捌いていると、白い猫とその後ろを歩く猫集団が近づいてきた。
「久しぶりだね、モチ。鯉の匂いを嗅ぎつけたなぁ?」
モチたちは「にゃーご」と野太い鳴き声を上げて鈴にすり寄る。
鈴は少し捌くのを失敗した鯉の切れ端を手のひらに乗せて差し出すと、猫たちは我先にと鈴に殺到した。
モチが鯉の切れ端を手に入れて木の上で安全に食事しているのを見た他の猫たちは、悲しげに鳴き声を上げた。
「ほらほら、慌てない。ちょっと待っててね」
「スズ姉。モチたちに餌あげるのは構わないんだが、ちょっと失敗が多いような気がするぞ……?」
そ、それは本当にごめんなさい。
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「皆、今日までお疲れ様。この数年みんなも大変な中、まだ若輩の私に力を貸してくれて本当にありがとう。集まってくれた他の皆の力もあって今年は米を収穫することができました。今日は無礼講よ、皆楽しんでね」
「おう!!」という声が村に響き渡る。
祭は芳が音頭を取って幕を開けた。
忙しそうな芳に声をかけていいものか迷っていると、芳の方がこちらにやって来てくれる。
「スズ姉、来てくれたのね。嬉しいわ」
「お疲れ様、芳。その呼び方、久しぶりだね」
そうね、と芳は微笑んだ。
「忙しそうだね」
「いえ、もう落ち着くわ。あっちで話しましょ。子供も紹介したいし」
そう言えば子供が生まれたと、釣りしている時にトシから聞いていた。
トシは夜泣きがうるさいとボヤいていたが、可愛い妹ができたその顔は嬉しそうだった。
鈴は芳に連れられて行くと、そこには子供を抱えたトミがいた。
「スズさま、お久しぶりですぅ」
「久しぶり、トミ。芳の子の面倒見てたんだ」
はいー、と芳はおっとりした声で肯定した。
「面倒見ててくれてありがとう、トミさん」
「いえいえー。赤ちゃんの寝顔はいつ見ても癒されますので―」
トミは抱っこしていた赤ん坊を芳に慎重に渡す。
トミは背中にも自分の子供を背負っており、その子はすやすやと寝息を立てていた。
「そういえば、二人とも面識があったんだね」
芳とトミが一緒にいるのを初めて見た鈴は、ふと疑問に思って尋ねた。
芳とトミは顔を見合わせて頷く。
「はいー。塩と蒲鉾の取引で、こちらにお邪魔したり、塩釜に来てもらったりしていましたぁ」
「最近だと娘の育て方を相談したり、夫の愚痴を話し合ったりしてたわね」
あははは、と快活な笑い声を二人は上げる。
いいね。こういう風に気兼ねなく話せる友人って。
近い未来、鈴とイロハもそんな風に笑い合えるだろうか。
二人の子供の安らかな寝顔を見ていると、本当に子供は宝だと感じた。
「今回の子は無事に生まれてよかったわ。たしかにコケシってご利益があったのね」
「あぁ~『子授けし』ってスズ様がお広めになったアレですねぇ。縁起は大事ですよぉ」
そういえば、今日の収穫祭にはこけし村の人たちも来ていた。
福売りの時や湯治村での商品で協力してもらったので、後でお礼に行こう。
鈴は他愛ない話題で盛り上がり、心から笑い合った。
「そう言えば、仁八と三吉が見当たらないね」
祭に浮かれる人たちを見渡してみたが、見つけられない。
芳とトミは顔を見合わせると、クスクスと笑い合った。
「旦那様はぁ、祭よりも友情を大事にしたいそうですぅ」
「まぁ、あの三人はこの日をずっと待っていたからね」
二人がそう言ったことで、仁八と三吉の居場所が分かった。
叔父上、もしかして自分の目を眩ますために私を利用した、とかじゃないよね?
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喜二郎宅にて、こっそり宴会が開かれていた。
この日は多くの村が収穫祭を楽しんでいる。
こんな町外れの一軒家で宴会をしていても、誰も気づく者はいない。
喜二郎、仁八、三吉の三人は、酒を酌み交わし、思い出に花を咲かせていた。
「しかし意外だったな。お前たちはあっちのほうに顔出すと思っていた」
「あっちも楽しいんだろーけどよぉ。俺はこっちに来てよかったと思ってるぜぇ」
「三吉に同意だ」
そう言って二人は喜二郎のとっておきの酒を片っ端から飲んでいく。
祝言の時のために大枚をはたいて買ったのだが、と喜二郎は苦笑いした。
「しっかし、ここ数年は喜二郎よりもリン関係の仕事が多かったからよ、ぱったりと来なくなると寂しいねぇ」
「リンには今まで無理をさせてしまったな。お前たちも、よくリンを支えてくれた。礼を言う」
よせやい、と三吉は頭を掻いた。
仁八は何も言わないが、御猪口をくぃっと傾けて微笑んだ。
「お三方、肴をお持ちしました」
喜二郎の従者である福が、三人の前に料理を置く。
大阪で大量に手に入れたという餅米を使ったズンダ餅や揚げ餅、塩ゆでした豆などである。
この餅は、今頃は名主村でも振舞われているだろう。
「おお、福の助とかいうボウズ、気が利くじゃねぇか」
「福、だろう」
三吉の軽口も、仁八の補足にも態度を変えず、福はにこりと笑って部屋を出ていく。
三吉は豆をポイポイと口に放り投げ、酒を水のように流し込んだ。
「あー……、あの子が米沢に連れてった子だろ? ひょっとしてお前の子供だったり?」
「いや、福は身寄りのない孤児だ。縁があって某が雇っている」
ほーん、と三吉は頷いて、少し喜二郎から距離を取る。
「……なんだ?」
「いや、浮いた話聞かねぇからよぉ。衆道が趣味って言われたらどうしようかと思って……」
三吉の冗句に喜二郎と仁八が肩を震わせる。
「昔は包容力のある、年上の女子に惹かれていた」
「ほうほう!」
「で、そんなこんなで年上を追いかけている内にこの歳になってしまった」
「あぁ~……なるほどねぇ」
茹でた豆を三吉はポリポリとかじる。
絶妙な塩加減をしており、次々に出てくる肴もうまい。福という少年の料理の腕が良いことが分かる。
「なんか似てるな、と思ったら六郎太の料理に似てんだな」
「六郎太が手ずから面倒を見ていたからな」
福が持ってきた色んな料理の中で、どれが一番美味いかという話になる。
三吉がくだらない話を取り上げ、喜二郎が真面目に分析し、仁八がただ頷く。
二十年、このくだらない日常が来ることを夢見て、三人は力を尽くしてきた。
そんな三人の宴会は、気になって尋ねてきた鈴たちに発見されるまで続いた。




