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湯治場、始めました

「銭が足りん」


重々しく口を開いた仁八に、鈴がこてんと首を傾げた。


「え? そんなわけないよ。ちゃんと予算内に収まっているはずじゃあ……」

「この工事にどれくらいの期間がかかるか、覚えているか?」


鈴の言葉を遮って仁八が尋ねてくる。

どれくらいの期間だったかなど思い出すまでもない。


「およそ半年。あと三か月くらいだね」


鈴の答えに「そうだ」と仁八は頷いた。

鈴は不思議に思い、手持ちの銭とあと三か月でかかる試算を書いた紙を確認した。


「ん? あれ。予算内に収まってるじゃん。というか余るじゃん」

「それは建築だけだ。内装とかは別途かかる」


すーっと鈴の血の気が引く。


ちなみに内装をお願いしているのは、こけし村の木工職人だ。

ある程度この温泉宿場ができたら呼ぶ予定だったが、ここに来て銭が足りないという問題が発生した。


どれどれ、と六郎太が試算を書いた紙をのぞき込む。


「あんな建物、三つも建てるからだぜ」

「あれは必要なんだよ」


ここは仙台と他藩を結ぶ拠点になりうる。

そんなときに身分の高いお方が二人、この湯治場に来たらどうなるか。


「どうなるんだ?」

「島津と伊達の人が同じ屋敷に泊まるとか、片方が暖房のない場所に泊まるところを想像してみて」


ああ、と六郎太は納得したようだ。

まぁ、そういうことである。


あれは必要な建物なのだ。


「だから最初よりもかなり小さめに部屋を作ることにしたのに……」

「温泉引いてくるのが、思ったよりも費用かかったからなぁ」


喜二郎が使っていた秘湯はそのまま身分の高い方が泊まる用の湯とした。

そしてそれとは別に、かなり大きめな浴場を二つ作る予定であった。


だが、新しく作る予定だった浴場を一つ完成させたところで、さらにもう一つ作るのは無理だと仁八が判断した。


浴場が二つ……いや、一般客が使えるのが実質一つしかないというのは、正直かなり物寂しい。

色んな人が立ち寄れるよう大きな温泉にするつもりだったので、これ以上予算がかけられないのが本当に悔しかった。


「でも内装かぁ。あんまり凝ったものにしなくてもいいと思うんだけど」

「せっかくいい湯治場なのに、むき出しの床だったら居心地悪いんだろ。また来たいって思わなくなるぜ」


六郎太にそう言われると、一緒に旅をしていた鈴にも心当たりがあった。

こういう細かいところに気が回る宿に、人が多く集まってにぎわうのだ。


もう最悪の場合、喜二郎の家財を運び込んで調度品を整えようかとも思った。

喜二郎に後で怒られるかもしれないが、仙台の運命……そして自分たちの藩への貢献が評価されるかは、ここにかかっている。


うーん、と悩んでいると鈴は思いついたように手を叩いた。


「調度品、こけし村に依頼してるんだよね?」

「ああ、そうだけど」


「で、こけしって端材を使うからあんまり高くないって言ってたよね」

鈴の言葉に、六郎太は頷いた。


「じゃあさ。こけし村のこけし、ここで大々的に取り扱うから木工の調度品の方をまけて、って言うのはどう?」

「ええ? そんなに上手くいくのかぁ」


その考えがあまりに突飛すぎて、六郎太は首を傾げた。


だが、割と勝算がある気がする。

鈴は自信ありげに笑った。


「こけし村の商品って、なんで売れないのかなぁってずっと考えてたんだけど。販路……というか売り場がないからでしょ?だったら、ここで商品を売る代わりにまけてもらうって作戦だよ」


