襲撃の危機
近隣の村で餓死者が出た、という話が村に広まった。
「……この前、配給があったばかりだよね。どういうこと?」
「わからない。私も人伝てで聞いただけだから」
鈴と芳は近隣の村の情報を整理していた時、そんな話が上がった。
配給は藩の恩赦……いや、救済として配布された物だ。
ありがたいことだが、量は多くない。
「難民が来たとか、米を売ったとか、病が流行ったとか……話が混ざっているのかしら」
「この村の貯えってどれくらいだっけ?」
芳がそろばんを弾き、「冬は越せるわ」とつぶやいた。
「それでもギリギリよ。モチたちの餌すら用意できなくなったら、いよいよね」
「モチたちは自分でネズミ狩ってくるから、蒲鉾はおやつ感覚なんだよね」
猫の食糧をあまり考慮しなくてよくなった分、おかげで日々の食事は雑穀と米のほかに蒲鉾を少し散らすことができている。
仁八の狩り、男衆の山菜狩り、六郎太とトシの鯉、そして全てを支えている芳の味噌。
米の消費をギリギリまで抑え、育てた蕎麦で食を回す生活にも慣れ始めていた。
仮に藩からの供給が無くなったとしても、名主の村は耐えられる。
この半年で、蕎麦が安定して育てられたのは非常に大きい。死に物狂いで栽培した甲斐があった。
「今は味噌の生産ができないけど、飢饉が終わったらすぐに増産に入りましょう」
芳は名主となってから味噌の貯蓄をいつも気にしている。
もちろん村の貯えを考えての事ではあるが、芳は味噌作りが本当に好きなのだろう。
ちなみに味噌はまだかなりの量があり、名主の村だけならかなりの間、耐えられる。
十年以上蓄え続けた味噌は、そう簡単にはなくならない。
ただ毎年江戸や他藩に売り続けてきた結果、楽観できる備蓄量でもなくなってきていた。
この味噌は名主の村の生命線であるため、いずれは増産に踏み切りたいところだ。
ちなみに畑でほとんど作物が実らないので、今は鮫皮製品や木彫りの商品を主に作っているところである。
「でも、煙草が体に良いなんてホントかしら」
芳は鮫皮の煙草入れを縫いながら、胡散臭そうに出来上がった品物を眺める。
「お爺様はデマだ。って言ってたけど、わかんない」
煙草なんて高級品は吸ったことないし、家族みんな敬遠しているので縁がない。
だが江戸ではなぜかこれが売れる。武士の魂の刀の柄よりも人気が高い。
「で、そっちのこけしって売れるのかしら?」
芳がそう言って首をかしげる。
鈴が真田紐の作成の合間に作っているのはこけしである。
元々近くの村での名産だったらしいが、すっかり廃れてしまったのを鈴が目をつけてコツコツ作っていた。
「子供の人形遊びとして売れるんだよ。大きさもちょうどいいし、丸いから子供も怪我しないし」
「あぁ……たしかにそうだったわね。私、こけし遊びをしたことなかったから分からなかったけど」
芳はそう言いながらこけしの一つを手に取る。
このこけしのありがたみを理解できないとは、もったいない。
「何言ってんの、芳。子供が生まれることを願って『子授けし』って縁起物なんだから。大事だよ、縁起は」
子供の玩具としての意味もあるが、こけしにはもう一つ縁起物としての側面がある。
鈴が生まれる際、父上が大量に買い込んだらしい。
買うにしても限度があると母上と喜二郎に怒られていたそうだ。
そのせいか、鈴はこけしの造形には割と明るい。
「こけしづくりもいいけど。こっちの裁縫は進んでないようね、リン」
うっ、と鈴が言葉に詰まる。
鈴は裁縫が苦手なので、後回しにしていた。
筆を使う仕事なら割と得意な方だが、こういうチクチク細かいことはどうしても気が滅入る。
真田紐のように編み込むことは割とできるようになったが、どうも裁縫は勝手が違う。
だがこのままだと本当に嫁の貰い手が無くなりそうで、少し焦り気味でもあった。
まぁ、母上がそこらへんはかなり気合を入れる人なので、心配はないかもしれないけど。
「手伝いたいけど……もっと簡単なので、練習させてくれない?」
「だったら着物に綿入れしてくれないかしら。もうそろそろ薄着じゃ凍えるかもしれないから」
そう言って芳は綺麗に折りたたんだ着物を指さす。
綿を入れて縫うだけなので、確かにそれほど難しくない。
鈴は頷き、年季が入った綿を襟周りに詰めていった。
飢饉の中だが、忙しくも穏やかな日々が続く。
そう信じていた鈴の元に、一人の男が尋ねてきた。
