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咲かぬ花の代わりに

時掛けを試してみる。


その言葉がどういう意味を持つのか。鈴ほど身に染みて感じている人間はいないだろう。

地獄の未来を知って、ここまで来た。


その未来を変えようとして祖父に釘を刺された。

今度時掛けをしたら本当にこの時代へ戻ってこられるのか。


様々な思いがあったが、このまま突き進んでいいのかという迷いもある。

答えられないでいる鈴に、喜二郎は優しく諭す。


「結論を急ぐ必要はない。今はやるべきことが山積みだろうし、機を見つけて……」

「――やる。試してみるよ、叔父上」


鈴は器用な性格ではない。

悩みを抱えたまま全力で走れるほど、気持ちも強くない。


少なくとも何か分かるのか……分からないかだけでもスッキリさせておきたい。

それに、この機会に踏み込まなかったら二度と解決できない気もする。

鈴は決意を固め、喜二郎を見た。


「……そうか」

喜二郎は複雑な表情を浮かべて、頷いた。


「ならば某の家に行こう。掛け軸は保管している」

「えっ……!」


なぜ喜二郎が掛け軸を持っているのだろう。

もしかして「過去から来た」鈴のために用意していた物だろうか。


未来の六郎太が喜二郎の家に誘導したのも、そう言った理由がありそうだ。

杉林を歩きながら喜二郎は話を続ける。


「もし未来へ行った場合、某の土蔵に掛け軸を探してくれ。おそらくだがここに戻れる」

「なんでわかるの?」


今まで、どの掛け軸を使ってどの時代に行くのかは不明だった。

しかし喜二郎はこの時代に戻ることができる掛け軸があるという。

喜二郎は言いにくそうに続けた。


「理由は、今は説明できない。……これを話してしまうと、その掛け軸を入手した経緯を話さねばならない。その時の約束で話すことはできないのだ」

「……わかった」


そう言われてしまえば、鈴は頷くしかない。

その様子を見て喜二郎もほっとしたようで、話を続ける。


「そして、過去に戻った場合だ。城の倉庫の不思議な色の箱に、先ほど話した掛け軸があるはずだ。それを使って戻ってくることができると思う」

「過去か……もし戻ることができるなら、この飢饉のためにもっと準備できていたかもしれないんだよね。……私は、何をすればいいの?」


喜二郎は首を振る。


「何もせず、帰ってこい」

「えっ?」

鈴は驚いて、おずおずと聞き返す。


「何も……しないの?」

「これは某の推測なのだが……リンが知る歴史と、今の仙台。少し齟齬ができているのではないか?」


鈴は言葉に詰まる。……確かにその通りだ。

喜二郎は月代じゃなくなったし、こんなに忙しくもしていなかった。

あと、真田勇士録が喜二郎の家ではなく実家に保管してあった、などだ。


だがもっと大きな何かが変わってしまった。

そんな気はしていたが、鈴がそれを「知覚」できていない。


記憶は鈴が時掛けする前のままなので、この時代の皆にとって今の鈴は「別の誰か」に映っているのではないだろうか。


「某が会ったどの時代のスズも。小さいころから面倒を見てきたリンも。某には、根っこの部分は今のお主と同じに見えるのだが」

「……それでも時々私の知らないリンが出てきて、ちょっと不安なんだよ………」


だが、それは承知の上だ。

イロハから、喜二郎はこれから忙しくなると聞いている。

心の引っかかりを取り除くのは、今しかないのかもしれない。


「叔父上」

鈴の呼びかけに「ああ」と喜二郎は答えた。


「掛け軸、試させてほしいです」


決意を固めた鈴に、喜二郎は優しくうなずいた。






---

喜二郎の家に、門番はいなかった。

今日は門に「取次御免」の札が掲げられている。来客を断る印らしい。


「お帰りなさい、喜二郎様」

家の中には福という少年がいた。


どうやら彼は米沢で喜二郎の身の回りの世話をしていた少年らしい。

見覚えがあるはずなのだが、あと少しで思い出せない……。


「……」


なんだか福の方も鈴をじっと見ていた。

もしかしたら交流があったのかもしれないが、思い出せないので妙に居心地が悪い。


喜二郎はその様子に首をかしげていた。


「今日は、客も来ないだろう。切り上げていいぞ、福」

「では茶の用意を済ませましたら、お暇します」


福はそう言って部屋に戻っていく。

喜二郎は苦笑いしていた。


鈴は喜二郎に連れられて、そのまま土蔵に向かう。

土蔵の中に入ると、奥にしまった箱を取り出して地面に置いた。



「これだ」

その瞬間、鈴の身の毛が逆立った。


『これは、私が、開けては、いけない、ものだ』


今までの覚悟が吹っ飛ぶくらいの何かが鈴に囁きかける。

箱そのものではない。中に入っている何かを見てはいけない――そんな感覚だった。


喜二郎はそんな様子の鈴に気づかず、箱を開ける―――



「………?」

喜二郎が箱を開けた瞬間、今まで感じていた不気味な圧迫感が嘘のように消えた。

何だったのだろうか。


「どうした?」

「ううん、何でもない。それよりも……掛け軸が二つもあるんだね」

ああ、と喜二郎は頷いた。


「こちらの掛け軸が戻るための物だ。今は開かない。そしてこちらが……」

「六郎太の掛け軸……だ」


それは、忘れられるはずもない、掛け軸。

六郎太を見殺しにして時を掛けた時に使った掛け軸だった。

喜二郎は頷く。


「以前その話をしてくれたな。これを今使えるか調べておこう」

「でもたしか一度使った掛け軸は使えないんじゃ……」

喜二郎は「ふむ」と一呼吸置く。


「リンは掛け軸を使う条件があるとするなら、何を思い浮かべる?」

「えっ……? それは……」


未使用の掛け軸だけが使える。

自分のいない時代に行ける……くらいだろうか。


「そう。実はあまり条件が分かっていない。だから試してみる価値はある」

「と、いうと?」

「使える刻が、限定されている。などだ」


あ……。と鈴は思い至った。

この掛け軸を使ったのは天明三年、つまり今年だ。


「こればっかりは試してみないと分からない」

「でも過去に戻ったとして、また叔父上が信じてくれるか、分かんないよぅ」


最初に会った喜二郎なんて、信じてくれるのに数日かかった。

どうやって信じてくれたのか少し思い出せないが、もしもあの時以前に戻ったら再び信じてくれるかは疑問である。


「ふむ……確かに。それはありうるな……」

喜二郎は少し考えた後、何かを思いついたように手を打った。


「某が今まで誰にも話したことがない秘密を教える。これを話せば、某は信じるだろう」

「えっ。そんな秘密があるの!」


鈴が身を乗り出して、喜二郎に詰め寄った。

喜二郎は詰め寄った分、身を引く。


「某の初恋は、初殿だ」

「初……? 母上じゃん、へぇ」

「お主が姪になるとわかった時、諦めた」


ああ、宝暦十三年の時だ!

