モチ蕎麦を売ろう
ナナシの見立てでは十日。長くても二十日くらいで薩摩への受け渡しが完了する見込みらしい。
「そんなにかかるの?」
「あれの扱いは特殊だ。そして港に寄れない理由も何となくは察しているだろう?」
ナナシは詳しく説明してくれないが、そういうものらしい。
ただの船にしては珍しいなとは考えていたが、御禁制の船だという鈴の予想が当たっているとすれば確かに慎重になるだろう。
鈴たちはその間にモチ蕎麦を売り、仙台……というか名主村に食料を持って帰る算段を立てなければならない。
鈴はひとまずそば粉を保管している倉庫に戻ったが、そこにイザマルの姿はなかった。
「あれ、イザマルは?」
「なんか教えを乞うとかで飛び出していたよ」
倉庫で帳簿を付けていたトシが顔を上げて答えた。
トシは少し不満そうに帳簿とそろばんを抱えている。
「トシは何しているの?」
「なんか酒とかみりんとか醤油とか……よくわからないけど、相場を調べてって言われてやってるところ」
トシの言葉で考えられるのは、イザマルはあのモチ蕎麦に振りかける汁に何がよいのかを調べに行ったのだろう。
以前は頭の中だけで考えることが多かったイザマルが、実際に足を使って動きだしたのは素直に成長のように思えた。
トシもそれが分かっているのか、不貞腐れながらもそれを手伝っている。
「機嫌直しなよ、トシ」
「わかっているよ。でもイザマル相手だと少し張り合っちゃうんだ。理由は言わないけど」
ほほぅ。それはちょっと興味深い。
どっちも喜二郎の愛弟子みたいなものだし、張り合ってしまうのは仕方がないだろう。
うんうん、と頷く鈴にトシは少し不満げな表情をしていた。
その日は遅くまで倉庫でイザマルを待っていたが、帰ってこなかった。
人さらいにあったのではないかと心配し始めた鈴に、トシは「心配ないよ」と言った。
「あいつは三吉と同じだよ、研究になると目の色が変わるし。でも三吉と違うのはちゃんと周りを見てるから、大丈夫さ。大人と一緒に行ったし」
鈴は少し驚いてトシを見るが、彼はバツが悪そうに顔をそらした。
ちゃんとイザマルの美点も見ているのは、トシの良いところだ。
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翌日。
倉庫に行くと、閉めたはずの扉が開いていた。
そこには、イザマルが一人で菜箸を握って料理をしていた。
「おりん様、おはようございます。朝餉ができております」
「おはようイザマル……って言いたいところだけど、もしかして寝てないんじゃない?」
鈴の言葉に「お気になさらず」とイザマルは首を振った。
「ナナシ殿もどうですか。ついでにトシも」
イザマルは山盛りのモチ蕎麦を二人に差し出した。
ナナシとトシは顔を見合わせてその皿を受け取る。
「いただこう」
「もらうよ」
渡された鈴の皿には、昨日と似たモチ蕎麦が盛られている。
しかし何かの野菜や小エビがちりばめられており、昨日とは明らかに出来が違った。
「「いただきます」」
皿を渡された三人はモチ蕎麦をすくい、口に運ぶ。
広がる芳醇な香りと甘み、そして程よい塩気。
昨日も美味しいと思ったモチ蕎麦だったが、これを食べた瞬間に味を忘れてしまうほど美味だった。
「いかがでしょうか。少しは汚名を返上できたでしょうか」
疲労が隠せない様子だったが、その表情には自信が満ち溢れていた。
汚名を返上どころか名誉まで挽回してしまうほどのおいしさに、鈴は頷こうとした。
「まだだよ、イザマル」
自信に満ちたイザマルにトシがそう言って待ったをかける。
イザマルは訝しげにトシを見た。
「これをどう売るか、昨日考えていたんだ。食料を手に入れる所までが仕事だよ」
