章末:一年の猶予
仙台の北で、縄にかけられた女たちの一団が南へ下って行った。
――身売り。
世間では年季奉公として遊郭に売られる、いわゆる口減らしである。
年始にあった藩からの配給は微々たるもので、秋の収穫まで村全員が生き残るのは無理だった。
村を追い出されたのは若い女、次に年寄り、そして子供……。
そしてそれでも食い物が足りなくなると分かると、一部の人間は食べ物を持って雲隠れした。
当然争いが起こって治安が悪化する。
もう限界だ。と彼らは思った。
もっと北の南部藩は身売りどころか、大半の人間が死にかけている。
生きるには、奪うしかない。
そう考え始める者たちが、次第に増え始めていた――。
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弥生(三月)になり少し寒さが和らいだころ、遠くの村から悲しい噂が聞こえてきた。
「口減らし……?」
「ああ。村の子供が山に捨てられ、若い女が南の方へ売られたらしい」
仁八からその報告を聞いた鈴は、悲しみを押し込めた。
村が生きるためにやったことだというのはわかっている。
名主の村でこれだけ準備しても、苦しいのだ。
他の村はもう限界に近いのだろう。
それに、きれいごとではない。
今年収穫ができなければ、この村でもそれは起こりうるのだ。
「……畑の様子はどう、仁八」
「去年に比べると、大分よくなった。今年は少し収穫できるかもしれん」
それは飢饉が起きてから初めて、まともに収穫できるという朗報だった。
だが以前収穫していた量からすると遠く及ばず、今年も苦しい年になりそうだった。
(それでも……)
わずかな可能性が出てきたのは事実だ。
今年を乗り越えれば、飢饉の被害も落ち着くかもしれない。
それでも来年の種もみのことを考えれば、今年も他藩から米を買うしか道は残されていなさそうだった。
「今年も佐賀で米を手に入れられれば一安心なんだけど……情報がないからなぁ」
「……いくら俺でも佐賀までは走れん」
いや、船でだよ? 走るなんて発想が思い浮かぶの、仁八くらいだから。
それに去年が豊作だからと言って、今年もそうとは限らないのが稲作だ。
近場の藩で豊作なところがあれば是非お力を借りたいが、陸奥の国で明るい話題は聞かない。
「イロハによると、米沢藩はかなり落ち着いたって話なんだけどね」
話によると餓死者が一人も出なかったらしい。
仙台藩に比べてはるか昔から備えていた米沢は、それだけ飢饉を重く見ていたのだろう。
仙台も頑張ってはいるが、餓死者の被害はそれなりに多かった。
名主の村で餓死者が出なかったのは、ひとえに仁八や喜二郎たちが何十年も準備をしてきたからに他ならない。
しばらくすると、仙台城から呼び出しがかかった。
薩摩へ約束していた品が出来上がったらしく、それを受け渡しに行くとのことだ。
しかも今回は江戸ではなく大阪とのこと。
大阪に行くにあたって、鈴も一緒に来ないかという打診だった。
「あ、今回は叔父上も大阪に行くみたいだね」
呼び出しとは別に届けられたイロハからの手紙でそれを知った。
どうやら薩摩へ渡すための品を説明するために、喜二郎も大阪に向かうとのことだ。
結局何を取引材料にしたのか教えてもらえなかったが、できることなら知っておきたい。
「えーと、特に私がするような仕事は書かれてないね。名目上はイロハのお世話みたいだけど、大阪に着いたら自由にしていいって。どう思う、皆?」
鈴も大阪に連れて行ってくれるのは、年始の福箱の説明役として城下街で実演した礼らしい。
純粋に商売のことだけ考えればいいのであれば、ぜひ行っておきたいところだ。
「大阪行きは賛成だが、問題もある。売る物がないぞ」
六郎太が管理していた出納帳を睨みながら、そう告げる。
鮫製品も作り続けていたが、今まで売りさばいてきたこともあって、在庫はほとんど残っていなかった。
味噌ももはや売るほどはなく、これが尽きた時が餓死者が出る時なのかもしれない。
あと売れるものといえば塩と木工、それに真田紐だ。
塩はともかく、木工と真田紐は大阪の方が質が高いとも聞いているし、売りにくいかもしれない。
「あの端切れで縫い合わせた布はどうかな? 一応絹が使われているし、売れるんじゃない?」
トシがそう言ったのは、かつて旅で集めた布の端切れだ。
