枯らすが色は咲く
清右衛門が部屋を後にしてしばらくたつと、彼の小姓が部屋にやってきた。
鈴は客間を後にし、小姓に案内されイロハの部屋に向かう。
イロハの部屋に着くと、刀を佩いた女中が鈴の身体を調べた。
「問題ありません、中へどうぞ」
「失礼します」
女中に頭を下げ中に入ると、待っていたようにイロハが微笑んでいた。
「大変だったみたいね」
「うん、まあね」
鈴も同じように微笑んだ。
「さて、色々聞きたいことはあるのだけれど、まずはそちらの要件を伺おうかしら」
「率直に聞いてもいい?」
鈴の問いに「どうぞ」とイロハは促した。
「イロハは、叔父上を婿に迎える気はある?」
イロハはその言葉にわずかに驚きを見せたが、すぐに息を整えて落ち着きを取り戻す。
「……それを知ってどうするのかしら?」
イロハはこちらを伺うような表情をする。
突拍子もないことを言っているのはわかっている。
これは以前の関係なら絶対に聞けないことだった。
だけど、今ならようやく腹を割って話すことができると、鈴は思っていた。
「もしそうなら、私も覚悟を決めるつもり」
鈴は、その答えによって清右衛門に協力するか否かを決めるつもりだった。
清右衛門が見せた覚悟に、鈴も腹を決める。
だがその言葉を聞いたイロハが、一瞬だけ扇子の影に顔を隠した。
「そう。そうなのね……」
「……?」
イロハは何か憑き物が落ちたような表情をしていた。
「例えば、なのだけれど」
「うん」
「あなた、叔父上と結ばれたいと思う?」
その言葉に鈴は面食らう。
イロハの気持ちを聞いたのに、なぜ鈴の話になったのだろうか。
だが、イロハの顔は真剣そのものだった。
だから鈴も、本心で答える。
「わからない」
「そう……そういうことよ」
どういうことだろう。今のが答えだったのだろうか?
鈴がその意味を考えあぐねていると、イロハは言い直す。
「私から求めることはないわ。少なくとも今は、ね」
「……イロハ」
「清右衛門が何を言ったのか知らないけど、あなたが気にする必要はないわ。喜二郎のことは心配しなくても大丈夫。姉が喜二郎を支えたように……私も彼を守るから」
イロハは手にした扇子を一撫でして、視線を落とした。
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「…‥それで、あなたの要件は終わりかしら?」
「まぁ、うん。そうだよ」
明確な答えは分からなかったが、ひとまずイロハの気持ちは聞けた。
少なくとも、今のイロハに喜二郎を婿に迎える意思はないことがわかった。
……清右衛門には協力できないことも。
それに喜二郎が仙台に留まっているのは、血縁だけが理由だけではないと思う。
彼が仙台を愛しているからだ。
喜二郎が仙台から離れなければよいのだから、もしかすると清右衛門を説得することもできるかもしれない。
言い方は悪いが、鈴が人質になって仙台に留まればよいのである。
ひとまず鈴が納得したことが分かると、イロハが自分の用件を話し始める。
「いくつか聞きたいことがあるのだけれど、まずは今年の収穫についてね」
「でも、イロハだったらいろんなところから情報を集めているんじゃないの?」
「ええ。あなたもその情報源の一つなのよ?」
イロハが鈴だけの情報を鵜呑みにするとは考えにくいから、きっといくつもの情報を集めた上で整理していくのだろう。
そのうちの一つとあれば、確かに鈴も報告するべきである。
「今年は昨年よりはマシかも、って仁八が言ってた」
「なるほど……他の村よりは、まだ望みがあるわけね」
他の村の情報は、逆に鈴たちが聞きたい。
話では身売りをしている村もあると聞いている。
物欲しげな表情をする鈴に、イロハは苦笑いして答える。
「改善の兆しがあるところと、まったくないところに二分されたわ」
「それは、蓄えとか備えの差で?」
鈴の考えに「それもあるわ」とイロハは頷いた。
「例の堰の近くにある村は、比較的立ち直りが早いわ。……簡単に言えば、病の被害が少ない村ね」
「あぁ、それは確かに」
去年は名主の村も病の被害を抑えるので手一杯だった。
だがその甲斐あって、人手がそこまで減らなかったことも改善の兆しに繋がっているのかもしれない。
病の被害を抑えられなかった村は、今年の作付けも厳しくなるだろう。
「さて、ここからが難題なのよ」
「というと?」
「改善の見込みのある村を支援して、生産を安定させるか。見込みのない村も救済して、人材を保つか」
その言葉は静かだったが、イロハはあらゆる感情を押し殺したような表情を浮かべていた。
鈴も何も言えず、息をのむ。
これは鈴が答えられるような問題でも、相談に乗れるような問題でもない。
鈴が口を噤んでいると、イロハは表情を崩した。
「まぁ、答えにくいわよね」
「……ゴメン」
いいわよとイロハは答え、扇子を一撫でした。
「仙台藩としての答えは、もう決まっているの」
「えっ?」
「改善の見込みのある村を支援する。これは決定事項よ」
鈴は目を見張った。
「それは、つまり……」
見込みのない村は見捨てる、ということか。
残酷だが、鈴にはどうしようもない。
そして、ふと疑問に思った。
――なぜ決まっている内容をわざわざ鈴に話したのだろうか。
「それで、本題なのだけれど」
あ、と鈴は直感した。
これは不味い。何というか……今までの経験から何となくわかる。
無茶振りされる、嫌ぁな前兆というか予感。
警戒に心臓がバクバク鳴る。
知ってか知らずか、イロハはにっこりと笑って話す。
「見込みのない村の人間は、どうなると思う?」
「……」
どうなるかなんて、火を見るよりも明らかだろう。
そんな分かり切った答えを無言で聞く鈴に、イロハはわざわざ説明する。
「藩は一切支援しない。食べ物が作れなければ、身売りするか口減らしされるわ」
「それを私に聞かせて、どうするの?」
まさに今、そうなっている村の話は知っている。
まさか面倒見ろなんて言わないよね。……言わないはずだ、だって面倒を見る理由がないし。
こけし村の時はたまたま面倒を見られる条件が噛み合っただけで、もうあんな機会は巡ってこないだろう。
だからわかるよね、イロハ。
無理なものは無理だからね?
