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カタクラ物語

鈴は次第に名主村の仕事を村人に引き継ぎ、実家で暮らす日を増やすようにしていた。

実家で何をするのかといえば、もっぱら花嫁修業である。


「でも、これ……本当に必要かな?」


裁縫や料理や編み物はわかる。

歴史、算学、礼儀作法など武家に関わるものも分かる。

だが兵法や兵糧計算、権謀術数……これは本当に花嫁修業に必要なのだろうか……?


すると母の初が不思議そうに首を傾げた。


「当然でしょう。権力の中枢に近づくなら身につけておくのは淑女の嗜みですよ」

「なんか、私の知ってる淑女とは違うんですけれど……」


ちなみに実家にいる間は、仙台藩の監視はあまり厳しくない。

今日もナナシが客間に詰めているくらいで、他の見張りはいないように見えた。


(いや、見張られているぞ)


ナナシが指文字でそう教えてくれる。


指文字は喋らずに相手に意思を伝えるときに使う暗号のようなものだ。

花嫁修業するにあたり、真っ先に覚えさせられた。


……必要か疑問だったけど、意外と便利なので重宝している。


(この家に忍び込んでいる人がいるの?)


鈴が拙い指文字でナナシに尋ねる。

ナナシは素早く指文字を返してそれを否定した。


(見張られているのは門だ。外出する時は必ず俺に声を掛けろ、いいな)


こくり、と鈴は頷いた。

まぁ、これから年末までほとんど催事はない。


今年は七夕まつりに鈴たちは参加できなかったし、出歩くこともあまりないだろう。


「そういえば、たなばたさん。なんかすっごく盛り上がったって聞いているんだけど、どんなのだったの?」

「……忘れたのか。俺はお前と湯治村にいただろう」


あ、そういえばそうだった。




---

その日も花嫁修業が終わり、クタクタになった鈴は自室の布団に倒れ込んだ。


世の中の女はみんなこんな大変なことを勉強して嫁に行くのか、敬服の至りである。

今日覚えたことを忘れないように紙に書いておこうと思ったが、もう動きたくない。


どたどたと廊下が少し騒がしい気がしたが、もう顔を上げる体力すらない。

そう思った矢先、鈴の部屋の襖が突然開かれ父の市平が入ってきた。


「リン、将棋しないか」

乙女の部屋に断りもなく入ってくるのは遠慮した方がいいと思うよ、父上。


「無理ですぅ」

「いい聖人と添え物が手に入ったぞ、どうだ」


がばっと、鈴が飛び起きる。

聖人とはこの倹約令で酒を指す隠語で、添え物は肴の意味だ。


この倹約令では酒と肴はご法度である。

だがバレなきゃいいのだ。


この数年、政治と権力の波に揉まれた鈴はそのことをよく理解していた。


「……ホント?」

「嘘は言わん。どうだ?」


断る理由はない。

何かあってバレたとしても誘ってきたのは父上なんだし、きっと庇ってくれるだろう。


「決まりだな、こっちだ」

鈴と市平は、人目を避けるように土蔵の方へ足を運んだ。




---

王手、飛車取り。

鈴のアナグマはいつの間にか囲いを全て取り外され、逃げ場が無くなっていた。


「……まいりました」


鈴は将棋盤の向こうにいる父に頭を下げた。

市平は満足そうに頷く。


既に二敗である。

酒目当てにつられたとはいえ、鈴も日々こういった研鑽は怠っていない。


名主村では一番強いのが鈴であるにも関わらず、市平には全く歯が立たなかった。


「父上が将棋が強いなんて、初めて知りました」

「俺は御前試合に呼ばれたこともある。将棋の腕なら喜二郎よりも強いぞ」


なんと、それは驚いた。

だったら駒落ちで勝負してもらっても良かったんじゃないだろうか。


父親の威厳を見せられたことに満足したのか、市平は御猪口を呷る。

鈴が空になったその杯に酒を注いだ。


「お酌も上手くなったな、リン」

「毎日、母上の厳しい指導のお陰です」


それはもう、厳しい指導だった。

いかに殿方を立てるのが大事なのか骨の髄まで叩き込まれた気がする。


……正直、喜二郎の嫁になるのにそこまで気にする必要はなさそうとは思ったが、母の言葉には逆らえない。

すると、市平は肩を落としてうつむいた。


「初はなぁ……本当は喜二郎に嫁入りしたかったんだよ」

「そうなのですか?」


不意にそう語り始める市平に、鈴は尋ねた。


「俺は喜二郎と違って器用な方ではない。父さんの医術と剣の腕、それと将棋くらいだ」


藩医は戦場に出ないことを認められているため、剣術の腕は不要とされている。

しかし何事にも一直線にのめり込む父は、剣の腕も優れていると母から聞いたことがあった。


「初の嫁取り合戦のことは聞いたか?」

「いえ、詳しくは」


母は「旦那様ではなく喜二郎に聞いた方がいい」と言っていたが、この流れで聞いても良い物だろうか。

市平は酒をあおる。


「林家はもともと新参でな。片倉のような歴史のある家系じゃなかった。初は片倉家の傍流とはいえ、その美貌に陸奥中の男が婚姻を申し込んだんだ。で、それに辟易した片倉の義父殿が『五つの条件を満たした家に初をやる』っていう条件を出した」


