じゃあ、婚姻しよう
清右衛門は喜二郎が出した様々な提案を、全て却下した。
喜二郎は自身の命だけであれば、もしかすると差し出したかもしれない。
しかし喜二郎が切腹することで什吾や市平の命も巻き添えになると聞けば、喜二郎は簡単に頷けない。
そして喜二郎は鈴の命も諦めきれない。
話し合いは平行線であり、日没になる前には清右衛門が下知を下すだろう。
すなわち鈴を亡き者にする方が、清右衛門が……というか仙台藩が得るものが大きいのである。
(というか、どう考えても私の存在が足を引っ張ってるんだよね……)
鈴が喜二郎を迎えに大阪にまで来なければ、例の船を見ることもなかったし、薩摩からも追い掛け回されることもなかった。
清右衛門に大義名分を与えることもなかっただろうし、喜二郎もここまで食い下がることはなかっただろう。
なんだかいつも鈴が行動することで問題が大きくなってしまい、周りに迷惑をかけている気がする。
だが、もうここに至ってはそれを嘆くことはできない。
どこかに突破口はないだろうか。
要は林家の権力が上がりすぎることなく、仙台藩が喜二郎と鈴の両方を取り込む利点があればいいのだ。
なんかそういう都合がよい状況はないだろうか……。
(あ~……そういえば、ひとつあった)
ふと思い出した母の言葉に解決の手がかりがあった。
あの時は問題を先延ばしにするために言葉を濁した話題だが、もしかすると妙手かもしれない。
鈴は手を挙げて、皆に告げる。
「私と叔父上の両方が伊達家に入ると、林家の権力が強くなるのがいけないんですよね?」
「そうだ」
喜二郎と論戦をしていた清右衛門がこちらに向き直る。
「そして仙台藩としては叔父上からの借財を無くすために、伊達家に取り入れるか切腹が望ましい。そして私の場合は叔父上が居なくなった時の後釜の候補として考えているけど、基本的には排除した方が仙台藩にとって利点が多い。ということですよね?」
「……そうだ」
清右衛門は冷たい目で鈴を見ていた。
なるほど。鈴の認識は一応あっているらしい。
だったら解決する方法が一つある。
「私が叔父上に嫁入りすればよいのではないでしょうか?」
全員の視線が鈴に集まった。
これなら一部の条件……名主村の年貢免除の条件以外は仙台藩が全て取り込むことができる。
もちろん、喜二郎がイロハと祝言を挙げることが前提なので、その場合は鈴は側室という扱いになるだろう。
……まあ、今はそんなことを気にしている場合じゃない。死ぬよりはずっといい。
喜二郎は血の繋がった叔父ではないし、そこらへんも問題ないはずだ。
割と良い案だと思ったのだが、喜二郎までもが「正気か」という顔をしていた。
しかし、全てを呑み込んだ能面のような表情で喜二郎は鈴の案に頷く。
「某もリンの意見が理に適っていると思います」
喜二郎が鈴の意見を肯定した。
鈴から言っておいてなんだが、婚姻の話をしているのに「理に適っている」ってどーいうことだ。
いや、そもそも婚姻って理に適っているからするものなのだろうか。
「お主、正気か?」
清右衛門が信じられないというような目で鈴を見ている。
というか能面のような顔をした喜二郎以外、皆同じような目をしていた。
だって仕方ないじゃん。
「このままですと私の首が切られそうですし。それに叔父上は養子で、私と血は繋がっていないので問題ないですよね」