以前こけし村の商品を見た時から、鈴はずっと引っかかっていた。

物は良質なのにこけし村の商品は売れない、ということである。


大きな原因は、あの山奥まで行く労力を考えれば、近場の安い品物で代用できるという点だと鈴は考えていた。

六郎太は納得したように頷いた。


「あぁ~……なるほど。たしかにあのこけし村まで行くのは一苦労だし、ここが湯治場になるならお土産としても人気出るかもな。なるほどね」


こけし村にとって今回の取引だけを見れば利益は少なくなるが、長い目で見れば今後の行く末を左右する商機になる。

江戸ではこういった販路を開拓するため、わざわざあの田沼様に挨拶してから方々に手を尽くすなど苦労した。


それを考えれば、こけし村の人は調度品を値引きして売ったとしても、ここで販売する権利を得られることは大きいはずだ。


「ダメもとでいいなら交渉してきていいかな?」

「や、それならオイラが交渉に行くよ。もう少し内容を詰めさせてくれ」


ちゃんと内容を確認しつつ折り合いをつけてくれる六郎太は頼もしい。

調度品の値段は六郎太の方が詳しいこともあって、値引きできる一線を段階的に決めていった。


譲れる一線、譲れない一線、こじれた時に妥協できる一線である。

六郎太は「これなら納得してくれそうだ」と自信をもってこけし村に向かった。







---

六郎太がこけし村に向かったあと、鈴は湯治場の広間に来ていた。


建物は着々とできている。

そして温泉も、もとからあったものと合わせて二つできた。

だが現在のままだと、宿の数に対して温泉が少なすぎるのが気になるところだ。


女湯と男湯で区切ってしまえば、さらに入れる人が少なくなってしまうだろう。

嫌だったが混浴にするしかないだろうか。


江戸で混浴文化があることに少なからず驚いていたが、まさかここで妥協することになるのだろうか。

悩みながら広間を歩いていると、仁八が小さな堀みたいなくぼみに座りこんで図面を眺めていた。


「どうしたの、仁八」

「リンか。床はどうする」


床? それは建物の床の事だろうか。

仁八の言葉に鈴は少し考えてから言った。


「普通の家は板張りで良いと思うけど、お偉いさんの部屋は畳を使わないといけないかなって思ってる」

「そうすると、お前が言っていたもう一つの温泉は諦めることになるが、いいか」


やっぱりそうだよね。

計算しててこのままだともう一つ浴場を作るのは難しいとは思っていた。


しかしお偉いさんの部屋に畳がないとすると、今までやってきたことが台無しになってしまう。

畳はどうしても必須だ。


「うん。多くの人に温泉を楽しんでもらいたかったけど、仕方ないよ」

「わかった」

そう言って仁八は紙の何枚かを折りたたんで懐にしまった。


しかしそうなると、いよいよこの湯治場の宿泊施設数と温泉の規模が釣り合わなくなる。

ほんとに大名向けの湯治場になってしまいそうだが、普段銭を落としていってくれるのは市井の人間なのだ。


大名が子供の小遣いで買えるこけしを大量購入してくれでもしない限り赤字が確定である。


「なんか、皆が楽しめる目玉商品とか設備ないかな?」

「温泉がある」


いや、そうなんだけど。ちょっとこの温泉だと印象が薄い気がする。

そういえば以前旅していた時に、白河で入った温泉はどうだったろうか。


あれもかなり山奥だったが、結構人が集まっていた。

温泉の規模はここの倍くらいあったし、みんな手足を伸ばして湯に浮かんでいて気持ち良かったのを覚えている。


ちらりと出来たばかりの温泉に目を向ける。


……うーん、どう見てもここだと湯量が足りないと思う。

何か妙案があればいいのだが、あいにくと今まで経験してきたものの中でピンとくるものはなかった。


仁八は仕事に戻ろうと堀から足を上げて草鞋を履く。

ペタペタと通り過ぎるその足は濡れており、湯気が立っていた。


鈴は仁八の帯をつかんで、引き留める。


「えっ? なにこの堀、もしかして足湯?」

「見ればわかるだろう?」


のぞき込むと野面積みされた石の堀の中にお湯が「流れて」いた。

ちょっと待って、これどうやって作ったんだ。


「もしかしてこれ作ったの、仁八?」

「そうだが」


予算割いた覚えがないのに、勝手に作られたら困るよ仁八。

結構カツカツなの、さっき話したじゃん。


鈴はできてしまったものは仕方ないと、自分も素足になってその堀に足を浸す。

なんだこれ、すごく気持ちいい。


「この足湯って、作るのにどれくらいの銭がかかったの?」

かからん、と仁八はぶっきらぼうに言った。


「そんなわけないでしょ、怒らないから話してよ」

「その辺で邪魔になった石やら端材で組み立てたおんぼろ足湯だ。銭なんて掛からん」


まさかこれ、片手間に作ったとでもいうのか?