あの時、喜二郎が複雑そうな話をしていた理由が分かった。

ごめん叔父上。悪気があったわけじゃないんだよ。


「誰にも言うなよ。特に兄上に知られると某の身が危うい」

「あぁ~……それは確かにそうだね」


以前、嫁取り合戦という名の修羅場に放り出されたことがある、と言っていた。

だがそれほどまでに頑なに隠していたのなら、確かに信じてもらえる可能性はある。

ごほん、と喜二郎は咳払いする。


「そんなわけで、もし過去に行って某と会うのが初対面なら先ほどの話をしてみろ」

「わかった、そうするよ」

鈴は頷いた。


だけど叔父上に謝っておかなければいけないことがある。

多分だけど、これを使って過去に行くことはできないと思う。

鈴には感覚でなんとなくそう感じていた。




---

「……何も起こらんな」

「そう、みたいだね」

掛け軸を開いた鈴だったが、特に変化はなかった。


「ふむ。使用時期が限定されている、という条件ではなかったか」

「なんだか楽しそうだね、叔父上」

「……まぁ否定はしない。こんな世でなければ学者になりたかったくらいだ」


鈴の知る喜二郎は学者のようなことをしていたのだが、きっとあの時の喜二郎はそれを叶えたのだろう。

いつかそれを実現できる日を鈴も楽しみにしている。


「んふふ」

「……なんだ?」

鈴が上目遣いで見上げたことで、喜二郎は少し身を引く。


「叔父上、母上が好きだったんだ。へぇ」

「………」

「私、母上に似ているってよく言われるんだけど―――」

「某は義姉上の容姿だけに惚れていたわけではない。お主とは全く違う。そこは言っておく」

「なんだよぅ」


喜二郎は「話すのではなかった……」と少し後悔しているようだった。

ちょっと和やかな会話が、この時だけは心地良かった。


さて、もう一つの掛け軸はどうしようか。

これも開いて試した方がよいのだろうか。


「いや、それは止めておいた方がいい」

「どうして?」

「それがこの時代に戻ってこれる、最後の掛け軸になるかもしれないからだ」


そうかなるほど。一理ある。

もし時掛けをできたとしても、この時代に戻ってこれなかったら大問題だ。

身分もなく、家もなく、頼れる人も少ない経験は身に染みている。



考えがまとまらなくて、なんとなく改めて時掛けができなかった掛け軸を見た。

これをじっくり見るのは実は初めてだ。


「……農民風の男と、子供二人……たぶん仁八と六郎太、それに叔父上かな。銘は読めないけど」

「……子供二人? 三人だろう?」

「えっ…どこ? 二人だよね」


喜二郎と鈴はお互いの顔を見合わせる。

一人、二人……子供は二人しかいない。


「ここだ、ここに女子の絵があるではないか」

「どこ? ……何も見えないけど、光の加減とかかな?」


喜二郎が指さすところに目を凝らして見る。

だが何度見ても子供は二人しかいない。


喜二郎の方が困惑した顔になった。


「……銘とはどこにある?」

「ほら、ここ。読めないけど、なんか書いてあるじゃん」

その文字を鈴は指でなぞる。


「……某には、その銘とやらが見えん」

「……どういうことだろ?」

鈴が首をかしげる横で、喜二郎は口元に手を当てて小さく唸った。




---

「そういえば、掛け軸の絵が変わった瞬間を見たことがある」

「えっ、ホント? どこで」


たしかに見た瞬間、絵の中の風景が動き出す衝撃はすごい。

しかしあれは絵が「変わる」というより「動いた」という表現の方がしっくりくる。

鈴が体験しているであろう表現とは違うことを、喜二郎は理解しているようだ。


「変わったのは明和六年。お主が元の時代に戻った時に使った掛け軸だ。お主が消えた後、女子の絵がいつの間にか足されていた」

その時の喜二郎は、時掛けとはそういう物だと納得したらしい。


「リンには見える物、某には見える物……他の者でも検証したいが、まずは他の掛け軸でも試すべきか。いや、最初の目的は父上がこれらの掛け軸に関与しているかどうかだ。それに某がくぐれないということを考えても性別による違いがある? 未婚の者というならば某の条件にも当てはまるはず。だが、それだと父上の部屋にあるというのは危険性が高い。ならば年齢による制限か? いや、あの時は某もスズと同じくらいの年だったはずで―――」