「……」
清右衛門は口を手で隠して考え込む。
清右衛門は喜二郎が養子ということを知らなかったんだったろうか。
「喜二郎はイロハ様に婿入りする。お主は喜二郎の側室になる。そういうことになるが良いのか?」
「はい」
まぁ、これで命が助かるなら文句は言えない。
湯治村でイロハのお世話をした感覚で行くと、お姫様のお付きでもやっていけそうな気がする。
清右衛門は深く考え、息を吐いた。
(あ、これだめだ)
鈴はそう直感した。
「――足りぬな」
清右衛門はそのお決まりの言葉を発した。
婚姻に足りるも足りぬもないだろうに、と鈴は思った。
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足りぬな、と言った言葉に偽りはない。
言わずもがな、名主村と湯治村の年貢免除を踏み倒した後に得られる利益である。
あの年貢免除は特殊な証文だ。
免除の約束は「林家の鈴が預かる領地」としての契約であるため、鈴が喜二郎に嫁いだらもう踏み倒せなくなってしまう。
たとえ年貢免除を放棄しなければ命を失うとしても、この娘は命を賭けてそれを勝ち取った経緯がある。放棄はするまい。
そして証人には重村だけでなく、名主村の人間も含まれている。
仮に重村を説得できたとしても、あの村人たちは命がけで鈴に米を食べさせるために談判に来たくらいだ。
下手を打てば一揆になりかねない危うさがある。
罪人として裁いたうえで踏み倒すならともかく、伊達家に入った男の側室との約定を理由もなしに破ることができない。
人道には外れるが、やはり鈴を排除した方が確実な利益を見込める。
田沼意知という後ろ盾を失った清右衛門にはもう時間がない。悠長に財政改善を進めることはもはやできない。
一人を犠牲にすることで藩の命を長らえさせることができる。
本来なら迷うことではない。
むろん、人としては間違っている。清右衛門はきっと地獄に落ちるだろう。
だが、そうであっても一人の命で財政を立て直せるならばやるべきだった。
(しかし……)
この鈴という女子の発想力。これだけは正直に言うと捨てがたい。
喜二郎の綿密な作戦とは裏腹に、鈴は突飛な行動で問題を解決してしまうことが多い。
新年の祝いの振る舞い品や福箱祭、こけし村や湯治村の難民問題などがまさにそれだ。
だから鈴が喜二郎に嫁入りすると言い出した時、清右衛門は素早く計算した。
鈴を亡き者にすることで確実に得られる利益。
鈴を生かしておくことで得られるかもしれない利益。
問題は後者が「かもしれない」に過ぎないことだ。
……確約がない以上、博打に将来を賭けることはできない。
清右衛門は頷くだけの理由を見つけられなかった。
「儂が欲しいのは喜二郎を取りこむことで得られる確実な利益だ。そしてお主と年貢免除の契約を反故にすることで得られるのは残り六年の利益。お主を亡き者にした方が確実であろう?」
「契約を反故にするという時点で真っ当な利益じゃないんですけど……」
それはもちろん分かっている。
だからもしその利益を上回る策があるなら聞かせてみろ。
清右衛門はギラギラと目を光らせた。
鈴は「うーん」と呑気な声を上げる。
この殺気だった居間で、彼女だけが落ち着いていた。
こやつ、今が生きるか死ぬかという状況なのを理解しているのか?