それってどこのかぐや姫の話だ。

鈴はちょっとワクワクしながら市平の杯に酒を注ぐ。


「その条件って?」

「功績がある者。借財を持たぬ者。武士の家系である者。後妻を持たぬと約束できる者。義父殿と語ることができる者」


それを聞いて、なんだか拍子抜けしてしまった。

意外と条件は難しくないと思ったからである。


だが、市平は首を振った。


「まず功績だが、十そこそこの若造が認められる功績というのは中々ない。そして武家で借財を持たぬ者というのは、かなり数が限られる。そして後妻を持たぬということで既に妻を持つ裕福な武士は弾かれた」

「おお……」


あれ、そう聞くとこの条件は結構難しいのかもしれない。

だがそれでも竹取物語に比べれば大分良心がある条件なように見えた。


火ネズミの皮衣とか、五色の玉とかに比べればまだ現実味がある。

市平は笑った。


「意外と良心的だ、と思ったか? だがな、最後の義父殿と語ることができる者っていうのが曲者でな。これが出来るものがほとんどいなかった」


なんと、市平はおろか喜二郎でも話についていくことができなかったらしい。

じゃあ何で市平は初と結婚することができたのだろう。


「なんでだと思う?」

「うーん……叔父上の性格からすると正攻法じゃない方法も試したように思えるんですが」


市平は「その通り」と笑った。


「義父殿と直接話すのは難しいと考えた喜二郎は、家の者を取り込むことを始めた。で、紆余曲折あって義父殿と語ることができるようになって、最後の条件も満たしたってわけだ」

「あれ? そうだとすると、条件を満たしたのは父上じゃなくて叔父上なんじゃ?」


鈴が不思議そうに尋ねると、市平は苦笑いした。


「そう。俺は喜二郎のように堰を作った功績なんてない。家にあった借財も、あいつがいつの間にか返してしまった。義父殿と語ったのもほとんど喜二郎だ」

「なら、どうして?」


市平は悔しそうに御猪口を啜った。


「『林家は全ての条件を満たしました、兄上と初殿の結婚を認めてください』って、最後に身を引いたのさ」

「あぁ~……」


そういえば、最後に喜二郎が身を引いたという話を聞いた気がする。

かぐや姫を迎えに来た男が、直前に入れ替わるなど片倉家も予想外だっただろう。


「母上の片倉家は抗議しなかったのですか?」

「したよ。だが喜二郎が『謀略に飲み込まれた方が悪いと教えてくれたのは片倉家です』って言って黙らせた」


喜二郎が言いそうな屁理屈だ。

市平は大きくため息を吐く。


「喜二郎が行く先々で俺を連れ回していたのは、そういった布石のためだった。それを理解したのは婚姻が決まってからだがな」

市平は懐かしそうに、それでいて少し眉根を寄せて思い出を振り返る。


「俺は初を嫁に迎えるにあたって、『後妻を持たぬと約束できる者』という条件しか満たしていなかった。喜二郎が計算高いと思ったのは、ことあるごとに『初殿を林家に迎えたい』と片倉家に言っていたことだ」


もうわかっただろう? と市平は鈴に苦笑いする。


「『某の妻にしたい』って言わないところが味噌なんだって、喜二郎は言っていた。そうやって、全ての準備が整ってから最後の一刀だけ俺に任せてくれた」


すべてをお膳立てしてくれた喜二郎。だったらなんで市平は対抗意識を燃やしているのだろう。

その答えを、市平はぽつりと口にした。


「初は言わないが、片倉家の謀略についてこれた喜二郎を……まぁ気に入っていただろう」


あー、そういうことか。

だから初は喜二郎をすごく信頼しているし、市平が喜二郎に対して少し対抗意識が強いのは。


「だから。俺はあんまり初を喜二郎に近づけたくないし、リンもできれば喜二郎に近づいてほしくなかった。……まぁ、俺のわがままだ」


愛する者を取られる気がする、ということだろうか。

たぶん喜二郎はそんなことしないと思うけど、と鈴は心の中で思った。


「リン、もしも喜二郎に不満が出てきたらいつでも家に帰ってこい。そしてそんなことになったら、今度こそあいつをとっちめてやるからな」

「頼りにしてます、父上」


ちょっと思い込みの激しい父だったが、それでも深く愛されていることを鈴は感じることができた気がした。

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