時掛け≠タイムトラベル
什吾は刀を握ったまま土蔵の中を漁り始める。
抜き身の刀ってあんなに恐ろしいんだ、と鈴は身を竦めた。
「……これだ」
そう言って什吾が取り出したのは三つの掛け軸だった。
それを無造作に鈴たちの方へ放り投げる。
ころころと転がった掛け軸が、鈴たちの前で広がった。
「……何が見えた?」
「え?」
何がって、掛け軸ですけれど。
什吾は訝しげに首を傾げた。
「それとも、戻って来たのか?」
「……」
なんだろう、話がかみ合わない。
首をかしげる鈴に、喜二郎は慎重に掛け軸を拾い上げる。
これは最初に時掛けした掛け軸だ。
今は特に不思議な力は感じない。
堰で村人に指示を飛ばす少年の姿があった。
「私には、少年が村人に指示をしている絵に見えますけど」
「あとは女子の後ろ姿だ」
鈴が少し戸惑ったように喜二郎に尋ねる。
「女子?」
「リンには見えないのか? そういえば前見た時も見えている物が違うという話をしていたな」
喜二郎は什吾を見据えたまま頷いた。
什吾の手がわなわなと震えていた。
「儂と……俺とは違うというのか。どういうことだ」
「父上も、これが何かご存知なのですね」
喜二郎の問いに「ああ」と什吾は頷いた。
「それは鏡だ。過去の自分に話しかけ、未来の世界を見通せる魔鏡。関ケ原後に各地で散見されたアーティファクト……解析できない何かだ」
「鏡、ですか」
鏡というけど、そうは見えない。
どう見ても掛け軸だ。
比喩か何かだろうか。
「俺が見ることができた未来は数百年後まで。……戦後の日ノ本は、飢えのない栄えた仙台の姿だった」
だが、と什吾は続ける。
「この掛け軸は過去の自分に一度だけ助言することができる。当時の自分の意識を同調させ、歴史を変えたと判定されれば意識は現代に戻ってくる。ただし、一度でも過去が改変されれば、それはただの鏡になってしまう。以降は、未来は見通せなくなる」
過去の自分に会う……いや、自分の生きていた同じ時代に、鈴同士が会ったことはない。
それに鈴はその掛け軸で過去の仙台に行ったので、ただの掛け軸……鏡ではないとは思うのだが。
鈴の体験と、什吾の体験で食い違いがある。
什吾は話を続けた。
「そして俺は数度、未来を変えようとしたことがあった。妻が清右衛門の巻き添えをくらって死ぬ運命から逃れるためにな。だが、過去の自分に話しかけるたびに妻の死期は早まった」
什吾の妻……鈴の祖母は明和八年に土砂崩れで亡くなったと聞いた。
先ほどの話だと、祖母が亡くなったのは天明七年だ。死期が二十年近くも早くなった計算になる。
なぜ過去を変えてはならないと什吾が言ったのか、鈴も理解した。
しかし……なんだかここまで来ると、鈴の知る時掛けとは少し違うような気がした。
鈴がした時掛けは過去の自分に話しかけるのではなく、自分のいない過去に行くことだった。
そして未来もそうだ。見るのではなく、行くことができた。
「父上は、過去のご自分と会ったのですか」
「いや……その掛け軸を通して話しかけただけだ。そこに映る過去の自分に話しかければ、記憶が改ざんされ、歴史が変わる」
もうできないことだがな、と什吾は悲しげに笑った。
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「父上の話は分かりました」
喜二郎がそう言って掛け軸を丸めて床に置く。
「母上の死期は歴史を変えたことで早まったかもしれません。しかしこの大飢饉の被害を減らすために歴史を変えるのは誤りでしょうか」
「誤りだ、喜二郎。……俺が最初に歴史を変えたのは天明の大飢饉ではない。宝暦の大飢饉の方だからだ」
什吾がそう言ってうつむく。
宝暦の大飢饉、それは仁八によってどれだけひどい飢饉なのか聞かされていた。
あの大飢饉もかなり悲惨だと聞いたが、それが歴史を変えた結果だったとは思わなかった。
「宝暦の大飢饉は史上最悪の飢饉だった。俺もこんな歴史なら変えてしまいたいと強く願い、それを使った。少しでも被害を減らせるように未来の知識から医療を発展させ、食料を増産し、治安を安定させた。結果、宝暦の大飢饉はあの程度の被害で済んだ」
