その理想、叶わず
珍しく曇天ではない、少し空が見える仙台に到着した。
しかし去年と違って港が広く、複数の船が横付けできるため、船が団子にならずに入港できている。
仙台の港に着くとすぐに荷下ろしが始まった。
「着いたねぇ」
一番に船を降りた鈴が大きく伸びをする。
今年は去年のように大歓声で迎えられることはない。
今回はあまり公にできない事情で大阪へ行ったのだから、それも当然だろう。
大勢に出迎えられるのに慣れていた鈴は、水夫しかいない港が逆に新鮮だった。
次いで喜二郎が船を降りてくる。
「いったん某の家に寄って荷物を整理する。それから林家に行こう」
「あー……うん。そうだね」
先のことを考えて、鈴は肩を落とした。
この後にあの時の婿嫁大合戦が再勃発するのかと思うと鈴の気は沈んだ。
そんな鈴に、笑う喜二郎は困ったように「心配するな」と励ましてくれた。
「……そういえば、薬袋はちゃんと持っているか?」
「え? うん。持ってるよ」
鈴は懐から薬袋を取り出して、喜二郎に見せる。
すると喜二郎はさりげなくそれを取り上げ、自分の懐にしまった。
「ちょっと、何すんの。叔父上」
「お前の薬袋は空だろう。某のをやるからこっちは預かろう」
そう言って喜二郎は見事な刺繍が施された薬袋を代わりに渡してくる。
確かにこちらの方が真新しく、刺繍も見栄えがするが、鈴が持っていたのは未来の六郎太に渡された重要な品なのだ。
しかし、喜二郎は素知らぬ顔である。
続いてトシとイザマルが船を降りてくる。
二人とも鈴のように大きく伸びをした。
「僕は村に帰るよ。食料を運んでもらわないといけないし。何かあったら呼んでね」
「私も塩釜に帰ります。喜二郎様、おりん様。どうかご武運を」
二人は手を振りながら、それぞれ帰るべきところへ帰っていった。
鈴もそれを見送りながら手を振る。
正直、自分も名主の村の方へ帰りたい。
(イロハに事情を伝えたいけど、無理かなぁ)
大阪での薩摩との取引については、清右衛門が報告することになっていた。
事前にイロハにも話を通しておきたかったが難しそうである。
仙台城では清右衛門が熱弁を振るって、イロハと喜二郎の婚姻を推し進めるに違いない。
その結果「やっぱり鈴はいらない」とか言われて腹を切ることになったらどうしよう。
仙台城に根回しができない以上、あとは実家の勢力を味方につけるしかなくなる。
もはや母である初の周到さと、喜二郎の交渉力に賭けるしかない。
しかし自分が嫁入りか、と思う。時掛けから激動の四年間であった。
花嫁修業をろくすっぽやってこなかったので、そういった意味では不安が募る。
「ん?」
喜二郎の家に向かおうとすると、喜二郎と鈴のほかにナナシと数人の菅笠が付いてくる。
これ監視か。
というか、ナナシも監視なのか?
いや、江戸での清右衛門との対峙を考えると、護衛だったりするのかもしれない。
喜二郎とナナシは監視の菅笠に見えないように、何かしら手で暗号を送り合っていた。
ちょっと。それだと私にもわからないんだけど。
尋ねるわけにもいかず、鈴はむくれた。
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港から城下街を通る途中、鈴たちの姿は非常に目立った。
そりゃあ、こんな菅笠がぞろぞろと歩いていたら目に留まる。
喜二郎の家に着くころには、鈴の後ろに行列が続いていた。
「ちょ、なんで?」
「どうやら某の客のようだ」
喜二郎は苦笑いしながら自分の家の門を開く。
中には福という少年がかしこまって頭を下げていた。
「お帰りなさいませ、喜二郎様」
「留守の間、苦労を掛けたな。なにか変わったことは?」
福は首を振って喜二郎に笑顔を向ける。
「特にございません。ですが皆様、喜二郎様のお帰りをお待ちしておりました」
そうか、と言って喜二郎は門に掲げられた「取次御免」の札を取り外す。
するとわらわらと後ろに並んでいた人たちが列を作り始めた。
「内成。すまぬが門で荷物の検めを頼めぬか? 今日は門番の与六がいないので手伝ってくれると助かる」
「……承った」
ナナシは仏頂面のまま門に残った。
菅笠の集団は当然のように喜二郎の家に足を踏み入れる。
喜二郎はそれには特に何も言わず、家に入った。
鈴も家に入ると、客間は綺麗に掃除されていた。
「リン。すまぬが客がいなくなるまで茶でも飲んで待ってくれるか?」
「うん。わかった」
たしかに鈴が居ても役に立てそうにない。
鈴は大人しく喜二郎の私室の方に移動しようとしたが、例の菅笠たちは喜二郎の後ろから動かなかった。
ちょっと。あなた達がいると、みんな話しづらいでしょうが。
「菅笠さんたち、そこにいると邪魔になりますよ」
鈴がそう注意したが、菅笠たちは動かなかった。