イザマルは「たしかにな」とトシに頷いた。
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「大阪は江戸ほど露店が多いわけじゃないけど、いつも祭が開かれているんだ。だから屋台が売れると思う」
荷車を引くナナシの後ろで、トシはそう言った。
「でも、それだと結構売らないと捌けないんじゃない? 毎日売っても食料を買う時間が無くなっちゃうよ」
荷車に積んであるモチ蕎麦の総量を見ると、十回くらい祭があっても売り切ることができない気がする。
そう思った鈴にトシは自信ありげに笑った。
「売るのは僕たちじゃなくてもいいんだよ」
「どういうこと?」
首をかしげる鈴に「ほら」とトシは指をさす。
「あの店、どう思う?」
「団子屋? どう思うって、誰も並んでないからすぐ食べられそうだけど」
この大阪で一番多いのは餅屋や団子屋だ。
江戸ほどでないにしても、見渡せば数軒の店が見える。
「もしかして、トシ」
「そうさ。モチはモチ屋っていうからね」
江戸では蕎麦が乱立しており、それを逆手にとった。
知名度があるなら、なにか一つ優れた特長に目をつければいい。
そこで商売の相手として目を付けたのが、一点突破した美味しさがある太田庵である。
今回も同じように、このモチ蕎麦を料理するのに抵抗がない餅屋や団子屋に、売り込もうという魂胆である。
「僕も色々調べたんだけど、団子は作りやすいぶん単価が低いんだ。だから数を売らなきゃいけないんだけど、こうも団子屋とか餅屋が多いとお客さんの取り合いになる」
だけどさ、と言ってトシは荷車を指さした。
「大阪では新しいものより、馴染みのあるものの方が売れるっぽいんだ。だけどこのモチ蕎麦は誰も食べたことがないけど、モチっていう馴染みが深い縁起物の食べ物でしょ?工夫次第で受け入れられると思うんだ」
「言っていることはわかるが、どうやるのか皆目見当もつかない」
眠そうに目をこするイザマルがそう言いながら、トシの後ろに続く。
まあ見ててよ、とトシは自信ありげに団子屋で一串頼んだ。
「おっちゃん。儲かりまっか?」
「おうおう、みりゃ分かるだろ。風見鶏が鳴いてらぁ」
はっはっは、と団子屋のおじさんとトシは談笑した。
それを言うなら「閑古鳥が鳴く」だと思うけど。
「僕たち江戸で商売していて大阪に仕入れに来たんだけど、少しのあいだこっちでも商売することになってね。おごるから売れるかどうか感想聞かせてくれない?」
「なんでぇ新参者か。だが、タダ飯食わせてくれるってんなら大歓迎だぜ、坊主」
互いにニッと笑うと、トシはナナシに引かせていた荷車の中から七輪を取り出した。
既に麺は茹でてあり、乾燥しないように少し油をまぶしてある。
それを七輪にかけた鍋に入れ、汁気が飛んだところでイザマルの作った汁を振りかけてさらに水を飛ばす。
完全に水気が無くなったところで、それを皿に盛って団子屋のおじさんに差し出した。
「はい、モチ蕎麦だよ」
「モチ蕎麦? けったいな名前やなぁ」
くんくんと匂いを嗅ぐおじさんは、あまり躊躇せずそれを口に入れた。
「うんま! なんやこれ」
「どう? 売れそうかな?」
トシがそう尋ねると、団子屋のおじさんは「うーん」と唸った。
「旨いが、売れねぇんじゃないかなぁ」
「えー、なんで?」
新しい物より伝統がある方が好まれる、と先ほどトシが鈴に話していた内容を説明してくれる。
「そっかぁ。ありがと、おっちゃん。さっき同じように人にふるまったら『売れそうだ』とか言ってたから、少し期待してたんだけどなぁ」
「ホンマに?」
