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二者択一の強権

その日の暮れに、鈴と喜二郎は仙台藩邸にいる清右衛門に呼び出された。

あの田沼意知暗殺に関係することだろうか。


「またなんか無理難題言われたらどうしよう」


清右衛門の呼び出しで簡単な内容だったことなど一度としてない。

喜二郎も同じことを思ったのか、何も言わずに頷いていた。


鈴、喜二郎、ナナシが清右衛門のいる仙台藩邸にたどり着くと、門番が恭しく案内してくれる。

そして鈴たちの前を歩くだけでなく、後ろにも案内役が付いてくる。


……暗殺事件なんて物騒なことがあったからかもしれないけど、物々しい気がする。


なんとなく嫌な予感がした。

前を歩く喜二郎も、隣を歩くナナシも、心なしか緊張しているように見える。


江戸の仙台藩邸は、意外と大きい。


ただ、清右衛門の部屋には一度だけ行ったことがあるが、意外と質素な部屋だったのを覚えている。

先に歩く案内役の人が清右衛門の部屋の前で立ち止まると「お連れしました」と襖の向こうに声をかけた。


「入れ」


開いた襖の奥に清右衛門がいる。

そして清右衛門の前にはずらりと刀を佩いた侍が並んでいた。


「……」


喜二郎とナナシが息をのんだのが分かった。

鈴はもう逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「聞こえなかったのか? 入れ」

清右衛門が同じ言葉を繰り返した。


折角大阪からここまで喜二郎を連れ帰ったというのに、あの時の密談とは全く態度が違う。

大阪では多少なりとも鈴たちを案じる気配があった清右衛門が、今は鋭利な刃物のように冷たい目をしていた。


喜二郎がゆっくりと部屋の中に入ったので、ナナシと鈴もそれに続く。


ナナシは腰の刀に軽く指をあてていた。

まさか、ここで血なまぐさいことが起こるのだろうか。


部屋の中を進むと、清右衛門の前にいた護衛の侍にそれ以上進むことを止められる。


「座れ」


清右衛門の言葉で、喜二郎とナナシは腰を下ろした。

鈴も慌てて座る。


喜二郎もナナシも胡坐ではなく、すぐ立てるような姿勢だった。


「田沼様のことは聞いておるな」


唐突に清右衛門はそう切り出した。田沼意知が暗殺されたことだろう。

江戸ではどこに行ってもその話題が持ち上がる。


鈴たちは頷いた。


「この日ノ本は大きく変わろうとしていた。米から銭中心の世の中にな」

そう言って清右衛門は目を閉じた。


銭が中心の世の中。

それは世間では評判が良くないことを鈴は知っている。


今まで米中心の生活だったのが、銭に置き換わる。

すると価値観も少しずつ変化するようで、大名や奉行でのやり取りでは袖の下が重要になってくる。


いわゆる賄賂政治の側面を持つことになるのが、銭中心の世の中だ。

そして、この江戸では袖の下がなければ身分の高い人に面会することもできない。


鈴は江戸で嫌というほどその経験を味わった。

清右衛門は自虐的に笑う。


「儂は銭による政治を認めている。元々商人だからな。だが、田沼意知様は厳格過ぎた。恨みを買って暗殺されても不思議ではないお方だった」


清右衛門の言葉に「恨みは買いそうだな」と鈴も思っていた。


最初に挨拶しに行ったときは、献上品として七両の価値がある商品をかっぱらわれたと思って泣きはらした経験がある。

政治に詳しい人や、根回しについて正しく価値を理解している人が補足してくれなかったら、鈴も田沼意知を恨んでいただろう。


清右衛門は険しい目で自身の手のひらを見ていた。


「だが、それは儂にも当てはまる。田沼意知様が亡くなった今、田沼意次様の権威は落ちていく可能性がある。そうなれば儂の仙台での金融政策に恨みを持つ者も増えていくことだろう」