だが、つなぎ合わせたものでも一反くらいにしかならない。
米を買える金額までいかない気がする。
うーん、とみんなで悩む。
「大阪で買える食べ物をありったけ買っても、ないよりはマシなくらいかもしれないね」
「でも、行かないっていうのはもったいないよね。どうしようか」
方針としては大阪に行く方向でいる。
しかし今までと違って、それほど大人数で行かなくてもよいという結論だ。
「そうなると大阪に行く人選だけど……」
仁八は農民で船に乗れない。
芳、六郎太も難しいだろう。
もはやこの二人を欠いて村を維持できるはずもないところまで来ていた。
塩釜の三吉も無理だ。
生まれたばかりの娘がいるし、塩釜ももはや崖っぷちのところまで来ていて、大黒柱の三吉が抜けると取り返しがつかないことになる。
そうなると、鈴とトシ。
そして――。
「今年は私も同行させてください。必ず力になります」
名乗り出たのはイザマルだった。
父の三吉からは鮫製品の知識、喜二郎からは武家との取引の仕方、母のトミからは江戸での伝手を受け継いだらしい。
「トミって江戸生まれなの?」
「いえ、紀州です。なので今回その伝手は使えませんが、やりようはございます」
何とも頼もしい言葉だった。
ぜいたくを言うなら、前の江戸行の時も来てくれたら嬉しかったのだが、何か理由があったのだろうか。
「喜二郎様が、私が表舞台に出さないよう隠してくださっていたのです。藩主様が父を求めた姿勢から、引き抜きを警戒していたのでしょう」
「ああ……たしかに、それはあり得そうだね」
今回が食料を買える最後の機会かもしれない。
商品の在庫としても、来年は旅に出られる余力が残っているかわからないからだ。
鈴たちは気合を入れながら準備を整える。
そして、これがひと段落したら仙台城の呼び出しに応えて向かう予定だ。
大阪に持っていく商品の確認と、積み込みの人足を確認しているうちにお昼時になった。
縁側で煎り豆を食べていると、猫の一匹であるモチが歩いてくる。
「ん? 昼間に来るなんて珍しいね、モチ。さてはおやつの匂いを嗅ぎつけたなぁ?」
モチを持ち上げ、ぐりぐりとおなかをさすると「違う」とでもいうように首を振った。
不思議に思った鈴がモチを下すと、モチは家の玄関の方を向いて「にゃーご」と鳴いた。
鈴がそちらの方を見ると、見慣れた人が立っていた。
母の女中である。
「おりん様。奥方様がお呼びです」
「え? 母上が……?」
実家の母からお呼びがかかった。
とっっても、嫌な予感がする。
「えー……あのぅ。私、これからお城に行く準備があって……」
「断れば、真田勇士録を竈の火に使うと仰せです」
その言葉で、鈴は慌てて実家に戻ることになった。
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「行きたくないなぁ……」
鈴は遠くから、そっと実家の様子を伺う。
鈴は今まで名主村にいても、実家から呼び出しがかかったことはない。
きっと喜二郎のお陰で自由にさせてもらっていたのであろう。
だからそれにも関わらず呼びだしたということは、きっとこの前の嫁入り先の話の続きに違いない。
正直行きたくなかったが、行かないわけにもいかない。
母は怒ると怖いのである。
それでもやはり行きたくなくて、先にトシとイザマルに様子を見てもらっていた。
しばらく杉林の影に隠れて待っていると、様子を見に行っていた二人が戻ってきた。
「どうだった?」
「当主様と林様はいないみたいだよ」
トシがそう説明する。
祖父と父が不在なのはありがたかった。
母だけなら少しだけ気が楽だ。
覚悟を決めて鈴は杉林を抜け出し、実家の門をくぐった。
……城に行くより実家に帰る方が勇気がいるっておかしくないか、とも思わないでもなかった。
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「母上、お呼びにより参りました」
「あら、堅苦しい言い方を覚えたのね。……いつも通り話してもいいわよ。私が疲れるから」
かしこまった言い方がいつの間にか身についてしまった、というのもある。
しかし母の初は、何と言っても片倉様のお家の方なのだ。
鈴もその血を引いていることになるのだが、自分にとって片倉家というのは特別な存在でもある。
