先を持って後を制す
「湯治場を作りたいです」
「湯治場? なんのために?」
村に戻った鈴は開口一番、集まった皆にそう告げた。
鈴の一言に、皆を代表して芳が理由を尋ねてくる。
「六郎太と仁八に聞きたいんだけど、仙台から米沢に行ったり来たりするの、正直大変でやりたくないと思ったことはない?」
「ない」
「それは、まぁ」
即答する仁八はともかくとして、六郎太は常々そう思っていることだろう。
鈴は米沢と仙台を往復したことはないが、かなり大変な道のりだとは聞いている。
道中に何の楽しみもないどころか、危険と隣り合わせの道のりなのだ。
米沢と仙台で藩同士の商売というのをあまり聞かないのは、そういった理由もあるのかもしれない。
『いいか、リン。一大事というのは順番を入れ替えることで片付くことが多い』
喜二郎はそう言って鈴に自分の考えを話した。
鈴が目下抱えているのは、藩から見捨てられた人を名主の村で可能な限り保護することだ。
だが、身売りになった人を買うというのは体裁が悪い。
それに買われた人も、働く意欲は低いだろう。
だから「人を買う」ではなく「人を雇う」ことにすればいい。
そしてその雇った人には、これまで規模が大きくて実行できなかったことをやってもらう。
それが湯治場である。
正直鈴の願望が大いに入っているが、それを喜二郎に話したら「いい考えだ」と認めてくれた。
喜二郎曰く、仙台と米沢……そして山間の藩との交易が少ないのは、山越えが非常に大変だからだ。
道も整備されているところは少なく、場所によっては山賊も警戒しなくてはならない。
そして、山間の土地というのは休める場所がほとんどない。
これを解決できれば、仙台と交流を深めてくれる藩も出てくることが期待できる。
そして、湯治場には心当たりがある。
それを喜二郎に話したら「見つかってしまったか」とバツの悪そうに答えていた。
「こけし村から少し外れたところに、温泉が湧き出ているところを知ってるの。今後のために是非、湯治場を作りたいんだけど」
「湯治場かー、いいね。京の近くでは温泉街なんてものもあるって聞いたことあるし。儲かるのかな」
鈴の提案に同意してくれたのはトシだ。
さすが商売ごとになると嗅ぎ分けるのが早い。
そして意外にも、湯治場をつくることに肯定的な人はそれなりにいた。
主に喜二郎と名主を繋ぐために往復をした経験のある者や、こけし村での作業に駆り出されていた者たちである。
湯治ということばに惹かれたのか、芳と六郎太も少し心が揺らいでいた。
ちなみに村の外、とくにこけし村の近くはまだ食料確保ができる所が多い。
あまりに道中が険しくて、仁八を含む数人しか行くことができないのが難点である。
しかし、こけし村の近くで作業をするというのであれば、そこにいる間は仁八を始めとする猟師兼農民が大活躍できる。
そしてしばらくの間、名主の村は年貢を免除されている。
多少の人手が減っても、年貢を気にして食料が干上がることはないだろう。
むしろこの村から人が減った方が、備蓄を考える上でも都合がいい。
だが鈴の構想を否定したのは、仁八だった。
「この村だけでは人手が足りん。もうすぐ繁忙期だ」
そう、その言葉を待っていた。
鈴はそうかぁ、と肩を落としたふりをした。
「人手……そうだよね。そこまで考えてなかった。ゴメンね、無理言って」
「いいのよ。人手があれば、湯治場を作るって発想は悪くないと思うし」
芳は少し湯治に後ろ髪を惹かれているようだったが、本業である稲作をおろそかにすることはできないと未練を断ち切っていた。
「諦めたから言うんだけど、どれくらいの人数が必要になるのかな?」
「半年で作るにしても五十人は欲しい。できれば職人も二十ほど確保したいところだ」
仁八はそう言って概算を口にする。おそらく過去に堰を作った経験からおおよそが分かるのだろう。
鈴は「なるほどぉ」と神妙に頷いた。
身売りされる人を五十人ほど「雇い」、こけし村からも職人を二十人くらい「雇う」。
半年であれば丁度収穫の時期であるし、そこから交通を整備していけば物流も通りやすくなる。
人が多く歩けば、それが道になる。
飢饉の最大の原因は食べ物がないことよりも、食べ物が届かないことだ。
本来なら道路の整備というのは真っ先にやるべきことだが、金も人もかかることなど誰もやりたがらない。