「ちょ、ちょっと待って、叔父上。一旦落ち着こうよ」

底なしに考えが深まっていく喜二郎を、鈴が留める。

我に返った喜二郎が、咳払いする。


「検証するには、材料が足りない」

「そうだね」

「そして、他で試すには確実性と安全性もない」

「……うん」

「今はどうすることもできない、と言うのが某の結論なのだが……」


それでも続けるか? と喜二郎が問いかけてくる。

鈴は首を振った。


「お爺様の事は気になるけど、今は仕方ないよ。忙しいのに邪魔してゴメンね」

「某はお主を邪魔と思ったことは一度もない。いつでも頼ってくれ」


謎は一つも解けなかった。むしろ増えたくらいだ。

それでも鈴は、不思議と来る前より迷いが少なくなっていることに気づいた。

分からないなら、今は忘れた方が良い。



鈴たちは後ろ髪を引かれる思いで、土蔵を後にした。






---

「リン、いったん実家に帰ってみないか?」

「うん……そう言われるような気はしてた」

福が用意してくれた茶を飲みながら、喜二郎はそう提案してくる。


「福、ご苦労だった。今日はもう上がってよい」

「承知しました喜二郎様。おりん様もごゆっくり」

最後に福は、にかっと笑う。


―――思い出した。

時掛けする前、いつも仙台の川で魚をすくっていたあの時の子供だ!