清右衛門はそう言って鈴たち三人を見据えた。

おそらく清右衛門は、江戸に米売りを推進した政策のことを言っているのだろう。


ある意味、あの政策がなければ天明の大飢饉はもっと軽微であった可能性も高い、と思ったことがあるのも事実だった。

だが清右衛門も十分にそのことは理解しているだろう。彼は苦し気に目をつむる。


「……儂はまだ死ねぬ。外交に強い繋がりを持つ者が仙台には少ない。仙台の供給が破綻する前に引き継ぐ必要がある。それも早急にな」


清右衛門はまだ死ねぬと言いながら、どこか死を覚悟しているような言い回しであった。

清右衛門は大きく息を吐くと、ゆっくりと鈴たちに視線を向ける。


さっと清右衛門が手を挙げると入ってきた襖が閉まり、入口をふさぐように侍が後ろに回り込んだ。


「端的に言う。喜二郎よ。イロハ様の婿になるか、切腹するか選べ」


え、何。その極端な二択は。

そんなの実質的に一つしか選択肢がないではないか。


喜二郎は冷や汗を浮かべて、清右衛門に真意を問う。


「それは仙台藩の総意でしょうか」


喜二郎の言葉に清右衛門は答えない。

だが、周囲の人間が刀に手を掛けた気配を鈴も感じ取った。


選択肢の一つである切腹を選ばせてやると言いながら、なんで刀に手を掛けているのだろう。


……どっちも断ったら斬るということだろうか。


「儂は、お主が幼少の頃から目を掛けていた」


清右衛門は独白するように話を始める。

喜二郎とナナシが、清右衛門に見えないよう後ろ手で何かの合図をしていた。


「最初は仙台藩にその才能があるだけで十分だと思った。だが、もはや状況が変わった」


清右衛門がぱらりと何かの書状を広げる。

鈴の位置からだと遠くて読めないが、それを見た喜二郎は物凄い冷や汗を流していた。


「お主を切腹させる筋書きがわかったであろう。御せぬ麒麟ほど危険なものはない。……答えを聞こう、喜二郎」

「……」


喜二郎が苦悶の表情でうつむいている。

一触即発の空気に、ナナシが膝立ちでいつでも動けるようにしていた。


「あの……すみません、それ見せてくれますか?」


一触即発の空気の中、鈴は場違いに手を挙げた。

清右衛門は一瞬考え、書状を鈴に投げてよこす。


ちょっと、乱暴だなぁ。……どれどれ。


「えーと。喜二郎が船の設計図および技術を薩摩に売り、仙台藩の機密を漏らしたため切腹を命じた。ただし、今までの功績を踏まえ喜二郎本人および父兄にのみ処罰を留める」


んー……? なんか必要な情報が全然足りない気がするんだけど。


まず軍船であることを書いてないし、あの船は仙台藩が造船を命じたって聞いている。

それに薩摩技術を売ったというが、そもそも喜二郎に取引を命じたのが仙台藩だ。


書いてあることだけを見れば、勝手に喜二郎が機密を売ったことになっている。

あべこべだ。


「あのぅ、清右衛門様。こんな法螺、誰も信じないと思いますし、書いてあることがメチャクチャなんですけど」

「おりんよ、お主は少しは賢くなったと思ったが、学ばぬな」


鈴の言葉に清右衛門が鼻を鳴らした。


「はい……?」


どういうことだろうと、鈴は首をかしげる。

清右衛門は鋭い目で鈴たち三人を見据えた。


「権力とは、このように白い物を黒くするときに使うのだ」





---

「清右衛門殿、ご提案があります」


身も凍るような空気の中、喜二郎が言葉を発する。

だが清右衛門の態度は冷え切っていた。


「ならぬ。答えは二つに一つだ。選べ」

交渉の余地を一切持たせない、拒絶のような態度だった。


周りの侍が刀に手を掛ける。

ナナシもそれに合わせて刀に手を掛けた。


ちょっと、ナナシが刀を抜いたらそれこそ打ち首の口実を渡すことになるよ。抑えて抑えて。

しかしなんだろう、やけに自分が落ち着いていることに鈴が気が付いた。


ああ、と鈴は納得した。


喜二郎が婿入りすれば丸く収まるんだから、慌てていないのだ。

しかしなぜ喜二郎はイロハとの婚姻を渋るのだろう。


ここまで差し迫った状況で縁談を勧められるのは不本意かもしれないが、イロハならきっと喜二郎を受け入れるだろうし。


それにイロハは世界で一番愛しているって言ってた。……これ言ってもよいものだろうか?