「……」
宝暦の大飢饉が「あの程度」だというのか。
什吾は続けた。
「時掛けの鏡をいくつか所有していた俺は、再度未来を見た。すると『なかったはずの大飢饉』が来ることを知った」
「なかったはずの……大飢饉?」
まさか、この大飢饉……天明の大飢饉が本来は起こらないものだったとでもいうのだろうか。
「俺は驚愕した。宝暦の大飢饉の被害を抑えたばかりに、新たな飢饉が発生したことにな。……仙台はおろか陸奥の国の全てを巻き込む大飢饉になることを知った俺は、今度は天明の大飢饉を抑えようと足掻いた」
「……」
「だが、被害を抑えれば抑えるほど未来に負債が積み重なった。この天明の大飢饉を抑えると、幕末にこの飢饉以上の大勢が死ぬことになる。そして不可解なことに、歴史を変える度に妻の死期が早まった」
どうやら何の代償もなく時掛けができるわけではないらしい、と什吾は語る。
「おそらくその者が最も大切な者……もしくは最も必要とするものの寿命を犠牲にして、時を渡る力を得るのかもしれん。すでに宝暦の大飢饉の事実を変える機会を失していた俺は、最後の掛け軸を使って天明の飢饉の改変を『なかったこと』にした」
そして什吾は二人を指さす。
「本来の歴史にいなかった者たちを見捨て、俺が救った者たちを見捨てることで、百年後の犠牲をなかったことにした。……そのはずだった」
しかし、と什吾は視線を落とした。
「……だが、戻したはずの歴史が再び変化した。理由が分かったのは天明元年。本来あるはずのない米が仙台に積みあがった時だ。俺以外に歴史を変えたものがいる、そう確信した時にはもはや時掛けができる鏡は残っていなかった」
しん、と土蔵に静寂が漂う。
「だが……気になることがある」
什吾は最初に放り投げた掛け軸を指さした。
「俺の時掛けと、スズの時掛けが違う理由が気になる。お主は最近、愛する者を亡くしたことがあるか?」
「家族は皆、無事ですけど……」
まさに今殺されかけている喜二郎と鈴本人を除けばだが。
「……好いた者や、お主に必要だったものが早死にしたことはないか?」
「……」
そんなの、いっぱいいるに決まっている。
この飢饉で知り合った人で死んだ人もいれば、名主さんのように病死した人だっている。
だが、それを時掛けのせいにできるかは分からない。
強いて言えば未来で会った六郎太や喜二郎が死んだことが当てはまるが、二人は今は生きている。
「お主の知る時掛けの話を、儂に聞かせてくれぬか……リン」
そう言うと什吾は刀を鞘に納めた。
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鈴は知りうる限りの情報を什吾に全て話した。
ところどころ覚えていないところは喜二郎に補足してもらいながら、説明する。
未来のことだけは鈴しか話せないので、頑張って話したけど。
「儂の時掛けとは、そもそも原理が違うのか……?」
驚愕した様子の什吾に、鈴はかける言葉が見つからなかった。
しかしその沈黙を破ったのは喜二郎だった。
「……リンの、時掛けの代償は分かりました」
「えっ!?」
まさか、鈴のせいで誰かの寿命を縮めていたのだろうか。
これがもし名主さんだったら、と鈴の中に不安がよぎる。
だが喜二郎が言葉にしたのは意外なものだった。
「リンが代償にしているのは、記憶です」
「記憶……だと?」
什吾が訝しげな顔をする。一方、鈴の表情はキョトンとしていた。
……人の寿命を吸い取っていた、と言われるより随分マシな代償だった。
「リンが、某と話し始めたのはいつか覚えているか?」
「え…? それは……仙台城の評議の後からだよね?」
過去の時掛けを除いて、現代からだとすると、あの時からだ。
だが喜二郎は首を振る。
「過去に来たスズが某に話したのは、『幼いころから面倒を見てくれた叔父』らしい。思い出せるか?」
「……」
思い出せない。
ところどころ霞がかかっていて、気にも留めていなかった。
時掛け前は喜二郎の家に本がいっぱいあったことだけは覚えているのだが。
