金蝉脱殻
大阪の街は江戸とは違う良さがあった。
けんかっ早い江戸の人々と比べると、街ゆく人がみんな明るい。
しかし騙されてはいけないのは、その笑顔が善意であるとは限らないところだ。
「まぁ、そこも含めて面白いんだけどね」
トシは串にささったタコの足を持ちながら、お店の人に笑顔で挨拶する。
知り合いかと思ったら皆初対面らしい。
「私は絶対に大阪では生きていけないと思います」
イザマルがそう言って身を震わせる。
鈴はこの大阪の空気に割と抵抗がないけど、イザマルは息苦しそうだ。
真面目過ぎるとこういった時は大変なんだなぁ、とぼんやり鈴は思った。
しみじみ思っていると、何を考えていたのかナナシには伝わってしまったらしく、白けた目で見られる。
「最初に江戸に来た時に袖の下を渋ってたやつが、そんな目をするな」
「お、おりん様が……!?」
ナナシの言葉にイザマルが信じられないという表情で鈴を見る。
ちょっと。ナナシはともかく、イザマルのその目は心外だよ。
袖の下を最初に提案したのは鈴じゃなくて、君のお父さんの三吉なんだよ、イザマル。
「イザマルは甘ちゃんだからね。キジ兄だってやってたのに」
「まさか、そんな。いや、それは父に誑かされただけかもしれませんし……」
……鈴もそう思っていただけに、父親の三吉をそこまで軽蔑してしまうと、少し可哀そうなんじゃないかなぁ。
そんな緩い空気で大阪の街を練り歩く。
「ん……?」
何か分からないが、視線を感じた気がした。
どこか覚えがある感覚だなぁ、と思ったら名主の家に拉致されて連れていかれる前に菅笠の男たちから感じたものに似ていた。
だが、あの時の誘拐の主犯であるナナシは横にいるし、気のせいだろう。
「気のせいではない。つけられている」
「は、え……?」
ぼそりとつぶやいたナナシの声に、鈴は素っ頓狂な声を上げた。
「数は五人。武芸の心得はあるようだが、手練れではない」
「それって今危ないってこと? それとも無視して大丈夫そうなの?」
ナナシは少し考えて「問題ない」と答えた。
「薩摩かと思ったが、あいつらにこんな鋭利な気配は出せん。仙台の者特有の気配だ」
気配ってナナシ、そんなものどうやって見分けてるのか。
だが仙台の者ということは清右衛門の部下かもしれない。
なんで鈴たちの後をつけてくるのか分からないけど。
トシとイザマルにもそれとなく緊急事態の合図を送り、訝しみながらもナナシの指示に従うことになった。
そして商店街を外れた裏通りまで歩いたところで、ナナシが三人をかばうように来た道を塞いだ。
菅笠を被った五人の男がそこに現れた。
「何用か」
ナナシは刀の鍔に指を掛け、男たちに尋ねた。
「林鈴、真田内成。二人に内密の話がある。来てもらおう」
「要件はそこで話せ。ついて行くかどうかはそれ次第だ」
ナナシは臆することなく一歩前に進む。
菅笠の男五人が緊張して息をのんだのが分かった。
だがその内の一人が小さくため息を吐き、ちらりと菅笠の中の顔を晒す。
「清……」
鈴がその名を口にしようとした瞬間、その男は人差し指を自分の口に押し当てる。
そしてその横にいた菅笠の一人が指で何か合図をすると、ナナシは鈴たちのいるところまで下がった。
(清右衛門様が、お前に至急の話があるらしい。どうする)
ナナシが鈴にそう囁いた。
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鈴たちは菅笠に連れられるまま近くの煮売り茶屋まで行き、そこに腰掛けた。
ナナシは懐から取り出した菅笠を鈴に被せる。
これ、自分が身につけても良い物なんだ。
すると後ろの方で腰を下ろした菅笠の男……清右衛門が背中合わせで座っているのが分かった。
「菅笠で表情を隠せ、できれば口元もだ」
隠すも何も、菅笠が大きすぎて首まで隠れているのだ。
このこけしみたいな姿を奇妙と思わないならば心配いらない。
清右衛門はあきれたようにため息を吐いた気がするが、すぐに要件を話し始める。
「お主の米の方はどんな塩梅だ」
「お気遣いありがとうございます。万事抜かりありません」
あれ。ちょっと密談みたいで少し楽しい。
だがそんな楽観的だった鈴を、清右衛門の次の言葉が吹き飛ばした。
「明日、喜二郎を大阪から脱出させる」
あまりの不穏さに心臓が飛び出るかと思った。
一気に表情が引き締まる鈴に、清右衛門は続ける。
「薩摩は喜二郎を何が何でも連れ帰る気だ。例の薩摩の取引は完了したので、もうあちらにも留めておく理由がない。下手をすれば攫ってでも喜二郎を薩摩に連れていくだろう」
それは穏やかではない。
喜二郎を懐柔しようとしていたことは知っていたが、喜二郎は頷かなかったのだろう。
信じてたよ、叔父上。……ちょっと疑っちゃったけど。
だが安心してもいられない。清右衛門が鈴に接触してきたということは何かしら鈴にも役割があるのだろう。
清右衛門は話を続けた。
「狙われているのは喜二郎だが、ここに来て標的が変わった。……お主だ、おりん」
「私、ですか?」
なんでだろう。狙われる理由がわからない。
薩摩というと、ミクニの友達という以外に鈴には繋がりがないような気もするのだが。
「お主が、喜二郎を連れ出す鍵になる。薩摩はそれを嗅ぎ付けてきおったのかもしれん」
「私が、叔父上の?」