むしろ平時ではそこまで危機感を持つ人間もいないため、後回しになりがちである。
そう考えると、飢饉だからこそできる方法なのかもしれない。
もはや何をしてでも物資を確保する。
鈴はそのためになんでも活用しようと、心に決めた。
鈴にとって、これが初めて政治の世界で暗躍した経験なのかもしれない。
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「というわけで。五十人ほど人を雇わせてください」
「あなた。いつも思うけど、よくそんな突飛なこと思いつくわね」
喜二郎の家で内緒話のためにやってきたイロハが、鈴にそうつぶやく。
ちなみにイロハの後ろにはナナシが、鈴の隣には六郎太がいる。
本当は芳を連れてこれたら話が早かったのだが、芳はイロハと面識がない。
この場の適任は六郎太であろう。
当の六郎太はイロハに呼び出されたことと、話の内容を理解して青ざめていた。
「おりん様、その話……私は初耳なのですが」
「政治の話だったからね。明かせないこともあるんだよ」
そう言って六郎太はがっくりと肩を落とす。本当にゴメンって。
しかし鈴も嫌な子供……いや、大人になってしまったものだ。
今年で成人ということもあって、だんだんと腹黒くなってきてしまっている気がする。
うん……絶対に名主さんの影響だ、これ。
妙に自分の答えに納得していると、イロハが考え込むように扇子で口元を隠した。
「でも、公共事業のために人足を確保するというのは理にかなっているわね。それなら難民扱いする必要もない」
「……言っとくけど、五十人以上は無理だよ? 仁八が言うんだからおそらくそれが限界」
仁八が食料と住居を計算した結果、それ以上は面倒を見られないらしい。
わかっているわよ、とイロハが頷いた。
しかし、たった五十人を受け入れたところで焼け石に水だろう。
予想される難民や身売りの規模は文字通り桁が違うはずだ。
蝦夷から帰ってきたナナシの話では、津軽藩では半数が身を売り、半数が餓死したという悲惨な状況らしい。
イロハは扇子を優しく撫で、考えを話し始めた。
「私が考えているのは造船と、港の整備よ」
「港の整備も?」
造船についてはわかる。去年の台風によって、はるか遠くの肥後で仙台船が沈んでしまった。
一隻の船が沈めば他の船の使用頻度が高くなり、それに伴って劣化も早くなっていく。
だから船を作るのは理解できる。
でも、なぜ港もなのだろう。
その疑問に答えるようにイロハは説明を始める。
「説明は省くのだけれど、新しい船を作るにあたって港が小さすぎるのよ」
そういえば、今まで江戸行きのときや西海道へ行くとき、積み荷の運搬は前の船を待つように整列して並んでいた。
仙台の港は決して小さいものではないはずだが、江戸や薩摩のものと比べると確かに見劣りはしてしまう。
「だから港を整備するための人員が必要なんだね」
「いえ。港を作るのも船を作るのも、前々からあった議題だったのだけれどね。銭と人員がかかりすぎて、飢饉の今は先送りにされてきたの」
だがその飢饉が逆に港を作るきっかけとなり、人員も確保できることに気が付いた。
たとえは良くないが、今がまさに絶好の機会というわけだ。
「稲作も一部で改善の兆しがみられるというし、この一年を乗り切れば未来が開けるわ」
「そのために、大阪で食料の確保なんだね」
イロハは頷く。
「薩摩へ品物を届けるため、喜二郎と清右衛門が先に船で出発するわ。おそらくそこから一か月……長ければ数か月の間、現地で交渉をして帰ってくるでしょう。それまでにあなたは事業に取り掛かる準備を進めておきなさい。食料は私たち藩の者が集めておくから」
「えぇ~……。そのぅ、私も大阪行って食料確保に貢献するよ?」
正直に言うと、藩の配給というのをあまり当てにしていないというのもある。
自分たちが食える物は自分たちで確保しなければならない。
その考えを見透かしたイロハがため息を吐いた。
「藩の事業ということで、功績が大きかった村や人には褒美が出るようにするわ。それこそ林家の管理しているあの村が冬を越せるくらいは期待してていいわよ。……どうしてもというなら、貴方も来ていいけど、湯治場の話はなかったことにするわ」
それは困る。