「うん。僕たちは大阪に長居するわけじゃないから作り方教えたら買ってもいいって言ってた気がするし」
それを聞いた団子屋のおじさんは荷車に乗ったモチ蕎麦の材料に目を凝らしていた。
「作り方は簡単だけど、汁の材料が分からないから真似できないって言ってた気がするし、それが理由かなぁ。……あ、僕たち仙台から来たんだけど、あと数日で帰っちゃうのが理由かも」
「ほうほう」
「じゃ、またね。おっちゃん。団子美味しかったよ」
そう言ってトシは特に商談するわけでもなく、団子屋を通り過ぎた。
何も言わずに後ろについてくるイザマルが訝しげにトシを見ていた
「……何だったんだトシ、あれは」
「あと数軒、同じことすれば明日にはわかるよ」
それから言葉通り、トシは同じことを数軒の店で行って、その日は仙台用の宿に帰った。
鈴とナナシはその行動に心当たりがあったが、イザマルは最後まで不思議そうに首をかしげていた。
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結局、その日はモチ蕎麦を一つも売ることができなかった。
それどころか、行く先々の団子屋や餅屋に振る舞って大赤字である。
「お前、ふざけてるのか」
宿に帰ってきた時、イザマルがイライラしたようにトシにそう言った。
しかしトシは戻るなり材料の在庫を確認し始めて、まったく焦った様子を見せていない。
はたから見れば確かに訳が分からないだろう。
そういえば佐賀で同じようなことをしたとき、イロハの侍女のニホが似た反応をしていた。
「ふざけてないよ」
「せっかく汚名を返上しかけたのに、なんだあれは。一日無駄にしたぞ」
イザマルは話していくうちに、どれだけの苦労があってモチ蕎麦を作ったのか語りだした。
はいはい、とトシは話を受け流している。
そのせいか、イザマルの口調も次第に荒くなっていく。
「イザマル、大丈夫だよ。なんとなくトシがやろうとしていることは分かるから」
「おりん様、しかし……」
鈴もはっきり説明できるわけではないが、トシの狙っていることは何となくわかる。
おそらく、期限を設けることで「今買わなければ」と思わせることが狙いだ。
「思ったんだけど。いくら美味しくたって、この倉庫の蕎麦を私たちで全部売るのは難しいと思うんだ」
「それは、そうかもしれませんが……」
山積みの蕎麦粉を見て、イザマルはバツが悪そうにうつむく。
「だったら、大阪の人に売ってもらおうってことなんじゃない、トシ?」
「正解だよ、リン」
当然のことながら鈴たちは人海戦術で売りさばくほどの予算がない。
そしてその販路も鈴たちだけでは広げられないのだから、向こうから「やりたい」と思う条件をちらつかせるのだ。
トシは相手の自尊心をくすぐり、売れる可能性を示唆し、期限を設けて焦燥感を煽った。
以前イロハに詐欺師に向いているとか言われたことがあるが、トシの方がよっぽどその言葉に相応しい。
まだ納得がいかないようなイザマルだったが、コンコンと倉庫の扉を叩く者がいた。
「おぉい、坊主。昼間の団子売りだが、いるかぁ?」
「開いてるよ、どうぞー」
そう言ってトシは倉庫の扉を開ける。
そこにいたのは最初にモチ蕎麦を宣伝した団子屋のおじさんだった。
「ナナシ、ちょっと」
その様子を見た鈴がナナシに耳打ちする。
「……なぜ?」
「いいから」
ナナシは「俺はお前の護衛なんだが」といつもの台詞を吐きながらも素直に鈴の指示に従ってくれる。
倉庫を出ていくナナシを見ながらイザマルは首をかしげていた。
「何を命令されたのです?」
「命令じゃなくて、お願いしただけだよ」
イザマルは不思議そうに鈴を見ていたが、「すぐにわかるよ」という鈴の言葉に従った。