言い方は悪いが玉の輿だし、イロハと喜二郎の相性が悪いとは思わないのだが。


「某がイロハ様と婚姻した場合、リンはどうなります?」

「お主の想像通りだ、喜二郎」


ん? 私のこと?

いきなり鈴の話題になり、鈴は面食らった。


喜二郎は冷や汗をかいたまま話を続ける。


「あの軍船の正体を知っており、仙台藩に仕えていない者は二人。某とリンです。仙台藩からすれば厄介者でしょう」

「ならば、儂の今の立場がどういう物か、理解していよう」


えぇ……? でもそれってしょうがないんじゃ。

だってあの時は、薩摩に受け渡す軍船に乗っていくしかなかったんだし。


それに乗って行けって言ったのは伊達重村だ。

鈴はその命令で喜二郎を連れ戻しに来たんだし、それを言われてもどうしろというのだ。


なんだかんだで大阪では鈴たちが逃げるのを手助けしてくれたのに、今度は厄介者扱いである。

おそらく田沼意知という後ろ盾を失い、清右衛門の身の回りにも危険が迫っているのだろう。


弱みを見せてはならないということで、鈴が邪魔になったということだろうか。

あの軍船を根ほり葉ほり聞かれても言うつもりはないが、確かに手荒な取り調べをされると耐性がない鈴が我慢できるかは怪しい。


……というか、切腹を迫っておいて、なんでこんな強硬に刀をちらつかせて来るのかは分からなかったが。

色々予想はしてみる鈴だったが、どれが答えなのかは分からない。


すると喜二郎が自身の見解を話してくれた。


「田沼意知様の威光が効いているうちに、仙台藩の早期の立て直しを図る。そのためにリンを亡き者にしても欲する物がある、ということでは?」

「ちょっ……」


つまり、厄介者うんぬんは建前で、鈴が持っているものを没収するのが目的という見解らしい。

そんなことないよね? と清右衛門の方を見るが、彼は薄く笑っただけだった。


なんて理不尽な。

これだから建前と本音を使い分ける政治家は腹黒だと言われるのである。


しかし喜二郎が正しい予測を口にしている間、清右衛門は耳を貸すようだった。


(まぁ腹黒については置いておいて……田沼意知様の威光、というと銭のことかな)


考えてみるが、鈴が死んで手に入れられるものなんてあっただろうか?

せいぜい高級フンドシを福箱祭で売った数両の銭だが、それだってイロハに預けてあるんだけれども。


教えて、と喜二郎の袖をくいくい引っ張るが、喜二郎は清右衛門の一挙手一投足に集中していて見向きもしない。

喜二郎は袖に隠した指先で、再びナナシに合図を送っていた。……なんの合図なんだろう、これ。


「リンを亡き者にすれば、仙台藩には三つ手に入る物があります」

すっと喜二郎は指を三本立てた。


1.名主村の年貢免除の取り消し。それによって改めて名主村から年貢を徴収できること。

2.水を蓄えた新堰を藩預かりにできること。

3.鈴が抱える技術者を藩預かりにすることができること。


喜二郎は指を折りながら、それを数えた。


「……これから再び米中心の世の中に戻るとすれば、名主村の年貢と堰の存在は非常に魅力的でしょう。某を仙台藩に召し上げるか切腹させれば、リンだけがそれらの保証人になります。取り除いた方が仙台藩の利になる、と考えても不思議ではありません」

「足りぬな、喜二郎。湯治村のことが抜けておる。もっともお主が大阪にいる間におりんが成した事業ゆえ、知らぬのも無理はないが」


いや、それはそうだろう。というか喜二郎と大阪に一緒に来た清右衛門が知っていることの方が驚きだ。

鈴と一緒に大阪へ来た時、清右衛門の部下が報告したのかもしれない。


「いずれにせよ。どれも仙台藩の命によりリンが勝ち取った成果です。それを力づくで奪うというのならば、非難は免れませぬぞ」

喜二郎の言葉に、清右衛門は鼻を鳴らした。


「誰が儂を非難する。お主か、内成か。それともおりんが育てた村の者たちか。……存分に非難するがいい。仙台が立て直した暁には喜んでこの腹を掻っ捌いてくれる」


清右衛門は、断固たる覚悟をもって言い切った。

自分の命が危ういという状況なのだが、清右衛門の覚悟は素直にすごい。


しかし強制的に徴収すれば、非難を免れないというのは確かだ。

それこそ名主村はおろか、鈴と交流のある村たちの信用を失ってしまうことになるはずである。


(……そういえば昔、清右衛門様にその場合もありうる、って言われたことがあったっけ)