鈴は祈るような気持ちでイロハを見つめた。
「あなたの村。新年の福箱祭で大分儲けたそうね?」
「……」
面倒を見る理由はないのに、面倒を見られる理由を説明された。
「身売りした人間、どれくらいなら買い取ってくれるかしら?」
イロハの申し出に「無理だよぅ」と鈴はサメザメと泣いた。
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その日は結局、話を村に持ち帰ることになった。
「どうしようぅ、無理だよぅ……」
たしかに福箱で名主の村はそれなりに利益を出した。
だが、銭があっても買う物がない。
名主の芳だって収穫ができるまで倉庫の貯えが保つかどうか、いつもハラハラしているのだ。
もう名主の村だって余裕がないのである。
そこに口減らしの人を買ってその食い扶持まで確保しろなんて、どこをどうすればいいのか見当もつかない。
無理なものは無理だ。
こけし村の時だって不満を持つ人たちを抑えるのに苦労したのに、これ以上人なんて増やせるわけがない。
だが、お偉い様の依頼を断れるわけもない。
泣きはらしながら城から外に出ると、そこにはナナシが待っていた。
「どうじよう、ナナシぃ……」
「……」
べそを掻く鈴にナナシはため息をつき、顎で外壁へ続く道を示す。
「……?」
何も言わずに歩き出すナナシを追って、鈴はついて行く。
一本道の狭い通路を抜けたかと思うと、一目では分からない裏手へ通じる通路に入っていく。
いくつもの部屋の隙間を縫うような狭い通路を進むと、大きな蔵の裏手に出た。
「俺は何も見ていないし、聞いていない」
「はい……?」
意味が分からず鈴が呆然としていると、ナナシは倉庫の隅の方に寄ってその戸をわずかに叩いた。
「……だれか裏にいるのか?」
「その声……。叔父上ですか!?」
危うく大きな声を上げそうになる鈴に、倉庫の中にいる喜二郎も息をのんだ気がした。
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「喜二郎様、荷の積み込み完了しました」
「ああ、ありがとう」
薄暗い工廠の中、全ての準備が整ったことに喜二郎は安堵していた。
藩から極秘の任を言い渡され、軍船や大筒など専門外のことを任されることになった時はどうなるかと思った。
一から始めた仕事だったが、蝦夷で座礁したという外国船を隅々まで調べ上げたことで、ようやく完成した。
むろん船をそのまま作ったわけではなく、設計図の作成と実物の船を縮小した模型を完成させたのである。
ちなみに新年の祭りの際に合わせ、大筒を最初に完成させた。
催し物に大筒の号砲を轟かせるなど、そうそうあることではない良い機会を得た。
大筒は模型ではなく完成品で、従来の物よりも射程が長く命中精度もはるかに優れている。
「しかし、三吉たちにも苦労を掛けてしまったな……」
試作品の模型が工廠の隅に所狭しと並べられている光景を見て、喜二郎は苦笑いした。
極秘の任だったので、いつものように三吉を主軸に考えるだけでは足りず、知りうるすべての伝手を使って部品を発注した。
信頼できる筋を頼ったが、万一のことを考えて発注元の部品だけでは組み立てられないようになっている。
そのためか、初めのうちは集まった部品が噛み合わないこともあって難儀した。
幸い喜二郎は細工が得意なこともあって、細かい調整を加えることで部品を噛み合わせることができた。
内部の構造もよく知ることができたのは、嬉しい誤算である。
あとは大阪に完成品の模型と、修理した大筒を運ぶだけだ。
設計図も用意してある。
本当は難破船自体を修理して納品したいところだったが、とても時間と予算が足りなかった。
時間内で完成させることはできなかったが、あとは残された職人たちが完成させてくれることを祈るだけだ。
さて。荷の積み込みも問題なく終わり、出発まで喜二郎は何もやることがない。
ひさしぶりに湯治にいこうか、と考えていたところで喜二郎の後ろから壁を叩く音がする。
「……だれか裏にいるのか?」
この工廠は秘中の秘で、限られた人間しか入ることができない。
出入りはもちろんのこと、周囲の庭に至るまで厳重に見張られている。