しばらくするとナナシが戻ってきて、再び鈴の後ろに立つ。
「ナナシ殿、何をしに行ったのですか?」
「人を呼びに行った」
イザマルはなぜ人を呼びに行ったのか聞きたいようだったが、ナナシにも分からないようだった。
「おりん様、蕎麦をゆでる人手を集めたのですか?」
「ううん。倉庫の前に立ってほしい、ってお願いしただけ」
ますます意味が分からないという表情をするイザマルだったが、効果はすぐに表れた。
さきほどの団子屋のおじさん以外にも、続々と人が倉庫に集まってきたのだ。
「こんなに多くの人が集まったら、僕たちの売る物が無くなっちゃうよ」
「これ全部蕎麦の実だろ? こんなにあるなら一年は売っていけるじゃねぇか」
そうだねぇ、とトシは肩を竦めた。
蕎麦の実じゃなくて蕎麦粉なんだけどね。こんなに製粉した蕎麦があるとは誰も思わないだろう。
「皆モチ蕎麦の作り方知りたいんだよね?」
集まった人たちは顔を見合わせて頷く。
「教えてもいいんだけど、僕たちにも少し旨味が欲しいなぁ」
「なんだ、銭か? これ売らせてくれるなら、その分の団子はタダにしてやるぞ」
うーん、とトシは唸った。
「皆知っていると思うけど、僕たち船で来ているから大阪に長居できないんだ。だから団子じゃなくて、その前の米と交換なら考えるよ」
「そりゃあ、手間が省けるし、こちらとしてはありがたいがよ」
釣れた。
トシはにやりと笑う。
「それなら米と交換で作り方を教えるよ。僕たちが大阪にいる間は、秘伝のタレも一緒にあげる」
「お、太っ腹だねぇ。流石江戸の小僧」
はっはっは、と集まった団子売りたちが笑いあった。
江戸じゃなくて仙台の小僧なんだけど、あえて言わなくてもいいか。
「その代わり、ここの蕎麦を米と交換ってことにしてほしいな。それで、交換した分に応じてタレも渡すよ。タレの作り方は僕たちが江戸に帰る時にここに集まった人たちに伝えるから、僕たちがいなくなっても作れるよ」
「トシ!!」
「――良く言った、だって!」
血相を変えるイザマルの口を鈴がふさぎ、賞賛の言葉で遮った。
もごもごと動くイザマルの口が、手のひら越しに少しくすぐったい。
少し冷や汗をかいていたトシはにっこりと笑い、モチ蕎麦の作り方をみんなに教えていく。
その様子を見ていると、イザマルが鈴の手のひらをポンポンと叩いた。
「あ、ごめん。イザマル」
「いえ」
顔を真っ赤にしたイザマルを解放し、鈴は倉庫の外でたむろする仙台の水夫たちに声を掛けに行く。
「皆さん、集まってくれてありがとうございます。賃金の代わりに、よかったら晩御飯でもどうでしょうか?」
「へぇ。ここにいるだけだったのに、いいのかい?」
もちろん、と鈴は頷いて倉庫の中に案内した。
彼らはサクラだ。
これだけ人が集まっていたら、どうしても中で何が行われたのか気になるのが人情だろう。
倉庫でモチ蕎麦の説明をしていたトシがこちらに気が付き、「気が利くね、リン」と手を振っていた。
「あとでトシが詳しく説明してくれると思うけど、タレをこちらが握っているのが重要なんだと思うよ、イザマル」
イザマルがトシを止めようとしたのは、タレの作り方を伝授することについてだろう。
あれほど頑張って作ったのだから、そう易々と売り渡すのは納得できないに違いない。
でも喜二郎も言っていたが、技術は広まらなければ腐っていく。
それが利益になることもあるが、今まさに腐るかどうかの瀬戸際にある蕎麦粉を捌くにはこれしかない。
そう説明した鈴だったが、イザマルは真っ赤な顔のままうつむいていた。
ちょっと強く押さえすぎたかな?
そう思って顔を覗き込んだが、イザマルは何も言わずに鈴から目をそらした。