鈴はなにか思い付いたかのように両手を叩く。
「あの、紙を一枚ください」
清右衛門は訝しげにそばに控えていた護衛に紙と硯、筆を用意させる。
鈴は一度目を閉じて、ゆっくり目を開いた。
「これがこうで、こうで……こういう風で……」
鈴はスラスラと何かを書いていく。
何かの絵のようだ。
だが、出来上がったものを見て、清右衛門は息をのんだ。
「これが何か、お分かりでしょうか清右衛門様」
「……例の高級フンドシに刺繍された絵柄だ」
清右衛門が福箱祭で買った高級フンドシの柄の一部が再現されていた。
まさか、あの緻密な絵を再現できるというのか。
清右衛門は流されそうになる気持ちに喝を入れる。
「……だが、それがどうした? お主は今までみた絵柄全てを覚えているとでもいうのか?」
「叔父上が作った絵柄で、見たことがある物なら再現できますけど」
清右衛門だけでなく、喜二郎も驚いた表情で鈴を見ていた。
それが真実だとすれば、捨てるには惜しい才能だ。
……しかし。
「仮にお主が喜二郎の絵柄を全て覚えていたとしよう。だが、それはお主でなくとも喜二郎を手にすればよいだけの話ではないか?」
「いえ、清右衛門殿。それは出来ぬ相談です」
清右衛門の考えを喜二郎は否定した。
「某は一度作ったものを再現することはできませぬ」
「……そんなわけがないであろう。聞くところによるとお主は一瞬で文を読み取れるはずだ」
菅笠に後をつけさせた太田庵で、喜二郎は本屋で少し見ただけの書物を複製して見せたと聞く。
ならば、本人が書いた絵柄など容易く復元できるはずだ。
しかし、喜二郎は首を振った。
「某は幼き頃より文を読み親しみ、前後の内容と合わせることで覚えることができます。慣れでございます」
喜二郎は続ける。
「ですが、絵柄は発想と趣旨を空白に埋めることにて出来上がるもの。まったく同じものを作ることは某にはできませぬ」
「……」
清右衛門は言葉を失った。
あの喜二郎が同じものを作れないというのか。
……いや、確かに。
喜二郎が作った高級フンドシに縫い付けられた刺繍は、どれも絵柄が違っていた。
文章と絵柄の才能は別物だ。
喜二郎が復元できない絵柄を、この娘が再現できるというのか。
この娘……鈴はたしかに才能はあるが、喜二郎には遠く及ばないと思っている。
喜二郎にもできないという稀有な才能、簡単に信じられるわけがない。
もしも鈴にその才能があるというのなら、あるものを作り上げることができるはずだ。
清右衛門は懐から一つの手ぬぐいを取り出し、畳に置く。
「これを見よ」
これは例の福箱祭で売っていた手拭いだ。
鮫油の包みとしての刺しゅう入りの手ぬぐいに包まれていたが、正直手拭いの方が価値が高い。
鈴がその絵柄を見たのを確認し、清右衛門は再び懐にしまった。
「今見たものを、その筆で再現できるか?」
鈴はこくりと頷き、新しい紙に筆を走らせる。
静寂の中、鈴の筆の音だけが広間に響き渡る。
「できました」
鈴が描いた絵柄を護衛の侍が受け取り、清右衛門のところまで持ってくる。
清右衛門は先ほどしまった手拭いを取り出し、紙の横に並べた。
大きさも絵柄も、ほとんど狂いなく写されていた。
「清右衛門様は、福箱祭の時におっしゃっていましたよね」
清右衛門は手ぬぐいから目を外し、正面に座る少女を見た。
「例の高級品、清右衛門様なら八両以上で売ることができるって」
それは福箱祭の時、一両で売られていた高級フンドシを清右衛門なら数倍の値で取引することができると言った言葉だ。
「私、全部の絵柄を覚えています。これが私を生かす理由になりませんか?」
年貢に換算すると、いかほどの値になるのかを清右衛門は計算する。
高級フンドシを月一つ分作れるとして、年間約100両。
正直、年貢免除の踏み倒しに比べれば金額は低い。
だが、これには利点が存在する。「確実に売れて銭になる」という利点だ。
田沼政治が失脚すれば米中心の政治に逆戻りする可能性は高いが、フンドシは食べ物と違って腐らない。
米中心の政治がもはや限界に達しているのは、日ノ本各地を見れば明らかだ。必ずまた銭中心の政治がやってくる。
踏み倒すことで必ず手に入る米か、鈴を活かすことで将来有望な価値がでる刺繍柄の再現技術か。
清右衛門は皮肉交じりに笑みを浮かべた。
――投資は、時間がかかる。覚えておけ。
まさか自分が昔言った台詞で止めを刺されるとは、政治生活が長い清右衛門であっても夢にも思わなかった。