顔なじみで挨拶くらいはするが、名前を知らなかったので思い出すのに時間がかかってしまった。

鈴が口をパクパクさせて驚いている間に、福は礼をして去っていく。


「……どうかしたのか?」

「過去が変わっていたとしても、何かしらの縁があるなって驚いてただけだよ」

喜二郎は怪訝な顔をしながら「そうか」と頷いていた。


「話を戻すが……兄上たちがとても心配している。什吾はしばらく城詰めで家には戻らないだろう。帰るなら付き合うが……」

「うん……そうだよね。でもね叔父上。多分家に帰ったらしばらく家から出してもらえない気がするんだ」

「勘……か?」

喜二郎の答えに、鈴が首を振る。


「私、来年でいくつになるか覚えている?」

「十五……なるほど、確かにな」


十五歳、それは成人の年齢である。

すると父と母が叔父上を通して家に戻したがる理由も、なんとなく想像がつく。

つまりどこかに嫁入りするための準備として、家に戻したがっていると考えられた。


「父上はともかく、母上は絶対私にこれから花嫁修業させる気だよ」

「悪いことではない気がするが……」

どこが問題なのかわからない様子の喜二郎に、鈴は首を振った。


「今は私にも仕事がある。花嫁修業なんて、一朝一夕じゃ身につかないものよりも、今は覚えなきゃいけないことが山ほどあるんだよ」

「味噌作りや政治交渉の方が、一朝一夕では身につかない気がするのだが……」

「なに叔父上。私にさっさと嫁入りしろっていうの?」


鈴が少し喜二郎を睨んだことで「はぁ」と喜二郎はため息を吐いた。


「………分かった。兄上や義姉上には某から上手く言っておく。……くれぐれも無茶はするなよ」


家族と向き合う日はきっと来る。

だがそれは今ではない。


今の鈴にはやらなければならないことが山積みなのだ。




---

名主の家に帰ると芳たちが出迎えてくれた。


「リン、お帰り。今回も頑張ったね」

「ありがとう芳、村の皆は大丈夫?」


ええ、と芳ははにかんだ。

村人たちが鈴の帰還を聞いて名主の家の前に集まってきた。


「聞いたべ、佐賀まで行ったんだってな」

「珍しいものあった? 話聞かせてよ」


わいわい騒ぐ村の皆を、芳は手を打ち鳴らして鎮める。

「こらこら、気持ちは分かるけど。仕事が残ってるでしょう。米がとれない今だからこそ頑張らないと。ほら、行った行った」


芳の掛け声で、村の皆は名残惜しそうに解散する。

芳もすっかり名主が板についてきた。


「今やってるのは藁編み?」

「そ。藁だけは余ってるからね。あとは鮫皮と木彫りの細工、炭づくりね」

村で食料が不足し始めてから、名主の村では工芸品を作るようになっていた。


出来上がっている品物を見て、鈴は気が付いた。

若干、質が落ちている…? ような気がする。

藁製品や炭はともかく、鮫製品はそんな感じがした。


どこがそう思わせるのか考えて、鈴は気が付く。

今まであった独創的なものではなく、見たことがある絵柄だからか。

鮫革の絵柄だけは、今まで塩釜で加工してもらっていた。


塩釜の情勢も厳しくなりはじめており、この村で出来るだけ加工するようになっているのが響いているのだろう。

そういった独創的な物は、この村で生み出すのは難しいのかもしれない。

というよりこれ、鈴が記録していた鮫革の絵柄を再現しているだけだ。


(でも、今はそんなこと言ってられないかも)