あれは鈴たちが手に入れた大量の米をすべて渡してくれ、と清右衛門が頭を下げた時のことだ。


『儂は奉行だ。この状況ならば強制的に徴収することもできる。……だがそれをすればお主は二度と藩を信用しないだろう』


あの時はそんなことをするわけがない、ただの脅しだと思った。

まさか実際に行動に移すとは思わなかったが、清右衛門が仙台藩を第一に考えていることはよく分かった。


だけど、鈴が死んで財産を取り上げられたとなれば、黙っていないであろう人がいる。


そう。鈴には片倉のつながりがある母と、鈴の保証人であるイロハ、そして重村である。

この人たちがいる限り、清右衛門が大義を得て鈴を殺めることはできないであろう。


そう思っていた鈴に、清右衛門が筋書きを述べた。


「おりんが生きておれば、それらはお主の財産であり、お主の功績だ。お主には伝手も多い。藩が勝手に取り上げれば、民心を失うだろう。……だが、罪人として処断してしまえば話は別だ」


あ……それは考えてなかった。

鈴にあらぬ罪をかぶせて亡き者にすれば、信用されようがされまいが、その人物はもういないのだから関係ない。


つまり、一度だけならば約束を反故にすることができるということだ。

あー……だから最初にあべこべな罪状を書き連ねた紙を鈴たちに見せたのか。


少し楽観していたが、政治的なやり取りは清右衛門の方がやはり一枚も二枚も上手である。


(清右衛門様は叔父上とイロハを結ばせて自身の後継としようとしている、と。そして私を殺めれば、色々と物入りのこの飢饉で収入を得られる、ってことなんだ)


そして逆に喜二郎を失った場合でも、おそらく仙台藩に利がある。

例えば喜二郎から買い取った商品の借財や加賀から買い付けた米の貸しがなくなるとか。


その線で考えれば、仙台藩はとんでもない銭を喜二郎に借りていることになる。あとは軍船の秘密も守られるというのもあるだろう。

そういえば、喜二郎は大切なものを肌身はなさない習慣がある。

そういった証文は常に持ち歩いているはず、ここで切腹させれば回収もできるわけだ。


狡兎死して良狗烹らるとは良く言ったものだ。

ただしそうなると、清右衛門が考えているであろう流通関係の後継がいなくなるため、人材育成は再計画が必要ということでもある。


……もしかして、その育成計画の一員として鈴の名前があるのかもしれない。

とすれば、喜二郎か、鈴か、どっちかの命は活かしておく方向性で考えているのだろうか。


そういえば清右衛門は喜二郎を切腹させる筋書きの中で、「切腹の被害は喜二郎と父兄に留める」と書いてあった。

母と鈴の命を見逃しているようにも見えるし、清右衛門の後継者候補として鈴がいる可能性は高そうだ。


いやいや……清右衛門の後継者なんて、絶対にできる気がしないけど。


(うーん……)


なんとか死罪を回避しつつ、清右衛門の後継者を断る術はないだろうか。

そういえば鈴も伊達宗村の八男との婚姻の話があったし、その方に嫁ぐというのはどうだろうか。


割といい手かもしれない。

しかしその考えを清右衛門は見透かしたように首を振った。


「喜二郎がイロハ様と婚姻すれば、宗村様の八男とお主の婚姻はなくてもよくなる。むしろその流れは避けておきたい」


だから喜二郎を取って鈴を切り捨てるのが最も良い、と清右衛門が言っているような気がした。


……そんなことないと思うよ?

私、生きていた方がきっと役に立つと思うよ?


しかし清右衛門が気にしているのは、役に立つか立たないかだけではないようだった。


「林家に伊達家の血筋が二人。それでは権力の均衡が著しく崩れる。家老も認めまい」


今度は権力の話ぃ……?

なんか、ずいぶんと話がややこしい。


複雑に問題が重なり合って、あっちを立てればこっちが立たないようになっている。

鈴は別に権力なんてなくてもいいのだが。


解決方法が思いつかない状況に、鈴は頭を抱えたくなった。

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