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湯治場を作ろう

喜二郎たちが大阪へ向かい、鈴が人員を集めてから数日がたった。


温泉予定地に集まった人足はとりあえず地ならしのため、道の邪魔になる木や草を刈り取っている。

そんな中、鈴をはじめとした数人の人間が膝を抱えて座り込んでいた。


「……だれも絵図を描けるものはいないのか?」

イロハに言われて様子を見に来たナナシは、そう尋ねた。


どんよりとした空気の中、鈴がコクリと頷く。

図面を引ける者が、名主の村にはいなかったのである。


「てっきり堰を作った仁八と六郎太なら、絵図も描けるものだって思ってたから……」

「オイラもそうだけど、父ちゃんにその期待はできないだろ」


六郎太の言葉に仁八は気にした様子もなく、黙々と地面に埋まった木の根っこや石を取り除いている。

絵図や図面といえば喜二郎、もしくは三吉だ。


だが喜二郎は大阪に行っており、三吉もしばらくは塩釜から離れられないらしい。

ほかに絵図が得意そうなトシやイザマルも喜二郎と共に大阪に行っており、他に候補者がいない状態だ。


ちなみに鈴は模写はできるが、見本なしに絵図は描けない。

六郎太も植物や料理の絵は描けるが、細かいものを計算して書くのは無理らしい。


どうしよう、だれも図面を描けないとは思わなかった。


「三吉が来られないのは承知しているが、他に伝手はないのか?」

「あ……そういえば、トミさんがそういうの得意だって聞いたことあるな」


ナナシの疑問に、六郎太が思い出したようにつぶやいた。


「イザマルの鮫加工の腕は喜二郎と三吉からだが、絵図や設計はトミさんから習ったとか言っていた気がする」

「でも、いま子育てで忙しいんでしょ? 三吉も子供が生まれたばかりだから、来るのは難しいんじゃなかったっけ?」


いや、とナナシは首を振る。


「三吉が来られないのは、例の藩の仕事があるからだ。だが、トミ殿はその仕事に関わっていない。もしかすると来てくれるかもしれん」


ナナシがなんでそんな藩の事情を知っているのかはともかく、トミは来てくれる可能性があるらしい。

しかし子育てしながらなのに、迷惑じゃないだろうか。


だが、ナナシは呆れた顔をして鈴を見た。


「何言っている。何のためにこれだけの女を雇ったのだ」

力仕事をしている男の横で、少し手持ち無沙汰な様子で小さな仕事をしている女たちを指してナナシは言った。






---

「お久しぶりですぅ、おりん様。雇っていただけるだけでなく、子供の面倒を見てくださるそうでぇ」


二日後、トミを迎えに行ったナナシが戻ってきた。

トミはいつものおっとりした口調で、鈴に挨拶する。


「遠路はるばるありがとう、トミ。子供の面倒は皆でしっかり見るから」

「家ではなかなか寝る暇もありませんでしたので、助かりますぅ」


やはり幼い子供がいると夜泣きが大変なのだろうか。

三吉ならそのあたりも協力してくれそうなのだが。


そう思ってトミに聞いたところ「いえいえ」とトミは首を振った。


「どちらかというと、旦那様の方がはしゃいで疲れてしまってぇ。子供が二人増えたようなものでしてぇ」


子供の世話を協力してくれるどころか、張り切っているらしい。

だが三吉の家事能力があまりないことを知っている鈴は、逆にトミの負担になっていることが容易に想像できた。


ともかく、トミが来てくれたことでようやく絵図を作ることができる。

六郎太から少し聞いているが、腕前はどんなものなのだろうか。


「ええとぉ。簡単にいうと、喜二郎様に図面の書き方を教えたの、私ですぅ」

「は、え? 叔父上に!?」


新堰を作った後、保守のために色々と力を貸したのがトミらしい。


元々実家の紀州の方ではそういったことを得意とする家系だったらしく、図面の書き方や設計などを喜二郎に教えたのだとか。

まさか喜二郎の先生が力を貸してくれるとは、思わなかった。


まさに百人力である。


「それでは詳しい地形を見てから絵図を作りますのでぇ、少しお待ちくださぁい」

のんびりした口調で、トミは温泉予定地の周囲を歩き回りながら地形を確かめ始める。


その様子は口調と同じくのんびりしたものだったが、書付に筆を走らせる動きだけはきびきびとしていた。






---

鈴はいったん名主村に戻り、出払ってしまった人手の穴埋めをしていた。


今の時期は男手がそれほど多くなくてもよいので、主に道具の修繕の手配や帳簿の整理である。

トミの絵図ができるまでには名主村の仕事をある程度片付けておきたい。


「仕方ないけど、早く六郎太だけでも戻ってきてくれるとありがたいわ」

「ごめんて、芳」


やれやれ、と肩を竦める芳に、鈴は両手を合わせて詫びる。