おんぼろとは言っているが、割としっかりとした造りで数人が腰かけても崩れるような造りはしていない。


安全面を最重要視した堰というものを作り上げた男が、当たり前のようにやっている技術に舌を巻いた。

しかし何でお湯が流れているんだろう……と思って流れてくる方向を見ると、例のお偉いさんが使う屋敷の方から流れていた。


「……仁八」

「俺は穴を掘って石を積んだだけだ。どこから湯が流れてくるかなど知らん」


すっとぼける仁八だったが、これは良い案かもしれない。

この足湯に流れているお湯は、お偉いさんの家であふれた湯を川に流すために作られた水路から来ている。


そしてこのことを知っているのは、この工事に関わった者だけだ。

タダでこれだけの設備が作れるなら数も増やせる。




それから六郎太がこけし村に内装の交渉を行っている間に、村のいたるところに仁八印の足湯ができた。


誰でも楽しめて、服を脱がないので男も女も一緒に利用できる。

ちょっと一息つくのにもってこいなうえに、あふれたお湯を再利用できるので温泉の湯を無駄にせずに済む。

しかもこれだけ気持ちよくて、かつ数を作れるのだとしたら十分湯治場の看板になりうる。


ここを気に入ってくれた人が、温泉に浸かってくれればいいのだ。


鈴が最初に考えていたような大きな温泉は作れないが、誰もが楽しめるような湯治施設を作ることはできそうだ。






---

「何とか形になったな」

「仁八たちが田んぼに戻る前に目途がついてよかったよ。ありがとね」


鈴たちはとりあえず、一丁前の宿場町になったことに安堵していた。

調度品などのもろもろの準備はあるが、一応体裁としては整ったとみていいだろう。


あとはここに住む人と宿場町を運営する人員だが、これは問題ない。

鈴たちが雇った人たちが、そのままこの宿場町を運営していくことになっているからだ。


「まぁ。まったく関係ない村を作らされるより、これから自分たちが住むところだからな。必死になるぜ、そりゃ」


六郎太の言う通り、ここで働いていた人足の士気は非常に高かった。

ほとんどが働き盛りを過ぎた男たちと若い女たち、そして子供たちだったが皆一丸となって作り上げた村である。


ちなみにこけし村の何人かはこの村に在住することになっていて、日々の補修や調度品の作成を担ってくれることになっていた。

調度品の価格についてはひと悶着あったが、六郎太が上手に取り持ってくれて予算内に収めることができた。


「あとは食料なんだけど、これはどうにもならないんだよね」

鈴のつぶやきに仁八がうなずく。


この村の欠点を挙げるとすれば、食料をほとんど自給できないところだ。

もちろん、山に入ればかなりの恵みがあるが、農家のような稲作で食料をため込むことはできない。


そのため定期的に食料を買い付ける必要がある。


「だからここに人が集まりやすいよう、色々工夫したわけだしな」

六郎太の言葉に、鈴は頷いた。


畑を作れない代わりに施設を充実させ、教育にも力を入れた。

人の往来はこの温泉の命綱であるため、市井の人はもちろんのこと、たとえ大名が泊まっても満足できるようにした。


ちなみにこの村は鈴が作った村として藩に認められるため、あと七年間は年貢を徴収されない。

以前、清右衛門に認められた証文がこんなところで役に立つとは思わなかった。


この七年でいかに運営を安定させられるかが、この村の命運を分けることになりそうだ。


そんなわけで徹底的に教育には力を入れた。