蝦夷に行っていたというナナシだった。
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「ナナシ、久しぶりだね。元気だった?」
「……ああ」
菅笠をかぶった浪人風の男、ナナシは縁側に腰かける。
鈴がお茶を入れるとナナシは少し口をつけ、それから一気にあおる。
彼が一息ついたのを見て、鈴は様子を尋ねた。
「蝦夷に行ってたって聞いたけど、戻って来たんだね」
「俺は運搬に関わっただけだ。それほど長くかかる仕事ではない」
そうは言っても、蝦夷というのはかなり遠い。
しかも北の方はさらに寒くて波も荒いと聞いているし、そう簡単な仕事ではなかっただろう。
そんなナナシの苦労を想像していると、ナナシはじっと自分の手のひらを見ていた。
はて、何か言いたそうだが心当たりがない。
「そういえば今日はどうしたの?」
「……近頃、仙台藩の周囲に物騒な輩がいることは知っているか?」
物騒な輩ときいて鈴は首をかしげる。
飢饉で餓死者が出たという話は聞いた。
だが、物騒な輩ということは生きた人間だろう。
鈴をここに誘拐してきたナナシ以上に物騒な輩は、そうそうお目にかかれないと思うのだが。
「端的に言えば難民だ。俺はそいつらからお前を守るよう、命じられてきた」
「難民?」
「ああ、お前はしばらく村から出ない方がいい」
そこで少し不思議に思った。
なぜ「私」の護衛なのだろう?
たしかに武家の人間であるのでそういった警護が必要なこともあるが、わざわざ鈴に護衛をつけるほどの価値があるのだろうか。
イロハが手を回してくれたのならわかるが、確か今ナナシは藩主預かりになっているはずだ。
ナナシは普段と変わらない。
だが、何か言いかけては口を閉ざすことが何度かあった。
「……」
もしかして、と思い至ることがある。
ナナシは護衛という名の監視役だったりするのだろうか。
何のために監視するのかは分からない。
だがナナシの言葉の端々から、そんな意図が透けて見える気がした。
(まぁ、私が危ないことをしないかっていう見張りなら分からなくもないんだけど……)
思い当たるのは先日、三吉が作っていた一夜城風の何かである。
あれには喜二郎が関わっており、詳細は分かっていない。
すると考えられるのは、鈴が「喜二郎の人質」ということだろうか。
機密性が高いとは思っていたが、鈴にまで監視が付くとなると相当危ない橋を渡っているのかもしれない。
(だけど……)
知らない誰かに監視されるより、気の知れたナナシなら鈴はあまり気にしなくてもいい。
もしかするとナナシを監視に付けたのは、お役人様の計らいなのかもしれないとすら思った。
だったら、鈴はいつも通りの振舞いをしていた方がよいだろう。
というかナナシ。
よくみたら叔父上と顔立ちが似てるし、影武者とかやらされてそうだ。
あ、やらされてた。米沢の時に叔父上が仙台に来る名目で。
いやいや、あれは許可をとって身代わりになったんだっけ?
ともあれ鈴はにへらと笑い、ナナシを歓迎した。
「今日からよろしくね、ナナシ」
「……ああ」
ナナシは最後まで鈴の顔を見ようとはしなかった。
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ナナシが名主の村に来てから数日後。
村の外がにわかに騒がしくなった。
「どうしたの?」
チクチク裁縫をしていた鈴は、忙しそうに走り回るトシに尋ねる。
トシの手にはなぜか鍬が握られており、物騒だった。
「なんか二つ先の村から人が来て、食べ物分けてくれって押し入ろうとしたんだって」
それは穏やかな話ではない。
トシの様子からしても、かなり緊迫していることが見て取れた。
「じいちゃんが女は家に隠れてろ、だって。リンも外に出ちゃダメだよ」
「う、うん」
立場上、鈴と芳は立ち会わなきゃいけないような気がしたが、そんなことも言っていられない様子だった。
この村の長は名主である芳だが、こういった荒事になるときは仁八が前に出る。
落ち着かず、裁縫をする手が止まっていると、芳が部屋に入ってきた。
「リン、今すぐ父上の部屋に隠れて。村の子供たちも一緒だから、面倒を見てほしいの」
「いいけど……かなり不穏な空気だね」
鈴の言葉に、芳は頷く。
仁八をはじめとする男衆が村の柵で他の村の人を押しとどめているが、かなり危うい状態らしい。
