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いとこいし

仁八と六郎太が名主の村に戻ってしばらく経ち、一通の文が湯治の村に届いた。


「姫様が、近日中に様子を見にいらっしゃるそうだ」

「イロハが?」


ちなみに今、湯治村にいる主要な面子は鈴とナナシだけだ。

あとは雇い入れてそのままここに住んでもらっている湯治村の住人だけである。


名主村の皆は農業の方が忙しくなっていて、ここにはいない。

鈴は調度品の細かい調整や接客、計算の仕方を朝から晩まで教え込んでいた。


そろそろ約束の半年が経つ頃だし、完成した湯治村を見に来る頃合いだろうとは思っていた。


「そういえば、イロハは大阪に行かなかったんだよね?」

「ああ。姫様は仙台で造船と港の整備を進めている。大阪に行ったのは清右衛門殿だ」


そして喜二郎とトシとイザマルも大阪に行っている。


何事も起こらなければいいが、仙台を代表するしっかり者たちだし心配のしすぎだろうか。

それにしてもイロハが様子を見に来る、か。


「ナナシ、文を見せて」

特に隠すようなことでもないのか、あっさりとナナシは文を渡してくる。


たしかに「イロハが様子を見に来る」とは書いてある。

だが、なんかそれだけで済まない気がした。


こういう時の鈴の勘はよく当たる。虫の知らせと言ってもいい。

全員に何があってもいつも通りに接客するよう、鈴は伝達した。




当日。

そのやんごとなきお方を乗せた駕籠が、湯治の村……湯治村にやってきた。


それも二つ。

まぁ、なんとなくわかっていたけど。


「ようこそおいでくださいました、イロハ姫様。そしてやんごとなきお方様」


村人を代表して挨拶するのは鈴ではなく、この村の長になった初老の男だ。

予めイロハと一緒に来る可能性を伝えていたので、少し緊張しているが驚きはないようだ。


やんごとなきお方様の代表、伊達重村である。

ただし今回は大名としてではない。

菅笠を被り、イロハの後ろを歩く護衛役を演じている。


いや……どう見ても無理がある。

その菅笠だけ他の菅笠に守られるように囲まれているし。


少し前に「城を抜け出し、白石まで足を運ぶやんちゃ姫」とかイロハの事を言っていたが、間違いなくその親だった。


「湯治村が完成したということで様子を見に来たわ。案内をお願い」

「かしこまりました、こちらへどうぞ」


村長は歩きながら一つ一つ施設を説明していく。

時に冗句を交え、時に歴史を織り交ぜ、話に飽きがこないようにしている。


「そしてこれがこの湯治村が誇る足湯でございます。ただ、姫様方が入るようなものではございませんので、次に行きましょう」

「いや、待て」


菅笠のやんごとなきお方が、村長を止める。


「せっかくだ、浸かっていこう」

「左様でございますか。それでは足袋をお脱ぎになり、腰掛けくださいませ。ゴザを用意させます」


村長は突然の依頼にも笑顔で対応する。


ちなみに鈴と六郎太が教えたのは言葉遣いと作法だけなので、この対応力は村長自前のものだった。

イロハは少し迷っていたが、同じように足袋を脱いで足湯に浸かることにしたようだ。


ゆっくりと堀の中に流れるお湯に足をつける。


「暖かくて、気持ちよいですね」

「うむ」


それが素直な感想だったのか、二人とも少し表情が緩んでいた。

菅笠を被った護衛は六人。彼らも入りたそうにしていたが、今回は任務を全うすることを優先していた。


二人はしばらく足湯に浸かっていたが、そのままだといつまでも入っていられることに気が付いたのか、名残惜しげに湯から足を上げた。


綺麗な布で水気を拭き取って再び足袋を履くと、村長はそのまま次の施設へと案内する。

一般の客が泊まる宿、本館の身分が高い人が泊まる屋敷、そして大浴場。


「そしてこちらが姫様たちのために用意しました露天風呂でございます」

「これは」


そう言ってイロハは息をのむ。

かつて喜二郎が見つけて鈴が改装した露天風呂だ。


外観を壊さないように塀を作り、東屋と少し大きめの砂利を敷き詰めた。


ちなみにお湯場は一つだが塀で区切るようにしているので、このようにやんごとなきお方が二人来た時には分けることもできる。

もちろん男女別にして使うこともできるので、そこは客層によって変えることにしている。


「仙台城よりお疲れでございましょう。倹約令によって一汁一菜しかもてなせませぬ故、浴場にておくつろぎくださいませ」

「ええ、そうさせてもらうわ」


