十三年前の仙台
鈴はわけの分からないまま農民たちに運ばれていた。
「スズ様、こちらです!」
「急いでください!」
口々に言われ、半ば諦めの境地で身を任せていた。
急いでください、と言われても鈴は担がれているので急ぎようがない。
いくら人違いだと否定しても、話も聞いてくれない。
危害を加えようとしている感じではないし、いったん様子を見ることにした。
本当にスズという人でないとわかった時にどうなるかはわからないが、この様子だとよもや殺されはしないだろう。
どこか見覚えのない家並みを越え、やがて城下を抜ける。
田畑の間を通るあぜ道を、さらに先へ進む。
(こっちって確か農村だったような……)
うろ覚えの記憶だが、幼いころ少しの間だけ叔父上とここらへんで遊んだことがある。
鈴が連れ去られた先は農民たちが集まる広場だった。
広場では堰のことで言い争う声が飛び交っていた。
多くの人が顔を突き合わせて、何事か話し合っている。
鈴の姿を見るなり、人々は駆け寄ってきた。
「スズ様!」
「いらしてくださったんですね!」
「どうか助けてください!」
「堰を何とかしてください!」
鈴は完全に狼狽した。
堰とは何のことなのか。なぜ自分に頼むのか。
理解できることが一つもない。
かといって人違いだという話を聞いてくれる人もいない。
というか、話し合いに連れてきておいて、鈴に一言もしゃべらせてくれないのは理不尽すぎる。
「あの! 私は―――」
言葉は途中で止まった。
人々のざわめきが急に静まったからだ。
農民たちが一斉に後ろを振り返る。
その視線の先から、一人の少年が歩いてきた。
年は鈴と同じくらい。
まだ元服してから間もないと思われる年頃だった。
だが農民たちの表情が変わる。
皆、安堵していた。
「坊ちゃん!」
誰かがそう呼んだ。
少年は軽く手を上げる。
「何事か」
落ち着いた声だった。
その一言で農民たちは口を閉ざす。
「米沢から戻ったばかりだというのに、騒がしいな」
少年は人々の間を抜けると、鈴の前へ立った。
その目を見た瞬間、鈴は妙な既視感を覚える。
どこかで見たことがある気がした。
少年は小さく肩を竦め、そして鈴を見た。
その表情は驚きと、喜びに満ちていた。
「久しぶりだな、スズ」
まるで旧友に話しかけるような口調だった。
鈴は目を瞬かせる。
「……私を知ってるの?」
会ったことがない。
少なくとも鈴の記憶にはない。
鈴の表情に違和感を察したのか、「ああ」と頷いて頭をなでる。
「わからないか。元服して月代になったからな」
ああ、月代。なるほど、成人したことを意味する月代か。
いや、月代だからってわからないよ。
「あの……誰です?」
少年が初めて眉をひそめた。
鈴の反応に先ほどとは別の違和感を覚えたようだった。
しばらく鈴を見つめる。
やがて口を開いた。
「某が分からないのか」
鈴は首を横に振る。
こんな美少年、会ったこともなければ話したこともない。
少年は少し考え込む。
そして静かに名乗った。
「喜二郎だ」
なるほど喜二郎。喜二郎というのか。
叔父上と同じ名前だ。
鈴は思わず声を上げた。
「叔父上!?」
周囲の農民たちが驚いて顔を見合わせる。
だが鈴の方が混乱していた。
喜二郎なら知っている。
本を貸してくれる優しい叔父だ。
二十六歳の大人だったはずだ。
目の前にいる少年とはまるで違う。
「いやいや。そんなわけないよね」
どう見ても自分と同じくらいの年齢だ。
これならば叔父上の子供と言われた方が納得できる。
いや、むしろそうだとしたら別の意味で衝撃だったが。
鈴は呆然と呟く。
少年―――喜二郎は黙って鈴を見つめていた。
そしてゆっくりと尋ねる。
「お前、いつから来た?」
鈴は首を傾げた。
「……いつから?」
どこから、ではなく。
なぜ「いつから」なのだろうか。
質問の意味が分からず、悩んでいると、喜二郎はさらに真剣な表情になる。
鈴だけが置いていかれていた。
喜二郎は鈴をじっと見つめていた。
周囲の農民たちは困惑した顔で二人を見ている。
今は堰どころではないらしい。
喜二郎にとっては、別の問題の方が重要のようだった。
「質問を変えよう」
鈴は黙って少年を見返す。
喜二郎は静かに尋ねた。
「今は何年だ?」
鈴は首を傾げる。
妙な質問だった。だが答えは分かる。
「天明元年、だけど」
恐る恐る、そう答える。
その瞬間。
周囲の空気が変わった。
農民たちが顔を見合わせる。
喜二郎は目を伏せ、小さく息を吐いた。
まるで予想していた答えを聞いたようだった。
「……そうか」
喜二郎は少し沈黙した後、頷いた。
私、なにも変なこと、言ってないよね…?
そう不安になる鈴に、喜二郎は再び顔を上げる。
そして静かに言った。
「今は明和五年だ」
鈴は瞬きをした。
「……めいわ?」
聞き間違いだろうか。
明和五年。
その年号はなじみ深い。鈴が生まれたのが明和六年だったからだ。
だからこそ、鈴は即座に否定した。
「えぇ…? 今は天明元年でしょ……?」
喜二郎は落ち着いた声で言う。
「明和五年だ」
なるほど、メイワでいいらしい。
いつの間にか天明が終わって、またメイワになったのか。
天明、短かったなぁ。
いや、それでも理解できないのだが。
鈴が混乱していると喜二郎が補足する。
「宝暦の次、それが明和だ」
あっさり天明が終わった説を否定された。
そこまで言われて、鈴はようやく飲み込む。
つまり―――鈴は過去にいるということなのだろうか?
そんな話があるはずがない。
人が昔へ行くなど聞いたこともない。
「いやいや、待ってよ。そんなことあるわけ………」
喜二郎が、まっすぐ鈴の眼を見つめてくる。
冗談とは思えないほど真剣な眼差しだった。
暖かい風がなびく。
舞い散る桜の花びらを見て、鈴は思った。
夏に咲く桜など、どこにもない。
「………」
しばらく沈黙が続く。
暖かい「春」の陽気に、遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
やがて喜二郎は静かに口を開いた。
「お前は未来から来た」
その言葉だけが、はっきりと耳に残った。
天明元年=西暦1781年
明和五年=西暦1768年