「彼らは難民よ。まだ理性はあるようだけど、争いになったら女のあなたは危険よ」
「芳も女なんだけど……わかった。避難する」
鈴は芳の言葉に従い、名主の部屋に移動する。
元々名主の部屋は決して堅牢なつくりの部屋ではないが、入り口が一つしかないので守りやすい。
芳は「私は自分の部屋の方が落ち着くから」と言って使っていなかったが、まさか避難先として使うことになるとは思わなかった。
名主の部屋に入ると、数人の子供が自分の仕事をしていた。
主に草鞋を編んだり、鮫皮のなめしを行うのが子供の仕事だ。
鈴が入ると、後から次々に子供や女たちが名主の部屋に避難してくる。
「あ、ナナシも避難してきたんだ」
最後にやってきたのはナナシで、彼は部屋の中に入ろうとせずに扉の前で鈴たちに背を向けた。
「俺は護衛だ。この部屋の守りに残された」
どうやら彼は鈴たちを守ってくれるらしい。
おそらく主の命令の範疇外であろうに、律儀な侍である。
「そっか、ありがと」
鈴が礼を述べると、ナナシは何も語らず襖を閉めた。
「わっ」
少し手狭になった部屋の中、天井の梁から白い物体が落ちてくる。
モチである。
「お前も避難してきたんだ。ううん、私たちを守るために来てくれたのかな?」
鈴がそう問いかけると、モチは「にゃーご」と野太い声を鳴らした。
日が暮れ始め、そろそろ作業が難しくなってきたころ、芳と仁八が名主の部屋に入ってくる。
「大丈夫だった?」
鈴がそう声をかけると、二人は沈痛な表情を浮かべてうつむいていた。
あまり良くない状況なのだろうか。
鈴が不安になり始めていると、仁八がおずおずと口を開く。
「……トシが怪我をした」
「えっ!」
驚きのあまり、鈴は裁縫道具を落としてしまった。
大丈夫なのか、傷は深いのか、鈴はオロオロと慌ててしまう。
「幸い傷は浅い、擦り傷だ。リン。悪いが手当てしてやってくれるか」
「うん」
名主の部屋を出て外の様子を伺うと、外村の人はもういないようだった。
鈴は仁八の酒と端切れ、お湯の入った瓶を持って村の門まで走っていく。
ちょっと重いのでよろめいていると、ナナシが酒と瓶を持ってくれた。
「トシ、大丈夫!?」
「あ、リン。ゴメン、怪我しちゃった」
門のところまで行くと、数人の大人が鍬を持って厳重に門を守っていた。
普段は開け放たれている門が固く閉ざされている。
トシはその大人たちの後ろで胡坐をかいて座っていた。
その頬からは赤い血の跡が見て取れた。
「……」
見たところ、殴られた跡だ。
まさか外村の人間が手を上げたのだろうか。
そう思った鈴に、「違うよ」とトシは笑って言った。
「じいちゃんに殴られた」
「じ、仁八に?」
あたかも外村の人間に傷つけられたようなことを言っていたのに、殴ったのは自分じゃないか!
腹立たしい気持ちもあったが、とりあえず大事ないようなので少し安心もした。
事情を聞きたかったが先に手当をしてしまおう。
鈴は手早く傷を洗い、酒で湿らせた布の端切れで傷口を拭く。
傷口を少し乾かしてから薬草と湿布をトシの頬にあてた。
「し、しみるぅ」
「男なんだから我慢しなよ」
口をへの字にするトシをいたわりながら、門で何があったのか事情を尋ねる。
「それで、外村の人たちは?」
「母ちゃんが味噌少し分けたら帰っていった」
話を聞くと、食料を求めて外村の人たちは村に押し入ろうとしたらしい。
柵をよじ登ってくる人を見たトシは入れさせまいと鍬を振り上げたのだが、その時仁八に殴り飛ばされたようだ。
「僕だって村を守ろうとしたのに……」
「仁八はトシを守ろうとしたんだよ。鍬で攻撃したら、向こうももう引けないから」
高崎藩、宇都宮藩でみた暴動が思い出される。
荒れ狂う暴徒に向かって、高崎藩は大砲で攻撃していたように見えた。
もしかするとあれがキッカケで暴徒は引けなくなり、城を攻撃するに至ったのかもしれない。
そう思うと仁八の判断は適切だった。
納得いかなそうなトシの頭を、鈴はやんわりと撫でる。
「でも、村を守ろうとしてくれたのは立派だったよ」
「……いつまでも子ども扱いしないでよね」
トシは鈴の手を払いのけると、バツが悪そうに立ち上がった。
鈴は苦笑いしながら、治療道具を片付けた。
何か、良くないことが起きる気がする。
今回の事件がまだ始まりに過ぎないことは、村の誰もが感じていた。