湯治場の仕事抜きで50人の人足を面倒見るなんて無理だ。
どちらか片方を選ばなければいけないなら、湯治場しかない。
大阪行きの話は名主村の人は知っているが、湯治場を作るための裏話……口減らしの人を雇う話は鈴しか知らないのだから。
「イロハぁ……」
「そんな捨てられた猫みたいな目をしないで。もし、大阪に行きたいなら貴方以外の人を寄こしなさい。許可が出るよう、取り計らってあげるから」
あきれたようにため息を吐くイロハ。
ありがたい言葉だが、この場で色々と鈴に約束していいのだろうか。
たしかに鈴が行かなくても村の他の人……トシやイザマルの乗船を許可してくれるなら、都合の良い部分もある。
なにより清右衛門に直接顔を合わせなくてよい。
あの時の答えをまだ鈴は清右衛門に言っていない。
覚悟は決めていたが、名主村の平和のため、できるだけ返答は先送りにしたかった。
「でも、イロハ。これから重村様やお奉行様に相談するんでしょ?」
イロハは色々約束してくれたが、その空手形を信じていいものだろうかと鈴は悩む。
しかしイロハは自信たっぷりに笑った。
「私は確かに政治の世界でそれほどの力はないわ。でもね」
扇子を開いて口元を隠すイロハ。
表情は目しか見えないが、その眼には妖艶な輝きが宿っていた。
「謀略ならあなたにも負けなくってよ。片倉の御姫様?」
イロハの言葉からは妙な圧がある。
政治はともかく、謀略なんてしたことないんだけど、と鈴は思わずにいられなかった。
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その日の話し合いは終わり、鈴と六郎太は名主の村に帰ることになった。
そして数日もしないうちに、イロハが約束した通り、名主村への配給を増やすことと、藩の事業として湯治場を作ることが正式に村へ伝えられた。
藩の事業と聞いて断れない名主村の人々は大慌てだったが、仁八と芳がじとりとこちらを見ていた。
「リン、お前。この前の話はこれか」
「一杯食わされたわね」
ごめん。本当にごめんって。
心の中で謝りながらも、やることは変わらない。
名主村が生き抜くために、今やるべきことをやるだけだ。
だが、トシが慌てたように鈴に詰め寄った。
「大阪行きはどうするのさ?」
「私は行けなくなったけど、大阪行き自体は村の人でも認めるって。手形があれば大丈夫だよ」
大阪に行けることにトシは少し喜んだが、鈴が来ないと聞いて少し不安そうにしていた。
「お任せください、おりん様。不肖このイザマルが、大阪行きの任を承ります。喜二郎様もおりますし、大船に乗った気でいてください」
「キジ兄はともかく、僕はイザマルと一緒だから不安なんだけど……」
ごつん、とトシとイザマルが頭を突き合わせていた。
喧嘩するほど仲がいいとはこのことだろう。うん。
トシはため息をついて少し身を引き、イザマルが一緒だと不安な理由を話す。
「イザマルはダメだよ。三吉と同じで商売に向いてない。リンじゃなきゃ手綱を握れないよ。それならトミさんが来てくれた方がまだ安心だよ」
「ち、父と母は関係ないだろう!」
トシの言い分はわかるが、トミは赤子を世話している。
大阪まで行かせるのはさすがに可哀想だ。
色々意見はあったが、今回は取引する金額も量もそこそこで、喜二郎も大阪に行くので問題ないという結論になった。
かくして大阪行きの件はトシとイザマルに任せ、鈴たちは湯治場作りの方に専念することになった。
この湯治場ができれば、流通の面で仙台の重要性が格段に増す。
そしてイロハから頼まれていた、人を買い取るという無茶な要望にも応えられる。
何より鈴は温泉に入りたい放題になるというわけだ。
……そう明るく考えたほうが気分が暗くならないし、いいに決まっている。
イロハとの会談から数日後、支援を受けられなかった村から身売りをするものが出始めたという話が聞こえてきた。
鈴たちは力のある年配の者や手先の器用な子供、そして女子を中心に人々を雇い始めた。
とくに子供たちは、捨てられまいと必死に仕事を覚えていった。
「この一件がうまくいくかで、食料の流れができるかどうかが変わるからね」
鈴の温泉好きという願望は入っているが、食料事情については事実である。
雇った人たちと共に気合を入れ、鈴たちは温泉予定地に向かった。




