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置き去り

「お前は未来から来た」

その言葉だけが、はっきりと耳に残る。


―――未来から来た。


そういえば、叔父上の書庫にそんなトンデモない話の奇天烈物語があった気がする。

カラクリ細工の壺の中に入ると、そこは鎌倉時代……という話だった。

まさか、自分がそんな奇天烈物語の当事者になるとは。


(いやいや、そんなわけない)


だが、その通りだと説明がついてしまうことがいくつもある。

先日と全く違う気候環境。


夏に咲くはずない桜。

そして若い喜二郎。


「………」

鈴は何も言えなかった。

喜二郎はそんな鈴をしばらく見つめていたが、やがて静かに口を開く。


「混乱しているだろうが、時間がない」

鈴は顔を上げた。

喜二郎は周囲を確認して、声をひそめる。


「お前が未来から来ることは知っていた」

鈴は、ぎょっと身をすくませる。

知っていた、とはどういうことだろうか。いやいや、預言でもあるまいし。

喜二郎が続ける。


「だが、いつの時代から来るのかまでは分からない」

鈴は眉をひそめた。


「……どういうこと?」

喜二郎は首を横に振る。


「今は説明できない。………いずれ分かる」

だからまだ言えない、と喜二郎は言い切った。


なに、その勿体ぶり。

また叔父上みたいなことを言う。

肝心なところだけ秘密にするなんて、ずるい。

だが喜二郎は構わず話を続けた。


「某たちはいずれ来る天変地異に備えている」

「天変地異?」

富士山が噴火とか、そういったものだろうか。


「父上――其方の祖父である林什吾から、ようやく藩を跨いで商売するための手形を得た」

喜二郎は懐から筒を取り出し、中の手形を示すように軽く振った。


「これで米沢との正式な交渉ができる」

喜二郎は一息つき、「だが、その前に」と農民たちの方へ振り返った。


「其方たちの事情を聞こう、何があった」

「坊ちゃん!名主の一派が堰を横取りしようとしてるんでさぁ!」

農民たちが我先にと抱えている問題を並べ立てる。

喜二郎は一つ一つに頷き、しばらくして腕を組み考え始める。


どうやら重要な話らしい。

米沢。交渉。手形。名主。堰。

何のためにそんなことをしているのか。


喜二郎は静かに鈴へ向き直る。

「スズ」

呼ばれた名は、ここでは鈴を指す名前。

嫌な予感が頭をよぎった。


「堰の件だが、お前に任せることはできるか」

「……逆に聞きたいんだけど、大丈夫だと思う?」

何も事情を知らないのに、何を任されるというのか。


ほぼ反射的に答えていた。

喜二郎はしばらく黙っていた。

やがて小さく頷く。


「いや、そうだな。すまない。忘れてくれ」

責める様子はなかった。

ただ事実として受け止めたようだった。

そして近くの男たちへ指示を出す。


「予定を変更する。堰の件は某が手を考える。仁八を呼んでくれ」

「で、ですが、米沢はよいので…?」

恐る恐る尋ねる農民に、喜二郎はきっぱりと言い切った。


「米沢行きは予定通りだ。鯉の選別を急がせてくれ、あれがないと決め手に欠ける」

その言葉を聞いて、男たちは慌ただしく動き始める。

農民たちは何か言いたげな顔をしながらも、散っていった。


「ねぇ、あの…」

鈴はいたたまれなくなって、口を開いた。

だが喜二郎は首を横に振った。


「いずれ分かる。……今のお前にはまだ言えない、が」

そして最後に一つだけ言う。


「帰りたければ、実家の父……林什吾の部屋へ行け。掛け軸の前に立てば、おそらく未来に行ける」

喜二郎はそれだけ言うと踵を返した。


農民たちも。

護衛らしい男たちも。

皆がそれぞれの目的のために動き始める。


「未来に行ける……?」

鈴だけが広場に取り残され、そうつぶやいた。

つまり、鈴が元いた時代に帰れるということだろうか。

何もできない。何も知らない、この仙台で。


鈴はただ一人、春の風の吹く広場に立ち尽くしていた。

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