イロハが礼を言うと、村長は頭を下げて後ろに下がった。


「リン、背中を流してくれるかしら」

「喜んで、お姫様」


お呼びがかかった。

鈴にも堪能させてくれるようだ。






---

鈴はイロハの身を米ぬかを詰めた布でやさしく擦り、お湯をかけて洗い流す。

身を清め終わったイロハは湯に浸かり、鈴は髪を解いてしっかりと髪を濡らした。


薬草を混ぜた鮫油と汚れ落としで髪を洗っていく。


「上手よ、リン」

「お褒めに預かりまして、お姫様」


ここら辺の作法は母に厳しく仕込まれたので、しっかり身についている。

湯治村の皆にも伝授したけど、さすがに鈴よりうまい人はまだいない。


ゆっくりと髪を濯ぎ、頭を軽く揉むようにイロハの髪を清めていった。


「……気持ちいい」


イロハは目をつむり、そのまま寝てしまいそうにしていた。

洗った髪が汚れないように乾いた布で包んで結び、洗うために使っていた桶をイロハの横に置く。


イロハはぼんやりとその桶を見て、何気なくそれをひっくり返した。


「これって」

「うん。多分、ここ叔父上も入ったことがある湯治場なんじゃないかなって思うよ」


桶の底には、カラスと雉の彫り物が施されていた。


喜二郎は作ったものにあまりそういった印をつけないが、日用品などにはたまにこういった文様を彫ることがある。

イロハは少し可笑しそうに笑った。


「叔父上は、こういったいたずらが好きなのね」

「そうだね。たまにこういった子供っぽいことするのは、やっぱり殿方だからかな」


男はこういった意味もないいたずらをすることがある。

ふふっとイロハが笑った。


「とても気分がいいの。あなたも入りなさい。命令よ」

「いいの? じゃあちょっと待っててね」


鈴は予め身を清めていたので簡単に体を洗い流し、イロハの横に並んだ。






---

「大阪でのことなんだけど」

イロハは何でもない世間話のように話し始めた。


「仙台藩の食料集めは順調に終わったそうよ。色々起こったようだけどね。名主村の備蓄や今回の配給と合わせれば、おそらくあなた達の村は冬を越せるんじゃないかしら」

「そっか、ありがたいよ」


藩が上手くいったということは、トシとイザマルの方も上手くいっただろう。

正月の様子を見るとちょっと不安な組み合わせだったこともあって、ひょっとしたら上手くいっていないのかもしれないけど。


とにかく最低限の食糧は確保できている。

トシとイザマルが無事帰って来てくれるならそれでいい。


イロハは静かに頷いた。


「薩摩との取引も無事終わったわ。ただ、その縁で少し厄介なことになってね。喜二郎は今、大阪で指南の名目で留め置かれているわ」

「でも叔父上なら、きっと何とかして戻ってくるよ。私にはわかるんだ」

大きく伸びをしながら、鈴は息を吐いた。


喜二郎が仙台を捨てるはずはない。

それだけは自信がある。


イロハは少し顔をそむけた。


「信頼してるのね」

「当たり前だよ」


にへら、と笑う鈴だったが、イロハはこちらを見なかった。

それきり重要な話題も思い浮かばず、二人は静かにお湯に浸かっていた。


会話はなかったが、温泉は話さなくても間が気にならない。


「リン。この前の事なんだけど」

しばらくして、イロハがぽつりとそう呟いた。


「この前?」と思ったが、どの事だろう。

首をかしげる鈴に、イロハが言葉を紡いだ。


「私に喜二郎を婿入りさせる気はあるか、聞いたわね」

「あ、うん」


そのことか。


あの時は答えがよく分からないまま、うやむやにされた気がする。

だが、イロハは今度ははっきりと答えてくれた。


「その気はないわ」

「……そっか」


その答えが聞けただけでも、鈴の胸のつかえがとれた気がする。

藩の中でも喜二郎を取り込もうとする一派と、それに反対する一派がいるとは聞いていたので、衝突を避けたのだろう。


鈴は納得した。

イロハは「でもね」と言葉を続けた。



「私が、この日ノ本で一番、彼を愛してる」



「は……えっ?」


一瞬だけ鈴の思考が止まった。

どういうことだろう。


だが鈴が口を開く前に、イロハは湯から上がった。


「逆上せたわ、先に上がるわね」

去っていくイロハに、鈴は何も言えずに見送った。






---

しばらく動けなかった鈴は、逆上せかけた頃にようやく風呂から上がった。

イロハの言葉を考えていたが、どういう意味だったのだろうか。


体を乾いた布で拭いてお偉いさん用の屋敷に戻ると、既に重村とイロハは食事を終えていた。