案の定、喜二郎を訪ねてきた最初の相談者は委縮してしまっている。
「……立っていてやることないんなら、庭の草むしりしてくださいよ。イロハ姫に叔父上の仕事の邪魔してたって言いますよ」
その言葉に菅笠たちは顔を見合わせ、部屋から出ていった。
菅笠たちにとって、喜二郎が監視下にいればいいらしい。
彼らは鈴の言葉通りに庭の草むしりをしてくれるようだ。
「……リンは人の使い方を覚えたんだな」
「人聞きの悪いこと言わないでよ叔父上。お願いしただけだよ」
喜二郎は肩を竦めて笑い、客の相談を聞き始めた。
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鈴は最初の茶を飲んだ後、特にやることもないので喜二郎の本棚を漁っていた。
時掛け前はあれだけあった本が、ごっそり消えている。
仕方ないので、喜二郎に書いてもらった例の本を取り出して読み始めた。
ちょっと人目があるところでは見れないものなので、ずっと我慢してた本だ。
ちらりと本屋で見たが、こちらの方が字が綺麗で読みやすい。
鈴は夢中で読み進め、気が付けば正午を過ぎていた。
(ああ~最高! 今度叔父上が江戸に行くことがあったら、あそこの本屋を全部書き写してもらおうかな)
江戸のあの本屋をちらりと見た感じ、真田伝説関係の本も置いてあるかもしれない。
遠大な野望に鈴はにへらと顔をゆがめた。
「おりん様、お食事をお持ちしました」
しばらくすると、福が食事を運んできてくれた。
雑穀が混じったおにぎりと味噌汁。
本を読んでいるだけでご飯が食べられるなんて、なんという至れり尽くせりなのだ。
「福だっけ、ありがと。何か手伝えることある?」
「お気遣い感謝いたします、おりん様。ですが客もそろそろ少なくなるころですので大丈夫です」
しまった。忙しかった時間は過ぎてしまったらしい。
これが実家だったら母の雷が落ちていただろう。
何もせずゴロゴロ本を堪能していたことを鈴は少し反省した。
ちょっとバツが悪くなって、食事を終えると庭に出て菅笠たちの様子を見に行く。
彼らは一心不乱に雑草を抜いていた。
「ねぇ、貴方たち。昼餉は食べた?」
菅笠たちは顔を見合わせ、首を振る。
なんてことだ、のんびり本を読んでいた鈴がご飯を食べたのに、彼らは無償労働中だ。
この分だと門のナナシも食事はまだだろう。鈴は慌てて台所に向かった。
六郎太直伝の完璧なおにぎりを握り、手拭いを携えて庭に持っていった。
「はい、お昼食べて。草むしりありがと」
「……かたじけない」
菅笠は初めて聞いた渋い声で礼を言うと、一緒に渡した手拭いで手を拭いて盆に乗ったおにぎりを受け取る。
鈴は一旦おにぎりを補充し、それを今度は門の方へ持っていく。
「ナナシお疲れ様。はい、ご飯」
「ああ」
ナナシはおにぎりを受け取ると、二口でそれを平らげる。
お腹すいてたのかな。
ナナシの前に並んでいる人を見る限り、もうすぐ客足も途絶えるだろう。
最後尾には庭で草むしりをしている菅笠と同じ格好をした人が並んでいる。
……なんか嫌な予感がした。
「気にしないフリをしろ。……大事にしたくない」
「わかったよ」
実家で騒動が巻き起こる前に、喜二郎の家で決戦が始まるかもしれないと鈴は感じていた。
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「私で最後かしら」
妙齢の女性がそう言って笠を外す。
お忍びで来たのが誰かと思えば、イロハだった。
普段は見ない町娘のような格好だったので、後ろに並んでいた菅笠たちばかりに意識が向いていた。
しかしこれは好都合だ。
鈴はイロハの後ろに並ぶ人がいないか確認して頷く。
「うん。そうみたい」
「そう」
イロハがうなずき、最後の人が出てくるまで中には入らずそこで待つ。
話したいことはあったが、いざ対面すると何から話せばいいのだろうか迷う。
なんとも言えない沈黙が鈴とイロハの間に流れた。
イロハがここに来たということは、喜二郎との婚姻についてだろう。
何て言おう。
やむを得ず喜二郎と婚姻することになりました、なんて言えるはずもない。
かと言ってゴメンなさい、と謝るというのも違う気がする。
これからよろしくお願いします、というのも厚かましいだろう。
……どう言えばよいか、考えておけばよかった。
だってまさか直接お姫様が来るなんて思わないじゃん。
いや……結構ここに来てた、イロハ。
「話は聞いたわ」
イロハのその言葉に、鈴の背中がピンと反射的に伸びる。
その様子を見たイロハは、はにかんだように笑った。
「叔父との婚姻、あなたはいいの?」
鈴は余計なことを言わず、こくりと頷いた。
自分の命が掛かっているのだから構わないと考えている鈴に対し、イロハはおそらく違うだろう。