たしかに喜二郎には可愛がられているが、鈴に喜二郎を連れ帰るほどの価値があるというのだろうか。
なんだか見当違いな考えのようにも思えたが、清右衛門の声はいたって真剣だった。
「明日、小舟を一艘港に用意する。喜二郎と共に大阪を脱出しろ」
「まさかとは思うんですけど、小舟で仙台に帰れなんて言いませんよね」
それに買った米はどうするというのだ。
あれがないと名主の村と塩釜の人間が冬を越せなくなる。
仙台藩の方でも米は確保したと聞いているが、あんまり信用しすぎる訳にもいかないし。
「沖に小さい帆船を用意してある。それで江戸まで逃げろ。そこからであれば何とでもなる。米は仙台の船で儂が責任をもって運び入れてやる」
ということは、清右衛門とは別行動するということか。
しかし小舟で沖までっていうけど、鈴と喜二郎だけでその沖にある船まで行けるのだろうか。
鈴の知っている喜二郎は学者肌なので、体力はあんまりなかったと記憶しているのだが。
「内成がいるならば何とでもなる。それよりも影武者を一人用意しておけ。時間を稼ぐためだ」
「影武者って……危ない役目じゃないですか、嫌ですよ」
鈴はそう渋ったが、向かいに座っていたイザマルがトントンと自身の膝を指で叩く。
鈴が目を向けると、イザマルは人差し指で自分を指さし、こくりと頷いた。
小声で話していたのだが、聞こえていたのだろうか。
「影武者の命の心配はいらぬ。頃合いを見て正体を明かすようにする。むしろお主の方が危険だ。明日、日が昇る前に必ず港へ行け。この話は決してこれ以上するな」
「……わかりました」
鈴が了承したことで、菅笠の五人は席を立った。
何事もなかったかのように去っていく彼らだったが、数歩歩いた清右衛門がちらりとこちらを見る。
――必ず逃げろ。
菅笠から一瞬覗いた目が、そう言っているような気がした。
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鈴は菅笠を被ったまま仙台用の宿に戻ってきた。
「まだ取るな。被ったままでいろ」
菅笠でヨタヨタする鈴に、ナナシがそう注意する。
でもこれ前が見えにくいんだよ、よくいつも被ってられるねナナシ。
用意された部屋に入り襖を閉めると、ようやく菅笠をとることを許された。
「ねぇ。よくわからないけど、これってかなり危ない状況ってことだよね?」
事情を知らないトシが、分からないなりに危機を感じて小声で話しかけてきた。
鈴は頷いた。
「詳しくは話せないけど、これから忙しくなると思う」
「話は後だ、すぐに服を交換しろ」
ナナシがそう言って鈴の服を取り換えるよう促す。
衝立一つ挟んでイザマルと鈴は服を交換した。
「俺とリンは身を隠す。トシとイザマルはここにいろ。使者を名乗る者が来たとしても無視しろ。清右衛門様でもだ」
「わかった」
「分かりました」
鈴はイザマルの髪に自分が付けていた簪と櫛を差し込み、影武者を作り上げる。
イザマルはどちらかというとトミ似の美形なので、遠目から見れば鈴と言われても分からない。
「ごめんね、二人とも。ありがとう」
「気にしなくていいよ、仙台用の宿ならたぶん大丈夫さ」
「ご武運をおりん様。どうかご無事で」
鈴は頷き、髪をイザマルがしていた髷と同じ形に整えた。
鈴が変装……というか男装したのは喜二郎と仙台城に潜入して以来だ。
ナナシはそのまま宿の裏手の方に回ると鈴を抱えて塀をひとっ飛びした。
危うく悲鳴を上げそうになるところを踏みとどまった鈴の心臓を褒めてあげたい。
(なんで裏門から出なかったの?)
(あそこは張られている、門は使えない)
だが、もしも塀を見張っている人がいたら一発でバレてしまうのではないだろうか。
(監視というのは意外と体力を使う。来るか分からない塀よりも門を見張るのが玄人だ)
さすが元誘拐犯。説得力が違う。
鈴がぼそりとそう言ったら「カモがネギしょってきたあの時とは違う」と口元をゆがめていた。
なんだよぅ。
私は武術に関しては全く心得ないんだから当然じゃん、と鈴はへそを曲げた。
鈴たちが隠れ家に選んだのは例の倉庫だ。
別の宿を取るという選択肢もあるが、今は町を出歩くという危険性より潜伏を優先した方がいい、というナナシの判断だ。
米俵を敷布団にしてその日は眠りについた。
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鈴とナナシは日が昇る前に倉庫を出発した。
大阪は江戸に比べて道が入り組んでおり、夜明け前の暗さもあって進みにくい。
ナナシも不慣れな道を警戒しつつ、目的の港へと足を進める。
港に続く門は閉じられており、ここの門が開くのを待つ必要がありそうだ。
だがナナシは鈴を抱えると、周囲の置物や家具を足場にして家の屋根まで上り、そのまま門を飛び越えてしまった。
「もう驚かないよ」
「いちいち反応されなくて助かる」
さて、港に行けとは言われたが、喜二郎はどこにいるのだろう。
というかあの門が開かないと喜二郎も来れないのではないだろうか。
「あれだ」
ナナシが顎で方向を指し示す。
そこには蓑と笠を被った男が桟橋の上で胡坐をかいていた。
「早かったな。リン、内成」
「叔父上」
久々の再会を喜ぶ間もなく、喜二郎は鈴たちに小舟に乗るよう促した。