質が落ちたのではなく、見たことがある絵柄というだけならば問題ない。

これらは確かに腹は膨れないが、未来の銭になってくれるだろう。


食料調達にも難儀している現状で、こういった工芸品を作り続けていくのには勇気がいる。

無論、食える物を探して森や山に入る者もいる。


今はカテモノにのっているものは何でも試して、生き延びようとしていた。

備蓄はすでにギリギリだったが、味噌のお陰で空腹はある程度しのいでいる。


やはり味噌の有無がこの飢饉を生き残るための鍵になりそうだった。

鈴は佐賀での出来事や、喜二郎の身に起こったことをかいつまんで芳に話す。


「そっちはそっちで、大変だったのね」

「うん。でも芳たちが作ってくれた品のお陰で、米はいっぱい手に入ったよ。ありがとう」

鈴が佐賀で売ったものの大半は藩預かりの品だった。


しかしその出どころは、ほとんどこの村から買い上げた逸品たちなのである。

鈴の話を聞いて、芳も嬉しそうに笑う。


「そういえば、ミカンとシャミはどうだった?」

「島津の御姫様が貰ってくれたよ。子猫も無事生まれた」

「えっ? どういった経緯なの、それ?」

しばらく鈴の旅のことを話し、これからのことを考える。


もうすぐ七夕だ。


今年の収穫もほぼ期待できない以上、屋台が並ぶことは期待できそうにない。

それでも藩からの振舞いの品と一年で数度しかない酒が飲める機会に、どこか大人たちはソワソワしていた。


「米だけは十分に仕入れてきたからね」

「ええ。村の皆も喜ぶわ。倹約令で皆も疲れてきているし、いい息抜きになるといいんだけれど」


それから芳と鈴はこれからのことを相談する。

トシは相変わらずいろんなところで仕事をしており、体つきも逞しくなってきただとか。

仁八はすっかり猟師っぽくなってしまい、村の食料係として欠かせない存在になっているとか。

六郎太は今も城詰めで、たまに村へ帰ってくるらしいとか。


「あの人、ホントいつも村にいないんだから」

「そこは責めないで上げてよ、芳」

わかってるわよ、と芳は苦笑いする。


「そういえばナナシは? 私しばらく会ってないんだけど」

「私もよく知らないんだけど……エゾとかいうところに行ってる、ってキジ兄が言ってたわ」

「蝦夷? ずいぶんまた遠くまで行ってるんだね。それは見かけないわけだ」


蝦夷は最北の地だ。

陸奥が飢饉の真っただ中なのは言うまでもないが、あっちの方まで買い付けに行ったのだろうか。


藩も、できることは何でもやっている。

その事実だけは少しだけ心強かった。


その後は比較的収穫できた蕎麦や野菜、芋の話などを聞く。

収穫量は微々たるものだが、この村だけなら乗り切れる。


鈴はそう感じていたが心の奥にある不安は消えない。

今まで予想通りに行ったことなど、ほとんどないのである。



「あ、こらモチ!」

鈴が戻ってきたのを匂いで察したのか、三匹の猫たちが鈴のもとへすり寄ってきた。


芳が「蔵はどうしたのよ……」とつぶやくが、猫たちにとって鈴の方が大事なようだった。


「ミカンとシャミは良い貰い先を見つけたよ。大丈夫だからね」

鈴のつぶやきに、モチたちが野太い声を上げた。



その鳴き声は「よく頑張った」……そう言ってくれているような気がした。






---

「今年は何やるんだろうね、楽しみだなぁ」

「去年は去年で盛り上がったもんね」


七夕まつりの日。

境内には竹が立てられ、色とりどりの短冊が風に揺れていた。