そう、何と言っても真田家を守り抜いた片倉家の血筋である。
鈴には母の背後に後光が見えた気がした。
「……ちょっと影響を与え過ぎたかしら? 真田と片倉の話をそれとなく聞かせ続けてきたものね」
「やっぱり、母上の仕込みだったんですね」
家には真田と片倉の秘話のような話が書かれた本があった。
幕府から絶対に許可が下りないであろう話だ。
これが読み聞かせてきた母の伝手だったのだと納得できる。
しかし鈴は感謝したい。
今も胸に焦がれているあこがれの話は、鈴に大きな影響を与えてくれた。
こほん、と母が咳払いをする。
「本当はあなたが嫁入り前に、私の身元を明かそうと思っていたのよ。リンには身分になるべく縛られてほしくなかったから」
「母上は、白石の姫君だったんですね」
いいえ、と母はそれを否定する。
「片倉と言っても傍流よ。それに私の母が商人だって話していたのも本当。だから私の身分は武家の娘で、リンと同じなのよ」
なるほど、と鈴は頷いた。
父の市平が片倉家と縁を結ばれたこと自体、とんでもない話だったのだ。
たしか喜二郎が作戦を立てて嫁取り合戦を勝ち抜いたという話だが、少なくとも藩医が手にできる縁ではない。
クスクスと母が笑う。
「喜二郎からその話は聞いた?」
「ううん、詳しいことは」
「そう。なら詳しい話は喜二郎に聞いてみればいいわ。旦那さまからは聞いてはダメよ?」
あれ? 母は教えてくれないのだろうか。
「私が知っているのは結果だけ。あの二人がどうやって片倉家を口説いたのか、今度私に教えてくれる?」
「うん。わかった」
さて、と前振りは終わりというように母は姿勢を正した。
「率直に聞くけど、喜二郎を婿に迎える気はある?」
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「……」
鈴は答えられなかった。
あの後、この家で行われた縁談について考えてみた。
確かに、あの時の選択で一番気を許せるのは喜二郎だった。
だが結ばれたいかというと、鈴はあまりしっくりきていない。
過去で一緒に冒険した弟のような存在であり、今は兄のような存在だという感じだ。
好きか嫌いかでいえば好きだが、それ以上の感情はないのが本音である。
ちなみに美男子であることは間違いないのだが、鈴はそれをあまり気にしたことがない。
素直にそれを母に伝えると、残念そうな顔をした。
「私としては喜二郎が一番安心できたのだけれど。あなたにはその気はないのね」
「叔父上も、私を家族として見ている気がしますけど」
言葉で説明できないが、そうとしか言いようがない。
「わかったわ」と母は頷いた。
「気持ちはわかったわ。でもね。私の調べではお義父様と旦那様の相手も良縁だけど、リンは苦労すると思うわよ」
「それは、まぁなんとなく……」
何しろ相手の身分が高い。
良縁なのは間違いないが、鈴としては相手に望んでいるのは身分よりも生き様だ。
その生き様に惹かれるのなら、どんな粗食や生活にだって耐えて支えてみせる。
欲を言ってしまえば、真田幸村様のようなお方が理想なのだが、それは無理な話だ。
戦のない太平の世の中なので、それを望むことはできない。
「一年。猶予を与えます」
「え?」
母が指を一つ立て、鈴にいう。
「一年経っても婿を選ばなかった場合、私はどんな手を使っても喜二郎を婿にさせます」
「あ、あの。母上……」
母の目は真剣だ。そこには有無を言わさない力強さがある。
しかしそれだと祖父や父の良縁を蹴って、推し進めるとも聞こえるのだが、片倉の力を使うのであろうか。
うーん、と鈴が眉を寄せていると、母がふっと笑った。
「嫌いではないのでしょう?」
それは、まあ、はい。
母はその答えに満足して、頷いた。
「喜二郎もあなたを憎からず思っているでしょう。少なくとも今の私には、喜二郎以上の相手は思い浮かびません。もし他に婿を選びたいというのなら、自分で見つけなさい。一年だけ、時間を上げます」
母はそれで話は終わりとでもいうように立った。
「私は、あなたの幸せだけを考えて生きています。もし、婿を選んだら教えなさい。私が叶えて見せます。……悔いを残してはいけませんよ」
暖かな言葉を残して、母は部屋を出ていった。
残された鈴は、ただその愛情に深く感謝し、頭を下げた。