イロハに真意を聞こうと思ったのだが、周りに人が多くて尋ねられる状況ではなかった。


そのまま重村とイロハは特に鈴と会話することもなく、一汁一菜の食事を終えて寝室に向かってしまう。

部屋の前には例の菅笠たちが交代で寝ずの番に立つようだった。


おそらくだが、鈴はこの村にいる間に再びイロハと話すことはできないかもしれない。

本来なら気軽に口を利ける身分ではないので、当然と言えば当然なのだが。


「……少し頭を冷やそう」


鈴は夜風にあたろうと思って屋敷の外に出たが、意外と寒いことに気が付いた。

このまま屋敷にトンボ帰りしようかと思ったが、そういえば例の足湯が外にあることを思い出す。


この遅い時間であれば、誰も利用する人はいないだろう。


案の定、誰も利用している人はおらず、鈴の貸し切りだった。

足袋を脱ぎ、仁八印の足湯に浸かる。


いつも曇天の仙台には珍しく、今日は晴れていた。

月明りが出ていて周りがよく見えた。


「日ノ本で一番愛してる、か」


いつか自分もそんなことを言える人が現れるのだろうか。

イロハの言葉はとてもステキなものだったが、同時になぜかとても悲しいものに聞こえた。

もしかすると言葉の意味を考えても、どうしようもないのかもしれない。


ちゃぷ。


鈴がぼんやり足湯に浸かっていると、目の前にいつの間にか菅笠の男がいた。

これだけ足湯があるのに、わざわざ鈴と同じ場所に座るということは何か話があるのだろうか。


「いかがなされましたか、やんごとなきお方」

「縁談の話は聞いたか」


やんごとなきお方、伊達重村は率直にそう鈴に尋ねてくる。


それはイロハについての縁談だろうか。

もしくは喜二郎、それとも鈴のことだったりするのだろうか。


鈴はこくりと頷く。

おそらくだが鈴が聞いたことのある話だからこそ、重村も話しているのだろう。


というか、重村は護衛を連れていない。

まさか影武者を置いて抜け出したのだろうか。


「儂の弟……村由は、そちと才能が釣り合わん」

鈴の話だったようだ。


だが、藩主の家系と才能を比較されても困る。

鈴が勝てるわけがない。


鈴が沈黙を貫いていると、重村は話を続ける。


「喜二郎の才も、儂の子で見合う者はイロハしかおらぬ。しかし……時期が悪い」


喜二郎の話に移った。

ということは縁談というひとくくりの話をされているらしい。


時期が悪いのも納得だ、今は大飢饉の真っ最中である。

だけど祝言というのはめでたい行事でもあるし、むしろ飢饉だからこそ明るい話題にもなるのではないかとも思った。


「そちはどうしたい?」


重村はおもむろにそう鈴に尋ねた。

どうしたいもこうしたいも、鈴にどうにかできる話ではないのだが。


それでも意見を求めるということは、率直な言葉の方がこの場に相応しいのかもしれない。

鈴はありのままの言葉を紡いだ。


「身の回りの人だけでも幸せにしたいです」


全ての人を幸せにすることはできないし、飢饉で苦しむ人を助けることもできない。

でも鈴が知る身近な人には不幸でいてもらいたくない。


それが鈴の本音だった。


「ならば、大名一族は望めぬな」


重村は少し残念そうにため息を吐いた。

大名は身の回りの人を幸せにするのではなく、藩を優先して考えなければならない。


時には身近な人を捨て駒にする必要もあるだろう。

たしかに鈴とは真逆の生き方なのかもしれない。


いつも権力に無理難題を押し付けられている鈴だが、権力を欲しいと思ったことは不思議と一度もなかった。

責任を持ちたくない、というのは鈴の心が弱いからだろうか。


だが、重村はふっと笑ってこちらを見た。

初めて笑顔を見たかもしれない。


「ならば、大阪に行ってあやつを迎えに行ってこい」

「それは、叔父上たちのことでしょうか」


そうだ、と重村は頷いた。


「薩摩の檻に入れられておる。清右衛門では金のカラスを取り出せまい。奴に鈴《すず》の首輪をつけて戻ってこい」

そう言うと、重村は足湯から立ち上がった。


月夜にたたずむ菅笠の藩主は、どこか絵になりそうだった。

重村は月をひとしきり眺めた後、ぽつりとつぶやく。


「今年が、山場になるだろう」

菅笠を被りなおした重村は、そのまま屋敷に戻っていった。


今年が山場。

その意見に鈴も同じ感想を抱いた。


今年を乗り越えれば、未来が変わる気がする。

鈴はそのまましばらく動かず、彼の言葉を反芻し続けていた。

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