その木陰で、トシと鈴はくつろいでいた。


鈴はこの城下に立てられた竹林と短冊の飾りの光景が好きだ。

将来貰い手がいなくて尼になったら、こういうところから名前をもってこよう。


「リン、おにぎりの具はなんだった?」

「ん? なんだろ、食べてみる」


鈴の両手には、大きな握り飯が一つずつ握られている。

塩結びかと思ったが、中にはちゃんと具が入っているらしい。


これは塩鮭……当たりだ!


「ちくしょー。僕のは梅だったぞ。交換してよ、リン」

「ヤダ。私、運だけは誰にも負けない自信あるの。おみくじで大吉と吉しか引いたことないし」


うらやましすぎる、とトシは肩を落としていた。

ちなみにこのおにぎりを握ったのは六郎太だ。

今日は昼まで城に詰めていて、おにぎりを握っていたらしい。


六郎太曰く「祭の日くらい芳のところに顔を出さないと、家を追い出される」とかなんとか。

夜明け前に準備して、ようやく終わらせたと言っていた。


頑張っていると思うよ、六郎太。

芳とゆっくり過ごしてね。と心の中で鈴は思った。


雑談していると、境内の階段から仁八が姿を現した。


「酒をもらってきた。リン、お前も来年成人だろ。飲むか?」

「わーい、飲むー」

「一杯だけだぞ。あとは譲らん」


酒のことになると途端に頑固になる仁八である。

トシは「僕はー?」と恨めしそうに見ていたが、「まだ早い」と仁八は突っぱねた。


仁八に御猪口をもらい、酒を注いでもらう。

それは透き通るような上等の清酒だった。


「わ、いいお酒。これどうしたの、仁八」

「頑張ったご褒美、だそうだ。良い友人を持ったな」


それだけで誰がこの酒を用意したのかわかった。イロハだ。


「……ちょっと待って。ならそのお酒、私のじゃない?」

「まだ成人していないお前には早い。俺がありがたくもらってやる」


そう言って仁八は徳利をあおっていた。解せない。

その代わりに、と仁八は小さな袋を手渡してきた。


「喜二郎からだ」

「わぁ、金平糖だ! やっぱり叔父上、わかってる!」

「コンペートー?」


鈴はおにぎりをぺろりと平らげ、金平糖の包みを開ける。

星色に輝く砂糖菓子が手の中で踊った。


「はい、あーん」

「あーん………。な、なにこれ。もう一個、もう一個ちょうだい!」


このままトシに渡したら一瞬でなくなってしまうので、鈴が一つずつ摘まんでトシに食べさせる。

まるでモチみたいなしぐさに、鈴から笑みがこぼれた。


「そろそろ始まるぞ」

「今年も御輿?」

「いや、今年は……すぐにわかる」


そう言って、仁八は空を見上げる。

どんよりと曇った空。

祭の時くらい晴れてくれればいいのに。


日も暮れ始めており、今からなにか始まってもよく見られない気がした。


「ねぇ、仁八。今年は何を――」

「始まったぞ」


口笛のような音が鳴り、曇天の空を切り裂く大音が響く。

夜空に大輪の花が咲いた。


「花火だ!」

「花が咲かない飢饉だからこそ、だとよ」


仁八がそう言うなら、きっとこんな粋な提案をしたのはイロハなのだろう。

苦笑いしている重村や清右衛門の顔が目に浮かぶ。


それから仙台城を彩るように無数の花が空に咲く。

これから、厳しい季節が待っている。



だからこそ、いつまでも見ていたい光景を鈴は目に焼き付けた。

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