芳の負担も相応に増えているので、できるだけ鈴も肩代わりしていきたい。




数日後、ある程度の絵図ができたとの連絡を受けて、鈴はナナシと共に湯治候補地へと向かった。


「やっぱり、とおがったねー」

「訛ってるぞ、リン」


おっと、いけない。しばらく農民たちと色々やっていたから口調がうつってしまった。

鈴は咳払いして、周囲の光景を見渡す。


「絵図ができたって言ってたけど、地ならしもかなり進んでいるのかな?」

「まだそれほど進んでいないだろう。建物を作るより、地ならしの方が時間がかかることも多い」


ということは、これから本作業に入ることになるだろう。

だが、いざ現場についてみると、既に地ならしは終わっていた。


「あぁ、おりん様。ようこそお越しくださいましたぁ」

「え? トミ。絵図ができたって聞いたから来たんだけど、地ならしも終わったの?」


はいー、とトミは間延びした声で同意した。


「大きな木はあまり手を付けないで、若い木が集まっているところを中心に地ならししてもらいましたぁ。大きな木は根を引っこ抜くのも大変なのでぇ。あと禿山にすると土砂崩れが怖いので、ある程度は残していますぅ」


勝手に人に指示出してしまって申し訳ありませぇん、とトミは頭を下げた。

なんというか、さすが喜二郎の師匠というべきか。


鈴ならあと二、三か月はかかると思っていた地ならしが、必要な範囲だけに絞って完了していた。

しかも安全面まで配慮して終えている。


やっぱり図面が描ける人がいてくれてよかった。


「こちらが案になりますぅ。どれにいたしましょぉ」

「ああ、うん。どれどれ」


唖然としていた鈴は我に返り、絵図を受け取る。

精密に書き込まれた絵図は、どれも用途に応じて描き分けられており、素晴らしい出来だった。


しかも見やすい。

こう言っては何だが、喜二郎や六郎太が描いた絵図に比べるとぱっと見でわかるため、直感的に理解できる。


(しかも面白そうな暖房設備とか描いてあって、わくわくする!)


鈴がその絵図に見惚れていると、トミが簡単に説明してくれる。


「一応外側だけはしっかり作ったのでぇ、棟梁さんにお願いすればガワは作っていただけると思いますぅ」

「この石田式暖房器具っていうのは?」


ああそれはぁ、と間延びした声でトミは補足する。


「喜二郎様と旦那様が研究されていた暖房器具ですぅ。お高いので入れるかどうか迷ったのですけどー、あるのとないのとでは快適さが全然違うと思いますぅ」


お高いと聞いて鈴は絵図に記された値段を見た。


んんんん……?

三百両也、って書いてあるよ。冗句かな?


「見ての通りのいいお値段なので、喜二郎様も試作段階で諦めたと聞いていますぅ」

「そうだよねぇ。銭を払ってくれるのが藩ならいいんだけど、今回のお給金を支払うのは私たちだからねぇ」


銭に糸目がなければ是非取り入れたいが、今のところこれ一つ作ったら温泉を作れなくなる。というかそれでも全然足りない。

湯治場を想定しているのに温泉がないとは笑えない。


しかし、と鈴は思う。


この図面の発想は面白い。

湯治場の屋敷だけでなく、村全体に温泉水を通すという発想は思いつかなかった。

この地域が雪深いという話も聞いているし、確かに捨てるには惜しい発想である。


さて、どうしたものか。


「ねぇ。少し不思議なんだけど、叔父上がこんな途方もない予算のかかる物を本当に考えたの?」

「いえいえ、喜二郎様が考えておられたのは、一棟だけでしたよぉ」


なるほど。

それが一棟で三百両……ではなく、六十棟全部に入れた場合で三百両ということか。

つまり一棟はおよそ五両の計算である。


正直それでも高いが、これはこれで使いどころがありそうだ。


「仁八。こことここ。あと、ここに入れたら予算に収まるかな?」

「見せて見ろ……いや、場所的にもう少し温泉に近い方がいい。こことここ、それなら問題ない」


仁八の提案と手持ちの銭を頭の中で照らし合わせる。


……うん。

日雇いの計算を入れても何とかなりそうな感じだ。


暖房設備は、高貴な方が使うことを想定した二棟と、人が集まる大屋敷に作られることになった。

一通り建築の目途が立つと、トミは安心したように手を頬に当てた。


「おりん様、これで私の仕事は終わりかと思いますのでぇ、そろそろお暇させていただこうかと思いますー。家に帰らないと、旦那様が生きているか不安でぇ」

「トミ、本当にありがとう。お礼の代金と味噌は用意してあるから、帰りに使用人に渡しておくね」


さすがに数日くらいで三吉が死ぬことはないと思ったが、それはそれである。

鈴たちはトミにお礼を言って、彼女を見送った。

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