礼儀作法と料理の教育は六郎太が請け負い、販売の教育は鈴が担当した。


武家に関わりが深いはずの鈴よりも、長年喜二郎のお付きとして従っていた六郎太の方が礼儀作法に精通していたためだ。

逆に接客のような市井の人々と接する仕事については、鈴の方が教えるのが上手だった。


(私、一応武家の娘なんだけど、自信なくしちゃうよ……)


ちなみに警備の人員も充実していて、こちらはナナシと仁八の組が付きっきりで訓練していた。


「もともとこけし村にはそういうあぶれ者が多くいた。移住を受け入れたとはいえ、新しくできた村の方が馴染みやすいだろう」

そんなわけでこけし村で肩身の狭かった人たちはめでたくここの警備役として雇い入れたわけだ。


しかし料理をする人だけはなかなか育たなかった。

食料が自給できないことも大きいが、一番料理ができる六郎太がしばしば名主の村に戻ってしまったのが大きい。


そんなわけで最後の仕上げとして、改めて六郎太を招いて料理の勉強会を開くことになった。

料理の腕を上げたい者たちが炊事場に集まった。


「とまぁ、そんなわけで三日間、オイラが皆に料理を教えることになった。よろしくな」

「はい、先生」


いい響きだ、と六郎太は感動していた。


「よろしくお願いしますぅ、六郎太さん」

ちなみに出来上がった施設を確認してもらうため、絵図を描いてくれたトミも呼んでいた。


本当は出来上がった施設を見てもらうのと、温泉に招待するつもりだったのだが、彼女も料理の勉強に参加を望んだ。

どうやら料理の品数を増やしたくて参加したらしい。


「おりん様も料理のお勉強なんですねぇ。頑張りましょぉ」

「うん、頑張ろうトミ。私は本当に色々切実だからね」


無論鈴がここにいるのは花嫁修業のためだ。

そろそろ本気で料理を覚えないと、未来の旦那様に愛想を尽かされてしまうかもしれない。


大丈夫。私はやればできる。

そうだ、きっとそうだ……!


「ではまずは一番基本のおにぎりを作ろうか。おっと、簡単そうだって思ったやついるな? 奥が深いんだぜ、おにぎりは」


六郎太はそう言って手の平に塩をつけ、こぶし大の飯を乗せる。

そして数回、手と手の間でおにぎりを回すと、綺麗な三角形のおにぎりができた。


「これが料理の第一歩だ。これを綺麗に作れればどこでだってやっていける。慣れたら具を入れてみて挑戦してみな」


よし、と鈴は気合を入れる。


米は用意されているので、失敗する要素などどこにもない。

鈴は意気込んでおにぎりを握り始めた。




「おい、リン。こっちのおにぎり、塩気がないんだが」

「おりん様ぁ。言いにくいのですが、具が大きすぎておにぎりがボロボロでございますぅ」


おかしい。

六郎太の言う通りに作ったはずなのに、鈴の料理は散々な評価だった。


塩が必要なのはわかっていたのでおにぎりにした後にちゃんとまぶしたし、食べ応えがあるように具もいっぱい詰めたのに……!

愕然とする鈴を、六郎太は少し可哀想な目で見ていた。


「だ、大丈夫だ。失敗してもおにぎりなら味噌汁に入れれば食える」

「それはもう料理じゃないよ、六郎太」


圧倒的に何かを掛け違えている鈴は、六郎太の料理教室の中で最下位の評価である。

このままではまずい、と鈴の中で心の警告が鳴り響いた気がした。


結果的に三日間で、トミをはじめとする女たちは数多くの料理を作れるようになった。

そして、鈴は綺麗におにぎりを握れるようになった。

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