勝手に持ち上がった話で、勝手に縁談が進み、祝言前なのにお妾さんや側室が目の前にいるなんて恨まれてもおかしくない。
ものすごい汗が噴き出す鈴を見たイロハが小さく息を吐く。
「……私は、あなたならいいと思ったの」
イロハは静かに言った。
……恨まれている感じではない、ようだ。
ちょっと上目遣いでイロハの様子を伺うと、彼女は困ったように微笑んだ。
「喜二郎を失うわけにはいかない。でも私はあなたにも生きていてほしいのよ」
「……ありがと」
イロハ、と人目があるこの場で正体を明かすことができないのがもどかしい。
それでもことのほかイロハが鈴を大切に思っていてくれることは伝わった。
家の中に入っていた最後の客が満足して帰っていくのを見て、イロハは喜二郎の家の敷地をまたぐ。
「行きましょう。あなたもついてきなさい、リン」
「うん」
後ろにぞろぞろと菅笠を引き連れながら、イロハは客間に向かった。
その後ろでナナシが「取次御免」の札を門に掛けていたのが見えた。
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客間には異様な空気が流れていた。
イロハと喜二郎の後ろにはそれぞれ菅笠の男が立っている。
片方はイロハの護衛だろうが、もう片方は先ほど草むしりしていた菅笠だ。
「久しぶりね、喜二郎」
「船の一件ではお世話になりました。イロハ様」
そう言って喜二郎は頭を下げた。
そういえば喜二郎とイロハが一緒にいるところを見るのは、これが初めてかもしれない。
イロハは少し微笑むと、周りの菅笠を見渡す。
「全員、外を警護して頂戴」
「しかし姫」
イロハの後ろにいた菅笠が異を唱える。
その言葉には従えない、と喜二郎の後ろにいた菅笠たちも顔を見合わせていた。
しかしイロハは断固たる口調で繰り返す。
「出ていきなさい。命令よ」
「……かしこまりました」
イロハの強い言葉に、菅笠たちは観念したように部屋から出ていった。
部屋から去っていく菅笠に続くように鈴も立ち上がる。
するとイロハに「あなたは残りなさい」と言われたので、再度腰を下ろした。
うぅ……こう言う空気、勘弁してほしい。
なんだかいたたまれないよぅ。
イロハは鈴の様子がおかしかったのか、クスクスと笑った。
喜二郎もその様子を見て少し表情が和らいでいた。
ちょっと。私を出汁にしないでほしいんだけど。
「さて、本題に入りましょうか。喜二郎、伊達家に婿入りする話は本当なのね?」
「はい、イロハ様」
喜二郎が厳かに頷いた。
イロハが鈴を見る。
「機密を知る在野の者は、あなただけではないわ。臣下でないものを野放しにできないことは、わかっているのよね」
「無論です」
はぁ、とイロハはため息を吐いた。
「そうなると聞いていた話通り、リンも嫁にするのが一番ね。死なせたくないでしょう?」
「やはりリンと村由様との婚姻は叶いませんか」
村由とは前藩主である伊達宗村の八男、重村の弟君のことだ。
イロハは喜二郎の言葉に頷く。
「リンの扱いは伊達家でも意見が分かれていてね。お家騒動を避けるために貴方が娶るのが一番穏便な解決方法なのよ」
「工藤様のご子息との話もあると聞いておりますが」
喜二郎の言葉にイロハは首を振る。
「工藤は表向きは従順な臣下だけど、伊達家としては全幅の信頼を預けることはできない家系なのよ」
「……」
喜二郎は口を閉ざす。
従順だけど信頼できないってことがあるのだろうか。
「リンを側室にする覚悟を決めなさい。容姿は母親似で好みなのでしょう?」
その言葉に喜二郎がこちらを見る。鈴はブンブンと首を振った。
誰にも言っていないし、あそこにいたのはいない者として扱えと言っていたナナシだけだ。
だが、ナナシも同じように首を振っていた。
じゃあ何でイロハがそのことを知っているのだろう。
「……どこで何をお聞きになられたのか存じませぬが、誤解があるようです」
「そう? なら、そういうことにしておくわ。いずれにしても什吾と市平が選ぶ相手より、あなたならリンの伴侶として安心できるわ」
……イロハは私の母親かな?
ここって修羅場になったりする場面だと思ったのだが、どうもそんな空気は感じない。
その空気に後押しされたのか、喜二郎も微笑みを浮かべた。
「覚悟は、決まりました」
「なら、問題ないわね。必ず什吾と市平を説得しなさい」
そう言うとイロハは立ち上がる。
そして鈴に振り返った。
「リン。あなたもよ」
「私?」
鈴も覚悟はしていたが、足りないのだろうか。
イロハは少し寂しそうに微笑んだ。
「……理想は捨てなさい。手にした幸運だけ握りしめないと、取りこぼすわよ」
そう言ってイロハは去っていった。
その言葉は鈴の心の中でいつまでも残った。