「では、幼いころに毒で死にかけた記憶は覚えているか?」
思い出せない。
こっちは霞どころか、まったく覚えのない出来事だ。
喜二郎は頷く。
「リンはスズとして歴史を変える度に、『本来歩んだはずの記憶』を思い出しにくくなっている。そして同時に『この世界で育ったリンの記憶』がごっそりなくなっている」
「……つまり?」
「歴史を改変した際、リンの中に複数の歴史の記憶が混在し、どちらかが欠落する、と考えられる」
……ときどき「自分の知らないリン」が出てくるのはそのためだろうか。
ちょっと気持ち悪いくらいに思っていた。
「父上にお聞きしたいのですが……父上の知る歴史、記憶に齟齬などはございますか?」
「……記憶に齟齬はない。歴史はどこで変わったのか……ほとんどは知覚できん」
つまり、どういうことだろう。
「おそらくですが、父上の時掛けは『歴史の帳尻を合わせる力がある』のだと思います」
「……なぜ、そう思ったのだ」
「父上は、歴史を変えた後の世界を『記憶を保持したまま』観測できるからです」
喜二郎が要点をまとめて説明する。
「歴史を変えた父上は、その変化によって生じた結果を未来から見ることができる。だから、父上が歴史を変えたことで何が失われ、何が生まれたのかを比較できる」
什吾の手が震える。
「……バカな、そんなことが」
「ただの推測です。ですが、そう考えると、鈴の時掛けは事情が違います」
なぜかというと「観測者がいない」かららしい。
「……私と同じじゃないの?」
「違う、と思う。なぜならリンが時掛けできるのは『リンがいない時間』だからだ」
喜二郎の理論だと、その時代に生きる人と一緒に過ごすことができるなら、それは観測ではなく当事者らしい。
そして、当事者は関わった結果その時代がどうなるのか明かされるまで知ることができない。
……難しい話になってきた。
「叔父上、難しいよ。もう少し簡単にまとめて」
「簡単に言うと、父上は『歴史を観測・改変する』時掛けで、リンは『歴史の中に入る』時掛けだ」
簡単にまとめられても鈴には意味が分からなかった。
「……つまり、私が過去に行くたびに、自分がいた歴史そのものが書き換わっているってこと?」
「そう考えるのが一番近いと、思う」
什吾の時掛けは、一つの歴史にちょっとした変化を加えても、最終的に帳尻が合ってしまう。
鈴の時掛けが枝分かれした分岐の一つに入るので、歴史自体が変わるということだろうか。
喜二郎にしては珍しく歯切れの悪い言葉だった。
だがそれもそうだろう、時掛けの秘密を全て知る人など、ここにいないのだから。
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「リン。お主は今も未来に……過去に行けるのか?」
什吾はそう鈴に訊ねてきた。
「たぶん行けると思いますけど……行く手段がありません」
鈴は床に散らばった掛け軸を拾い集める。
もう、こんなに乱暴にしたらバチがあたりますよ、お爺様。
什吾が鈴に詰め寄ろうとすると、喜二郎に阻まれた。
「父上」
「だったら。だったら俺の――」
什吾がそう開きかけた口を、苦悶の表情で閉じた。
「お爺様の……?」
「……」
什吾は何も言わずに項垂れた。
既に日は沈み、土蔵の中は暗くなっていた。
どれくらいそうしていただろう。
ふいに什吾は立ち上がり、幽鬼のように土蔵の扉に手をかけた。
「歴史が、どうなったのか。儂にはもう観測する術を持たぬ。歴史自体が変わったというのであれば、あとは運命に身を委ねるしか儂には道がない」
ぎぃ、と土蔵の扉を什吾が開く。
「イロハ様との祝言、根回しをしておこう。リンの側室入りも、もはや反対せぬ」
「お爺様」
「――だが、儂は全てを信じたわけではない。信じるわけにはいかない……ということは覚えておいてほしい」
去る間際のその顔はどこか憑き物の落ちたような表情で、鈴がよく知る優しい祖父のほほえみだった。
「……疲れた。儂は先に休ませてもらう」
そう言って什吾は土蔵から立ち去った。