それを裏手に回って壁を叩いてくるなど、異常以外の何物ではなかった。
だが、返ってきた声は意外な人物だった。
「その声……。叔父上ですか!?」
「リンか……?」
いや、そうとは限らない。
忍びの中には声色を変える者もいるという。
その類のことも考えて慎重に行動するべきだろう。
言い方は悪いが、喜二郎は家族を人質に取られているに等しい。鈴もその一人なのだ。
「お主の好きな食べ物は?」
「焼きおにぎりだけど。あ、田楽も。稲荷も好きだし。江戸だったらオカメ蕎麦も――」
「……某の初恋の人の名を言ってみてくれ」
「母上です」
このことを知っているのは鈴だけだ。まぁ、間違いないだろう。
喜二郎は大きく息を吐いた。
「どうしたんだ、こんなところまで」
「なんか、ナナシが連れて来てくれて……あれ? どこいったんだろう、ナナシ」
真田内成の手引きか……そうであれば、合点がいく。
この工廠の警備を担当しているのは、おそらく彼が所属する仙台藩の暗部だろう。
しかし、なぜここに鈴がいるのかが分からない。
……鈴を使って脅していることを意識させるつもりか。
それともこの場で関係者を始末するつもりか。
嫌な予感が脳裏に走るが、鈴はそれどころではない様子で壁の向こうで慌てていた。
「どうしようぅ、叔父上。今回のは無理だよぅ……」
「……何があった? 話してみてくれ」
喜二郎は腰を下ろし、周囲を注意深く見渡す。
向こうで積み荷を点検している人足に気づかれないよう両手を絡ませて口元に置き、いかにも休んでいる体を装った。
仙台藩が助かる見込みのない村を切り捨て、改善の兆しのある村を集中的に支援すること。
それによって多くの人々が難民となり、もしくは身売りする事態になること。
この前の福箱で得た利益でその人たちを可能な限り買ってほしいとのこと。
鈴からの話を聞き終えた喜二郎はそっと息を吐く。
「リンは面白いな。次から次へと一大事が巻き起こる」
「笑いごとじゃないんだよぅ。今度のは本当にどうしたらいいか……」
無理もない。
名主の村の食糧事情を把握しているわけではないが、相当苦しいのだろう。
その上で人を買って受け入れてほしいなんて頼み、正直遠慮したいに違いない。
しかし、喜二郎はこうも思う。
その人たちを助けるたびに、飢饉によって傷ついた仙台の復興が早くなっていくのだと。
綺麗事に聞こえるが、人がいれば村はまた立て直せる。
喜二郎は笑いをかみ殺し、手元にある情報を並べていく。
「たしか名主の村は十年間、年貢を免除されていたな」
「え? うん。それが……」
壁の向こうで鈴が言葉を切る。喜二郎の言葉の意味を探し始めているのだろう。
やはり聡い子だ。
「又聞きだが、今年は収穫の見込みがある村もあるという。……名主の村もそうなのではないか?」
「……うん、そうだよ。そうだけど」
納得がいかない、という空気がその言葉から漂ってくる。
言いたいことはわかる。
だが、こういう時は感情を置き去りにしてでも先の事を考えなければならない。
「今年の稲作、蕎麦の貯え、仁八の狩り……そして鯉もまだそれほど食べていないのだろう?」
「……うん」
喜二郎はしばらく名主の村に行っておらず、詳しい状況が分かるわけではない。
だから言えるのは持っている情報と、そこから推察できることだけだ。
「年貢が取られることがない唯一の村だ。五郎八姫をはじめとして、藩の上役も好き好んで藩の人間を見捨てているわけではないのだろう。……リンをよほど頼りにしていると見える」
「ありがた迷惑だよぅ……。それに村の人たちになんて言えばいいのか、わかんないし……」
それは人を買うことに対してか。それともわずかな食料を増えた人たちに分け与えることか。
おそらく両方なのだろう。
だったら、その責任を持つくらいは喜二郎にもできる。
「リン。だったらこう考えるといい」
「――えっ?」
喜二郎はゆっくりと考えを話した。
その言葉に鈴が息をのんだ。
責任くらい、喜二郎はいくらでも負う覚悟がある。
それが、壁一枚隔てて何も手助けすることができない可愛い姪に対して、喜二郎ができる精一杯のことだった。




